第4話

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 すっかり日は落ちて、凛華とタタタはベッドに倒れるようにして眠っていた。それぞれの顔を向き合わせるようにして、すうすうと寝息をたてている。『いまじなり』も人間と同じように運動をすれば疲れるし、眠くもなる。基本空腹は感じないが、凛華の力で食べられるようになってからは、周期的にその「欲」が湧き上がってくる。

 煙草も吸えるし酒も飲める。映画で感動も出来れば、面倒事に不平不満を言う事も出来る。なら人間と『いまじなり』は、何が違うのだろう?

 ふう、と煙を吐きながら俺は考える。ファーストという名前を貰ってから今までの間、自分が『いまじなり』であるという認識が揺らぐ時がある。いや、正確に言えば、凛華と私の間に何ら違いはないと思う時がある。イマジナリーフレンドというのは、創造主に作られて、あくまでも現実には干渉できない存在。しかしその創造主から捨てられ、現実に干渉出来るようになった今は? どこに違いがあるというのだろう。変わらず凛華以外には見えないらしいが、それは大した問題ではない。家に引きこもってばかりいれば、どのみち見られる事がないのだから。

 やめだ、こんなのを考えていたって何にもならない。俺はテーブルの上にある真新しい灰皿に吸い殻を投げる。

 部屋は新居のようになっていた。切れていた蛍光灯はLEDに交換され、新品の食器が並ぶ棚も新しいものになっていた。唯一冷蔵庫はそのままだったが、元々レトルトやインスタントばかり食べている凛華のそれは、殆ど新品の見た目を維持していた。その他の床や壁に関しても、タタタが主導して大掃除した(俺と凛華も手伝わされた)為、彼女が来る前とは比べものにもならない程に綺麗になった。もしも俺がこの部屋に何も知らず入ったとしたら、部屋を間違えたと思うだろう。

「こいつが来てから賑やかになったもんだ……全く、疲れてたまんねえよ」

 そう言いながら、俺はタタタに微笑みかけていた。


 ゆっくり伸びをして、欠伸をひとつ。時計を見れば、それは真上を指していた。『いまじなり』は基本的に人間と同じような動きをするため、睡眠欲ももちろん出てくる。が、ここ数日の度重なる昼寝により、俺の体内時計はすっかりと狂っていた。

 俺は孤独が嫌いだ。創造主から見放されてから散々体験させられたせいで、静かな空間にいると、あの時の事を思い出してしまう。誰も俺の話を聞いてくれず、大声を出しても触ろうとしても、誰ひとりとして気づかなかった。何日経ったのかも忘れてしまう程途方に暮れて、どうしたら死ねるのかとすら考えていた。あの寂寥感がフラッシュバックするのは、控えめに言っても最悪だった。

「畜生……」

 少し気分転換しよう。そうだ、散歩にでも行くか。凛華から離れれば物は触れないが、散歩なら何も問題はないだろう。俺は少し古びたドアを開け、裸足のまま外へ出た。

「寒っ……」

 昼間でも少し寒い季節になってきたが、夜のそれは一層強力なものだった。『いまじなり』は基本的に人間と同じだと言ったが、この温度というのは感じた事がなかった。物に触れられないというのに、空気も入っていたからだ。空気に触れられないのであれば、当然暑さや寒さは感じない。からキャミソール一枚というふざけた格好でも不便はなかった。これは凛華の力の欠点というべきだろう。

 ひとまず階段を降りて歩き出す。少し離れてしまえば彼女の力は届かない。そうすればまた、寒さからは逃れられる筈だ。


 夜の町は静寂で包まれていた。家数軒ぶんも離れれば凛華の力は届かない。すっかり寒くなくなった俺は、何となく駅前を目指していた。知っている道といえばこれくらいだし、駅以外の場所は住宅ばかりだったからだろう。夜の散歩という久々のイベントに、怖さと興奮が入り混じり、形容しようのない気持ちになっていた。道自体は何度か通ったものだったが、夜になればその表情を大きく変える。人を拒むような重い空気のなかを押し切って進むのは、少しだけ気持ち良いものだった。気づけば俺はこの雰囲気に馴れてきたようで、足取りも心なし軽くなっていた。

 俺が「tico tico no fuba」の鼻歌を歌いながら散策していると、バス停のベンチに寄りかかっている人を見かけた。男性ならいざ知らず、そこにいるのはまだ若い女性だった。茶色の長い髪を後ろでひとつに結び、真っ黒なロングコートを着ている。その体に不釣り合いな程大きな三角帽子は、魔法使いの典型的なイメージそのものだ。そしてその隙間から少し覗く肌も、また雪のように白かった。

