12 『不死の代償』
「――――俺は、ヴァルク。その心臓に名を刻んで、運命の輪へと還るがいい」
律儀にもそう名乗ったヴァルクの剣が旋風を纏う。刀身が何倍にも伸びたようにすら見えるその刃を構え、【悪魔】が大ガエルに回避の命令を出す間も無く――それを大振りに、凄まじい速度で薙いだ。
如何に伸びた刀身でも、【悪魔】の下までは届かない。だが、ヴァルクが刃を振り切ると同時、剣が跡形も無く砕け、同時に超高密度の風刃が波状に撃ち出され、倒木を蹂躙しながら一瞬で【悪魔】へと迫る。
「『ジィ』――――!」
【悪魔】が傍ら、大ガエルの名を叫ぶ。大ガエルは咄嗟にカエルらしい跳躍を見せ、頭から【悪魔】を口内に匿った。直後、風刃がカエルの身に直に叩きつけられる。
樹木を容易く切断する破壊力を受けてなお、大ガエル『ジィ』の体は引き裂けない。体を覆っていた粘液が、鋼のように硬化している。だが、完全に無傷という訳ではないらしく、一撃を受けきった『ジィ』は最後に【悪魔】を吐き出し、舌をだらんと口外に出した状態で意識を失った。
一見すれば、むしろよくあの一撃を耐えたと、『ジィ』を賞賛する者がいるであろう光景。しかし、ジィの耐久力を最もよく知る【悪魔】にとって、眼前の剣士の危険性を正しく認識するには十分な一時だった。
焦燥を滲ませながらヴァルクを睨む【悪魔】の視界に、ふと大きな影が横切る。先ほど墜落させられた怪鳥ペンタだ。巨大な鉤爪はそのままに、剣が砕け武器を失ったヴァルクの背に肉迫し――――、
「――――わざわざ武器を潰す技を使って見せたんだ。代えが利くのが道理だろう」
ヴァルクが咄嗟にしゃがみ込み、無数に散らばる木の枝を両手に二本、拾い上げる。そして今度はその枝の一本が瞬時に旋風を纏い、振るわれ、同時に砕けた木の枝が、再び風刃を生み出した。先ほどの剣に比べれば威力は乏しいが、それでも至近の魔獣に致命傷を負わせるには十分な破壊力。
【死神】の少年も、【魔術師】の姪も、比較対象になり得ないほどの、莫大な降って湧いた脅威を目の当たりにし、それでも【悪魔】が取った行動は――――、
「『ペンタ』ぁ!!」
「…………言ったろ。お前は悪魔を気取るには幼すぎるって」
使役対象でしかないはずの魔獣を庇うように、【悪魔】はヴァルクへと真っ直ぐに吶喊する。その無計画な攻撃を、冷静な声で迎えながら、もう片方の枝に旋風を纏わせた。
咄嗟に変形した両腕で風刃を防ごうとする【悪魔】。だが、間近で放たれる風圧の暴威までもを、【悪魔】は受けきれない。地から僅かに足を浮かされたのが最後、【悪魔】は風圧に押され続け、森の奥へと吹き飛ばされていく。
視界から消える寸前、【悪魔】の面が剥がれ、大地に突き立った枝に引っかかる。最後に晒した素顔に、ヴァルクは僅かに目を見開くと、かぶりを振り、右を向いた。
「…………人の心なんて、とうに捨てたつもりだったが」
眼前には、疲労困憊の状態でノロノロと、吹き飛ばされた主人を回収しようと翼をはためかせる怪鳥ペンタの姿がある。トドメを刺すのは容易だ。こっそり後を付けて、【悪魔】諸共始末することもできるだろう。仮に、この場にツグがいたら間違いなく、そう提案していた。
だが、ツグよりも、【悪魔】よりもずっと強いはずのヴァルクは、ついぞその非情な決断を下せない。脳裏で【悪魔】の悲痛な叫びと、健気な怪鳥の姿と、【悪魔】の素顔――――無数の動物の皮膚と部位を継ぎ剥いだ、歪で悲惨な少女のような顔が、ヴァルクを糾弾するように反響している。
「運良く生き残って、次に敵として会ったら、その時は容赦しない」
ヴァルクはもう一本、木の枝を拾い軽く振るう。枝が微塵に砕け、生じた風弾が怪鳥の背を直撃し、怪鳥を地に落とす。殺すほどの威力ではない。怪鳥に余力と気概があれば、再び飛び立つだろう。
「イルミナギカは責めないだろうが、あいつらには謝っておかないとな……」
そう小さく呟いて、ヴァルクはフォズの打ち上げた合図の下へと歩き出した。
******
「……あいつ、大丈夫かな」
合図を打ち上げて、少し経つ。依然として聞こえてくる戦闘音に、ツグは一抹の不安と共にそう呟いた。
正直、ヴァルクが引き受けたのは時間稼ぎくらいのものだと思っていたのだが、音から察するにどうもバチバチに殺し合っていそうだ。
「ヴァルク? って人は7年前はイル様のとこにはいなかった」
「まあ、歳も僕らとそう変わらなさそうだし」
イル様、というのは噂の領主イルミナギカのことらしい。
