チャプター10

 翌日、矢上は米山のマンションを管轄している交番へ、その近くにあるスーパーの駐車場に車を止めてから行った。対応した巡査は若かった。

 約束の時間に訪れたら、交番の入口は開放されていた。地域課長から前もって知らされていたのだろう。若い巡査は矢上の顔を見るなり、椅子から立ち上がり敬礼をして迎えた。矢上は軽く頭を下げ、手帳を出した。

 巡査は、

 「課長から聞いております。これが米山さんの巡回連絡カードです。コピーを取っておきました」

 そう言って巡査は原本とコピーの両方を提出した。

 矢上は礼を言ってから巡査に聞いた。

 「米山さんの受持ちはあなたですか?」

 「はい、自分であります」

 巡査は緊張しているのだろう。返事がまるで軍隊言葉のようになっていた。

 矢上は確認した。

 「このカードは、米山さんの直筆ですか?」

 巡査は、

 「違います。米山さんの面前で、私が書きました」

 と返事をした。矢上は米山の顔写真を巡査に見せた。川上から受け取った写真をタッチャンたちが手分けして、一人一人の人物ごとに名刺の2倍くらいの大きさの手札版に撮り直しくれたものを矢上は持参していた。巡査は即座に応答した。

 「違います。私が会った米山さんではありません」

 マンションにいたのはダミーか!と矢上は心中で叫んだ。

 「その時、マンションの部屋にはその男1人で居ましたか?」

 「いえ、正確な人数は分かりませんが、奥に誰か居たように思います」

 取り敢えず巡査にお礼を言って交番を後にした。

 矢上は、車に乗る前に太田署長の携帯に連絡し、そして地域課長には加入電話(警察署の交換経由)で連絡を入れて、それぞれに御礼を言った。

 的場にも電話を入れた。

 山手町のマンションの契約を扱っている不動産会社とメンテナンスを任されている管理会社を手繰たぐって欲しいと伝え、巡査が会って話をした男は米山本人じゃなかったことを話してから、手札の写真を持って行ったお蔭で面割りが出来たことも付け加えた。

 自分はこれから真金町に戻るからと言って電話を切った。


 真金町にはレイが1人でいた。

 レイが言った。

 「メグおねぇちゃん、誰かと電話しながらこのメモ書いて、不動産会社が分かったからそこへ行くと言って、急いで出掛けたよ。キングが帰って来たら渡してって」

 そう言って1枚のメモを手渡した。メモには、不動産会社の名前と住所が走り書きされていた。

 不動産会社の件は的場の連絡を待つとして、矢上は米山が何故、巡回連絡の対応を他人に任せたのかということをもう一度じっくりと自分の中で精査してみようと思った。

 よくよく考えてみると、自分のマンションに尋ねて来た警察官の対応を、敢えて自分の名前を他人にかたらせてまで本人がやらせるだろうか?

 その時は米山本人が対応できない理由(わけ)があって、切迫してそうせざるを得ない状況だったのかも知れない。例えば、誰かが来たのでドアスコープで確認したら何と制服姿の警察官だった。覗いた者は慌てた。そして直ぐに別の誰かに伺いをたてた。その誰かは、おそらくこの件の首謀者だろう。首謀者は自ら玄関に向かった。もしかするとこの時点で米山は緊縛され猿ぐつわをはめられ、奥の部屋に連れて行かれていたのではないだろうか。

 首謀者は巡査と穏やかに話を交した。米山を狙っていたのなら彼の身上は調べ上げているだろうし、その身上を空で話すことが出来るように訓練はしていたはずだ。今、ここで対応しなければまた来るだろうが、対応しておけば再度巡回に来る可能性は少なくなる、と首謀者は判断した。案の定、事は上手くいった。巡査は丁寧に協力の礼を言って帰ったに違いない。

 この仮定に考え至った矢上は、米山の行動状況を至急調べなければならないと思った。自分と的場ではとても手が足りない。藤崎に相談した方が早いと考えた。ここ数か月の米山の行動をつまびらかにしなければならないと。出来るだけ早く。もしかすると世間で人前に出ている米山さえ、本人ではなく影武者かも知れない、とこんな飛躍した考えが頭をよぎったりもした。

 そこへ的場が戻って来た 。

 不動産会社で米山の応対をしたという女性従業員に写真を見せたところ、「来店したのは確かにこの人です」と答えたようだ。

 「また、その従業員の話では、分譲マンションの購入に飛び込みで来て、即決してその日のうちに契約を済ませたのには正直とても驚いた、と言ってました。購入代金も全額一括払いだったので、どこかの社長さんかなぁと思ったそうです」

 と的場が報告した。矢上は尋ねた。

 「入居日は?」

 「昨年の4月10日です。契約書を閲覧して来ました。」

 矢上は頷いた。そして矢上は先ほどの自分の考えについて話し、的場の忌憚のない意見を聞かせてもらいたいと思った。

 「巡回連絡で米山のマンションに巡査が来た日、米山は何者かによって室内で緊縛されてたんじゃないかな?」

 矢上が、自分が立てた仮説を聞かせると、的場は矢上の顔を食い入るように見た。矢上は続けた。

 「巡査に対応した男がこの件の首謀者、つまりボスだったと思う。咄嗟に米山に成り済まし、堂々と演技をした。修羅場には慣れている野郎だと思う。米山が消されては元も子も無いから、俺達は急いで対策を立てないとと思う。どう思う?」

