2 『脅迫する価値すらも』

「ちょぉっと、聞きたいことがあってさぁ。ま、その辺の木にでも座ろうぜぇ」


 怪鳥の足に腰掛け、そう言い放った相手は随分と気怠げな様子だ。二本角の悪魔を象ったようなお面の奥からも、視線は感じるものの、それ以上の熱量を感じない。別にツグ個人に対する用事も、興味もないのだろう。たまたまそこに人がいたから、ちょっと質問がてら声をかけただけ、といった様子だ。


「…………」

「ま、別に立ったままでも良いけどぉ」


 座ろうぜ、と言われたものの、ツグは警戒してその場を動かない。動けない、の方が正しいかもしれないが。

 悪魔面も、警戒を解かないツグと数秒間睨み合っていたが、本当にどうでもよさそうにそう零すと、唐突に怪鳥から腰を離し、ツグの目の前に飛び降りてきた。存外に小柄だ。声も半端に高い中性的なもので、悪魔面——とりあえず、彼、とするが、彼の性別や年齢はまるで掴めない。そして小さく悲鳴を上げたツグに、彼は白く小さな何かを突き出した。


「これぇ」

「……何ですか」

「嗅いで」

「は?」


 差し出されたそれは、かわいらしい刺繍の入った白いハンカチだった。ほんのり良い匂いはするが、ツグにハンカチそのものへの心当たりはない。


「これと同じ匂いの女の子ぉ、この辺で見なかったぁ?」

「僕、犬かなんかだと思われてます?」

「犬と同じこともできないなら、君と話す理由も、もうあんまりないんだけどぉ」


 そう言うと、悪魔面の彼はちらとツグの背後を一瞥する。きっと、あの透明な赤獅子がまだいるのだろう。今に「食え」と命令が下ってもおかしくない、ということか。


「女の子を追いかけててさぁ。でも逃げられちゃったんだぁ。まさかあんな隠し球を持ってるとはねぇ。ほら、ここにいるなら君も巻き込まれたんだろぉ?」

「巻き込まれた……ああ、この惨状のことか」

「そぉそぉ。僕の友達も何匹か逝っちゃってさあ。……許せないよなぁ」


 友達、と彼が言うと同時に、背後からグルルと唸り声が聞こえ、怪鳥が嘴でかつかつと音を鳴らす。恐らく、この異世界モンスターズが、彼の言う『友達』なのだろう。その声には、底知れないドロドロの昏い感情が宿っていた。


「で、僕にはその女の子を探せと?」

「そぉそぉ。猫の手ならいくらでも用意できるけど、やっぱり便利さじゃあ人間の手が一番だからねぇ。多分あの子は、こっちが僕と魔獣だけだと思ってるからぁ、適当に助けに来た振りでもして見つけてくれればそれでいいよぉ。報酬も少しは出そうじゃないかぁ」

「そいつはありがたい限りで。……ちなみに、その子を見つけてどうするんです?」

「――ま、殺すね」


 脱力感のある口調のまま、彼は淀みなくそう言い切った。


「元々、彼女の持つある物の奪取さえできればそれでいいかなって感じだったけどぉ。あんな力を隠してたなら話は変わるよねぇ。この一帯を食らい尽くした正体不明の魔法。……絶対、後々の邪魔になるしぃ。友達持ってかれて悲しいしぃ」

「……その事情を聞いて、僕が断ったり彼女に与したりする可能性とか、考えなかったんですか?」

「ん? 別にそうしたいならいいけどぉ。でも君、身のこなしは素人、魔力も全く感じない。……この場所に蔓延する違和感にも気が付いていないんでしょぉ?」

「違和感、というと……」

「周囲一帯の爆発からそんなに経ってないしぃ、魔力の残滓みたいなのがムンムン残ってるんだけどぉ、これで何も感じないなら、君はきっと魔法に縁が無いんだろぉ? この異質な魔力……空気に『死ね』って言われてるみたいだぁ。キモいぃ」


 頭も体も不自然に絶好調なツグにとって、想像もしていなかった話だった。魔力についてはピンとこないが、要するに少女が起こしたという爆発によって、空気が汚染されたような状態なのだろう。


「ま、要するにぃ、君みたいな人畜無害くんが敵に回ったところでぇ、別に影響はそんなに無いかなぁと。それにぃ」


 彼が近寄り、ツグの湿ったパーカーを唐突に撫でたのと、同時に。


「ごっ、ぎ!? がふっ……!?」


 ツグの全身を、痺れるような痛みが貫いた。ただ撫でられただけだった。彼が手に何かを持っている様子も無い。肩を少しさすられただけで、脳天から伝った痛みに、ツグはその場で膝を付いてしまった。


「――見初めた相手には、唾を付けておくものさぁ。ま、ボクのものじゃないけど」

「何、を」

 地に伏しながら問うツグに対して、彼は小さく靴の踵を鳴らした。すると今度は、地面が隆起したかと思えば、人間大のまんまるいカエルが姿を現す。

「爆発の直後かなぁ、あの子を探してる途中で、倒れてる君を見つけてねぇ。こいつのヨダレは美容効果に健康促進。飲めば甘露で雑菌も淘汰! お早いお目覚めを期待して、ついでにぶっかけておいたのさぁ」

