7 『【死神】の鎌』

 頭上から、途轍もない質量を持った『死』が迫ってくるのが見える。ツグ達を轢き潰さんと、『ペンタ』と呼ばれた怪鳥がその暴威を存分に発揮して。

 死の瀬戸際に立っているせいか、やけに時間の進みがゆっくりに感じる。だが、これだけは理解できた。

 スティに辿り着けず、フォズも救えず。

 このまま無為に、命を消費するのか。


 そんな自分への失望に似た感慨を抱いた直後、見事に頭蓋を踏み砕かれたような凄絶な痛みがツグを貫き、同時に意識が現世から吹き飛んだ。



******



(あー……やっちゃったな)


 茫洋とした闇の中、何故か残る意識の中で、ツグはそんな後悔を零す。

 頭が何だかふわふわして意識もはっきりしないが、きっと死んだのだろう。何故って、もう体の感覚がない。何も見えないし、何も聞こえないのだ。

 2人は無事だろうか。流石に結晶ごと踏み潰しては【悪魔】としても本末転倒だから、流石にツグのように無惨な攻撃はされていないと祈るばかりだが。


『いやはや、やっちゃったね。オレもまさか、1日も経たずに再会するとは思ってなかったよ』

(…………)


 暗闇の孤独で、知らず知らずのうちに気が狂ったのか、ツグの中で幻聴が響く。否、この感覚には覚えがあった。


(……その節はどうも)

『どういたしまして』


 声の主——ツグをこの異世界に送ってくれた『黒指輪の主』は、そう慇懃に返す。


(出来れば、スティのところに直接転送させてほしかったものだけど)

『その文句ばかりは【隠者】に言ってくれ。まあスティが特例ってのもあるけどさ』


 また知らない名前だ、とツグは内心でため息を吐く。だが、ここで最も聞くべきは、もっと根本的な――、


(で、あなたはどういう存在?)

『本当に君の幻聴かもしれないぜ?』

(それならそれでいいけど)

『つれないなあ。……まあ、君が知ってる範囲で語るなら、『神の心臓アルカナ』そのもの、ってところかな』

(! それなら)

『まあ待て、最後まで聞けよ』


 望外の返答に、ツグの心が弾む。もしかしたら死の淵から舞い戻る魔法や、【悪魔】を一網打尽にできる手段が備えられているかもしれない、と思ったのだが、声の主はツグを制して、ゆっくりと語り始めた。


『オレの心臓は……あー……なんというか、神様からのサポートが切れてるような状態なんだよな。罪を犯して、【運命の輪】から爪弾きにされた出来損ない。……まあ端的に言うと、魔力を自動で補給することができない』

(……そういやミリアが言ってたな。大気の魔力が僕の体に入った瞬間に全滅してるって)

『それは心臓の性質のせいもあるけど……。で、どうするかっていうと、魔力を積極的な手段で補給しなければならない。それを今、君の体というか、オレの心臓が行っている』

(僕は死んでないってこと?)

『致命傷は食らったけどね。普通の人間なら即死してお釣りが来るレベルの。まあでも、『神の心臓アルカナ』は本来、不老不死の研究の産物だ。そういうある種の不死性は、どの心臓にも備わってる。――それが善いことだとは、思わないけど』


 言葉尻に含みを持たせた彼が、少し声を詰まらせた様子で、しかしやがて言葉を続けた。


『そろそろ、君が蘇生するための魔力の補充が完了する。だから、2つだけ最後に伝えておこう。……まず、目覚めた後で何を見ても『気にしない』ことだ。心の人間性まで食われたら、それがもう最後だよ』

(……迂遠な言い回しだな)

『じきにわかる。この事は今は最重要じゃないし……そもそもここの記憶は、多分持って帰れないさ。———2つ目は、これだ』


 無い口を尖らせたツグにそう言うと、突然パチン、と甲高い音が鳴った。だが、特に変化が起こったようには見えない。


『今、君の体に『感覚』を植え付けた。もし武器が無くて困った時は、その感覚に従って抜き放つといい』

(…………何を?)


 またも曖昧なことを言う彼にツグが困惑を見せると、彼はどこか誇らしげな声色でこう言った。


『——鎌を。オレの名は最初の【死神】の心臓、カロイ』


 彼——カロイの名乗りを最後に、ツグの意識が弾かれたように揺らぎ、思考が暗闇に包まれるような喪失感を覚え———、



******



「————あれ」

「あ! 起きた! 大丈夫? あたしの事わかる?」

「…………ミリア」


 目覚めて早々耳元で大声を出され、呻き声を上げながらツグは身を起こす。すると、


「…………マジかよ。何が……」


 まず目に入ってきたのは、完全に崩壊した森の姿だった。この世界に来た瞬間の惨状が可愛く見えてくるくらいで、もはや自然としての体裁すら保てていない。

 次いで視界に入ったのは——、


「フォズ! ……え、これ大丈夫か?」

「……なんともない。あんまり大きな声出さないで」


 不機嫌そうにそう答えるフォズだが、ツグが見る限り大丈夫なんて言ってられない有様だ。ローブが破れ、血の滴る左腕を庇いながら、どうにか力を振り絞って、それでもミリアに寄りかかって立つのが精一杯な様子だった。


