11 『激突』

「…………殺しきれなかったか」


 真後ろで聞こえる赤獅子のか細い息遣いに、ツグは内心で臍を噛んだ。

 狙い通り、赤獅子の『瞬間移動』の性質を突き、一撃報いることに成功した。だが仕方なかったとはいえ、後ろ向きで慣れない鎌を振るうのは難しく、赤獅子を仕留めることができなかった。

 赤獅子が痛みに悶えている今のうちにトドメを刺さなくては、逃げられる。いかに前脚を削ぎ落としていようと、十全に機能するのが魔法という神秘だ。

 転移する間もなく振り向き、勢いのままに鎌を叩きつけようと、全身に力を入れた、その時だ。


「…………なんか、近づいて――」

「――おい! 掴まれ!」

「……ヴァルク? って、ちょ!?」

 猛烈な勢いで駆けてきたヴァルク。その右腕には意識を失った様子のミリアが抱えられており、きょとんと立ち尽くすツグを、速度を落とさずにそのまま腰から抱え上げる。何事かと目を丸くしてツグが顔を上げると、


「…………うわ」

「状況は理解したか?」

「これ以上なくはっきりと……いや、あんまり直視したくないけど」


 眼前の光景に、頬の筋肉を痙攣させながら、ツグが乾いた声を漏らす。ヴァルクの進行方向の真逆を向いていることもあり、ツグは置かれた状況を明瞭に理解した。


「あはははははははははははははははははははははははっはあぁ!」


 まず目を引くのは、もはや見慣れたと言ってもいい怪鳥ペンタだ。足の形は、先ほどと同じ巨大な鉤爪。――その先端にキーホルダーの如く、まんまるい巨大ガエルが引っ提げられ、長い舌をだらしなく出しながら唾液を撒き散らしている。そして、怪鳥の頭上には――――、


「……お洒落な右腕だな。僕は嫌いじゃないよ」

「あはははぁ、お褒めに与り恐悦ぅ、至極ぅ。お礼にこの爪で八つ裂きにしてあげよぉじゃないかぁ!」

「なんでこの距離で聞こえるんだよ!」


 この距離での呟き程度の声量すら拾い上げ、右手がカマキリのように巨大に変質した【悪魔】が悪魔面を揺らしながら嗤う。手の形状が鎌状なのは、ツグへの当てつけなのか。【悪魔】の名に恥じない異形を夜空に晒しながら、逃げ回るヴァルクの速度に食らいついてくる。


「少し速度を上げるぞ、掴まれ」


 しかし、相手が怪物なら、こちらも大概化け物だ。

 定期的にヴァルクの指先で緑色の光が明滅し、まるで彼を運ぶように吹く風に乗せられ、超速で、時には空中を歩くような離れ業までもを駆使して、森を蹂躙しながら迫る怪鳥の追跡を、見事に掻い潜り続ける。ツグには理解も及ばない、精緻な魔法と体術の複合だ。


「――【魔術師】の姪を回収したい。こいつが力尽きる前に、解錠の魔術式だけは用意して貰った。こいつも連れて、頼めるか?」


 雨のように降り注ぐ酸のごとき唾液を紙一重で回避しながら、ヴァルクが端的にそう言った。それに対し、余計な反応は返さず、ツグもまた端的に問いを返す。


「わかった。その間、ヴァルクが囮になってくれるんだろ?」

「ああ。30秒後に、俺から【悪魔】に攻撃を仕掛ける。それに乗じてお前は行け。……隠し場所は極力わかりやすく伝えるつもりだが、口頭では限界がある、近くで下ろすから、後は任せるぞ」


 そう言うと、ヴァルクが僅かにスピードを緩め、器用にミリアの腕をツグの肩に回す。


「この辺りだ。その魔道具で門が開けるようになっているらしい。【魔術師】の姪を回収したら、その場で何か、空から見えるような合図を頼む」


 メダルのような魔道具をツグの手に握らせると、ヴァルクはそのまま、【悪魔】の方へと向き直る。


「了解。んじゃ、頑張ってくれ。僕も頑張る」


 その様子を一瞥し、ミリアを抱えたツグもまた、すべきことのために走り出した。



******


 

「はあっ、はあっ、はあっ……ああもう、どこだ」

 

