10 『多勢に無勢でも』
「――イルミナギカを頼ったのは英断だったな。市井じゃ魔女呼ばわりで恐れられちゃいるが、フォズとやらも、滞在中に人の本質をよく見ていたものだ」
とは、ツグとミリアから事の経緯を聞いたヴァルクの第一声である。
イルミナギカ、という女性が、フォズが頼ろうとした近くの領主だという。魔女だとか物騒な単語も聞こえたが、こうして実際に援軍を送ってくれた以上、それなりの人格者であることを期待したいところだ。
次いでヴァルクは、今後の方針についてこう提案した。
「これは断言するが、イルミナギカの領地に入れば、どんな魔獣にも【悪魔】本人にも容易に手出しできない環境の用意がある。……こいつのおかげで魔獣も大方死んだらしいしな。早いとこ脱出するのが得策だろう」
こいつ、の部分で複雑な感情混じりの視線を向けられたツグは、内心でケッと毒を吐きながら、渋々ヴァルクに問いかけた。
「なあ、この力……【死神】の心臓、だっけ? さっきのあなたの質問は撥ね除けておいて申し訳ないけど、知ってること教えてくれるとありがたいんだけど。主に性能とか能力の詳細とか」
「時間がないから問答は後に――ああ、なるほどな。お前何も知らないんだっけか」
「自分が無知なことは自覚してるよ。ソクラテスソクラテス」
お互いに、愛想笑いのなり損ないを浮かべながら言葉の応酬を交わす。現状、魔力切れが近いらしいミリアはあまり戦わせたくないし、フォズを起こすのはもってのほかだ。本格的に最後の戦いが始まる前に、ツグは自分ができることを把握しておきたかった。
「嫌味に聞こえたなら謝罪しよう。……俺はその力を実際に手にしたことないからな。そもそも、歴史上で【死神】の心臓を宿したのは記録上、初代【死神】カロイ一人だ。ただ、一つわかってることは――その鎌は、なんでも斬れる。なんでも殺す」
「なんでも?」
「なんでも、だ。お前はさっき、魔獣を平然とバラバラにしていたが、魔獣は普通の獣に比べて肉も皮も硬く変質している。斬れないわけじゃないが、あそこで転がってる甲殻持ちの魔獣を殻ごと両断するなんて芸当、普通は無理だぞ」
その言葉に、ツグは自分の、空になった右手を軽く握る。あの鎌は、ツグの戦意が失われた瞬間、光の粒になってかき消えてしまった。とはいえ、また出そうとすれば出し直せるという確信もあったが。
「単純に硬さだけじゃなく、その力なら――おそらく、『
最後に付け足された言葉は、ツグにはほとんど届かない。すると、ヴァルクはふとミリアへと視線を振った。目配せのような緑の瞳に、ミリアはきょとんとした顔でヴァルクの目を見返す。その反応に対して僅かに渋面を浮かべて、ヴァルクはツグの方を向いた。
「まあいい、もう少ししたら動き始める。……悪い、少しあの少女と話があるから、周囲の見張りを頼んでいいか」
「……まあ、秘密主義はお互い様らしいからな、わかった」
渋々と言った様子で、ツグがヴァルクの頼みに応じた。どちらにせよ今、体を張れるのはツグとヴァルクしかいないのだ。
人間的な相性の好悪はともかく、ヴァルクはツグよりもずっと戦い慣れしていて、強い。それを理解したツグは、わざわざ反駁するようなこともしなかった。
「……逃げ切る。あるいは、【悪魔】を仕留める」
自分たちの勝利条件を胸中で反芻しながら、ツグは昏い視線で夜空を仰いだ。
******
――――と、来る戦いに備えて精神を統一していたツグだが、時間の経過とともに少し焦れたように呟きが漏れ出る。
「…………長いな、あの人……」
ツグが見張りを始めてから、そろそろ5分が経過しようとしていた。
たかが5分、されど5分。しかし、一刻を争うこの状況においては、その時間すら千金の価値を持つ。何を揉めているのかと、時折二人の様子を窺っても、真面目な表情で議論する姿が見えるだけで、肝心の話の内容は聞こえてこない。蚊帳の外なのは別に構わないが、話は早く済ませて欲しかった。
