2-2 『貴方の話を聞かせて』

 ゆっくりと、薄暗い部屋の中心へと歩を進めていく。後ろで扉が厳かに閉められる音がした。花の香りが押し寄せ、クラクラする頭を抑えながら、眼前の少女――イルミナギカが手招くままに、ツグはベッドの縁に腰掛けた。


「もっと近くに座ってもいいのに」

「別に睦言を囁きに来たわけじゃないので……。というか貴女、そう言いつつも初対面の男に必要以上に近寄られたら蹴飛ばすタイプでしょ、多分」

「ええ、潰すわ。跡形も無く」


 何を、とは聞かなかったし聞けなかった。


「で、何を聞きたいんです? 自慢げに語れる武勇伝とか無いですけど」

「あら、随分と淡泊ね。大抵の人間は、私の前だとへりくだってみせたりするものだけど。私に対する畏れとか、無いのかしら?」

「目つきの鋭い剣士に、言葉を選ぶなと忠告されたので。――――それに」

「うん?」


 イルミナギカの顔をちらと見ながら、ツグは首を傾げて口を開いた。


「……なんか、貴女のこと別に怖くないんですよね。威厳というか、風格みたいなものは感じるんですけど」

「――――ああ、そういうこと。……これは、『種』を入れすぎた私の落ち度ね」


 フォズが信頼している様子を見ていたからかなと、理由を探すツグの傍らで、イルミナギカがやっちまったと言わんばかりの渋い表情を浮かべる。何やら一人で納得する様子だが、すぐに表情を戻すと、彼女は話を戻した。


「まあいいわ。とりあえず最初に言った通り、貴方の話を聞かせて? 何でも構わない」

「何でもって言われても……例えば?」

「そうね。好みの女性のタイプとか?」

「ええ……、それに何の意味が」

「――――嗜好を知れば本性が透ける。本性が見えれば、潰すも愛でるも我が儘に……。根っこを直接掘り返してもいいのだけど、それじゃあ芸が無いわ」

「っ!」


 気が付けば、かなり離れた場所にいたイルミナギカがツグの真横へと移動し、ツグの頬に細い指を這わせる。思わず反対側に身を退こうとしたツグは、しかし柔らかい感触に押しとどめられた。恐る恐るそちらを見ると、何回か見たのと同じ『床から生えるヒトの腕』がツグの肩を押さえている。――逃げられない。


「流石に女性のタイプは性急かしら? 照れ屋な所もあるのね。……じゃあ食事の嗜好から、聞かせて?」

「――――――――ひ」


 濃密な花の香りと異形の腕に囲まれたまま、耳元で吐息混じりにそう囁かれ、ツグはか細い悲鳴を上げた。



******



「……………………」

「……そろそろ十分かしら。大体、貴方のことは掴めた気がするわ。内気で破滅的。二面的で現実主義。ヴァルクほど自我に固執するのも考え物だけれど……ここまで自らの嗜好に興味のない人間も、珍しいわね」

「………………終わり、ですか? やっと」

「ええ。愉しかったわ」


 これが他人のベッドであることも忘れ、げっそりとした顔で仰向けに寝転び天蓋を見つめるツグが、掠れた声でイルミナギカに問う。それに対して、イルミナギカは満足げに微笑みを浮かべた。表層を切り取れば無垢な少女にも見えるその笑みに、先ほど何度恐怖したか知れない。最初は感じていた色っぽい雰囲気も、質問が三桁に突入したあたりでツグの認識からは霧散していた。

 好きな食べ物、読書の傾向といった話題から始まり、そこからずっと今に至るまで、ツグの趣味嗜好、行動のパターンに関する質問攻めが続いた。その割に、ツグの家庭環境や、スティのこと、【死神】の心臓に関する直接的な質問は全く行われず、肩透かし気分を味わいながら、膨大な量の質問に答え続けたツグは、既に疲労困憊だ。

 とはいえ、スティのことまではどうかわからないが、ツグが異世界の出身であることは恐らくバレただろう。互いに、特に単語の不和が多すぎた。この世界において、異世界――ここではツグの元の世界がどういう立ち位置なのかが判断できないのが怖いところだが。


「さて、じゃあここからは現実的な話をしましょう……と言いたいところだけど」

「はい?」


 結局、ツグの根幹には一切直接触れず、しかしツグの全てを見透かしたようなイルミナギカが、部屋の戸の方を指差す。

 気が付くと大扉が開いており、扉の向こうで背の高い人影が何やら恭しく、この部屋に向かってお辞儀をしていた。


「そろそろ、別の先約との予定の時間なのよね……。だから、とりあえず彼に付いていって頂戴。貴方に部屋をあてがってあるわ。屋敷内なら自由に動き回っても構わない。何か質問は?」

「特には……あ、いや一つだけ」

「何かしら?」

「……フォズとミリアって、どこに居ます?」

「ああ……成程。わかったわ。案内させる。――聞いていたわね? セージュ」

「御意に」


 扉の向こうで、低い声の返答が聞こえる。よく見ると、その長身の人影は全身を礼服で包んだ、老紳士のようだった。

 彼はイルミナギカにまず一礼、そしてツグにも丁寧な一礼を披露する。雰囲気のままにツグも軽い会釈を返し、そのままベッドから立ち上がった。


「話の続きは、日が沈み切った頃に…………何かしら、乙女の誘いに対してそんな嫌そうな顔を見せるものじゃないわよ? 質問責めにはもうしないから、安心なさい」

「ははは……。じゃあ、また後で……」


 顔を引きつらせながらイルミナギカにそう返し、ツグは逃げるように扉の外へと出た。



******



「イルミナギカ様の査問は中々に苛烈でしょう? ヴァルク様も、最後にはあの冷静な表情を崩しておられましたから」

「いやー……長かったです。うわ、もう夕方なんだ」


 窓の外から差し込む夕日を見て、ツグは時間の経過に驚いた。

 綺麗な廊下を、ツグと老紳士――セージュが並んで歩く。ツグは最初、あのイルミナギカの従者的立ち位置の人間ということで、相当なイロモノを覚悟していたのだが、実際話してみると、柔らかな物腰の充分以上に話せる御仁だった。

 高い身長に、似合うスーツのような服を着こなしている。スティのものとはまた違う白髪をきっちりとセットし、少し髭を生やしているあたり、そこそこの年齢はありそうだが、優雅な立ち振る舞いは老いや衰えといったものを一切感じさせない。


「フォズ様も、先ほどミリア様も通った道です。まあ、通過儀礼のようなものだと考えていただければ。イルミナギカ様にも悪意はありません」

「悪意が無いのはなんとなくわかりますよ。セージュさんもあの質問責め、前に

受けたんですか?」

「――――。いえ、私奴わたくしめはイルミナギカ様とは随分と昔に、そう、この屋敷が建てられるよりもずっと昔に出会いましたので」


 そう語るセージュの表情が、僅かに綻ぶ。まなじりが下がり、頬はどこか上気すらしているように見えて。しかし直後にハッと元のダンディな微笑みを取り戻し、ふと一室の前で足を止めた。イルミナギカがいた部屋よりも扉は小さい。


「この部屋が、フォズ様とミリア様が休息を取っている部屋になります。事前に誰かが入室する可能性は示しておきましたので、ノックをすれば入れてくれるかと」


 そう言って、弁えた態度で一歩後ずさるセージュ。その前で、ツグは緊張にドアと自分の手を交互に何度か見つめ――――そしてゆっくりと、ドアを二度、叩いた。

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