チャプター16

 『微風そよかぜ』の店内で藤崎は1人で飲んでいた。

 2人の顔を見るなり言った。

 「まぁ、座れ。どうだった?」

 と2人の顔色を窺った。矢上と的場は思案した様子で顔を見合わせた。

 「女将なら大丈夫だ。他には漏れる心配はないから話せ」

 矢上は報告した。

 「江の島ヨットハーバーに係留されている米山所有の船が、何者かにより襲撃を受けたようです。昨晩から今朝にかけて、おそらく拳銃で撃たれたと見られる銃創が3箇所発見されました。米山の船を操縦したのが誰かは判然としませんが、現場の状況から判断すると、その誰かが操縦していたのではないかと思います。そして、どこかに停泊していた際にはじかれたと思います」

 「なぜ、そう判断した?」

 「一つは銃創が正確に狙いをつけて船を撃った形跡があったからです。もう一つは今朝ヨットハーバーに泊められていた場所がいつもの定位置ではなく、かつ、その場所の周辺には薬莢が残ってはいなかったこと、それに採取された足跡の数量が少なかったことを勘案して、船は別の場所で被害に遭ったと考えた方が良いと思います」

 「分かった、他には?」

 「ヨットハーバーで米山を最近見たという管理事務所の事務員からの情報を的場が入手しましたので、的場から報告してもらいます」

 的場が話し出した。

 「ヨットハーバーの女性事務員で大井川陽子という人からの情報です。仕事の用事を済ませて、銀行から事務所へ戻っている時に、米山が誰かと一緒に車に乗り込むところを見たということです。その男が運転していて、米山が助手席にいたと言ってました。

 男が運転していた車はポルシェだったと言ってます。マークのPORSCHEを見たので間違いないと。車のナンバーは平仮名で3文字だったようだとも答えていました。後日、もう一度その大井川に会って、管理事務所に備え付けてある駐車車両が記載されている簿冊ぼさつの閲覧をお願してあります」

 矢上が補足した。

 「的場が機転をきかせて、大井川の証言をもとに、ポルシェを運転していた男の似顔絵を描きました」

「分かった。2人共ご苦労さん。さぁ、飲もう。駆け付け3杯だ。女将、2人に注いでやってくれ」

 2人の酒が用意され、藤崎は「乾杯」と音頭を取ってから次のように聞いた。

 「どこから始める?」

 「拳銃発砲事件とヨットハーバーで米山と一緒にいた男の追跡捜査を優先します。拳銃発砲事件は地取り捜査を行うつもりです」

 地取り捜査とは、警察の犯罪捜査のうち捜査対象地域を決めて、その地域の住民などに聞き込みを実施する方法のことである。

 「的場が描いた似顔絵の男を追います。そして、身体特徴からの前科前歴照会を掛けてもらいます。また、大井川が供述した車の情報をもとに、江の島内の聞き込みの徹底と、ポルシェのカタログを入手してその車種と車両ナンバーの特定などの追跡捜査を考えています。

 米山と一緒にいた男の捜査は的場に任せたいと思っています。拳銃に関しては自分が動きたいと考えています。それからこれはお願いです。車をもう1台用意して頂きたいと思います。お願いばかりで申し訳ありませんが」

 「分かった。明日の午後には用意をさせる」

 矢上はさらに次のように付け加えた。

 「車は、後部座席の両サイドと後部のガラスにフィルターを貼付したものをお願いしたいのですが」

 「見られては困る物を置くためか?」

 「はい、そうです。車内で直ちに使用する準備をするためにです」

 「拳銃捜査なら当然だが、分かった」

 「それから」

 「まだ、あるのか?」

 「はい、拳銃使用の判断を事後報告することを許して下さい」

 「当然、判断は任せるが無茶だけはするな。これだけは約束してくれ」

 「ありがとうございます。万が一の時のためにです。1人で敵地に乗り込むことはしません。必ず応援要請をします」

 藤崎が念を押すように言った。

 「必ず、それだけは守ってくれ」

 藤崎のトーンが明らかに下がっていた。的場も女将も幾分か、顔色が蒼ざめているように見えた。

 藤崎は先に1人で帰って行った。遅れてから2人も店を出た。

 外は薄墨を流したような夜空だった。一緒に歩いていながら矢上と的場の間には夾雑物きょうざつぶつが入り込んでいた。

 沈黙を破るかのように、的場が言った。

 「なぜ、わたしを拳銃捜査から外そうとするんですか?」

 「拳銃の内偵捜査には無駄が多い。それに江の島からの捜査の方が犯人への近道だとも考えている。だから手分けして、的場には大井川とのやり取りと、的場が描いた似顔絵の男の前科前歴の照会に注力してほしい」