「……でも、イル様って基本的に人を自分の手元に置くことをほとんどしない人だから。たぶんその人はすごく強いんだと思うよ」
「だと良いけどな……。イル様とやらに会ったことがないから、その指標がどれだけ強いのか正直わからないけど」
フォズのイルミナギカに対する信頼がとても厚い。真横でミリアが少し複雑そうな表情で話を聞いている。妬いているのか。美しい友情だ。
「……腕組んで生暖かい視線を向けるのやめてもらっていい? この小瓶飲ますよ?」
「いや何でもないそれはやめて」
刺々しいミリアの恨み言にツグが頭を下げる。先ほどまでの緊張感はどこへやら、随分と空気が弛緩していた。単純に各々使いすぎた魔力や体力を温存するべく、楽な姿勢でグータラしているせいだが。
――と、聞こえた足音に三人が視線を向ける。
「…………随分と暢気なことだな、お前ら」
「目的は達成したよ。助かった」
「いえーい、おかえりー」
ツグの素直な感謝とミリアの適当なテンションに少し口の端を歪めながら、次いでヴァルクの視線がフォズへと移る。
「……俺はヴァルク。こいつらから話は聞いているな?」
「はい。 イル様はお元気ですか?」
「あいつは生涯元気じゃないか? 多分」
「ははは、ですね」
そんな簡単な挨拶も交えつつ、ヴァルクが端的に状況を説明する。
「結論から言うと、【悪魔】と鳥とカエルは一旦再起不能まで追い込んだ。このまま真っ直ぐ森を出れば、あいつらが直接襲ってくることはないだろう」
「…………ヴァルク、本当に強かったんだな」
望外も望外の結果だ。正直、この後も壮大な追いかけっこが続くと思っていただけに拍子抜けだった。
「ただ、ここに来る途中にも何体か遭遇したが……魔獣共の命令は生きている。あの鳥みたいに特殊な奴がまだいないとも限らない。疾く、森を抜けるぞ」
「了解」
「おっけー!」
「はい」
そうテキパキと指示したヴァルクに、否やを唱える者はいなかった。
******
「ちょ、走るの速――」
「フォズやミリアと違ってお前は怪我もしてないだろ。ほら足を動かせ!」
先陣を切るのは、風のごとく軽快に走るヴァルク。どこで落としてきたのかいつの間に腰の剣は無くなっていたが、代わりに拾った木の棒を振り回すパワープレイを以て、先行して魔獣を蹂躙していく。
続いて、フォズ。こちらは自分の足下の地面を凍らせ、
次いで、ミリア。溌剌な印象通り、慣れた足取りで不安定な足場を駆け抜けている。生来の運動能力の高さか、謎エナドリパワーか、ともあれヴァルクに不足なく追従できている。やっていることは完全にツグの上位互換だ。
で、そこに息を切らしながら何とかついて行くのが最後尾のツグだ。一応、後ろから迫る魔獣をバッサリと両断し続けているので、戦力的には貢献できていると信じたいが。
結果的に近接戦力が前と後ろに分散しているので、バランスは良いのではないだろうか。特に、全員の背後を見れるのは当然だがツグしかいない。ここはしっかりと警戒を――、
「…………背後?」
と、脳裏に引っかかるのは、そんな単語。そういえば、どさくさに紛れて――、
「――――か、ふ」
「!? ツグくん!?」
突然足を止めたツグに、いち早く気が付いたのはミリアだった。その声に応じて、フォズとヴァルクも振り返る。ツグも、状況を理解した。こうなる直前に、考えるべきだった障害を一つ、思い出したから。だが、もう、遅い。
――前足を失った、満身創痍の赤獅子が、ツグの背後に『瞬間移動』し、その喉元を牙で食い破った。
「け、で、も、……れ??????」
が、意識が消えない。死なない。頭と胴体が完全に分離しているのに、ツグの意識が消えない。首を噛み千切られた痛みから逃れるすべも無く、激痛に焦土と化した意識の中で、どろりと、黒いなにかを見た。その色彩の介入する余地のない漆黒は、鎌のそれに、よく、似て。
『――――そろそろ、君が蘇生するための魔力の補充が完了する』
そんな台詞が、既に攪拌されてぐちゃぐちゃになった脳内を反響する。これは、誰が言っていた言葉だっけか。
『目覚めた後で何を見ても『気にしない』ことだ。心の人間性まで食われたら、それがもう最後だよ』
かつて聞いた警告。そうだ、死んだときに、言われた。
【死神】の心臓における、魔力の補充。不死性の代償とは――、
直後ツグは、自分の全身が黒い奔流を吐き出し、敵味方の別も無く周囲の全てを蹂躙していく様を、潰れた目で克明に目の当たりにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます