13 『そして、長い夜が終わる』
全身から溢れ出した黒い光の奔流が、真っ先にツグに組み付く赤獅子の体を飲み込んだ。赤獅子は一瞬で消滅し、次いで破壊の矛先が、ツグ達を追いかけていた魔獣達に向かう。
主人の命令を遂行しようと、果敢に距離を詰める魔獣の群れ。そんな獣の忠誠を嘲笑うように、黒い爆発は大地をのた打ち、木々を引き裂き、無慈悲に悉くを抹消した。一体魔獣を殺す度に、ツグの中に魔力が流れ込んできて、違和感と不可逆に湧き上がる活力にツグは吐きそうになる。吐く口は、先ほど噛み千切られてしまったが。
――――そして、次に。
(…………やめろ、やめろやめろやめろやめ――)
そんなツグの感情を差し置いて、【死神】の心臓が次なる魔力を求め、フォズたちに向かって『死』を伸ばし始めた。
******
「チッ……、始まったか」
無数の、触手にも似た鎌状の黒い奔流を前に、ヴァルクは歯噛みする。
ヴァルクでも詳しくは知らない【死神】の心臓の禁忌。その一端を見据えながらも、体は的確に、黒い奔流を回避すべく動く。脳裏では、少し前、『瞬間移動』の赤獅子に襲撃される直前に話し込んでいたミリアとの会話が想起されていた。
『――――黒い爆発?』
『うん。この森、酷い有様じゃん? それを引き起こしたのが、ツグくんの体からドバドバ出てきた真っ黒な魔力だよ』
『その話が本当だとして、危険だとは思わないのか。あいつが』
『思うよ。思うけど……とりあえず信じるって、決めたから』
『…………そうか。なら、俺から何か咎める必要もないだろう』
その後も少し、ツグやフォズのことで話し込んだが、ミリアが、危険は承知でツグを信頼すると言った以上、ヴァルクから特にツグを拒絶することもしなかった。
だが――、
「これは、想像以上だな」
森を喰らい尽くしながら迫る【死神】の心臓に、流石のヴァルクも戦慄を隠しきれない。だが、彼の持つ知識から、この破壊に対する対処法を一つだけ見出すことが出来た。
「――――【死神】の心臓は、世界から拒絶されている。大気から魔力を取り込むことはもちろん、他の『
「長い! わかりやすくお願い!」
「あの暴走は、恐らく魔力を補給するためのものだ。それも、生物の『魂』限定の」
「……つまり、魔獣を集めて食べさせれば収まる、ということですか」
結論を引き取ったフォズに、ヴァルクが頷きながらも微妙な表情を浮かべる。
「確証は無いがな。そもそも、あいつがどのくらい大食いかがわからん」
「さっきのときは、森の魔獣が半分以上は食べられちゃったよ」
「……なら、今残ってる魔獣で満足するかどうかも怪しいな」
ただでさえ、思考リソースの大半を回避に割いている。早いところ方針を定めなければ、瓦解して全員ツグの餌だ。故に――、
「上手くいくかはわからんが、とりあえず魔獣の残りを手当たり次第ぶつけろ。それでも止まらなかったらその時は、俺に考えがある。……使いたくはないが」
黒い手袋を抑えながら、ヴァルクが苦々しげにそう呟く。本当に、できれば使いたくない手段なのだろう。
「時間との勝負だ。俺とお前たち、二手に別れるぞ――――散開!」
ヴァルクの命令と同時に、フォズとミリアが別の方向へと進路を切り替える。黒い奔流の密度がヴァルクの方に多く傾いたのは、持っている魔力量の差ゆえか。何にせよ、一番動けるヴァルクに攻撃が集中するのは好都合。
駆け抜けざまに木の枝を拾い、風を纏わせて一閃。前方の倒木が一様に切断され、潜伏していた魔獣が数体、姿を現す。
「悪く思うな」
抵抗する豚のような魔獣を掴み、片端から黒い奔流へと投げ込む。触れた瞬間、蒸発でもするかのように魔獣が消滅し、しかし黒い奔流は勢いを止めない。
念のため黒い奔流に風刃を撃ち込んでみるが、反応は一切無かった。
「あれを正面から止めるのは【愚者】でもない限り無理か……」
ここには居ない友人を懐古しながら、ヴァルクは木の枝を数本抱え、次の魔獣を求めて森だった大地を駆け続けた。
******
「『リーザ』!」
「どっせい!」
放たれた氷塊が、猿型の魔獣の頭部に激突し、仰け反ったところをミリアの電撃が貫く。そして昏倒した魔獣を、黒い奔流が瞬く間に飲み込んだ。
順調にこそ見えるが、フォズもミリアも、魔力量に余裕は無い。元々、すっからかんだった状態から二重三重のドーピングを経て今こうして立っているのだ。本来なら、今のような勿体ない戦い方をするべきではない。
それでも、二重の遠距離攻撃は、戦い慣れしていない少女達にとっては唯一と言っていい安全重視の戦法だった。
そして駆け抜けること数分。そろそろ、特にフォズの体力がしんどくなってきたあたりで、軽快に走っていたミリアが、突然足を止めた。
「――――あれ」
「ミリア!? ……『フィーラ』っ!」
フォズが咄嗟に火球を放ち、ミリアの近くで爆ぜさせる。呆然とした様子のミリアは、爆風に煽られてようやく事態を思い出したらしく、すぐに姿勢を直して跳躍した。足下を黒い奔流が蹂躙し、近くの倒木の陰に鎌を伸ばした。運良く、魔獣がいたようだ。
