チャプター18

 18時30分ちょうどに約束した場所に着いた。東原たちは既に待っていた。

 東原と一緒にいたのは彼と同じ現場処理班の女性だった。矢上は顔を見知っていたので、その女性も自分たちの顔は知っているはずだと思った。

 JR桜木町駅南口の改札口を出て直ぐ左手側にエスカレーターと階段がある。そこを上がって道なりに歩いて行くと左側にワシントンホテルがある。その5階の店に4名で矢上は予約を取っていた。

 矢上がいつ予約をしたのか、的場は全く気付かなかった。

 ホテルマンに案内されたのは個室の部屋だった。窓辺からのみなとみらいの夜景が、新鮮な香りを漂わせいるようで、心和やかな気分を醸し出してくれている。眼下には、『太平洋の白鳥』と呼ばれた初代の帆船日本丸が、夜景の一コマとしての演出していた。

 4人のテーブルに挨拶に来た男性と矢上が言葉を交した。

 「松本さん、今日は無理なお願いをして申し訳ありませんでした」

 紺色のスーツに深紅の蝶ネクタイ(ボウタイ)の松本と呼ばれた男性が、

 「いや、こちらこそ使って頂きありがとうございます。矢上さんから異動の葉書きは頂いてましたが、こんなに早くお会い出来るとは思ってもいませんでしたよ」

 矢上が3人を松本に紹介し、松本は4人全員と名刺交換をしてくれた。

 その名刺には、『総支配人』と印刷されていた。

 「何かあれば遠慮なくおっしゃって下さい。このブランデーは、当ホテルからのほんの気持ちです。今日は好きなだけ召し上がって下さい。何かありましたらここにいるスタッフに何なりとお申し付け下さい」

 そう言ってから丁重に頭を下げて出て行った。入口付近で控えていたスタッフ2人のうち1人はコンシェルジュサービス担当なのだろう。

 各自のグラスにブランデーを注ぎ終り、

 「用事がある時には卓上ベルでお呼び下さい」

 とテーブルの卓上ベルを指差し、もう1人のホテリエと2人で頭を下げて退出して行った。

 4人だけになり乾杯をした。その後、東原が口火を切った。

 「今日は、忙しいところを申し訳ありませんでした。横にいるのは滝内です」

 滝内が頭を下げた。

 「今日は2人で図々しいお願いに上がりました。今、矢上警視と的場警視のやっておられる捜査の手伝いをさせてもらいたいと思っております。ご存知の通り、我々は現場で育てられた刑事です。我々にとって事務机での執務は拷問以外の何ものでもありません。

 2度の現場で、矢上警視の事件捜査に対する真摯な対応と現場観察の洞察力と判断力、そして自信に裏付けされた捜査方針の正確さに驚かされました。何より事件の被害者や参考人、協力者に接する態度は自分も見習いたいと思う程です。横にいる滝内は、的場警視に以前から憧れ続けていると常日頃から言っております」

 東原が話している間、滝内は何度も頷き、やがて話し始めた。

 「警察庁に入庁してから、的場先輩の一挙手一投足の全てがわたしの目標でした。3月の異動で同じ部署に配属され、もう天にも昇る気持ちで一杯になりました。でもなかなか先輩との接点が持てません。そのことを東原さんに正直に話をしました。実は、東原さんも矢上警視の元で働きたいと言われました。そこで、思い切って東原さんとわたしで、お2人に直訴してみようとなったのです」

 東原が再び話した。

 「自分たちは、本日、不退転の決意で参りました。どうか意を汲んでいただきたいと思います」

 2人は真剣な眼差しで、矢上と的場の答えを待った。

 矢上は2人に尋ねた。

 「チームとして一緒に、今追っている事件の真相を究めたいと理解すればいいんですね?」

 東原と滝内は同時に、

 「はい」

 と言って頷いた。

 矢上は的場の顔色を窺ったが、的場は矢上に決めて欲しい、と言っているように見えた。

 矢上は次のように言った。

 「今さら、僕らが東原さんや滝内さんを教えるなど勿論もちろん考えてもいない。僕らがやっている捜査は間口が広すぎて、正直人手も足りない。東原さんと滝内さんが加わってくれるなら、僕らとすれば本当に大歓迎だし、むしろ感謝したいくらいです」

 的場も同意を示した。

 「後は、どうやって藤崎統制官に説明すれば分かってもらえるかだが……。あの人は切れ者だから小細工は墓穴を掘ることになりかねないし」

 的場に助けを求めると的場は笑いながら言った。

 「いつもの直球勝負でしょう、矢上警視殿」

 「だよな、それしかないな」

 矢上が言った。

 「はい、警視殿の腕の見せどころですよ」

 幾分か茶化した言い方だった。

 見ると、滝内は目を真っ赤に腫らしているようだった。

 4人でこぢんまりと、そして密度の濃い宴を楽しく始めた。

 運ばれてきた料理が、とっても美味しいと2人の女性は感激していた。滝内は的場の横に座り、携帯を取り出して楽しそうに的場とメールアドレスを交換していた。東原は矢上に是非直ぐにでも一緒にやらせて下さい、と何度も頭を下げていた。矢上は、明日にでも藤崎に2人の申し入れをお願いしに行こうと思った。

