チャプター09

 真金町のレイの親の持ち家を正式に借りることができた。的場と2人でレイの実家に挨拶に行った。実家は横浜市営地下鉄ブルーラインの片倉町駅の近くにあった。

 矢上とレイの両親とは既に顔見知りの間柄であった。両親は、「矢上さんになら契約書も交さなければ家賃も勿論もちろんいらない。喜んで使ってもらえるのなら好きなように使って欲しい」と引かなかった。結局、的場と2人、頭を下げることしか出来きずに帰った。

 江の島ヨットハーバーには米山の影も形もないようだった。米山が訪れたら川上が連絡をくれることになっている。

 的場には、ドクターとレイにも手伝ってもらい、川上から受け取った3枚の写真の人物を解析して欲しいと言っておいた。川上から渡された写真には集合写真もあり、その写真の中で重複して写っている人物をチェックしてもらうためだった。

 その日矢上は、コピーした集合写真も含めて持って山手のマンションに向かったが、管理人へのじかの聞き込みは情報が漏洩する危険があると考え、むしろ知り合いである山手警察署の署長に協力を仰ぐ方が賢明だと判断して、山手警察署に向かうことにした。

 マンションの駐車場で米山の車が駐車しているかということと、来客用駐車場に駐車している車のナンバーの確認を、レイの知り合いのタッチャンという若い男の子にアルバイトとして手伝ってもらった。

 タッチャンはレイの男友達だった。しきりに何か手伝うことはないかと聞くレイに、「数日バイトしてくれるような奴いないかなぁ」と矢上が相談したところ、「わたしにぞっこんのタッチャンなら引き受けてくれると思う」というのでお願いしたら、「レイの頼みなら」と、タッチャンは二つ返事で引き受けてくれた。

 タッチャンには矢上自ら次のように指示をした。万が一、制服警察官に見咎められ、不審者と間違って職務質問(バン)を掛けられたら、声を掛けた警察官の言うままに従うこと。交番まで連れて行かれても黙ってそのまま警察官の指示に従い、マンションから離れるまでは口を聞いてはいけないと。

 充分にマンションから離れた後、矢上から頼まれていると言って俺の電話番号を教えれば良いと。間違っても大声を出したり暴れたり、口答えをしたりするなと指導した。


 山手警察署の署長に前もってアポを取っていた。14時丁度に警務係の者に案内され矢上は署長室に入った。署長の他に2人の人物がソファに座っていた。

 署長に挨拶をした。直ぐに署長が座る場所を示したので、矢上はそこへ座った。

 3人と名刺交換をした。署長の他の2人は、刑事課長と地域課長であった。地域課長は女性だった。

 署長が言った。

 「矢上、今日は何の相談だ」

 山手署の太田署長とは、太田が中隊長で矢上が巡査部長の時に同じ県警本部の機動捜査隊で仕事をした間柄であった。この署長の気心を矢上は熟知していた。なので包み隠さず全てを話した方が協力してくれると思った。全て話をするつもりでいたから矢上は、太田にじかに連絡を入れたのである。

 米山孝雄、46歳、大手IT企業の創設者で社長、篤志家とくしかとしても活動している。時代の寵児ともてはやされてはいるが、実は後ろに回るとヤクザや暗黒街のフィクサーとつるんで薬物密売に係っているらしい。また、委託殺人などはお手の物らしいとの噂が絶えない。仮面を被った化け物で、今自分はその調査をやっていると説明をした。

 太田が言った。

 「何処まで進んでいる?」

 矢上は説明を始めた。

 「江の島ヨットハーバーに米山が船舶を所有しているといった情報から、江の島ヨットハーバーの知人を尋ねて調べてもらいました。そこで船を所有し、係留している事実が判明しました。正会員として本名で契約書も交していました。その契約書に記載されていた住所が、山手町内のマンションで、また、所有している車両として契約書に記載のある住所もここになっています。符合していました。このマンションとそこに駐車している車両から情報が入手出来ます。突き止めたのは今の所ここまでです」

 「矢上、事件としてのかんをどう思っている?」

 『鑑』とは、鑑取り捜査を意味する警察用語で、被害者や被疑者それに参考人などの人間関係や交友関係などを捜査して聞き込み等を実施することを言う。刑事部出身の太田の視点は鋭いと感心した。

 「あくまでも勘ですが」と前置きしてから矢上は所見を披露した。

 「船、そして横浜を繋げて考えるとどうしても薬物密売が頭によぎってしまいます。江の島から横浜港までの間、横須賀には湾や港が多数あります。ぶつを隠すには絶好のロケーションだと思います。自分は米山の奴が船舶免許を取得したのは欲のためで、必要にかられてだと思っています」

