チャプター13

 翌日、矢上と的場は午前中に裁判所へ行った。令状は直ぐに出た。

 現場で待機している一次的現場処理班の捜査員に許可状が出たことを裁判所の出入口の階段下から電話で告げた。事前の打ち合わせ通り、マンション管理人に管理室で待機して頂くようにと付け加えた。

 マンションへ向かう車内で、これから話すことは自分の本音だとして、矢上は的場に言った。

 「恐らく99パーセント、室内はもぬけの殻だと思っている。が万が一、米山が死体となって発見されたとなれば、明らかに自分の読みが外れたことになる。これは大失態である。その時は潔く責任を取るつもりでいる。的場には嫌な思いをさせることになるだろうが、決して自分に追随ついずいすることだけはしないでもらいたい」

 矢上は、米山のマンションはもぬけの殻だと確信してガサに踏み切ることにした。つまり、そこには誰もいないという前提で捜査・差押(ガサ)の許可を取ったのだ。ガサ状の請求は簡単に出るが、もし死体があれば、別の手続きが必要となり、場合によっては判事から説明を求められる。そうなると、ガサの執行は中止となり、藤崎を始め、捜査に係わる人員に多大な迷惑を掛けることになる。そして警察庁の面目も潰すことになる。

 そのようなことを引き起こしたら、責任者として進退問題にせざるを得ない失態である。矢上はそう覚悟を決めていることを的場には説明しておきたいと考えた。

 的場がきっぱりと反論した。

 「わたしはロボットじゃありません。矢上さんの主張は正論だと思っています。だから付いて来たんです。もし間違っていると思ったら、違うと言います。わたし、相棒じゃないんですか?相棒だと言ってくれたじゃないですか、違いますか?」

 的場は熱くなっていた。

 「分かった。余計なことを言って、済まなかった」

 矢上は前を向いたままでそう言った。矢上を100パーセント信頼するという的場の覚悟を見た気がした。そして矢上は、的場を必ず守ってやろうと思った。いつか的場に、矢上以上に信頼する相棒が出来るまで。

 的場が尋ねた。

 「室内に米山がいないとなると検証が必要となりますよね」

 「勿論、直ちに捜索・差押・許可状が必要になる」

 矢上にとっては、ここに米山が潜伏している気配があるかどうかが最も重要な確認事項であったので、敢えて検証までする必要はないと考え、手続きが簡単な捜索・差押のガサ状を請求したのだ。ガサ入れしたあと、山手警察署に捜索・差押・の執行を任せれば、太田署長への手土産にもなるだろうと考えてのことでもあった。

 「じゃ許可状の請求の手続きをするんですね。容疑は?」

 「連れ去られたと考えて、逮捕監禁及び殺人の容疑でと思ってんだが……」

 「わたしもそれで良いと思います」

 矢上は相談した。

 「捜索・差押・の執行は全て山手警察署の太田署長に投げようと思ってるんだが、的場はどう思う?」

 「いいんじゃないですか、署長さん、喜ばれると思いますよ」

 「よし、現場で確認次第、統制官にお願いしよう」

 ようやく相棒として信頼されたような気がして、的場はにこやかに、「はい」と返事した。


 米山のマンションの玄関前に矢上と的場、現場の実施責任者として一次的現場処理班の東原警部とその班員数名、一般人としてマンションの管理人が集合していた。矢上と的場は管理人に頼み、ガサの執行の前に、持って来ていた作業着に着替えた。

 13時ちょうどにガサを開始した。

 ガサの実施には立会人が必要であり、今回はマンションの管理人に依頼していた。米山の自宅に入室する前に玄関前に矢上と立会人である管理人が向かい合わせになり、矢上がガサ状を立会人に示し、令状の内容を説明している状況を写真撮影してから始まった。

 写真撮影者は1名で、撮影者は一空間、一部屋ごとに28ミリの広角レンズカメラでパノラマ撮影をし、撮影が終了した所から青色のビニールシートを敷いていった 。全ての写真撮影が終了した。撮影者の直ぐ後方に矢上、的場、東原と続いた。

 室内はもぬけの殻であった。矢上の横にいた的場が矢上の左腕を握った。的場には矢上が頷いたように見えた 。

 矢上が東原に、

 「室内の状況を統制官に報告するので一担部屋から出るけど、捜索と差押は実施してくれ」

 と言って的場と2人で、乗ってきた車に戻り藤崎に報告を始めた。

 室内隈なく確認したが、もぬけの殻だったこと。写真撮影が終了したのでガサを実行することを報告した。その他に捜索・差押・許可状を速やかに請求しなければならないと言ってから、請求署は発生地を管轄する山手警察署に任せたいと話をした。藤崎が任せる理由を尋ねたので、今後の捜査本部(ちょうば)事件を視野に入れると発生地が得策だ、と矢上は回答した。

