8 『二面性の怪物』

 無から抜き放たれた漆黒の鎌が、赤獅子の前脚の付け根に容易く食い込み、真っ二つに切り裂いた。豆腐に包丁でも入れるかのように、いやそれ以上に一切の抵抗感無しに、その一撃は赤獅子の命を奪った。

 ツグの左右に、赤獅子の頭部と脚部がそれぞれ力を失ったようにどさりと落ちる。断面からは血の代わりに何か光の粒がポロポロと溢れているようだった。その光景をどこか他人事のように観察しながら、ツグは自分の右手に握られた鎌を凝視した。


「…………これは」


 突如出現した理外の力は、不思議なほどに手に馴染んでいる。転がった赤獅子の体に触れると、先ほど斬った時は液体にも思えた柔らかさだったのに、今は筋肉質な固さをしっかりと主張していた。試しに近くの倒木に刃を入れてみると、これまたすんなりと切断に成功する。


「……ってわけで、多分しばらくは保つから、早いとこフォズを隠してきてくれると助かる」


 鎌を携えたまま、ミリアの方を振り返ると、ミリアは口をぽかんと開けた状態で固まっていた。無理もない。ツグも内心は、困惑と驚愕に溢れている。

 しかし、時間は限られている。フォズを庇った状態でノロノロと森を出ることを考えるより、二人が戦える内にここで手勢をある程度無力化する方が勝算は高いと、ツグは踏んだ。もしかしたら、フォズが『合図』を出した相手である領主とやらが、援軍の一つでも寄越してくれないものかと、そんな希望的観測もやや混じっているが。

 本当は、「ここは僕に任せて先に行け!」とかなんとか言いたいところだが――、


「……。三分で戻ってくるから、死なないでね! 絶対!」


 すぐに瞳に活力を戻し、その場を離れるミリアは、それを良しとしない。抉れた大地をフォズを抱えながら器用に乗り越え、倒木の間隙へと潜り込んでいく。

 

「任せろ。なんか今の僕は、それだけは絶対にしない気がするから」


 視界から彼女らが消えたのを見て、そうぽつりと呟いた。そして再び振り返り、近づいてくる足音に耳を澄ませながら、ツグの口からふと言葉が漏れ出る。


「お前らは邪魔だ。――――死んでくれ」


 体は絶好調。心はどこかハイになっているようで。

 疎らに現れ始めた魔獣たちを見据えながら、ツグは鎌を構えた。

 ――その口元には、ツグ自身も意識していない、酷く冷徹な笑みが浮かんでいた。



******



「……『解錠』」


 倒木の陰に身を隠しながら、ミリアは魔道具を取り出し、慣れない手つきで詠唱を始める。

 ツグには言っていないが、この『【隠者】の門』は借り物で、かつ自身の体内で魔力を使える状態に変換できないミリアが使う上では色々と制限がある。

 最初に三人で隠れていた規模のものを作るには、相当な時間と、かなりの量の魔力を要した。その大半を供給したのは、目の前で傷の痛みに喘いでいるこの健気な親友だ。

 否、傷は正直、気を失うほどのダメージは無い。深手には違いないが。

 しかし――『【隠者】の門』の設置、『合図』の打ち上げ、道中での魔法による迎撃。いかにあの天才、『結晶の魔術師』と血を同じくし、魔力容量に恵まれたフォズといえど、度重なる魔力の消費による苦しみが身体をずっと蝕み続けていた。


「…………ツグは」


 呼吸を浅くしているフォズの横で、焦りに駆られながらミリアは術式を組み続ける。その脳裏に過るのは、数分前の光景――ツグが、謎の力で赤獅子を倒した、あの光景だ。

 ミリアには見たことのない魔法だったし、そのことに対する驚きはもちろんある。あるが――今ミリアの頭を占め続けているのは、両断した魔獣の死骸を俯瞰している時の、ツグの底冷えするような『無』の視線だ。浮かべたのは一瞬だった。恐らく彼も自覚していなかったろう。それでも、あの瞳はミリアの心の奥に大きなしこりを残していた。

 そして、あの魔獣を容易く破壊した謎の黒い力は、直近でよく覚えがあった。


「フォズと魔獣を食べちゃった、あの黒いばく――――」

「…………ミリア」

「! 起きた!?」

「結構、前からね。……あの人が、私を匿うために時間を稼いでるんでしょ?」


 かふ、と小さく咳を漏らし、目覚めたフォズが身を起こす。


「いや、寝てなきゃ――」

「…………ミリアの気持ちは、わかる。黒い爆発あれは見境が無かったし」

「うん……フォズも怪我した」

「あの人を信じていいのか、迷ってるんだよね」

「……うん」


 出会ったときの、あの朗らかな調子に嘘は無かったと思う。実際、彼は自身が、この森に二度惨状をもたらした爆発の張本人であることに気が付いていない。可能性を考えてすらいなさそうだった。

 今も、フォズを助けるために、ああして一人で残り、時間を稼いでいる。

 それでも、彼から生じた黒い爆発が、「フォズを傷付けた」という一点が、彼に手向けるべき信頼に深く突き刺さっていた。


「…………もう、あんなこともしちゃったけど」


 ——出会い頭、ツグに注入した薬品。あれに含まれる成分の詳細は、フォズにすら明かしていない。

 もちろん、ミリアの知り得る手段を用いて、ツグの解毒は行った。行ったが、あの過剰な薬品の中には、間接的に毒になる成分が含まれている。

 時間が経てば勝手に体内で分解されるが、ミリアが特定のプロセスを踏むだけで、いつでもツグを殺せる状態だった。フォズを守ることを最優先に考えて、結局、端からツグのことなど信用していなかったのだ。

