3 『身も心も、力を抜いて』

「――うーわこれやっば。フォズ、そこのそれ取ってー」

「『そこのそれ』? …………これ?」

「違うよ、それじゃなくてそれ」

「これ?」

「だーかーらー」


「………………もが」


 指示語の飛び交う平和な会話に、思わずツグの口からため息になり損ねた間抜けな音が漏れた。話しているのは、たぶん2人の少女だ。たぶん。というのも、ツグは今、視覚を完全に封殺されているのだ。

 ――端的に状況を説明すると、森で喉の痛みに意識を失い、そして目覚めたツグに待っていたのは、目隠しに簀巻きといった実に素敵な待遇だった。ついでにいえば、口元も覆われているため発声も難しく、寝かされている地面も固くて背中が痛い。

 まあ、とはいえ。


「あ、これ?」

「そう! それそれ」

「……ミリアの指示はわかりにくい。ほいパス」

「ナイスパス!」


 先ほどから聞こえてくる会話が終始こんな感じなので、状況に反してツグの危機感は死んでいた。目覚めて真っ先にやたら苦い液体を喉に流し込まれた瞬間は、今度はどんな悪鬼羅刹が敵なのかと身構えたものだったが、おそらく普通に喉薬か何かだったのだろう。まだ焼け付くヒリヒリ感は残っている物の、痛みは確実に引いていっている気がする。もう二度と飲みたくない苦さではあったが。

 要するに、とりあえず彼女たちは、ツグを敵視しているわけではないらしい。しかし、退っ引きならない事情で、ツグのことを信用しきれないからこその、この拘束待遇なのだろう。

 つまり、おそらく――、


(彼女らが、あの悪魔面が探してる少女ってことなんだろうな)


 それが二人組とは思わなかったが……いや、悪魔面も仲間がいたことは把握していないのではないか。知っていたなら、捜索に協力する姿勢を見せたツグにその情報を与えていただろう。

 それに、地形を半壊させてでも必死に逃げ回っているにしては、会話の声量に気を遣っている様子も、周囲を特別に警戒している様子も見られない。ツグを回収している以上、あの森からはさほど離れていないと思うが、とすれば、ここは現実世界と隔絶された異空間のような場所なのか。ここは魔法の存在する(らしい)異世界。そんな超常的なことがあってもおかしくない。

 目も見えず、異世界についての知識もまだまだ足りないツグでは、このくらいの考察が限界だが、それでも頭は常に動かしておくべきだろう。謎の心身の調子の良さは未だ健在だ。


(まあでも何にせよ、とりあえず向こうの出方待ちかなあ……)


 腕すら満足に動かせない状況では、できることなんてほとんど見つからない。とりあえず、彼女たちが穏便に接し続けてくれることを祈って――、

 

「はーい、ちょっとチクッとするよー」


 突然、ツグの耳元で囁かれたのは、そんな言葉。声の近さに一瞬ドキッとするが、同時に言葉の内容の理解が追いついてくる。チクッと? どこに?

 別に、ツグは特別注射が苦手な訳ではない。ないが、目隠し状態での注射には流石に慄きを隠せない。


「体の力抜いてねー。大丈夫、すぐ終わるから」


 そんなこと言われましても。せめてどこに刺すのかくらい教えてほしい。

 内心で震えながらその時を待っていると、ツグの体をがっちりと縛っていた紐がシュルシュルと解かれる。しかし、体の自由も束の間、「一応だから、ごめんね?」という声と共に、今度は手枷のようなもので両手首を拘束された感触があった。腹の上で両手を合わせ、横たわるツグの姿はさながら死人のようであったかもしれない。

 そして、服の袖が二の腕まで捲られる感触と同時に、二の腕にぷす、と僅かな痛み。思ったより痛かったが、それでもあっという間に終わった儀式に、杞憂だったなと、ツグは気を抜いて僅かに身じろぎを――――、

 ぷすり、と、次いで手首に針が刺さった。


「!?」

「あ、ちょっと、動かないでよ! 体中に毒素が回ってるんだから、あと全身20箇所ぐらい薬を差して中和しないと!」

「いうう!?」

 

 正気か? とツグは率直に思った。しばらく身をよじって抵抗していると、誰かが椅子から立ち上がるような音がした。もう片方の少女だろうか。


「『リーズ』」

「もごっ!?」


 着ている服が全部氷に変わってしまったと思うほどの冷気が、ツグの意識をぶん殴った。一言の呟きでそれを為した彼女は、冷静な声音でツグに話しかける。


「悪いようにはしないから、大人しくしててくれると嬉しい」

「もご、もがもおむぐもが」

「……………………」


 見えないが、こちらも氷点下に至った様子の視線を浴びせられているのはなんとなく察せた。すると、ツグの口元に手がかけられ、口を塞いでいた布が剥がされる。


「……もし、抵抗したら?」

「『リーズさっきの』を気絶するまで繰り返す」


 口元が自由になったツグが、数秒前と同じ質問をするが、即座に帰ってきた脅しに何も言えなくなる。拒否権は瞬時に凍結された。

 ぐったりと、諦めたように体の力を抜いたツグに、魔法を放ったと思われる少女が、迷うような僅かな間の後で、言葉を紡ぐ。


「ちなみにあなたの体、結構本当に危険だよ。ミリアはこれでこういうの慣れてるから、信用してほしい。……なんて、拘束しておいて『信用してほしい』なんて、虫が良すぎるかもしれないけど」


 僅かにこちらを気遣うような声音から始まり、自嘲気味に締めくくられたその言葉に、ツグは思わず目隠しの下で目を見開いた。

 

「そーそー。フォズもこう言ってるし、一旦あたし達に任せて預けてみなって。心配しなくても、お代は後で、体で払って貰うからさ!」


 ミリアと呼ばれた少女が、悪戯っぽく笑う。そんな二人の態度に、ツグは抵抗しようとしたことを内心で恥じた。毒素がどうとか言っていたが、それについてツグは明確な心当たりがある。おそらく、あの悪魔面が連れていたカエルの『唾液』だろう。20箇所に注射などという常軌を逸した行動に気を逸らせ、肝心のツグ自身の状況と彼女らの意図については考えが回っていなかった。


「ごめん、ありがとうございます。……お手柔らかにして頂けると、幸甚の至り」

「へへへ、任せろい!」


 ぷすり。

 予兆も容赦も無しに、間髪入れずに針がツグの手首に刺さり、ツグは小さく悲鳴を上げた。


 


 



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