「【悪魔】は? 何がどうなった?」

「動きながら説明するよ! こっち!」


フォズに肩を貸しながら歩を進めるミリアの後を追う。地べたに寝転がっていたツグの体は、何故か清々しいほど調子よく動いた。


「フォズは僕が抱えるよ。代わりに戦闘を頼みたい」

「申し出はありがたいけど、その心配は多分要らないかな。森の魔獣軍団、ほぼほぼ壊滅したみたいだし」

「……壊滅? 何があったんだよ」

「あの変な鳥にキミが潰された後ね……」


 フォズを肩に抱え直し、ミリアが小走りで語り出す。


「……ほう、潰された。僕が」

「絶対死んじゃったと思ったし、今となっては見間違えだったんじゃないかなって思うけどねー。胸から上が完全にぺしゃんこになって、血やら脳みそやら骨やらが飛び散っちゃって。後でフォズに謝っといてね? この子、直視しちゃったから」

「……うわー」


 その光景を思わず想像してしまい、ツグも渋い顔になる。フォズも大人びた性格とはいえ、外見から察せる年齢はツグとそう離れていまい。事によっては一生物のトラウマだ。


「で、その後当然、標的が私たちに向いたんだけど――そこで、何かに吹き飛ばされて意識が飛んじゃった。目が覚めたらキミは気絶してるし、フォズは余波浴びて重傷で、大変だったんだから!」

「それはごめん。……ミリアを吹き飛ばした何かってのは?」

「そう、何か。突然莫大な魔力が湧き出して、どかんと大爆発。多分、最初にこの森で起こったやつと同じかなー。黒い魔力の塊が蛇みたいに動いて、辺りの魔獣とかフォズの肩とかを『食べて』回ってたことだけ覚えてる」

「おっかない話だな……それは【悪魔】が起こしたのか?」

「…………」


 突然、ミリアが目を細めて口を噤む。何事かとツグが眉を顰めると、ミリアは目を逸らし、いつもの調子で別の質問を投げかけてきた。


「ところで、キミなんで生きてんのさ! 絶対死んだと思ってたよ! ……実は人間じゃなかったりする?」 

「失礼だな、身も心も人間だよ!……多分」

 

 正直、ツグにも何故そんな状態から生還できたのかについて、。怪鳥に襲われて気絶したのだろうということは覚えているが――、


「…………しにがみ、かろい」

「え? 何て?」

「いや、なんか頭にそんな単語が浮かんで。何でもない」


 何か、記憶に靄がかかっているようだ。かといって、頭の回転が鈍っているかというとそうでもなく、むしろ思考力や五感の調子は絶好調。故に――、


「! ミリア、左右どっちか、飛べ!」


 迫り来る静かな影、それが出す僅かな物音に、ツグは奇跡的に気が付いた。だが、気が付いたところで、ツグに出来たのは、ミリアに警戒を促すことだけだった。


「あ、づっ!」


 腕を浅く切り裂かれる痛みに声を上げ、その方向に咄嗟に足を振り上げる。ヤケクソで放ったその一撃は見事に何かを捉え、唸り声と共にそれが姿を現した。

 遙かに鈍った速度、焼けて散り散りになった、しかしそれでいて美しく赤い体毛。


「……お前、そろそろしつこいぞ」

「――――!」


 牙を剥きだした赤獅子が、もはや透明になることもなくツグに飛びかかる。先ほどの勢いは無い。しかし、赤獅子の咆哮によって、ここに何かが集まってくる音がする。十中八九、魔獣の残党だろう。それを確認すると、ツグはミリアと、気を失ったフォズに背中を向けた状態で声を張り上げた。


「僕が使える魔道具、まだあるか?」

「そのステッキが最後! 多分、あと一回撃ったらそれも終わり」

「…………。わかった。ミリア」

「ん! 置いていけ、って言うなら」

「……そこまで格好付けたい気持ちはあるけど、それはフォズに禁止されてるから今はやめとくよ。……あの謎空間、また作れるか?」

「三人で隠れられる規模のは難しいよ。一人分ならなんとか」

「なら、そこにフォズだけ隠して、そのあと戦いに加わってくれると助かる――そこまでの時間稼ぎくらいは、出来るから」

「いや、でもキミじゃ――」

「『感覚』が、あるんだ」


 ボソリと、そう呟いたツグに向かって、痺れを切らしたのか、様子を見ていた赤獅子が今度は大きく跳躍し、その鋭利な爪を閃かせる。ツグでは本来、御することは敵わないアクロバティックな一撃。

 だが、ツグはそれを恐れないまま、自らの中に芽生えた『感覚』に従って、全身に力を込める。右手に闇色の光が瞬き、みるみるうちにそれは形を為す。


 ――ツグが虚空から振り抜いた漆黒の『鎌』が、しなやかな赤獅子の躯を、いとも容易く真っ二つに割った。


 


 

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