 でも、でも。彼は結局、行きずりの他人でしかないフォズの為に戦っている。文字通り死ぬような目に遭ってもなお。

 そんな葛藤に揺れるミリアに、フォズが言葉をかけた。


「全部を信用してないのは私も一緒。でも今は、とりあえず飲み込んでみない? ミリアがあの人を信じられなくても、あの人はミリアを信じてあの場に残ってる。その信頼に報いるくらいのことは、してあげて。……動けない私が、偉そうに言うことじゃないけど」


 フォズがミリアを優しく見つめながら、怪我をしていない方の手をなんとか動かし、自分の懐に手を入れる。取り出したのは、深紅に煌めく【魔術師】の結晶だ。


「5%くらい削れば、足りるかな……。『門』の魔力は私がこれで賄うから、ミリアは早く魔力の残った状態で行ってあげて」

「………………」

「ミリア」


 目を見て、フォズが諭すようにミリアの名を呼ぶ。

 一瞬の沈黙の後、ミリアが小さくこくり、と頷いた。この刹那に、彼女の胸中でどのような感情が吹き荒れたのかは伺いしれない。だが、最終的にはいつもの明るい笑顔を浮かべ、フォズが差し出した結晶に触れた。


「ここから三人で脱出したら、まずフォズに怪我させたことを謝らせて、フォズに刺激の強い絵面を見せたことを謝らせて……」

「あはは……」

「で! 納得したら! あたしも信頼できてなくてごめん、って謝る! フォズのために頑張ってくれてありがとう、ってちゃんと言う!」


 魔力が渦巻き、円を描く。世界が裂けて、フォズの体が飲み込まれていく。


「『施錠』!」


 守るべき親友と、芽生えた葛藤をひとまず押し込めて、ミリアは元気よく駆け出した。



******



 正直見栄を張ったな、と反省を胸に、ツグはもう何体目かもわからない魔獣を斬り伏せた。

 当然ながら、何でも斬れるとはいえ、鎌の間合いでなければ攻撃は当たらないし、ツグに鎌の心得なんてものは皆無だ。肉を切らせて骨を断つ、とはよく言ったもので、先ほどからツグは、多少の傷を負ってでも敵を間合いに誘い、鎌の性能に物を言わせて絶命させるという非常に強引な戦い方をしていた。

 特に小型の魔獣や、魔法を使ってくるタイプの魔獣は厄介で、土塊や氷刃、鋭利な爪牙が鎌を掻い潜り何度も首筋を掠め、その度に死を覚悟したものだ。


「ギギッ!」

「死ね」

「ギギャッ!?」


 しかし、何度か戦闘を繰り返せば、基本的に単調な魔獣の挙動はそこまで脅威にも見えてこない。迫り来る鳥の魔獣をギリギリの所で躱し、片方の翼を鎌でバッサリと。地に墜ちて、魔獣が苦しそうな鳴き声を発するのを意にも介さず、そのまま首を躊躇無く斬り落とした。


 ―――星野ツグという少年は、端的に言って歪んでいる。

 7年前の、スティとの出会いによって、人間らしい感情の数々を獲得し、比較的愉快で他人思いな性格になったツグ。それは紛れもなく、嘘偽り無いツグという少年の在り方だ。

 だが、それはツグの元の性格を上から塗りつぶしたものに過ぎない。幼年期を通して成熟した、自己犠牲主義と欠落した倫理観、生命の軽視は、ツグのそう深くない部分に巣食っている。ミリアが抱いていた不信と恐怖は、その側面においては十分に正鵠を射ていた。

 結果完成したのが、大事なものは自己犠牲的に守り、一方で敵には慈悲の片鱗も見せない、ツグという二面性の怪物だ。

 だが、それは必ずしもツグの善性を否定しない。

 少し遠くから聞こえたミリアの声に、思わず振り向いたツグの顔には、確かな信頼と安堵が浮かんでいた。

 

「ごめーん! 遅くなった!」

「ふー……、結構見栄張った割にギリ――」


 ギリギリだった、ありがとう。と、そう続けようとしたツグの肩に、突然誰かの手がかかった。ミリアではない。フォズなはずもない。まさか【悪魔】か、と考えた瞬間に、足を払われ、地面にうつ伏せに組み伏せられる。顎が叩きつけられ、声を上げたツグの首筋に、ひんやり冷たく硬い感触が当てられた。


「動くな」


 頭上から降ってきたのは、男の声だった。思わず口を噤んだツグは、しかしさらにその上から迫る魔獣の影に、僅かな声を漏らす。


「『ウィーデ』」


 だが、ツグの背の上で詠唱が聞こえたかと思えば、飛びかかってきた狼のような魔獣が凄まじい速度で吹っ飛び、ツグの正面、50メートルは離れていそうな木の幹に叩きつけられた。余波で吹く風が、ツグの汗に沁みて体が冷えるのを感じながら、男は首筋に再び刃を当てがい、声を発した。


「―――お前は【魔術師】の姪の仲間か? 敵か? どちらにしろ、今の状況と知っている情報を疾く話せ」

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