二章 『萌芽を枯らす停滞』

2-1 『ようこそ』

『……試しにと思ったけど、やっぱり耐えるのは難しいか』


 ツグの意識の奥底で、ツグのものではない意識がぼやく。

 【死神】の心臓の本質。それを一回目はあえて見せず、二回目で直視させた。その結果、ツグの自意識は既に、弾けて消えてしまう寸前まで負荷がかかり、今はこうして心奥での彼――【死神】カロイの独白すら聞こえていないだろう。聞こえていたところで、カロイに関する記憶は持ち出しを禁じることができるのだが。


『敵には容赦ないくせに、仲間のことになるととことん弱いな。君は。」


 とはいえ、別にカロイも、ツグをここで潰したいわけでは決してない。ツグの「スティを助けたい」という願いを応援するのは本心だ。


『ま、ブルーカじゃあるまいし、メンタルケアなんてオレの柄じゃない。あの少女たちに精々慰めて貰うといい。……お、丁度お目覚めかい?』

 

 そう言うと同時、カロイの意識が弾き出されるように隠れ、代わりにツグの自我が溢れだして――――、



******



「――――あああっ! …………あ?」


 ツグが、勢いよく体を起こす。

 起き抜けに出た自らの大声に自分でもびっくりしながら、ツグはまず、周囲の景色を機械的に認識することに努めた。

 狭い殺風景な一室で、そこそこ柔らかい寝台に寝かされたツグ。周囲には小さな机と椅子、格子の嵌まった通気口くらいしか無く、壁の一面はいかにも頑丈そうな鉄格子だ。あまりにもテンプレートに沿った光景に、ツグはここが牢屋や独房の類いであることを理解する。とはいえ――、


「…………壊せるな、べつに」


 持ち上げた右手に力を僅かに込めると、一瞬だけ黒い光が瞬いた。【死神】の鎌は健在だ。【死神】、【死神】……。


「僕は……どうしてたんだっけ?」


 森を逃げ回って、赤獅子に奇襲されて、死んで、それから。


「あ……おぶ、ぇ」


 自らの体が起こした所業を思いだし、ツグは思わず口元に手をやる。森を踏み荒らし、フォズを傷付け、仲間達に牙を剥いた【死神】の心臓。

 彼らは逃げ切れただろうか。ツグが目覚めているということは、十分な魔力が補充できるぐらいに、生命を壊し続けたことになる。もし、それが――、


「けほっ、けほっ……」


 空咳のような排気を繰り返す自分の体に、ようやくツグは、嘔吐すらできないほど空腹であることを自覚する。思えば、異世界で目覚めてから今に至るまで、食べ物らしい食べ物を口にしていない。すると突然、ツグの心を誰かが読んだかのように、俯くツグの目の前にお盆が差し出された。

 柔らかいパン。湯気の立つスープと、乳白色の冷えた液体。食べやすさを重視したその食事に、空腹に耐えかねたツグは考えるより先に手を伸ばした。

 薄味だが、胃に染み渡る。脇目も振らずにお盆の上の食事を平らげ、ツグはようやく冷静さを取り戻した頭で、そういえばお礼を言わなければと、お盆を差し出した相手の方を向いて、


「ごめん、美味かった。ありが――」


 言葉の途中で硬直したツグに、ソレは慇懃にぺこり、とお辞儀をする。きっとお辞儀なのだろう。下げた部位が、ツグにとって頭部ではなくても。

 眼前でお盆を差し出す『床から生えた人間大のヒトの腕』に、ツグは思わず寝台からずり落ちて尻餅を付いた。

 そして――、


「…………まあ、最初は驚くだろうな。害は無いから安心してくれ。多分」


 いつの間にか鉄格子の向こうに立っていたヴァルクが、曖昧な言葉でその奇怪な腕の安全を保証した。



******



「…………」

「…………」


 ツグとヴァルクが無言で並び、落ち着きのある優雅な装飾の階段を登っていく。

 先ほどまで牢屋に突っ込まれていた割には、ツグには何の拘束もかけられていない。信頼されている、と言えば聞こえは良いが、実際はツグが怪しい挙動をしてもヴァルクが一瞬で制圧してしまうからだろう。