「ご、ごめんフォズ!」
「大丈夫。 ……どうしたの?」
「あれ見て」
「うん? …………え」
手を合わせて謝るミリアが、森の奥を指差す。怪訝そうに視線を向けたフォズは、しかしミリアと全く同じ反応で固まってしまった。
そこには―――、
「…………。…………キュィ」
「――――【悪魔】」
そこには、面が剥がれ気を失った【悪魔】を足下で庇う、満身創痍の怪鳥『ペンタ』の姿があった。否、怪鳥だけではない。傍らには大ガエルが鎮座し、小さな二頭身の子猫が【悪魔】の髪を撫でている。
【悪魔】の顔まではよく見えないが、少し見ただけでも、皮膚が爛れているような、凄まじい容態であることは二人にも察せた。
あまりの光景に、二人は時間も忘れて立ち止まってしまう。その様子を、怪鳥を始めとする魔獣たちは、ただ静かに見つめている。こちらからは仕掛けないが、もし攻撃してくれば主人だけは守ると、魔獣の瞳が語っていた。
二人は、咄嗟にどうするか悩み悩み――――そして、時間を忘れた代償は速やかに取り立てられる。
「フォズ! 右!」
ミリアがそう叫びながら、フォズを押し倒す。二人が立っていた位置を、黒い奔流が薙ぐように闇で埋め尽くす。二人は回避に成功した。だが、黒い奔流は逃がした標的には執着せず、代わりに進路上の【悪魔】へと突進する。
「キュィィィイ!」
怪鳥が裂帛の奇声を上げ、大ガエルが【悪魔】を口内に飲み込む。しかし、フォズたちはどうしようもないほどに、その抵抗が無意味であることを知っていた。
黒い『死』が、迫り、迫り、迫り―――、
「……………………………………。…………消え、た?」
怪鳥の腹を食い破る直前で、忽然と、黒い奔流が消滅した。フォズは呆気に取られ、ミリアは声も出せず、魔獣も、困惑を滲ませて威嚇するような声を繰り返すのみ。
ヴァルクがやってくれたのか。それとも他の要因か。どちらにせよ、眼前の現象に反応が遅れたこの場の全生命体の中で、最も早く正気を取り戻したのは怪鳥ペンタだ。フォズ達が呼び止める間もなく、右足をフックのように変形させ、【悪魔】を口に含んだ大ガエルを引っかけ、飛び立った。
「…………戻ろう、か。ミリア」
「……うん」
【悪魔】を守ろうと立ちはだかった魔獣の瞳の色が忘れられないまま、ミリアとフォズは来た道を引き返そうと、ゆっくりと踵を返した。
******
――――時は僅かに遡り、ヴァルクとフォズ、ミリアが二手に別れ少し経った頃。
森の中心、黒い繭のような塊の中で、ツグは独り、嘔吐き続けていた。
「おっ、ぎ、ふ……がはぁぁぁぁあっ!」
噛み千切られたはずの口元が、いつの間にか完全に治っていた。それだけではない。定期的に、他人の吐瀉物やら排泄物を直接消化器官に捻じ込まれるような不快感と共に、体の節々に活力が漲る。その、心と体の乖離がこの上なく気持ち悪くて、ツグは何度も、絶叫にも似た様相で自らの喉を絞め続けた。
――――何度も話題に出ていた、『黒い爆発』
今ならわかる。最初に異世界に来る直前だって、ツグは心臓を撃ち抜かれて死んでいたのだ。この力は、ツグの死に伴って現れ周囲の命を貪り喰らう、ツグの惰弱さを譴責する『罰』なのだと、ツグは理解した。
当然だろう。ツグが怪鳥に潰された後、フォズが重傷を負ったのは、果たして何故だったのか。その答えを脳内で反芻するたびに、脳の余白が自責で塗りつぶされていく。消耗品だとツグが何度も謳っていた自分の命は、『消費』すら能わない災厄でしかなかったというわけだ。
そんなツグの懊悩を余所に、新しい
「あ、が! も、ごろ、じでぐおべれれれれえれれれ――」
過剰に流し込まれた濃密な魔力に、意識を失ったツグ。その外で、繭が徐々に霞み消えていき、同時に、伸ばしていた黒い奔流が電源を切られたかのようにプツリと消滅した。
「――――ヴァルクが戻ってこないから何事かと思っていたけれど、これは悲惨ね」
惨憺たる有様の地面に倒れ込んだツグに、僅かに差し込み始めた朝日に照らされた影と足音が二つ、近づく。
「……お体は、大丈夫ですかな。これほど吐き出したのは、暫くぶりでしょう」
「疲労感はあるけれど、結果的にコレを抑えるには必要な事だったわ。屋敷に帰ったら、湯浴みの準備をなさい。客人の分も忘れずね」
「御意に」
「――――それに」
二人の人影の内、髪を足下まで伸ばした少女の人影がしゃがみ込み、黒い細身の手袋越しに、気を失ったツグの顔を持ち上げる。涎と胃液で汚れた、しかし傷一つないその顔を見ながら、少女は――否、少女の形をした『魔女』は、口元に艶やかな笑みを浮かべた。
「【死神】の
「無論、ありませぬ。……いや、やはり一つだけ」
「なあに?」
「初対面の相手に露悪的に振る舞うのは、貴女の悪い癖かと。イルミナギカ様」
そう言い、同じく黒い手袋を着けた手を胸に当て、恭しく跪いた老紳士――セージュの言葉に、イルミナギカは不満げに目を細めて、ツグへと手を翳した。
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