チャプター15
山手警察署から駐車場に向かって歩いている時、矢上に電話が入った。江の島ヨットハーバーの川上からだった。
「米山さんの船が、昨晩から今朝にかけて動かされたようです。それに船にいくつかのキズもあります。とりあえず矢上さんに見てもらった方が良いと思って連絡をさせて頂きました」
矢上は直ぐに藤崎に連絡を入れた。ヨットハーバーに係留されている米山の船が動かされていて、その船にキズがあるとの情報が入ったのでこれから的場と2人で向かうことと、この現場指揮を東原に任せたい、と言った。
藤崎は即答だった。
「お前に一任する、そこが終わったら打ち合わせをしたいので2人でこちらへ来てくれ」
藤崎との電話が終わると直ぐに、矢上は東原へ電話をした。
江の島ヨットハーバーに係留している米山の船が昨晩から今朝までの間に使用されてあったこと、そしてその船に数箇所の損傷があることを話し、現場指揮を頼んだ。待ち合わせはヨットハーバーの事務所前でと。自分たちは山手警察署から向かうと言って電話を切った。
東原は、準備が整い次第向かうと言っていた。
的場に運転を頼んだ。的場は聞いた。
「はい、どの道で行けば良いですか?」
「一般道から狩場へ、そこから横浜横須賀道路に入って朝比奈インターで下り、逗葉道路から国道134号線で江の島に入ろう」
ハンドルを握ったまま的場は、分かりましたと答えた。
しばらくして電話が入った。東原だった。
「10名で向かっています。首都高湾岸線が混んでいるとのことで、第三京浜道路から横浜新道へ入ります。藤沢市内から134号線に入ります」
「藤沢市内から国道134号線へ入るよりも国道1号線で藤沢橋交差点から江の島へ向かった方がはるかに近道だ。藤沢橋交差点に渋滞表示が出ていたら、手前からサイレンを
と、矢上は指示を出した 。
「はい、そうします」
「マンションの男の似顔絵をヨットハーバーの管理事務所の職員に
「そうですね。わかりました」
矢上たちが待ち合わせした管理事務所前に到着して直ぐ東原達も到着した。矢上は的場と2人で管理事務所に入った。受付の事務員に挨拶をして川上を呼んでもらった。
川上はにこやかに右手を軽く挙げて階段を下りて来た。
「お忙しいところ申し訳ありません」
川上は軽く頭を下げて言った。
矢上も笑って言った。
「専務に申し訳ありませんが、立会人になって頂いても宜しいでしょうか?」
「はい、
歩きながら矢上は、東原警部以下10名の捜査員のいる前で、必ず立会人にする手順通りの形式的な確認を、川上に行った。
「管理下にある敷地内に侵入され、顧客から預かっている船舶を無断で使用され、そして同船舶を器物毀棄された被害に対し、管理者側からの届出により実況見分を行います」と川上に向かって言った。
「川上専務、今の内容に間違っている箇所はありますか?間違っていれば訂正致しますが……」
「間違っていません。その通りです」
「ありがとうございます。では以上の容疑によりまして、管理者からの届け出に従い、令状によらない任意での実況見分を実施させて頂きます」
と矢上は宣言した。
その後、東原を川上に次のように紹介した。
「彼が本日の実況見分の責任者である東原警部です。これから彼の指揮により始めさせて頂きます」
東原は一歩前に出て川上に会釈した。川上も同じように会釈をした。
そうして実況見分が始まった。
被害の船舶を前にその横で、「日時」「場所」「立会人の氏名」を記載したボードを立会人に両手で持ってもらい、正面からのアングルで写真撮影して作業はスタートした。
写真撮影が終わって足跡と指紋の採取を開始した。
実況見分が始まるのを見届けた的場は1人で管理事務所に戻って行き、従業員一人一人に似顔絵を見せながら、ここ最近、米山の姿を見ていないかと尋ねて回った。
1人の女性に的場が似顔絵を見せ、同じ質問をした時だった。