 電話の向こうで藤崎は、

 「分かった。任せる」

 と言った。

 続いて太田署長にその旨を連絡すると、喜んで受けさせてもらうよ、と上機嫌であった。

 現場に戻った。

 さすがに現場慣れした手合いのプロ集団だけにガサの進行状況は鮮やかだった。

 東原警部が矢上と的場に声を掛けた。

 「こちらへ来て下さい」

 と言われて 東原警部の後をついて行った。

 「これです」

 東原警部が指を差した先は本棚の隅に落ちていた黒色の一片だった。

 東原が言った。

「ここも立会人を入れて計測し、写真撮影もしてあります」

「採取してビニール袋に入れてもらえるかな?」

 東原は矢上にビニール袋の中の物件を手渡した 。

 「明日、科捜研(科学捜査研究所)の銃器課へ持って行って調べてもらった方が良いかも知れないな。ルガーLCP拳銃の撃鉄に酷似しているように見えるし、良く分からないが」

 「分かりました。そのように致します」


 現場は滞りなく終了した。マンションの管理人には丁重にお礼を言った。

 東原と現場で別れ、矢上と的場は作業衣のまま車に乗った。

 的場が言った。

 「矢上さんがおっしゃる通りでしたね亅

 「そうだな、これで署長との義理掛けはウィンウィンになった訳だ亅

 「いいんじゃないですか。署長さん、喜ばれると思いますよ亅

 車のエンジンを掛ける前に、さらに的場が聞いた。

 「ルガーLCP拳銃ってどんなんですか?」

 矢上は銃器の研修会で知ったことを説明した。

 「研修会で聞いた受け売りだけどね。380ACPのサブコンパクトピストルというやつで、簡単に言うと軽量コンパクトなので携帯しやすいところから人気が出たそうだ。一番出回っている代物らしい。詳しくは知らないけど、名称だけは覚えている」

 車は走り出していた。今日は、矢上が思い描いていた通りの現場だった。が、下命されていることは米山が生存しているという前提でのことだから、もし米山が殺害されたとなれば、次はその殺害した者を捜さなければならない。先ずは米山を拉致・逮捕・監禁した不逞の輩を突き止めなければならないと、矢上は思った。

 巡回連絡に来た警察官に顔を出し会話した犯人に、前科前歴はないと考えておく必要もあるかも知れない。犯人を特定するための常套手段として、似顔絵を作成しそれをもとに捜査をするのだが、しかし似顔絵は作成する者の意図が反映してしまうことが往々にしてあり、果たしてどれだけ有効性があるだろうか?と矢上は思っていた。

 的場が聞いた。

 「もう一つだけ教えて下さい。拳銃の部品って、そう簡単に取れたりするんですか?」

 「拳銃は数種類の部品を組み立てて作っている方法が一般的なやり方だな。だから取れたんじゃなくて、最初から部品だけが落ちていたと思った方が良い。拳銃の製造の工程では、複数の工場に部品の発注をする。注文を受けた工場は、何に使う部品かは分かっちゃいない。明らかに拳銃だと疑われる部位の部品は企業舎弟の息が掛かった工場で製造している。拳銃の製造の最後の工程はこれらの部品を一つの所に集めて組み立てるんだ。だから……そうか、的場!……このマンションは拳銃組み立てのために借りたんだと考えれば、室内で採取したぶつがあっても不思議じゃない。おい、的場!でかしたぞ」

 矢上は興奮気味だった。

 「じゃ、米山は殺害されてはいないと?」

 「いや、米山は100パーセントこの世にはいないと考えた方が良い。米山をかたった奴は、警察官に顔(めん)を見せ、会話まで交している。奴なりに勝負を賭けた。だからこれだけの危険を犯したんだ」

 的場は頷いた。

 矢上は言った。

 「明日、午前中に手土産を持ってマンションの管理人に今日の立会のお礼に行こう。その時にマンションへ物流関係の車両が複数回来ているのを見たことがあるかどうかを聞いてみよう。瓢箪から駒が出るかも知れんしな」

 「分かりました。用意しておきます」

 と、的場は明るく答えた。

 矢上は車を路側帯に寄せて止まった。

 「トシちゃんに電話したい。運転を代わってくれるか?」

 「ええ」

 的場は助手席から降りて運転席へ回った。

 矢上は携帯電話を持ったまま助手席に移った。

 「店は何時に入る?……うん、じゃその頃に行く……拳銃(チャカ)の件」

 トシちゃんは6時には店に入っていると言っていた。用件は?と聞かれたので拳銃の件と話した、と的場に告げた。

 もう一件、矢上は電話を掛けていた。ドクターに米山に関する情報はないのか、と聞くためだった。ドクターはトシちゃんの店に顔を出すと言っていた。

 電話が終わると矢上は運転を代わろうかと言ったが、的場は「大丈夫です。運転するの、嫌いじゃないから」と返した 。

 矢上が言った。

 「今日、俺は真金町に泊まろうと思うんだけど、的場も泊まっていくことはできないかな?今回の件で、お前の意見を聞いてみたいことがあるから」

 「ええ、わたしも泊まっていこうとかと思っていました」

 「悪いな」

 矢上は言った。


 矢上は的場と2人でトシちゃんの店に入った。トシちゃんに会って、薬物と拳銃の情報を、そして後から入店して来たドクターには、米山に関する情報を探して欲しいとそれぞれに頼んで店を早目に出て行った。