と、言うのも――、
「魔獣の気配が完全に無くなった。さっき僕から逃げた奴も戻ってこない。……最後に、残ってる奴らで総攻撃って算段か」
【悪魔】は魔獣を従える能力を持っている、とフォズは言っていた。であれば、言語も解さない魔獣を軍隊のように作戦指揮することも可能だろう。思えば、先ほどの透明化する赤獅子らの奇襲めいた動きも、指示されたものだったのかもしれない。
奇襲。そう、例えばこんな風に――、
「な!? ヴァルク! ミリア!」
「――――!」
突然の出来事だった。周囲を隈なく観察していたツグの視界には全く映らなかった魔獣の影が突如として出現し、無防備に話し込んでいるヴァルクの背に肉迫する。
「ふんっ!」
だが、その唐突な攻撃にも動じず、抜刀したヴァルクの一撃が魔獣の影を掠めた。魔獣はそのまま一歩後退し、姿がパッと消えたかと思えば、
「――しつこいって言ったのに、またお前かよ!」
空間そのものを跳躍するような離れ業で、魔獣――先ほど狩った赤獅子に酷似したその影がツグの背後に出現。鎌を出現した気配の方向に振り抜くが、しかし魔獣の姿はそこにはない。そして、次に響いたのはドンと重い雷撃の音だ。
「ごめん! 外した!」
ミリアが悔しそうに声を上げる。ヴァルクの背後を襲い、離脱。ツグの死角に現れ、離脱。ミリアに奇襲をしかけ、離脱。そんな雲を掴むような手応えの無い応酬が何度か繰り返された後で、ヴァルクが警戒を促すように大声を上げた。
「……こいつは時間稼ぎだ。来るぞ!」
その呼び掛けとほぼ同時に、全方位から咆哮と共に魔獣の群れが押し寄せて来た。
******
雷が翼を撃ち抜き、風が蹄を振り払い、死が暴れ狂う体躯を両断する。
個々の戦闘能力だけで比較すれば、ツグたちは魔獣に対して全く遅れを取っていない。だが、戦争とは数の戦いだと、そんな指摘を裏付けるように、全体の戦局はゆっくりと、しかし確実に傾き続けていた。
「……このままだとジリ貧だな」
そもそも、ツグの能力が一対多戦闘に致命的に向いていない。ヴァルクやミリアが多数を巻き込む魔法を駆使して戦っているのに対し、ツグは横やりを入れられながらもどうにか一体ずつ仕留める、という立ち回りを繰り返していた。これでは効率も勝利もあったものではない。だから、
「あの赤いやつは僕が全力で殺す。他は任せていいか?」
「……他というと、あの鳥もか?」
そう宣言したツグに、ヴァルクが空中を駆け回る怪鳥ペンタを見ながらそう問いを返した。足の形状を自在に変えるその鳥は、今度はサイズを除けば実に鳥らしい鋭利な鉤爪を打ち鳴らしている。どこで落としてきたのか、片足が無いのが気になるが。
「あいつも頼む。というかあの鳥、僕を全然狙ってこない。敵意はあるけど、殺そうとまではしてこないんだよな」
「……ああ、なるほどな。承知した。しかし、算段はあるのか?」
一人で得心のいった様子のヴァルクが、眉を顰めながら眼前の魔獣を吹き飛ばした。それに、ツグは曖昧な笑みを浮かべながら迫る魔獣の首を刎ねて答える。
「まあ、算段というか……半分くらい賭けだな」
「その賭けに負けたらお前が死ぬ、というのなら許容しかねるが」
「死ねるかはわからないけど、この仮説が合ってるかは正直怪しい。……さっきからあいつ、攻撃の頻度が落ちてる。相変わらずあの馬鹿みたいな接近速度は健在だけど、それも精々一分に一回使うくらいだ。連打できるなら、連打しときゃ僕らに勝ち目は無いのに」
別に、瞬間移動の赤獅子を狩るのはヴァルクでもできるのだが、そうすると魔力切れ間近のミリアと単体攻撃しか持たないツグでは数分しか保たない自信がある。ここは、ツグが体を張らねばならない。
「道理だな。それに、あの速度は恐らく肉体的な能力ではなく魔法の類いだろう。魔力切れでも起こしているのか…………」