 太田はにやっと笑い、

 「俺にどうして欲しいと言うんだ?」

 矢上は太田の目を凝視してから話し始めた。

 「勝手な申し入れだとは重々承知していますが、我々が管内で潜入捜査することを許して頂きに上がりました」

 太田は大きく息を吐いた。

 「お前が俺の所に直接電話を掛けてきた時から、そんなことだろうとは思っていたが、お前が今やっている捜査は警察庁のカテゴリーに属する問題だろうからいち警察署でイニシアチブを取れるなどとは毛頭思ってちゃいねぇがな。でも現象事案が起これば容赦なく現行犯逮捕はするぞ、良いな。矢上よ、お前とは昔馴染みだ。困ったら遠慮なく相談しろ、分かったな」

 矢上は立ち上がって深々と頭を下げた。

 帰る際に、明日15時頃に管轄交番に伺い、米山の巡回連絡カードを閲覧させてもらいたいと思っています、と地域課長にお願いをして署長室を出て行った。


 山手警察署を出てから藤崎へ現況を報告しておかねばと矢上は考えた。報告は的場の面前でやっておいた方が後々面倒にはならないだろうと考え、取り敢えずこの場では的場に連絡をした。的場は真金町の家でレイとタッチャンの3人でいると答えた。

 真金町の家に到着して的場に声を掛け、別室へ行き、藤崎に電話をした。藤崎は直ぐに電話に出た。矢上は今までの経緯を時系列に話し始めた。

 米山が江の島ヨットハーバーに自己所有の小型船舶を1年程前から係留している事実が判明したこと。ここで会員証の契約書から、記載されている住所が、横浜市山手町の高級マンションであること。ヨットハーバーへ乗り付ける車があってその車検証の写しから車の所有者が米山で、しかも住所地が山手町のマンションと符合していたこと。明日、管轄する交番の担当者に、巡回連絡の際に記載してもらう巡回連絡カードを閲覧させてもらう約束を取ったことなどを掻い摘んで話した。

 藤崎が言った。

 「何か困っていることはないか?」

 「今のところ特にはありません」

 矢上は答えた。

 「そうか、ご苦労さん。近々3人で会おう。一杯の席を用意するから。そうだ、銀行口座に金を振り込んでおくから」

 と言って電話は切れた。真金町の根城のことと具体的な協力者については承知で触れなかった。

 現場の刑事にとって協力者は無くてはならない情報提供者で、そうした協力者がいることは刑事をやっている以上、気を許した相棒以外には口外しないものなのだ。

 電話が終わった後、矢上は的場を見た。目と目で会話をした。的場は頷いていた。

 米山の行動が掴めてはいない。昨日、川上に米山の動きについて尋ねたが、特に動きはないとの回答だった。また、タッチャンによると、マンションの米山使用の駐車場は空いたままの状態が続いているとのことだった。

 レイとタッチャンは、川上から受け取った写真に写っている人物を一人一人の写真にするためコピーを取り直したり、マンションの来客用駐車場にあった車両を日付ごとにチェックしている。矢上は、複数回駐車していた車を要注意車両として赤丸を付け、回数を正の字でカウントしていく方法を指示していた。

 矢上は的場に、神奈川県警察本部・刑事部刑事総務課照会センターへ複数回駐車していた車両の所有者照会と盗難照会を指示した。地道な手法だが網は仕掛けておく。

 タッチャンが外に出たのを見計らって、直ぐにレイが的場の横に寄って来た。そして困ったように言った。

 「あのね、今日、タッチャンの誕生日なの。知らんぷり出来ないじゃん。でもね、わたしたち2人だけでお祝いするのは嫌なの。悪いけど、タッチャンとじゃ、ちっともハラハラもドキドキも全然しないんだもん。でも手伝ってもらってるし、誕生日なのに何もしてあげないの可哀想でしょう?だからお願い、みんなでお祝いしてくれない?」

 レイが的場に両手を合わせ、神妙な顔をして懇願している様子が滑稽だった。

 タッチャンのたっての希望は焼き肉が食べたいと言うことで、野毛本通りから一本路地を入った焼肉屋で誕生会をすることになった。

 タッチャンは、今後自分が車のチェックが出来ない時、代わりにバイトしてもらう者を既に頼んでいた。高校の時の後輩の青木喜郎よしろうと言った。

 この後輩をタッチャンは、ヨシと呼んでいた。ヨシにもタッチャンに注意したことをきちんと説明して遵守させるように念を押した。矢上は分からないことやトラブルに巻き込まれそうになったら必ず自分に連絡をするようにとタッチャンに言った。そしてヨシにもきちんと伝えておいてくれと頼んだ。矢上の携帯番号を教えておくように再度念を押した。

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