 「それだけですか?本当にそう思ってるんですか?だったら一緒に近道からやればいいじゃないですか。一緒じゃないと嫌です。わたし、相棒じゃないんですか?危険だから外すんじゃ、わたしのこと、信じてないと思うしか……」

 的場の目に悔し涙がにじんでいた。観念して矢上は言った。

 「分かった。済まなかった。手分けはするが、拳銃の捜査を1人だけでやることはしない」

 「分かりました……」

 と言ったきり、的場は下を向いてしまった。歯を食いしばってこらえていたが、悔し涙があふれてしまったようだ。嗚咽している的場の頭が、矢上の胸元で小刻みに震えている。

 矢上の本音は、拳銃捜査は闇世界からの情報入手が確実で手っ取り早く、そうした情報を得るには1人で行動する方が都合良いと思っていた。しかし、そんなことを今の的場に説明しても、捜査経験が若いゆえに、ただ単に捜査から外されたとしか思えないだろう。だから、矢上は回りくどい屁理屈を並べてみたのだ。

 ただ、これ程までに的場が拳銃捜査に感情移入していることに、矢上は正直閉口していた。

 優しく的場の頭を撫でてやることしか、矢上には出来なかった。



 男は、海の公園で朝日の昇るタイミングを見計らっていた。

 男にとって金沢八景の海岸線から日の出を撮影することは、日々の激務を唯一忘れさせてくれる、大切なルーティーンとなっていた。

 季節によって日の出の時間は変わるが、今の季節は6時40分くらいに日は昇り始める。男は、まだ薄暗い水平線を眺めながら、今か今かとその瞬間を待ち構えていた。これまではフィルムカメラのみで撮影していたが、今日は、新しく購入したデジタルカメラも使うつもりで、準備を万端に整えていた。

 男が日の出を撮影するようになったのは、大学2年生の頃からだった。年の離れた姉が、結婚を機に横浜市金沢区に移り住んでいたので、地方から横浜にある大学へ進学することを選び、大学卒業するまでは、姉の住む町の近くに住んでいた。

 時々、姉の子供達の面倒を任されることがあり、大学が休みの日には良く海の公園や野島公園へ遊びに来ていた。ある時、海の景色を撮影している年配の男性と知り合いになり、カメラの話をしているうちに、この辺りは日の出の撮影もなかなか良いと勧められ、男も興味を持ったのだ。

 その頃はまだ安いフィルムカメラだったが、段々と趣味は高じていき、少しずつ良いカメラに買い替え、この辺りの公園や海岸に足繁く通ううち、季節で変化する日の出を記録的に撮影することが何よりの楽しみとなり、ついには毎週末に日の出を撮影しに来るまでになった。


 その日も、新しいカメラを試す以外はいつもの週末と同じだった。

特別、何も変わることはなかったが、もう少しで日が昇るという時になって、少し離れた海岸の方が騒がしくなった。何やら声がする。それも1人ではない。怒声交じりに会話しながら、数人の男たちが海岸から駆け上がってくる。日の出を撮影していた男は、覗いていたファインダーから視線を外し、何となくその男たちを見やった。冬の朝、散歩する人さえほとんどいない、こんな時間に何事かという気持ちだった。しかし、見るからにガラの悪そうな集団だったため、慌てて視線をファインダーに戻した。戻そうとした瞬間、1人の男が自分を睨んでいることには気付いていた。

 居心地の悪い思いはしたが、ただ睨まれただけで因縁を付けられたりすることもなく、その集団は走り去って行ったので、その後は特に気にも留めず、再び男は日の出の撮影に集中した。


 1週間後、男はまた日の出を撮影しに来た。今日も、前回と同じロケーション、同じアングルで写真を撮ろうと思っていた。先週デジタルカメラで撮った写真には満足できなかったので、この1週間自宅でいろいろと試し撮りをした。試し撮りの通りに撮影すれば、自分の望む写真になるかだろうか、とあれこれ考えながら準備をしていた。

 男は気付かなかった。先週、自分を睨みつけていた人物が近くにいることに。


 いつものように撮影を終えて、男は車で自宅に帰った。その後を誰かに尾行されているとは、全く想像もしていなかった。

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