「おいおいまじかよ……」と漏らす。いくら治安の良い日本でも、ここまで無防備だと俺ですら心配になってくる。

 届かないと分かっていても「家に帰って寝ろよ」と声をかけて、踵を返す。返そうと思ったが。

「あなた、私が見えるの?」

 そう後ろから声がする。

 まさかと思いながら振り返ると、ベンチに寄りかかっていた彼女が立ち上がり、こちらを見ていた。凛華がいない今、俺は誰にも認識されないはずだ。が、周囲を見渡しても俺以外に虫一匹すらいやしない。

「そっちこそ、俺が見えてんのか?」

「ええ、もちろん」

 俺は頭を抱える。「おいおい……まじかよ……」俺は誰にも認識されないんじゃなかったのか? 何故俺が見えている? 疑問が頭を埋め尽くす。

「はぁ……。ひとまず質問させてくれ。俺はイマジナリーフレンドっつってな? 俺を作った奴以外には基本見えないはずなんだよ。それがお前、なんで見えてんだよ」

「分からないわ。何も」彼女は首を振る。「ただ、その『イマジナリーフレンド』だったかしら? 私もそれなんじゃないかしら」

「いや、関係ない。俺だって凛華の力がなけりゃ他の奴なんて見えねえんだ」

「りんか……?」

「そこは良い。気にすんな。要するにあれか、お前は自分が何者かわかんねえのか」

 彼女は申し訳なさそうに頷く。「ええ……記憶も全くなくて、昨日気づいたら誰にも干渉できない体になっていたの。元からかもしれないけれどね」

 面倒な事に首を突っ込んでしまったかもしれない、と少し後悔するが、後の祭りである。今更見なかったふりなんて出来る訳もない。もやもやとした思考を遮るように、頭を掻き毟る。

「まあ……とりあえず、一緒に散歩でもどうだ」


 予期せぬ人(?)と出会い、ひとりだった散歩が少しだけ賑やかになった。彼女の名前は「フェリス」というらしい。綴りが「feliz」ならフランス語で「幸せ」を意味し、「Felis」ならラテン語で猫を意味する。彼女の外見からするに、後者の方が合っているように感じた。俺が「良い名前じゃねえか」と言うと、少し照れくさそうに笑った。

 フェリスはとても小さかった。身長は俺よりも頭一つ分以上下で、歩く姿は小動物のそれを連想させた。凛華も小さい方であるが、それよりも幾分か下だろう。大きな三角帽子をつけても俺の身長に届いていない。真っ黒なロングコートは地面についてしまい、それを引き摺るように歩いていた。

「ねえ」とフェリスが横を歩きながら上目遣いで話してくる。「ファーストさんは、どうしてその名前なの?」

「ああ、この名前な……。俺が今住んでる家の主、さっき言ってた凛華って奴。あいつと出会ったのがファーストキッチンだったんだよ」

「それはまた……」言葉を濁す。良いんだ、俺だって同じ気持ちだったからな。

「まあ、今では『キッチン』じゃなくて良かった、くらいに思ってるさ」

 永く交換されていないだろう街灯が静かに明滅する。歩く度にふたつの影が伸び縮みする。なんでもないような景色が、少しだけ彩られて見えた。軽くなった足取りで夜のアスファルトを闊歩していると、フェリスが息切れしてしまったので少し速度を落とす。


 道中、自動販売機が照明を輝かせているのを見つけた。昼間はそんなに気にしなかったものでも、夜になれば表情を一変させる。

「俺さ、自販機って好きなんだよな」

「はあ……」

 どうでも良いという感じで返されるが、気にしない。

「なんかさ、無機質なのに温かい感じがするのが良いんだ。そこにあるのはただの機械なのに、いつでも俺を待っていてくれるんだ。季節に合わせてメニューを変えて、寄り添ってくれる感じが好きだな。なんて言うか……そう、恒常性と変動性の同居って感じだ」

「まあ、そこまで言われると、分からなくもないかな」

 フェリスは三角帽子を直しながら言う。俺の視点からだと帽子が大きすぎて、どんな表情をしているのか全く分からない。が、意思疎通のできる相手が見つかったのが嬉しいのか、少しだけ声が高い気がした。

「ファーストさん」

「ファーストで良いぜ」

「じゃあファースト、あなたならどのドリンクを買う?」

「うーん、そうだな」俺は首を傾げる。自販機はコーラやコーヒー、お汁粉なんて変わり種も取り揃えていた。が、俺は迷わずそのうちのひとつを指差す。それはレモンの炭酸飲料だった。