「この似顔絵の人は知りませんが、米山さんは最近見掛けましたよ。わたしが見た時、米山さんは誰かと2人でした。確か車に乗って出るところだったと思います。運転していたのがその誰かで、米山さんは助手席側にいました。わたし、銀行から戻って来る途中だったんです。米山さんの姿をお見掛けしたので、わたし、会釈をしました。でも米山さん、わたしに気が付かなかったようでした。なんだか、その2人は揉めているという感じに見えました。」
的場はさらに詳しく聞いた。
「もう1人の男性は、あまり背の高くない、何か陰気な感じのする人でした」
すぐさま、的場は矢上の携帯に掛けた 。
「重要な証言が得られました」
と簡単に言って、直ぐに切った。
急いで矢上が船舶の見分場所から飛んで来て、顔を出した。
矢上はまず的場から話を聞いた。的場の説明に矢上は幾度となく頷いた。
その女性事務員にお願いをして、米山とその男を見たという場所へ案内してもらった。
そして直ぐに矢上は東原へ連絡を取った。
「米山が最近ここを訪れていて、その時一緒だった男の情報があった。状況を確認したいから、撮影者を連れて管理事務所の来客用の駐車場に来てくれ」
「分かりました。直ぐに向かいます」
証言をしてくれた女性事務員は、大井川陽子と言い、ヨットハーバーの管理事務所で一般事務をしているとのことだった。
今度は大井川を立会人として米山達を見たという場所の実況見分を実施した。
見分が終了してから、改めて矢上は大井川に話を聞いた。
大井川によると、男が運転していた車は外車で、車種はポルシェだと断言した。車のマークのアルファベットの文字『PORSCHE』を見たので間違いないと言った。ここの顧客はお金持ちが多く、外車で来る人も多いので、以前から外車のエンブレムは良く知っていたと説明していた。矢上が車のナンバーについて尋ねると、大井川はあまり良く覚えていないが、左上の地名は平仮名で3文字だったような気がすると答えた。男の特徴については次のように答えた。
「年齢は50歳から60歳くらい。身長は160センチくらいじゃないかしら。米山さんの身長は分かりませんけど、川上専務と並んでいてもそんなに変わらないように見えましたから、多分170センチよりちょっと低いくらいじゃないかと思うんです。外車を運転していた男は、それより10センチは低く見えました。顔ですか?――そうですね、目が細く陰気な感じ、頭髪はスポーツ刈りが伸びたくらい。服装は淡い青色のスーツで、何だか不良かヤクザみたいな、先が尖った靴を履いていたました」
的場が大井川に聞いた。
「車を駐車される方は、事務所に備え付けの
「簿冊って台帳みたいなもののことですか?それなら、来客名簿があって、いらっしゃった時に皆さんに記入をお願いはしますけど、書かない方もいます。ですので、100%書かれている訳ではありませんが、1年間分は保管することになっていますので調べることは出来ます」
「ぜひお願い出来ますか?」
「分かりました。後日、そのことで連絡をさせて頂いてもよろしいですか?」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
改めてこちらかも連絡をすると言って、名刺を大井川に渡した。
駐車場の見分を終え、先に船舶の見分場所に戻っていた東原から矢上に連絡が入った。
矢上達が急いで戻ると、現場では一通りの写真撮影を終え、詳しくキズを調査するため、米山の船は陸に揚げられていた。キズを指差しながら東原が言った。
「船に3箇所の凹損部位があります。警視は何だと思われますか?」
矢上は丁寧に1箇所ずつ覗き込んだ。的場にも目で合図をした。
「銃創だな、おそらく」
東原は頷き、
「やはり……」
と言った。矢上は、米山のマンションでの捜査手腕を見ただけで、東原は拳銃の知識と拳銃がらみの捜査の経験がかなりあると確信を持っていた。それを証明するかのように、矢上が多くを語らずとも東原には通じていた。