 ミリアの体をしっかりと支えながら、ツグは急ぎ足で木々を踏み越えていく。

 左手はミリアで、右手は魔道具で埋まってしまっているので、今、魔獣に襲われたらひとたまりもない。だが、そうはならなかった。


「ヴァルク、凄いな……僕ら最初から別行動の方が良かったんじゃ」


 少し遠くで、轟音が響き続けている。最初は、ツグがミリアを請け負うのは戦闘力的に不安があると思っていたが、あの様子ならこれで正解だっただろう。

 先ほど二人を抱えて逃げている間は、ヴァルクは二人に気を遣って相当な手加減をしていた、ということだ。

 ともあれ、あの派手な戦いぶりならしばらくは【悪魔】の気を引けそうだが、時間が厳しい現実は変わらない。

 そんな焦りを抱きながら、走り、走り、走り――、


「……ぴこーん」

「! 起きた!? ミリア」

「あっははは……あ、そのままそっち。多分合ってる」


 耳元で発されたか細い声に、ツグは安堵しながらも足を動かす。しばらく行くと、ツグの右手でメダル状の魔道具が光り、ピコーンと僅かな音を発した。


「……さっきの、今の音の真似?」

「えへへ……起き抜けの一言、なんて言おうか迷っちゃって。それ、ちょうだい」


 返事を待つ間もなく、ミリアがツグのコートに手を突っ込み、杖を回収する。さっき、ヴァルクからついでに受け取っていたものだ。


「あの人は?」

「ヴァルクなら、今【悪魔】とタイマン張ってる。多分そんなに心配要らないよ」


 そんなやりとりをしながら、ミリアがふらふらと、ツグの肩を借りながら、地面に杖を突き立てる。


「……『解錠』」


 空間が歪み、捻れ、そこになかったはずの門が生じた。その門は数秒で消え、代わりに座り込む一人の少女が跡に残される。


「私、復活」

「フォズううううう!」

「あ、ちょ、急に前のめりにごへっ……」


 手を広げ、真顔でそんなことを宣ったフォズの胸に、一人で立つのも覚束ないミリアが飛び込む。肩を貸していたツグはその突然の挙動にバランスを崩し、無様に地面に倒れた。ミリアは見向きもしない。美しい友情だ。


「あなたも、ありがとう。とりあえず、一人で走り回れるくらいには回復した」


 そんなことを言いながら、フォズが手にした小瓶をひらひらと振る。よく見ると、満タンなのが二本、飲みかけが一本の計三本あるようだ。


「はい」

「何これ?」

「明日の自分を犠牲に、今日元気になれる薬」

「そんなに飲みたいと思わせない効能の飲み物があってたまるか」

「いや実際、飲んだ方が良いよ。効き目はピカイチ。この場をみんなで生き残って、明日仲良く苦しもう」


 話を聞く限り、効能と毒素が馬鹿になったエナジードリンクのようなものなのだろう。気が付けばミリアはもう口を付けていた。


「うええ……苦いい……」

「…………僕は飲まない」

「残念」


 既に嘔吐感に苛まれていそうなミリアを見て、ツグはそっと小瓶を差し返した。元々コーヒーすら飲めないツグである。体調も依然好調だ。わざわざ自分か吐きにいく必要も無いだろう。

 だが、効果は本物なようで、少ししてミリアが比較的しっかりとした足取りで立ち上がった。表情が終わっているので全然元気になってるように見えないが。

 涼しい顔で飲みかけの残りを喉に流し込むフォズに若干の恐怖を感じながら、ツグは口を開く。


「状況は後で簡潔に話すよ。なんでもいいから合図になるものを打ち上げて欲しい。さっきほどの規模感じゃなくていいけど、空から見えるくらいのもの。敵にも場所はバレるけど、それは多分大丈夫」

「わかった。『フィーラ』」

 

 パチンと弾けるような音と共に、フォズの手から小規模の火球が放たれる。それは速度を徐々に落としながら、中空へと飛んでいった。


「…………さっきも思ったけど、なんか花火みたいだな」

「ハナビ?」

「僕の地元で、そういう季節の風物詩があったんだ。あんまり良い思い出ないけど」

「…………そう」


 一瞬、ツグに目をやったフォズが、そのまま視線を落として言葉を零す。

 直後に弾け、音と光を放つ火球を、三人はなんとなく無言で見つめていた。



******



 木々の影を死角に、刃を携えた人影が風のように地を走る。先ほど他人を庇っていたときとは比べるべくもない出力で、怪鳥を速度で圧倒していた。

 だが――――、


「……やはり、いつの時代も厄介なのは獣ではなく人だな」

「へぇ? 僕を人と呼ぶのかぃ? こんななりを晒しているのにぃ?」

「特別を標榜するのは自由だが、文字通りの悪魔を気取るにはお前は幼すぎる」

「――――は。馬鹿にするなよぉ」

 

 ヴァルクの速度を紙一重で見切り、刃を受け止めた【悪魔】。その目には確かな苛立ちが浮かんでいる。が、それを単純と貶すには、【悪魔】本人の戦闘センスは目を瞠るものがあった。


「ならば、これはどうだ」

 

 大ガエルの舌を躱し、落下するヴァルクがそのまま手を真上の怪鳥へと向ける。次の瞬間、何倍にも圧縮された空気が、風の弾丸となって怪鳥の両翼を穿ち抜いた。

 

「ははぁ! 器用なことだぁ! ペンタ、すぐ戻って来いよぉ!」


 だが、【悪魔】は墜落する怪鳥から離脱し、怪鳥が最後に振り上げた大ガエルの体にしがみつく。カエルはそのまま舌を倒木の一本に巻き付けると、その形状からは想像も付かない筋力量で体を回転、倒木をそのままヴァルクへと投げつけた。

 そして、その影を塗って【悪魔】がヴァルクに肉迫する。倒木を弾けば【悪魔】に裂かれ、逆もまた然りという状況で、しかしヴァルクは冷静な表情を崩さない。

 そして、【悪魔】の腕がヴァルクの体に触れた瞬間に、ヴァルクの全身に紋様が一瞬浮かんだ。それは同時にヴァルクの球形周囲に暴風を巻き起こし、【悪魔】も木の投擲も、全ての攻撃を遮断する。


「体に魔法陣なんて刻んじゃってぇ……それ、外すの難しいんでしょぉ?」

「…………」


 距離を突き放した【悪魔】の言葉を黙殺し、ヴァルクが次の攻め手を考えていた、その時だった。


「! ……ああ、なるほどねぇ」

「回収できたか。……なら、仕上げといこう」


 打ち上がった火球に、ヴァルクが僅かに口元を緩めた、そして、次の瞬間には再び剣を構え、纏う雰囲気を一変させて【悪魔】に向き直る。


「――――俺は、ヴァルク。その心臓に名を刻んで、運命の輪へと還るがいい」



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