「あら、変わった選択ね」とフェリス。およそ冬に似つかわしくない飲み物を選んだ理由が気になったのだろう。「どうしてそれを選んだのか聞いても良いかしら?」

「何も考えていないさ」と俺は返す。「何を飲みたいか考えるんじゃなくて、選んだものがどんな味か想像する方が楽しいだろ?」

「その飲み物を飲む気分じゃなくても?」

「気分じゃなくてもだ。もしかしたら自分の気分に気づいてないだけかもしれない」

「なら、飲んでみて本当に気分じゃなかったら?」

「その時はその時だ。気分じゃねえや、って笑いながら飲めば良いさ」

 そこまで話すと、フェリスが笑った。「なんか、あなたの人となりが少しだけ分かった気がするわ」

 自販機の明かりに照らされて、フェリスの顔がはっきり見える。童顔ではあるが、妙に大人びた笑顔は俺の目にくっきりと焼きついた。タタタのようなわかりやすい笑顔ではなかったが、その顔は俺の心を何故か掴んで離さなかった。

「ちなみにお前は何を選ぶんだよ」

「この中だと……紅茶が好きだけど、選ぶのは缶コーヒーかしらね」

「好きなのを選ばないのか?」

 するとフェリスは少しだけ照れくさそうに言った。「ええ、上の段はジャンプしないとボタンに届かなそうだもの」

 帽子を深く被り直して目元を隠す。まるでハムスターでも見ているかのようだ。

「ジャンプしたら良いじゃねえか」

 彼女は小さく首を横に振る。「そんな醜態、晒したくないわ」

「誰も見てなんかいねえのに……まあ、そういうもんか」

「そういうものよ。背の高いあなたには分からないでしょうけどね」

 つん、とそっぽを向く。膨れた頬が帽子の隙間から見える。

「わかんねえなあ……」

 街灯が照らす街は、変わらず不気味なほど静かだった。


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 その後、当初の目的である駅まで散歩に行き、特に何をするわけでもなく帰ってきた。もとより物に干渉出来ない為分かってはいた事だが、思わぬ出会いがあったからか退屈はしなかった。フェリスと他愛もない事ばかりを語り合って、笑って、一息ついて。凛華とも同じような事をしたが、あいつは何を話しても「そうか」としか言わない。互いに言葉を投げ合える相手がいる嬉しさを、腹いっぱいに味わっていた。

 少し遠回りして戻ってきた、うちの前。つまりは凛華の家の前。彼女に近づいたら、また刺すような寒さが肌を刺激する。「さむっ」と思わず声に出すが、フェリスは不思議そうに首を傾げているだけだった。

「お前は寒くないのか」

 そう聞いてみるが、彼女は首を横に振る。「寒いって、私よく分からないの」

 寒いを言葉として知ってはいるが、実体験としては知らない。凛華と出会ったばかりの頃の俺と同じだ。やはり彼女は『いまじなり』なのだろうか? いや、なら何故凛華から離れた場所で俺が視認出来た? 謎が深まる一方で、考えれば考える程深みに嵌りそうだった。

「まあいいさ」半ば自分に言い聞かせるように言う。「取り敢えずうちはここなんだけど、どうする、泊まってくか?」

「え? でも……」

「どうせ泊まる場所もないんだろ。この家の主は変な奴だが、お前なら歓迎してくれるだろうさ。明日紹介してやるよ」

 フェリスは少しだけ考える。数秒の逡巡のうち、首を縦に振った。


 軽く軋むドアを開けると、タタタと凛華は変わらず寝ていた。時計を見ると、そろそろ明るくなり始める時間だろう。凛華はともかく、タタタは朝に起きるだろうから、その時に紹介してやれば良い。俺はフェリスを部屋へ入るよう促して、ドアを閉める。

「ようこそ、我が家へ。取り敢えず疲れただろ、布団はねえが適当なところで寝転がって休みな」

「ええ、そうするわ……」フェリスは相当疲れていたようで、大きな帽子を大事そうに抱えて、部屋の隅で小さく丸まった。すうすうと寝息が聞こえてくるまでそう時間はかからなかった。

 慣れない他人との会話に重ねて、誰にも気づいて貰えない日が続いた心理的疲労が溜まっていたのだろう。「フェリス、もう寝たか」という問いにも、返ってくる答えはなかった。

 俺はキッチンに行き、置いてあるジッポとハイライトに手を伸ばす。喫煙も慣れたもので、一連の動作を何も考えずに出来るようになっていた。吸い始めたばかりの頃は両手でジッポを持って覚束ない手つきで着火していたのを思い出し、少し懐かしくなる。