「ヴァルクは元気そうだな。…………二人は?」

「体調の話なら最悪に近いが、【死神】の心臓のせいで負った傷はほとんどない」

「…………ごめん。謝って済むことじゃ、ないけど」


 ツグの曖昧な問いに、ヴァルクは的確にツグの欲しがった言葉で返答した。

そのことに安堵していると、ヴァルクがツグの方を向いた。


「謝罪ならば、俺の方からもある。……【悪魔】を、殺せなかった」

「それは仕方ないだろ。あいつの底は見えなかった」

「そうじゃない。……殺す機会があったのに、殺すのを躊躇ってしまった。お前のような主義のやつには、唾棄すべき葛藤かもしれないがな」

「唾棄すべき、って、僕のことを何だと――――」

「でもお前なら、殺せていただろう? その精神を否定するわけではないが」

「…………」


 否定は出来なかった。ツグなら、【悪魔】を殺すチャンスがあれば間違いなく躊躇いなく殺しに動いていただろう。人殺しがどうとか、そんな煩悶すらなく。

 だが、そうした自身の在り方が甚く歪んだものであると、ツグ自身が誰よりも理解していた。実際、ヴァルクのこの話を聞いて率直に「何故?」と思いもした。

 初めて出会ったときに僅かに感じたヴァルクとの溝は、恐らくこの部分だったのだなと、ツグは実感する。ただ、今更どちらの正否を問う意味もない。フォズ達を守り、【悪魔】を圧倒したヴァルクと、役に立たないどころか、反転して害を加えたツグでは、比較することすら――――、


「…………自虐する気持ちはわかるが、顔には出すなよ。俺はともかく、特にあいつらの前ではな」

「……っ」

「あいつらは、ひとまずお前を信頼することを選んだ。そんなあいつらの前で、お前が誰よりも自分をゴミのように扱っていたら本末転倒だろ。……謝罪は必要だ。後悔も必要だ。でも、お前があいつらを想うなら、それを糧にあいつらの信頼を買い続ける努力をしろ。自分に突き立てる刃があるなら、まずそれを握って戦え」


 冷酷にも見える瞳でツグを見据えながら、ヴァルクはそう言い放つ。激励と呼ぶには冷たく、しかし罵声と呼ぶには思いの籠もったその言葉に、ツグは目を見開いた。


「…………人生で三番目くらいに、心に来た」

「浅い人生だな」

「言ってろ。……改めて、ごめん。これから強くなれるよう頑張る」」

「それでいい。ほら、着いたぞ」


 洋館のような雰囲気の廊下を進み、ヴァルクが一際大きな扉の前で足を止める。ツグが怪訝そうに扉を見上げると、唐突に人間大の腕が再び地面から生えてきて、扉に大きな手をかけた。


「そんなに緊張しなくていい。。お前の本心を、ありのままを語り続けろ。彼女は、それを最も好む」

「え、何そんな急に大仰な……」

「頑張れよ」


 ヴァルクが手をひらひらと振り、廊下の奥へと消えていく。一人残されたツグは、逃げたい気持ちを抑え込んで、扉をくぐり、薄暗い部屋へと入っていく。

 壁際には、所狭しと花が並んでいる。造花か本物かはわからないが、濃密な花の甘い香りに、ツグはクラッときて頭を手で押さえた。不快な匂いでは決してないが、長居しては自分の何かが変わってしまいそうな香りだ。

 そして、そんな花々に囲まれた中心には、巨大な天蓋付きのベッドが鎮座している。あれで昼寝したら大層気持ちいいだろうなと、場違いな感慨を抱いたツグの視線が、ふとベッドの中心で止まった。


「――――あら、もう来たの?」


 そこに居たのは、見た目だけ見ればツグより年下にも見える、金髪の少女。座り込み、その長い髪をシーツの上で梳きながら、やや上目遣いで深紅の瞳をツグへと向ける。この薄暗さでも理解出来るほど美しく透き通るような肌を随所で晒し、真っ黒な布一枚を体に纏う少女は、感情の読めない笑みで、ツグに手を振った。その動作だけは年相応の少女らしいものだったが、実際に彼女と相対して、彼女をただの少女として扱える人間などいないと、ツグは断言出来る。


「私はイルミナギカ。この領地、『ラバーズスローン』を統べる者。ようこそ。いらっしゃい。ありがとう――。さあ、こっちに。……貴方の話を聞かせて?」


 笑顔でそう宣ったイルミナギカに、ツグは極度の緊張を味わいながら、固唾を飲んで部屋の中へと足を踏み入れた。


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