 矢上の問い掛けに、的場は答えた。

 「咄嗟に成り済まして対応したということであれば巡査を相手に、大胆な奴だと思います。それなら私も臭いと思います。で、矢上さんは米山が殺害されていると思ってるんですか?」

 「いや、それは分からない。もう山手のマンションはもぬけの殻だと思う。ボスと思しき人物は巡査に会った。警察に顔(めん)が割れたから、ここにいるのは絶対に危険だと考えるだろう。米山を消すとすれば当然別の場所だ。早めに捜索・差押・許可状(ガサ状)を取って室内を見たい。巡査に顔を見られたことが計算違いだったと萎えてきて慌てて奴等は逃走(とんこ)しただろう。だから必ずそこには瑕疵が出来るはずだ。現場には証拠が必ず残っていると信じて早く捜索・差押(ガサ)をやりたい」

 的場は、「はい」と答えた。

 矢上は的場に、藤崎統制官に電話をして、会って相談したい旨を告げたいと言った。的場は同意してくれた。

 矢上はレイを呼んだ。

 「レイ、悪いけど足がないと不便だ。自転車か原付(ゲンチャリ)でもあれば助かるんだが、どうにか手配出来ないか?」

 レイは言った。

 「両方とも物置にあるよ。出して来るね」

 「わたしも行く」と言って、的場も一緒に行った。

 原付をレイが、自転車を的場がそれぞれ持って来た。矢上は、原付の座席の中に入っている原動機付自転車標識交付証明書を確認した。車検の期限などは大丈夫だった。矢上は言った。

 「ちょっとここら辺をぐるっとしてくるよ。メットあるかな?」

 「あるけど、ちっちゃいかもね。わたしが被ってたやつだから、半帽だけど」

 レイがにやにやして言った。レイが笑った訳が分かった。ハートのマークがしっかりと付着していたからだ。レイに色の付いたビニール袋を探して来て、と矢上は頼んだ。メットに被せてハートを隠すために。

 矢上は原付に乗って調子をみた。近場を走るには問題ないと思った。これなら的場も近場に行く時は使えると確信した。

 夕方になって、矢上は藤崎に電話を掛けた。

 巡回連絡に来た巡査に対応したのが米山ではなく別人だった事実や、分譲マンションを即決で購入した時のことなどを一通り説明し、今後の捜査方針についての助言が欲しいと率直に話をしたら、明日16時頃に自分の所へ来るようにと言われた。またその時は車を置いて来るようにと念を押された。

 的場にそのままを話した。

 レイは、矢上達が真金町の家を借りた日からずっと寝泊りしている。両親も承知していると言っていた。寝泊りが不安だから大型犬を飼いたいので明日一緒にペットショップへ行って欲しい、と的場に頼んでいた。

 「ここのさ、用心棒にするからさ、ねぇ」

 とレイはいつになく真顔で頼んだ。

 2人は笑顔で了解した。


 矢上と的場は真金町の家を出て、歩いて桜木町駅へ行った。根岸線に乗り、横浜駅で下車して、そこで別れた。矢上は自宅へ帰るため、相鉄線の改札へ向かった。的場は横浜駅西口側にあるダイヤモンド地下街へと向かった。地下街は人の波で混んでいた 。

 一人歩いているうちに藤崎と矢上という2人の大先輩のことが頭の中にぎって離れなくなってしまっていた。

 的場は大学卒業後、警察庁に入った。それからあっという間もなく時は流れていた。

 その間、数多くの上司、同僚と仕事をしてきたが藤崎を超える者はいなかった。彼の判断力の正確さや洞察力、それにもまして頭脳はまるで研ぎたての鋭利な刃物のように切れた。

 一方、矢上はまるで違っていた。 

 熱血漢で猪突猛進の藤崎に対して、矢上は普段からいつも平常心で振る舞っていて、決して背伸びなんかしない。そして相手が誰でも公平に接している。だからその相手も矢上を心から信頼し、自然と胸襟を開いていく。それは正に分け隔てなく誰に対しても、だった。彼がそばにいてくれるだけで雰囲気がなごんでいった。今までに出会ったことのない男性だった。それに自分に対して特別誠実に対応してくれていると思っただけで的場の胸が熱くなった。

 今、そんな人の相棒として同じ仕事をさせてもらえる自分は、誰よりも幸せ者だと思った。

 いつの間にか人の流れが増えたように思えた。

 明日は午前中にレイと一緒にペットショップへ行って、番犬になる大型犬の子犬を探してこようと思った。的場の心は弾んでいた 。


 結局、番犬は決まらなかった。後日、レイがあらためて探しに行くことになった。

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