 煙が上がっては天井にぶつかり霧散する。ニコチンとタールが体に染みるのは、恐らく窓の外が余りにも綺麗だからだろう。

 時刻は五時丁度。四人が住むにはあまりにも狭いこの部屋を、日の出がすっぽりと包み込んだ。


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「ファーストさん! いつまで寝てるんですか?」

「ん……ああ……」

 俺の目を覚ましたのは、やかましい片眼鏡の声だった。寝惚けた目を擦りながら見てみれば、目と鼻の先程の距離にそれはいた。何度も起こしていたのだろう、頬を膨らませて怒っていた。何だか昨日のフェリスを連想してしまい、思わず吹き出す。

「何がおかしいんですか」余計に頬を膨らませるタタタ。

「いや、フェリス……そこで寝てる奴に似てる顔をするもんだからさ」

「ファーストさん、寝惚けてます?」

「いや、昨日出会ったんだよ。ほら、そこに……」

 と、彼女の方を指差そうとして、気付いた。彼女がいないのだ。慌てて辺りを見回すが、どこにもいない。大事そうに抱えていた帽子ごと、フェリスの痕跡がまるまるなくなっていた。

「はいはい、分かりましたから。取り敢えず顔でも洗って来たらどうです? 目も覚めると思いますよ」

 動揺する俺を軽くあしらって、カップ麺に湯を注ぐタタタ。「ファーストさんも要ります?」

「いや、要らない」

 フェリスはどこに行ってしまったのだろう? 結構仲良くなったと思っていたが、気に触るような事をしてしまったろうか? 凛華とタタタ以外とは話さないから、何か無礼な事でも言ってしまったのだろうか?

「くそっ、わからねえ……」頭を掻きむしる。

 思考がループしている。ここはタタタの言う通り、顔でも洗って一度リセットしよう。

 洗面台に向かうと、先客がいた。

「私よりも遅い起床とは、珍しいものだな」

 こちらを見もせず、煙草を吸いながら鏡を拭いている凛華がいた。おおよそタタタに掃除を命令されたのだろう。顔にくっきりと「面倒だ」「何故こんな事を私がしなくてはいけないのか」と書いてある。

「ああ、昨日は眠れなくて外を散歩してたんだ」

「そうか」

「ああ。それで、変な事を聞くが、今朝うちで俺達以外の『いまじなり』を見なかったか?」

「私が起きたのはつい先程だ。それに見てもいない」

「やっぱそうだよな……」タタタが見ていないと言った段階で望みは薄かったが、やはりフェリスを誰も見ていない。彼女は俺の妄想だったのか?

「随分難しい顔をしているじゃないか。取り敢えず一服しながら目を覚ましたらどうだ、メンソールはベッドの枕元にある」

「まずは顔を洗おうと……」

「君はいつも顔なんて洗わないだろう。いきなりどうした」

「少し変な夢を見てな」

「あいにく今は掃除中だ。大人しくメンソールを吸ってくれ」

 掃除をさせられて少し機嫌が悪いようだ。触れないでおこう。


 リビングに戻ると、中央にある机の上でタタタが凛華のパソコンを開いていた。彼女が作曲の仕事に使っている、少し使用感のあるノートパソコン。

「何してんだ」

 タタタは振り向くと、パソコンの画面をこちらに向けた。「目は覚めましたか? これは買い出しの時に買えなかった調理器具を買っているんです」画面にはフライパンがずらりと並んでいた。

「こんなの、どれも同じじゃねえか」

 そう俺が漏らすと、「違います!」と形相を変えて迫ってきた。「これはフッ素加工がされていますが価格が高いんです。そしてこれは同じくフッ素加工がされていて安いものですが、レビューを見るに塗装が薄くすぐに錆び付いてしまうんです。そしてこれは……」

「わかった。もういい」俺が遮ると、不服そうにしつつも口を閉じた。「まあ、色々あるんだな」

「そうです、色々あるんです」

 そう言ってまた通販サイトの物色に戻ったタタタを横目に、ベッドの枕元にある煙草を取る。ホープのメンソールだ。今日凛華が吸ったらしく、昨日キッチンに置いてあったジッポもこちらに移動していた。

 残り半分程となった箱の中から一本取り出し、ジッポで着火する。それを吸って肺の奥まで入れると、ミントのような直接的な刺激が喉を通る。

「ほんと、何だったんだろうな……」

 俺の思考は、煙草の煙のようにゆらゆらと揺れるだけだった。

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