一章 『死神を宿した少年』

1 『やってきました。異世界へ』

 正直に言って、異世界、というものに対する期待はあった。

 スティは何度も「この世界は平和だなあ……」と、おにぎりやパンをもしゃもしゃ食いながら遠い目で呟いていたものだが、例え危険だと知れていても、そしてツグの感性が若干ズレていても、本質は男の子である。魔法、冒険、異世界! スティが語ったファンタジックな世界には、ツグも年相応に憧れを抱いたものだった。

 美しい世界で、都合の良い英雄譚を夢想しなかったと言えば、まあ嘘になる。

 故に――、


「……何これ、爆心地? この世界って実はもう滅んでるんじゃないの?」


 故に、目覚めてまず周囲を見渡した瞬間は、ついつい思わずため息を吐いてしまったものだ。

 一面に、倒壊した木々と抉れた地面。特にツグの周囲は抉れ度が凄まじく、元々こんなクレーターのような地形なのかと錯覚してしまうくらいには、大地が正常な形を留めていなかった。

 そのくせ、半壊していることを除けば、風景そのものは元の世界でも見られそうな普通の自然であり、ここが本当に異世界なのかも疑わしい。

 そして周囲の環境が惨憺たるものなら、ツグ自身の状況はというと。


「くへ、っし! ちょっと寒いな、くっそ……」


 びしょ濡れだった。気温がそこまで低いわけではないのがせめてもの救いか。

 もうここまで来ると、あの河川敷での出来事はツグの幻覚で、普通に川に突っ込んで溺れて未開の地にでも流されたのか、とも思いたくなるが……。


「指輪はあるし、夢じゃなかったんだろうな……。とりあえずありがとう、本当に」


 スティが大事に大事にしていた黒い指輪が、彼の手を離れてツグの元にある以上、少なくともスティが彼の元を去ったのは事実だろう。再会した時に、指輪の宝石が砕けてしまっている件に関しては、弁明の言葉を用意しておかねばなるまいが。

 それはともかく、さて。


「とりあえず、問題は着替えと食べ物……あと水か」


 水が滴るパーカーの空虚なポケットをまさぐりながら、ツグは呟いた。寝起きとは思えないくらい、自分でも不思議なほど冷静で、頭が回る。知らない間に栄養剤でも飲まされたかのようだった。

 何もかもを放り出して駆け寄ったのだから当然だが、ツグが持つのは指輪とその身一つだけである。放り出した肉まんや本、スマホの類いを一緒に持ってこれはしなかったようだ。……まあ仮に持ってこられたとしても、どれも水浸しで使えなくなっていそうだが。


「水浸しといえば……なんで僕、びしょ濡れなんだ?」


 一面に、倒壊した木々と抉れた地面。最初にそう記したように、視界から得られる情報はほとんどその2つしかない。海や川からどんぶらこーと流れ着いた形跡も、雨が降っていた様子も皆無だ。かといって、特に臭うわけでもないので、真水かそれに準ずる、比較的綺麗な液体であると信じたいところ。


「ま、とりあえず動かないと始まらないか……」


 雫の垂れる額を拭いながら立ち上がる。若干の肌寒さはあるが、体に変調は無い。むしろ抜群で大変結構。

 それでも、これは骨が折れそうだなと、眼前に鎮座する巨大な倒木の群れを前に、しかしツグは薄く笑った。


******


 んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ。

 木を踏み越える。より大きな物は勢いを付けて上体から乗り越える。より大きな物は歯を食いしばりながらよじ登る。木、とかいう縦にやたら長い物体があっちこっちに横向きに寝っ転がっているので、少し前進するにもかなり体力を持って行かれた。ツグは元々、運動能力は人並みだ。


「本当に爆弾でも落ちたんじゃないのか、ってくらい酷い有様だな」


 比較的大きな木に背を預けて小休憩を取りながら、ツグは周囲を見渡す。ちゃんと地に根を張った木々の影が少し遠くに見えるが、目算でも数十やメートルじゃきかなさそうだった。まるで、ちょうどツグの目覚めた場所あたりに、爆弾でも落とされたかのように。倒れた木もよく見れば、幹のほとんどが削がれていたり、根元が丸ごと抉れている物が多かった。

 見つかるのは抉れた木の本体だけで、刮がれた断片の方が全く見つからないのが不思議なところだが。

 現状について考えながら、濡れた袖口を咥え、僅かばかりの水分を口に含む。喉の渇きを誤魔化す応急措置だが、なんかほんのり甘くて美味い。美味いのが怖い。有害な液体でないことを切に願う。

 舌を湿らせ、再び木登りを再開するかとツグが意気込んだ、その時だった。


「そこの君ぃ」


 ツグの背後から複数の足音と、呼び掛ける間の抜けた声が聞こえたのは。


「……………………。はい、なんでしょう?」


 警戒で数秒は返事をしなかったが、相手にツグの場所がバレてることをなんとなく悟ったので、素直に口を開く。同時、足音の方を振り返ると――、


「――――ひ」


 目の前に、獣がいた。ツグの頭を今にも丸呑みにしそうな距離と威圧感の、四足歩行の大きな獣が。

 立ち姿は虎やライオンなどの、ネコ科の猛獣に例えるのが一番近いだろうが、その真っ赤な毛並みはツグの知るどの動物にも合致しない。間延びした声の主と考えるには到底似合わない威容を前に、ツグは身じろぎ一つすら封じられた心地になった。

 これは死ぬ、とツグの本能が訴えている。


「や、え、と――」

「………………」


 そもそもこんな派手な体色で何故今の今まで気が付かなかったのか、と硬直するツグの目の前で、その赤獅子は興味を無くした様子で、無言でスンと姿を消した。否、目をよく凝らすと僅かな輪郭が窺える。透明になった、といったところか。


「あぁ、そっちじゃない。上ぇ」

「うえ?」


 唐突に舞い込んだ異世界要素に、脳の処理が追いつかないツグは、聞こえた言葉の内容を噛み砕く余裕もなく、素直に声に従ってしまう。


「ん? ありゃ、さっきの人だぁ。生きてたのぉ」

「…………な、何か用でしょうか。僕に」


 赤獅子ほどの衝撃は無かったものの、眼前の光景がツグの常識を超越したものであることには変わらず、思わず声が震えた。


「ちょぉっと、聞きたいことがあってさぁ。ま、その辺の木にでも座ろうぜぇ」


 ――足が椅子のように変形、連結した異形の怪鳥と、襤褸で全身を包み、悪魔をモチーフにしたような面を被った人型の存在が、見晴らしの良い空中からツグを睥睨していた。


 

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