9 『風の剣士』
「――今の状況と知っている情報を疾く話せ」
「………………」
完全に抵抗の芽を摘まれた姿勢で、ツグは思案する。
まず、一つ確信したことがあるが、ツグは彼に多分おそらく絶対勝てない。接近に気付けず、ツグを瞬時に無力化した手腕は天晴れの一言に尽きる。褒めている場合ではないが。
とはいえ、そもそも彼が敵か味方かすらもわからない状態なら、おとなしく彼の言うことにほどほどに従うのが得策だろう。「【魔術師】の姪の味方か敵か」などと、聞きたいのはこちらの方である。
だが――、
「――動かないで! 彼を離さないなら、撃つよ!」
「…………そちらこそ、動かない方がいいと思うが」
ツグがどう舌戦を切り出すか迷っているところで、背後からミリアが大声を叩きつけた。ツグには見えないが、恐らくあの杖状の魔道具でも突き付けているのだろう。それに対して男は、ツグの首にあてがった刃に少し力を込め、落ち着き払った声で同じ忠告を返す。
このままでは三人で共倒れしかねない、と判断したツグは、もう駆け引きも何もかなぐり捨ててストレートに聞くことにした。
「あなたは、フォズの味方か? もしそうなら、僕らとあなたはもう少し穏便に話ができると思うんだけど」
「味方ではある。信じるかは任せるが。お前達の立場は?」
「命懸けで一緒に逃げ回ってる仲間だよ。向こうがどう思ってるかは知らないけど」
「ちゃんと信用も信頼もしてるよ! 今は!」
「今は!?」
言外にさっきまでは信用してなかった、と言われた気がして、ツグは少し凹んだ。
「……『萌芽の魔女』」
「ん?」
「あるいは、イルミナギカ。……もしくは『ラバーズ・スローン』。このあたりの言葉をあの少女から聞いた覚えは? お前らさっき合図を送ったろ」
並び立てられたワードには1ミリも心当たりは無いが、最後の一言で、ツグは彼の素性にどうにか当たりを付けた。
「あーっと……あ、もしかして、フォズが前にお世話になったとかいう領主の人?」
「の、部下……ではないな。雇われ……用心棒……雑用……? まあ、そういう存在だ。俺は」
そう言いながら、男が刃を首筋から離し、反対の手をツグの眼前に翳す。黒の下地に、花のような刺繍の入ったお洒落な細身の手袋だ。いや、身分証明書のテンションでそれを見せられても、ツグには真偽などわからないのだけれど。
「とりあえずあなたの職場での立ち位置が曖昧なのは理解した」
「立ち位置の曖昧さに関しちゃ、お前に言われたくないがな」
そう言うと、弛緩した空気に氷を差し込むように、男は再び刃を、起き上がったツグの鼻先に突き付けた。
「あの少女が仲間なのは理解した。元々、そういう友人がいるとは彼女も言っていたと、俺の主人に聞いた。ただ――、お前が本当に彼女の仲間なのかは、正直判断しかねる」
「ミリアもああ言ってるのに?」
「人徳の話じゃない。お前が今その手に握っている『それ』の問題だ」
そういうと、男はフードの下の鋭利な眼差しを、ツグの右手に握られた鎌へと向けた。そこに宿る感情は読み取れない。が、
「何故お前が【死神】の心臓を持っている? 返答次第では――」
「……殺すか? 僕を」
ツグの力について知っている風な男の詰問に、ツグは透徹で凍えるような瞳で返す。男はツグの変容に目を僅かに見開き、しかし脱力したようにため息を吐いた。
「……そう返してくるということは、お前は自分が持つ力を正しく理解していないのか」
「そういうあなたは、随分と詳しそうだな?」
男よりも僅かに低い身長からの、探るようなツグの視線を黙殺し、男は口を再び開く。
「質問を変える。それを、どこでどうやって手に入れた?」
