第5話

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「そういえば」

「タタタか……何だ」

「私達『いまじなり』って、御洒落出来るんですかね。着替えたり、可愛い鞄を持ったり、それで外を歩いたり」

 いつも通り朝の掃除を済ませた私は、凛華に尋ねてみた。珍しく朝に起きた彼女は、まだ寝惚けているようで、少し赤い目を擦りながら面倒そうに応じた。

「そんな事、出来る訳ないだろう」凛華は即答する。「恐らく、服だけ浮いて見えるのが落ちだ」

「そこをなんとか!」

 凛華に合掌する私を呆れた目で見ていたのは、ファーストだった。「そこまでして御洒落したいのか? 服なんてどうでも良いじゃねえか」

「ファーストさんには分かりませんよ」

「ああ、全く分からねえ」

 あっさり認めるファーストを横目に、私は改めて自分の服を見る。白いフリルが胸元についたブラウスにベージュのカーディガン、短めの黒いプリーツスカートは足元を可愛く見せる。別にこの服が嫌いという訳ではないし、どちらかと言えば大好きだ。しかし、たまには着替えたいしイメージ変えだってしたいものだ。

「ああ……せっかく物に触れるんですから、色々な服を着たいですよね。格好良くスーツも良いですし、可愛いドレスだって……想像するだけで天国です……」

「うわ、気持ち悪い顔してんな」

「何か言いました?」

「あ、いや……」

 思わず頬が緩んでしまったようだ。恐らく私を作った主の影響だろう、私は服が大好きだった。凛華に見つけて貰うまでは色々な服屋に入っては眺めるのが唯一の楽しみだった。それを着れるかもしれないという現状において、興奮するなという方が難しい話なのである。

「何か! 何か方法があるはずです! 凛華さん、服を貸してください!」

「それは良いが、一体何をするつもりだ?」

 私は不敵な笑みを浮かべる。「検証です」


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「さて、検証しますよ、ファーストさん!」私は大きな声で宣言する。

「なんで俺まで……」明らかに嫌そうな声をあげる。

「いいからやりますよ。凛華さんが仕事を終わらせるまでに習得するんです」

 現在私達は、洗面台の前に立っていた。服はいつもの……ではなく、凛華のいつも着ているゴスロリのような装飾の多い服だ。どうやら同じ服を沢山買って着回しているらしい。どうして私の周りはファッションに興味のないものばかりなのだろう。

「でも、どうやって検証するんだ?」ファーストが疑問を呈する。尤もな意見だ。

「簡単です。この服を着た状態で外に出れば良いんです。そして人と出会います。もし私が失敗していれば服だけが浮いて見えるはずですから、通りすがる人は驚くような反応をするでしょう」

「成る程な」ファーストは頷く。「このあたりはそこまで人通りが多くない。もし失敗しても大きな話にはならなそうだな」

「でしょう? 我ながら良い方法だと思うんです」

 ファーストは煙草に火をつけて吸い、煙を吐いて言う。「まあ、早く終わらせようぜ」

「ええ、早く色々な服が着たいですもんね」

「なんか噛み合わねえなあ……」

「さあ、行きますよ!」

 こうして、私の御洒落作戦は幕を上げた。


「あと少しです……多分」

 ファーストが数歩先を歩きながら煙草を吸っている。彼女から聞いた話だと、凛華の『いまじなり』を現実に干渉出来るようにする力が及ぶのは、せいぜい百メートル前後ほどだそうだ。それを越えれば、また凛華に見つかる前と同じように、何も干渉出来なくなる。

 少し前にいたファーストが足を止める。「止まれ」

「どうしました?」

「咥えてた煙草が落ちた。ここが凛華の力が届くぎりぎりのラインだ」

 つまりここから家までの間のどこかで、人に遭遇する必要がある。しかし今は平日の昼間ということもあり、殆ど人通りはなかった。

「ここで暫く待ちましょう。人が来るまでに対策をしながらですが」

「対策って……何か考えてるのか?」

 私は自信たっぷりに言う。

「もちろんです! ずばり、想像すれば良いんです!」

「は? 想像?」

 私の中の仮説では、想像力が鍵となっている。「これは自分の服で、他人には見えない」と思い込む事で、それは本当に見えなくなるのではないか? といったものだ。一見荒唐無稽に聞こえるだろうが、私は『いまじなり』だ。そもそもが想像上の存在。想像力から生まれた私達なら、想像である程度の事は出来るのではないか、と思っている。それに何より、ファーストの散歩が根拠でもある。ファーストは夜の散歩を「凛華と離れるまで寒かった」と言っていたが、買い出しに一緒に池袋に行った時には寒そうにしていなかった。つまり、ファーストは寒さを「忘れて」いたのだ。

 と、一通り説明すると、ファーストは「言われてみれば」と唸った。「まあやってみれば分かるか」

「ええ。あっ、早速人が来ましたよ」

 私は数十メートル先に見えた人の方へ駆け寄る。通りの向こう側にいるのは、犬の散歩をしている主婦だった。

「おーい! 私が見えますかー!」

「あっ馬鹿っ、戻って来い!」

「えっ」

 そう言った時にはもう遅かった。私は凛華の力の範囲外へと出てしまっていた。出るとどうなるか?

「あっ……」

 『いまじなり』は原則的に、この世のものに干渉出来ない。凛華の力で無理矢理出来るようにしているだけで、その範囲外に出てしまったら……。

 考えが及んだ時にはもう遅かった。私の服ははらりと地面に落ち、全裸になっていた。

 頭が真っ白になっている私の横を、例の主婦と犬が通った。

「あら、こんなところに服が。風でも吹いたのかしらね」


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「タタタ、飯の時間だぞ。いい加減立ち直れよ」

 あれからどれほど時間が経ったのだろう。私は全裸のまま脱衣所の隅で体育座りをしていた。

「私はもうお嫁に行けません……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「駄目だなこれは……湯は沸いてるから、カップ麺自分で作れよ」ファーストがカップ麺を私の方に投げる。それをキャッチする気力もなく、私の顔面に当たって落ちた。

 私は公共の場で全裸になった。いくら誰にも見えないからといっても、羞恥心くらいはある。あの後どうやって帰ったのだったか。覚えていないが、恐らくファーストが連れて来てくれたのだろう。

「つまり帰りはずっと全裸だったんですね……私、汚れてしまいました……ふふ……ふふふ……」

 この世の全てがどうでも良くなった。私は全裸で町を歩いた。それは私が死んでも、何をしても、変わらない過去。いっそのことこの場で消えてしまいたい……。

「私には可愛い服が似合わないって事なんですかね……。ええ、ええ。どうせ私は全裸で十分な女ですよ……。寧ろ私に着られる服が可哀想ですよね……分かります……」

 電灯がの紐が揺れている。外の街灯がつきはじめている。窓ガラスの隅には、小さな羽虫が一匹とまっている。壁が煙草の煤で汚れている。

「これも私の想像だったら良かったんですけどね……」

 夜はまだ始まったばかりだ。片眼鏡と顔の間から、一筋の雫が頬をつたった。

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いまじなり ディンガー @dingerbox

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