「んで、薬は転じて毒にもできる、ってことか、よ」

 青ざめた舌から異常な量の唾液を分泌し続けている巨大カエルを睨みながら、ツグは体を震わせて立ち上がる。アレの唾液が全身を隈なく濡らしていたのか、と考えると、今にでも服を全て脱ぎ捨ててしまいそうになったが、ツグの人間的な理性と、もう手遅れだという諦観が、脱衣をギリギリ踏みとどまらせた。

「脅迫とは、趣味の悪いことで……」

「脅迫ぅ? 脅迫ってのはさ、相手の行動をそれでしか縛れない時の、最終手段だろぉがよぉ。言ったろぉ、別に裏切りたいなら好きにすれば良い、協力するなら報酬も出す、ってぇ。――君みたいな何も出来ない只人には、脅迫なんてしてやる価値すら皆無さぁ。これは保険だよぉ。色々な、ねぇ」


 悪魔面の向こう側で、彼が嘲笑しているのがなんとなくわかる。そしてそれを殴り飛ばすことすらできないのを、他でもないツグが一番理解していた。


「っ…………」


 完全に舐められていた。まあツグに戦闘力が無いのは恐らく事実なので何も言い返せないし、侮辱を受けるのは正直どうでもいいのだが、自分の無能ぶりには少し嫌気がさしてくる。

 そして選択を迫るように、顔を近づけてくる悪魔面を睨み、睨み、睨み――、


******


「淡い青色の、長い髪……情報はこれだけか。とりあえず、あいつよりも先に見つけないと……」


 悪魔面との遭遇から数分後、ツグは白いハンカチを片手に、木々を踏み越えて少女の捜索に全力で当たっていた。

 命は消耗品だ。故に、無駄死には避けねばと、ツグは悪魔面の彼の要求を一旦は承諾した。もちろん、素直に少女を彼に差し出す気など、今のところは毛頭無い。今のところは。


「これで、実が逃げてる女の子の方が完全に悪者でしたー、とかなら話は早いんだけどな」


 荒れ果てた木々の残骸を見渡す。最初はただただ、怪物を使役する彼が悲劇の少女を一方的に追い回しているのかとも思ったが、彼曰く、少女はこの大破壊を起こして追跡を逃れた、とのことだ。悪魔面の目的が不明瞭で、かつ目当ての彼女自身がどういう存在なのかが全くわからないため、ツグも正直決断しあぐねている部分はある。

 とりあえずは件の少女を助ける方針で動くが――それはそれで、障害は多い。


(多分、監視の類いは付いてるだろうからな……)


 具体的には、恐らくあの透明になる赤獅子が。いるのでは、と一度疑ってしまえば、押し殺した足音をなんとか察知できたものの、かといって、ツグの方から赤獅子に干渉する力が無いので、監視は捨て置くしかない。

 ツグが怪しい行動を取れば噛みつかれるのもそうだが、ツグが少女を見つけるとその瞬間に悪魔面に情報が行きかねない、というのが問題だった。ただでさえ、ツグが少女にしてやれそうなことが見つからないのに、発見と同時に通知が行ってしまうなら、いっそ探さない方が彼女のためでもあるのでは――、


「あーーーーーーーーーーー。どうしようか、本当にちょあびゃばびゃばべっ!?」


 やるべきことを完全に見失ってしまい、ツグはその場に立ち止まる。と同時に、ツグの喉が焼けるような痛みを発した。咄嗟に喉元を掻き毟るが、何かが刺さっている様子もない。涙目越しに地面を見るも、木の枝と木の葉くらいしか落ちていない。何が起こっているのかわからないままに、第二波が来た。


「あ、がひべっ、ご! が? あぐ、ぼ」


 何だ何だ何だ。悪魔面が『唾液』を発動した? 痛みの質としてはほとんどそれだが、そもそも悪魔面本人が捜索そっちのけでツグを監視しているのだとしたら、そもそもツグという人手を追加した意味がわからなくなる。というか、せっかく割と静かに探していたのに、こんなに声を上げさせる真似をしたら一層警戒を強めさせるだけで痛痛痛痛――思考が、まとまらない。

 悶える。嗚咽する。叫びを伴う空気が口腔を通過するだけで、舌が根元から千切れそうだ。


「が、          。」


 そしてついに耐えかねて、ツグが意識を失う。無様に地面に頬を擦りつけて、しかし無意識に喉元を手でさすりながら。

 ――その様子を見ていた存在が、ちょうど1匹と1人、いた。


「……………………」


 透明な赤獅子が、その様子をじっと見つめていた。主に命じられていた通りに、凡庸な少年をひたすらに監視していたのだ。

 そしてもう1人は――、


「『リーザ』。……引きずるけど、我慢して」


 それは、それこそ獣の耳でようやく聞き取れる声量の、囁くような水魔法リーザ。地面に微細な氷が張り、少年が滑るように、転がる大木の洞の中へと動き出す。――否、赤獅子と同じく透明になった何者かが、物音を立てないように少年を運んでいる。できる限り、空中からは死角になるルートを選んで。


「『フィーラ』」


 次いで、僅かな熱気が空を奔り、先ほど生成された氷を浚っていく。痕跡をほとんど残さない見事な火魔法フィーラだ。しかし、周囲の警戒を怠っていない様子とはいえ、相手にも透明になれる存在がいるとは、少女も想定していないのだろう。今なら、赤獅子の奇襲が成立する。――しかし、成功率は保証できない。赤獅子は『指示通り』、追うことはしなかった。

 そうして、何者かと少年の気配が完全に認識範囲から消えるのを待って、赤獅子もまた、主である悪魔面の元へ戻ろうと、地を蹴り出した。

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