「それを今あなたに教えてやることに何か意味がある? フォズを助けに来てくれたんだろ、なら急ごうよ、お互いに」
完全に素の人格を曝け出しているツグ。彼にとってスティに関する事項は、フォズたちにすら多くを語らなかった聖域だ。スティが何に追われ、何からウィレイズを救おうとしているのかわからない以上、下手なことは言えない。穿ちすぎだと、疑心暗鬼だと、彼を見る人は言うだろうが。
そしてこの瞬間、男とツグは互いに理解しつつあった。反りが合わない、と。
性格が決定的に食い違っているわけではない。むしろ現実主義な点は、両者共によく似ている。それでも、言葉では説明できない食い違いが、両者の間で確かに存在を主張していた。
そんな、出会い頭以上に険悪な雰囲気になってきた場に割って入ったのは、もちろんミリアだ。
「二人とも、ストップ! ツグくんが本当にフォズのためを思って行動してることはあたしが保証するから、キミも、さっきのあたしの決意を揺らがせるような態度を取らないで!」
「……決意? なんの話?」
説教じみたことを言うミリアに、ツグは表情をいつも通りのものにすっと戻し、困惑を口にする。それを見た男は、ここまでで一番大きな嘆息を漏らし、構えていた長い曲剣を鞘に納めた。
「……まあ、いい」
彼はそう言い。目深に被っていたフードを取り払うと、黒に限りなく近い深緑の髪の、目つきの鋭い若い男の顔が露出した。
「――俺はヴァルク。その名前さえ、覚えてくれればそれで構わない。……じゃあ最初の質問に戻るが、今の状況を早急かつ簡潔に教えてくれ」
******
ごぼ、と空気が盛大に抜けるような音が、二頭身のマスコットじみた子猫の腹から響く。それを耳にして、その子猫を肩に乗せた【悪魔】はずっと身につけていた面を顔から剥がすように外し、「駄目だったかぁ」とだけ口にした。
【悪魔】の素顔を知るのは、この場では肩に乗せた子犬と、【悪魔】を口内に匿った大ガエルと、それを変形した足に引っかけて空を飛ぶ怪鳥『ペンタ』のみである。
挽き潰したはずの少年から生じた黒い魔力の奔流は、一度目の爆発とは一線も二線も画す凶暴さを露わに、ペンタの片足を抉り取り、魔獣たちのほとんどを蹂躙した。数で押すの難しくなったため、魔獣に出していた物量任せの指示を「潜伏/奇襲」に変更したが、成果は上がらず、むしろ魔獣の数が着実に減っていくのがわかる。
さらに、森の外から別の敵も参戦してきたようで、正直、【悪魔】の勝算は傍目に見て薄いものだった。
「……でもさぁ。でもぉ。このまま無様に逃げ帰るにはぁ、ボクの手札もまた充実してるんだよねぇ。透明化はもう、しばらく使えないけどぉ――」
唯一、【悪魔】の心臓の天井も底も理解しているこの存在だけは、そう呟いて陰惨な嗤い声を暗闇の空に乗せる。
「――瞬間転移、でいこうかぁ。『モノ』。もう一回だけ、行けるかぃ? ……良い子だ」
そして、【悪魔】は子猫に口づけをすると、面をはめ直した。体毛を鮮やかな赤色で彩ったその子猫は、満足げに【悪魔】の面に頬ずりをすると、唐突に口を膨らませていき、人間大のサイズになったところ唾を吐くような動作を取った。
べしゃりと、大ガエルの口内で吐き出されたのは、しなやかな体の、赤毛の獅子。それは必然、よく似ていた。
「……残ってる魔獣、ぜぇんぶぶつけて、最後はボクらで掻っ捌いて噛み砕いて食んで踏み潰そうぜぇ。――雑魚無能無価値呼ばわりは撤回してやるよ、【死神】ぃ!」
激情を面の奥でギラつかせ、【悪魔】の一行は最後の戦場を作るべく、闇に包まれた空を駆けていった。
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