 真金町の家に帰って来て、的場と一通り意見を交わした後、矢上は1階奥の和室6畳間に床を敷いた。的場はレイと2階を使っていた。

 矢上は、何か事件の筋読みに見落としはなかったかと考えているうちになかなか寝つけなくなってしまい、寝床から起きてしまった 。

 以前買っておいたブランデーを台所に取りに行き、1階のリビングルームのソファに座ってオンザロックにして飲み始めた。

 しばらくすると2階から的場が下りて来た。

 「わたしも付き合っちゃおうかな」

 そう言って、舌を出した。

 的場はグラスに氷を入れて持って来た。そして矢上の近くのソファに座った。

 矢上がブランデーを注いだ。乾杯をした。

 「わぁ、美味しい」

 思わず的場が声を出した。

 この空間でこのままずっと矢上と2人だけの世界に浸っていたいと思った。時がいつまでも止まっていてくれればと。的場は矢上と酒を酌み交わす余韻を楽しんでいたかった。

 この人はわたしに優しくて、とても親切に接してくれる。でもそれはわたしにだけじゃない。そう思うと少し不満だった 。

 藤崎から受け取った矢上、平泉、大場等のプロフィールを母に見せた時、母は矢上を指差した。人として信頼出来るからこの人に決めなさいと。でもそれが良いかどうかは、恵美ももう子供じゃないし、最後は自分で判断なさい、と言ったことを思い出した。もう子供じゃないし、と小さく笑った母の言葉の真意は、もしかするとこういうことだったのかも知れない。

 ブランデーの心地良い酔いが少し回っていた。

 矢上が言った。

 「さっきの続き聞いてもらって良いか?」

 ほろ酔いだった的場は思わず固唾を呑んだ。矢上の次の言葉を待った。

 「マンションは太田署長に任せたので良いとして、米山の会社は都内だし、警視庁でガサ状を請求した方が良いだろうと思う。会社の決算書、そして裏帳簿を差押えして調べないと。この捜査は俺たちの主導でやりたい。そして現場の指揮は東原警部にやらせたい。今日、現場での采配ぶりを拝見させてもらったが、彼の目線は手慣れていた。プロの捜査員と思ったね。」

 プロはやはりプロを見極める眼力が備わっているのだろうと的場は感心した。

「といってもまぁ、警視庁に捜査共助を依頼するは簡単じゃないな。そもそも神奈川県警と警視庁はあまり良好な関係じゃないし。しかも有名な米山孝雄に係わる事案だから、きっともっての外と騒ぎになる。そんな時に藤原統制官の力が必要なんだ。」

 矢上は続けた。

 「俺はね、今の警察組織の形態は決して間違ってはいないと思っている。キャリアはキャリアとしての役割を果たしてくれれば良い。ノンキャリアはノンキャリアとしての土俵の上でしっかりと戦えば良いんだと思う。両輪の関係をきちんと遵守していればね。

 俺は藤崎統制官を誤解していたかも知れないと反省している。あの人は純な気持ちで両方の距離を縮めようとしていると思う。だからキャリアを現場に出させ、現場の捜査員の苦労を分かってやれる指揮官になってもらいたいと真剣に考えている。これは彼の優しさから出た本音だと思う。でも俺はちょっと違うと思う。人への思いやりや優しさは現場に出たから分かるとかじゃない、その『人』の資質かなぁ、と思う。その人の『心根』は、人が人と接して自分で養っていくものだと思っている。

 現場に出て的場に会得して欲しいのは、一つのチームとなって捜査をやっている場面で、指揮官の務めは捜査員の個人個人の力量を把握して、誰に何を任かせれば良いのかをしっかりと見抜く目だ。人にはそれぞれの器がある。大きいのもあれば小さいのもある。その器に合った範囲内で仕事させてあげること。そうした采配を振るえる指揮官に育って欲しいと思ってる。一流の選手が全て、一流の監督やコーチになっている訳じゃない。けれど的場には一流の監督やコーチになって欲しいと俺は思っているし、そうなれると信じている 。

 藤崎さんから頼まれた以上、俺はお前を誰よりも素晴しい指揮官に育ててみたい。

 藤崎さんと俺とは山の登り方は違うかも知れないが、山へ登らせて遣りたいと言う気持ちは一緒だと思っている。藤崎さんは仕事を任せたら余計な口は出さない。素晴しい指揮官だと思う。現場の経験がないなどと間抜けな奴が言うかも知れないけど、あの人はあの人なりに哲学を実践していると思っている。」

 そこまで言って、矢上は一息ついた。

 「喋り過ぎてしまった。もう一杯だけ飲んで休もうか」

 もう的場は涙が止まらなかった。ただ頷くことだけで精一杯になっていた。自分はどんなことがあってもこの人にずっと付いて行こうと改めて誓っていた。

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