 ブランデーが空になった。卓上ベルを押した。先程のコンシェルジュとホテリエの2人が入ってきた。矢上は芋焼酎のボトルと赤ワインをそれぞれ1本ずつ注文した。

 女性2人は赤ワインを飲んで、さらに楽しそうに会話が弾んでいた。

 時間が瞬く間に過ぎていった。東原と滝内は、矢上たちがこれから行くスナックへも同行させて欲しいと言った。

 矢上はほとんど思案することもなく直感で2人を受け入れた。的場もそう思っているに違いなかった。2人をトシちゃんの店へ連れて行くことになんの躊躇もしなかった。

 会計を的場が済ませてから、タクシーでトシちゃんの店に行った。到着したのは午後8時30分を少し過ぎたと頃だった。


 トシちゃんの店に着くと、表戸に木札がぶら下がっていた。その木札には、『予約客で満員です。本日は札止めとさせていただきます。店主』と書かれてあった。

 戸をノックした。ドクターが内側から鍵を開けてくれた。4人が店内に入るとドクターがまた施錠をした。

 店内は7名になった。レイが嗅ぎつけて来ていて、カウンター内から、にっと顔を出した。

 「だって全然、メグおねぇちゃんもさ、キングもわたしのこと構ってくれないんだもの、トシちゃんに聞いたら9時頃に来るよ、と教えてくれたから先回りしちゃった」

 ペロっと舌を出し、的場を見付けていきなり抱きついた。

 矢上が、東原と滝内を自分たちの仕事仲間であると紹介し、2人はそれぞれトシちゃんとドクターに名刺を渡した。

 矢上は米山の情報をくれたドクターに改めてありがとうと言った。するとドクターが別件で一つお願いがあります、と言って次のようなことを話した。

 「実は仕事仲間で親しくしている大和田という男なんですが、2回も殺されかけたと怯えているんです。大和田の話では、彼は横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅から徒歩で10分くらいの港北ニュータウン近くのマンションに一人暮らしをしているんですが、そのマンションの近くで1回、それと勤務先の最寄り駅の山手線渋谷駅のホームで1回、合わせて2回だそうです。どちらも明らかに自分をターゲットにしていた、と言っています。最初は渋谷駅のホームで電車を待っている時に後ろから両肩を押され、危うくホームに転落しかかったそうです。2回目は自宅近くの夜道で猛スピードの無灯火の車が、明らかに自分に向かって突進してきて、跳ね飛ばされそうになったそうです」

 殺されかけたというその人物は、大和田幸治、32歳、独身男性だった。

 仕事はドクターと同じIT関連会社に勤めていた。会社は渋谷駅から道玄坂へ向かい、およそ徒歩5分くらいのオフィスビルの中にあった。

  矢上はドクターに言った。

 「その大和田さんに会って、詳しく話を聞いた方が良いと思う。早い方が良いので、明日にでも会える時間と場所を決めてもらいたい。それと場合によっては大和田さんの身を守るため、保護対象者として上司に相談することも考えておくよ」

 「ありがとうございます。明日必ず大和田と2人で伺います」

 そして矢上はドクターに次のように説明した。

 「大和田幸治氏の2件の殺人未遂容疑だが、1回目は通勤の時間帯で駅が混んでいたようだから、後ろから押した人物を調べるのに時間が掛かりそうだ。しかし、2回目の車の件は、本人としては明らかに自分に車が向かってきたと言っているので、捜査してみることは可能かもしれない。殺人未遂容疑のあった日から起算して2週間前頃から前日までの、大和田氏の足取りを確認したい。これは本人に聞けば良いと思うので、例えば、その間に彼が初めて行った場所があるかとか、もし大和田氏が誰かに脅されるような理由が見当たらないとすれば、何処かで彼が何かを目撃したのではないかとも考えられる。大和田氏を狙った実行犯側が、何かの理由で勝手に勘違いしている可能性も否定できない。

 彼が初めて行った場所、あるいはそうでない場所で、偶然に何かを目撃した、もしくは目撃したと誤解された。つまり彼は知らないうちに犯人サイドにとっては致命的になるような何かを見てしまっている、ということも考えられる」