「――――あるいは、発動条件があるか、だ」
そして、ツグは近くで息を荒くするミリアをちらと見た。ツグとヴァルクはまだ余裕があるが、ミリアはもう限界を半歩踏み越えている。背を合わせたまま、ツグはヴァルクに頼み事を持ちかけた。
「三十秒……いや、一分、この場は任せてほしい。ミリアは僕が一旦死ぬ気で守るから、推測が合ってるか、ヴァルクに確認して貰いたいんだ。ヴァルクの速さなら、危なくなってもすぐ逃げられるだろ」
そんな頼みに、ヴァルクは一瞬目を丸くさせ――、
「……承知した。疾く、説明しろ」
そう、口の端に僅かな笑みを浮かべ、頷いた。
******
ツグがあの赤獅子に対して抱いた仮説は、二つ。
一つは、あの瞬間移動の魔獣が、最初から姿を現さなかった事に対して。ここで言う最初は、フォズが『合図』を打ち上げたタイミングにまで遡る。
あの時点で、もしあの魔獣が【悪魔】の旗本に存在していたなら、ツグたちは一瞬で全滅していた。それが理解出来ていない【悪魔】でもないだろう。瞬間移動だなんて、これほどわかりやすく強い魔法も他に無い。というかズルい。
ただでさえ、ツグたちの意識は『透明化』の赤獅子に全て注がれていたのだ。奇襲には絶好のチャンスだったろうに、『瞬間移動』の赤獅子を出さなかった。――故に、ツグはこう結論づけた。最初は、『瞬間移動』の赤獅子などいなかったのだと。
『透明化』も『瞬間移動』も、明らかに全く同じ型番の魔獣だ。赤獅子は二体以上同時に存在できず、しかし死んで時間が経てば再び別の魔法を持った個体が現れる。
この仮説通りなら、裏を返せば、『瞬間移動』を仕留めて少しの間は、また変な魔法を持った赤獅子が妨害に入ることはない。とはいえ、ヴァルクに確認して貰った仮説はこちらではないので、少し願望が混じっているが。
「…………よし」
そう小さく呟くと、ツグは自分が想像しうる『恐怖に耐えかねた』表情を浮かべ、大声で叫びながら駆け出した。
「もう嫌だー死にたくない! 食われたくない! あああああああっ!」
「…………」
「…………」
どうやら声の方は自分が思っていた以上に大根役者だったようで、呆れかえったような視線がヴァルクとミリアから飛んでくる。彼らには作戦の概要を伝えてあるが、そんな生温かい視線を向けろとは頼んでいない。こっち見ないで下さい。
しかし、そのまま脱兎のごとく魔獣を掻き分けて森の奥へと逃げ出すツグから、始めは追う素振りを見せていた有象無象の魔獣たちの視線が外れていくのを見て、ツグはヴァルクが確認してくれた二つ目の仮説が正しいことを確信する。
赤獅子の瞬間移動は、常にツグたちの背後に跳ぶものだった。それが、初動では間断なく行われ、魔獣の大群による総攻撃が始まったタイミングで急に大人しくなった。魔力切れで跳べなくなった、というのであればそれでもいい。
だが、そうでないのなら――、
背後に気配が出現するのと同時に、ツグが鎌を生み出し、全身で振りかぶる。この最初の奇襲だけは全力で警戒していた。だが、攻撃が来る方向さえわかっていればそう難しい事ではない。
振り向いたツグの視界に赤毛が一瞬映ったところで、赤獅子が姿を再び消す。それでいい。わかっている。だから、ツグはそのまま、振り向いた全身の遠心力を利用して、顔の向きだけは固定したまま、鎌を背中側に振るい――、
「――――人、魔獣。誰の視界にも入ってない場所にしか跳べないんだろ、お前」
ここは、ヴァルクにミリア、他魔獣の視線、その全てが外れた二人きりの空間。ツグが唯一目視できないのは、ツグの真後ろのみ。
ツグの冷えた声音を塗りつぶすが如き大音量で、斬撃を叩き込まれた赤獅子が背後で苦鳴を上げた。
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