的場は矢上と東原の顔を交互に見た。
東原は捜査員に指示し、その3箇所に黒色矢印を貼付《ちょうふ》させた。
3箇所とも操縦席側の右舷(スターボードサイド) にあった。
矢上が東原に言った。
「キズを見る限り弾は後方から発射している。あくまでも脅しだろうが」
海上を航走している時に、動いている船の上の人物を狙って銃で撃っても、そうそう命中するものではない。ましてや3発も弾痕があるので、威嚇したのだろうと、矢上は言った。
東原は頷き、
「はい」
と答えた。
3箇所の凹損部位は全てシリコンラバーで採取した。シリコンラバーを使っての弾痕採取は、損傷部位の形状から、次のようなことを判断する。一つは、同一拳銃から発射されたものか否か、次に、拳銃の種類を特定するための絞り込み、そして、過去における関連事件の弾痕との照合だ。
その3箇所以外、銃創と思われる損傷は見当たらなかった。
矢上が東原に言った。
「
薬莢とは、弾丸を打つのに必要な火薬を詰める真ちゅう製の小型の筒型の容器のことである。
「いえ、船の周囲
「じゃ、
「はい、そうだと思います。弾いた奴が用意周到で、きれいに回収していなければ……」
今度は矢上が頷いた。そして言った。
「やはり、船舶が走行している時に弾いたとは考えにくいな」
半ば独り言のようだった。
東原も矢上の考えに同調するように頷き、そのやり取りを目の当たりにして、的場は別の世界の映画のシーンを観ているような気持ちになっていた。それほどこの刑事(デカ)達の話は自分とはかけ離れた会話のように感じてしまった。
矢上の話しは続いた。
「こんなに船体に3発も命中する訳がないから、ほぼ停泊している時に弾いたと考えて良さそうだな。ダメもとでも薬莢探しが必要だ」
ここも一つ、統制官の力を借りるしかないな、と的場と東原に向かって矢上は言った。
いくつかの継続捜査を残して一旦、引き揚げることにした。
矢上と的場が、東原達に向かってお礼を言った。東原は捜査員達を代表して 、
「とんでもありません」
と恐縮をしていた。
川上と協力をしてくれた人たちにお礼を言うために、管理事務所に改めて行った。
そこで、的場が大井川に言った。
「大井川さん、ポルシェを運転していた男の顔を教えて頂けますか?」
大井川は、
「はい亅
と、的場の顔を緊張した面持ちで見詰め、返事をした。
的場はノートと鉛筆を取り出し、大井川が的場の質問に答えるかたちで似顔絵を描き始めた。
すらすらと描いている的場の様子を見て、事務所内の職員たちが釘付けになっていた。
一通り描いてから、大井川に見せたところ、
「はい、とても良く似ています亅
と驚いて返事をした。
「ご協力ありがとうございました亅
的場がお礼を言った。
的場の絵の心得は確かだ、と矢上はそう思った。
川上と職員たちに協力してくれたお礼を言ってから事務所を後にした。
「お前の絵心は大したもんだな亅
矢上は感心して、そう言った。
「いえ、子供の頃から漫画を描くことが好きだったので。ただ、出しゃばったことをしてしまっていたらと、少し後悔していたんです亅
「いや、鉄は熱いうちに打て、と言うように、記憶がしっかりしているうちに作成するほうがいいに決まっている亅
「そう言ってもらって、ほっとしました亅
矢上は、統制官の眼に狂いはない、と改めてそう思った。
イグニッションキーを的場から受け取り、矢上は、自分が運転すると言って車を発進させた。
運転を始めてからしばらくして藤崎へ電話を掛けるよう的場に指示し、終了したので、今そちらへ向かっている、と伝言してもらった。
藤崎は、警察庁に到着したら、車を置いてから、『
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