 時計を見た。午後9時30分過ぎだった。矢上は携帯を操作した。

 「夜分、申し訳ありません。お願いと報告がありまして電話をさせて頂きました。2点あります。

 一つは東原と滝内の2人を自分たちのチームとして、これから一緒に捜査をさせて頂けないかと。はい、どうしても必要な人材だと思っています。———ありがとうございます。

 もう一つは報告です。ある筋から、米山孝雄と半グレ集団のトップとがどこかの室内で写っている写真を入手しました。2人の前のテーブル上に帯封の付いた1万円札が山積みされている状況の写真です。証拠写真としてはかなりなものです。————夜分にしかも、飲食の上での不躾ぶしつけな電話をお許し下さい。————ありがとうございます。明日また改めまして連絡をさせて頂きます」

 電話を切った後、矢上は、藤崎が次のような応答をしたことを皆に披露した。

   二つとは何だ!

   あの2人がそんなに必要か!

   分かった。好きにせい!

   そんな写真が見つかったのか!

   酒なら俺だって今飲んでいる!お前に敗けないくらいだ!

 と豪快に言っていた、と。

 東原と滝内はハイタッチで喜んだ。的場がその2人を見つめて、さも自分のことのように何度も頷いていた。ドクターもキングに仕事仲間の窮地を相談できて、喜んでいるようだった。

 トシちゃんとレイもつられて、一緒になって喜んでいた。

 にぎやかに時間が過ぎていった。その後お開きとなり、東原と滝内は帰って行った。帰り際、矢上は東原と明日10時に室(へや)で会う約束を決めた。

 東原たちが帰った後、矢上は的場と、大和田の件でドクターと細かな打ち合わせおこなった。


 真金町に帰ってから1階のテーブルで、矢上達は東原と滝内の話しをしていた。

 好きなブランデーをオンザロックにして、手のひらでグラスを転がしながら、静かに矢上は持論を話し始めた。

 「俺の勘だが、東原は藤崎統制官から、俺たちの手助けを買って出てくれないか、と言われたんだと思う」

 「えっ!そんな……」

 「藤崎統制官が、東原ならきっと俺たちの役に立つと思った、そして東原に命じた。自ら矢上に申し出ろと。しかもこのことは誰にも言うなと釘を刺したと思う。東原は、以前からお前に憧れている滝内を巻き込み、このことを話した。お前に憧れていた滝内は、2人で直訴しようという東原の考えに直ぐに承知をした。東原が話したこと自体に嘘はなかったと思う。俺のことは過大評価をし過ぎているようだったが、本音を語っていたと思っている。自分の気持ちをぶつけてきた。だから俺も異を唱えず、東原の話を聞いていた。そして東原と滝内をチームとして気持ち良く迎えてやろうと思った。何よりあいつらがお前のことを大事に考えてくれていることも良く分かったし。

 全ては藤崎統制官の、あの狸親父の描いた絵の通りになった訳だ。あの人は、俺とお前が決して自分の前で弱音を吐くことはないと思っているんだろうな。だから東原そして滝内に白羽の矢を立てたと思う」

 的場が矢上の顔を覗き込んだ。そして小言を言った。

 「最初から、そう思っていたの?」

 「おそらく、そうじゃないかな、と思った。叩き上げの刑事(デカ)が自分から上司に向かって、自分にこの仕事をさせて下さい、などとは口が裂けたって言わないと思った。ましてやあの東原が」

 的場が言った。

 「藤崎統制官も怖いけど、矢上さんの方がもっと、もっと怖い……」

 酔いも手伝って、的場は感傷的になっていた。

 鋭利な頭脳を持った藤崎の下で仕事をしてきていたから、まだまだ未熟だとしても、それなりに厳しい状況も踏んできたと、的場は思っていた。「もっと考えろ」「何故そう思う?」「自分が思ったことをやってみろ」と藤崎に叱咤激励されていた時は、ひたすら目の前にある事実を追いかけ、自分なりに手掛かりを見つけては藤崎に報告する、真面目な捜査員だった。的場の報告が藤崎の及第点に達すれば、藤崎は「良くやった、この調子でやれ」と背中を押してくれるのが常だった

 これまで才女と言われてきた自分の頭脳でも分析できないことを、何故この人は分析できるのだろう。東原たちにそんな事情があるなんて、想像もしなかった。何も知らないかのように飲食を愉しみ、和気あいあいとしていた陰で、そう考えていた矢上に対して的場は畏怖の念を抱いた。その一方で、誰に対しても矢上は低姿勢で、トシちゃんにさえ人がいいと言われていることに、的場は親愛と尊敬の念も抱いていた。

 自分でもどうしたいのか分からない感情になり、思わず的場は矢上のワイシャツの袖を強く握りしめた。

 「おい、2階にレイが居るんだぞ」

 「大丈夫、レイなら」

 長くなりそうな夜だった。的場は、矢上といつまでもこのままずっと、2人の世界に浸っていたかった。

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