チャプター08

 翌日11時頃に店を出た。男3人はそのまま店に泊まった。的場は、レイに連れられて彼女の家に泊まったという連絡を矢上はメールで受けていた。

 的場には今日江の島に行くので、米山の顔写真とプロフィール数枚と協力者に渡す手土産の手配を頼んでおいた。

 トシちゃんの店の前で的場と待ち合わせして車に乗り込み、浅間下交差点から国道1号線を藤沢方面へと向かった。レイも付いて来ていた。女2人は後部座席に座った。車は藤沢市内から国道134号線に進んでいた。茅ヶ崎方面へ向かって左前方の相模湾へ突き出た陸繋島りくけいとうが江の島である。

 この島は、

     面積 0.41平方キロメートル

     最高標高 60.4メートル

     海岸線長 4キロメートル

 の広さである。

 この広さの中に江島神社、江の島シーキャンドル(展望灯台)、5箇所以上の駐車場、そして矢上たちが目指すヨットハーバーがあった。

 後部席の2人は島に入ると、それぞれが窓を開放した。開放された窓から潮風が優しく頬を撫でた。

 ヨットハーバーの館長をしている川上との約束は、14時頃で頼むとあらかじめ連絡をしておいた。

 江の島に向かう車中で矢上は2人と約束をした。昼は江の島で海鮮丼を食べようと。駐車場に車を止めてから展望台へ上がって行く途中にいくつかの飲食店が並んでいた。平日なので店内はそれほど混んではいなかった。自分たちの他に3組がテーブルに座っていた。

 食事の最中も的場とレイの2人は笑ったり喋ったり話題に尽きることがなかった。食事の後、一担駐車場に戻って時間を調整してからヨットハーバーの管理事務所へ向かった。

 管理事務所の窓口で名前を告げて川上を呼び出してもらった。

 彼は直ぐに階段を下りて来た。

 川上を先頭にして、その後に3人が続き、応接室に案内された。川上が奥のソファに座り、3人は勧められるまま川上と向い合わせのソファに腰掛けた。

 矢上は川上に手土産を渡した。

 「川上さん、ご多忙の所、無理を申して済みませんでした。実は所属が変わった直後の調査案件で、調査の対象者が川上さんの所に船舶を係留しているとの情報がありまして、その事実関係を教えて頂こうと思って伺いました」

 矢上はブレザーの左ポケットから名刺入れを取り出し、1枚を川上に差し出した。川上は受け取った名刺に目を落として、

 「警察庁長官官房室ですか?では、霞が関ですよね?」

 と言って自分も名刺を出した。名刺の肩書きは、専務取締役となっていた。矢上は連れて来た2人を「的場と高橋です」と言って紹介した。的場も川上と名刺を交換した。レイも名刺を受け取り、見習いなので持ってないんです、と相変わらずのおどけぶりだった。

 矢上は川上に話し始めた。

 「調査しているのは米山孝雄さんです。IT企業の創設者で会社の社長です。この人が御社の顧客であったら教えて頂きたいと思って参りました。調査の範囲は、米山さんが契約した日時、契約した内容、契約した時の住所等、その他にもし分かれば、一緒に乗船している人などを教えて頂ければ有り難いのです。米山さんに関する資料はこれです。お忙しいところ申し訳ありませんがよろしく願いします」

 川上は頷き、

 「友人の矢上さんからの依頼ですから、出来る限りのことは私の一存で処理します」

 と回答した。

 矢上は頭を下げた。川上はふと笑みを見せた。

 「おそらく調べるのに30分以上は掛かります。どうですか、忙しくて操縦してないんでしょう?久しぶりに海へ出てみたらどうです?」

 川上はそう言って、席を外してからまた戻って来た。船の手配をしに行ったようだった。

 レイが川上に尋ねた。

 「船の免許ないと違反なんでしょう?」

 川上が笑って言った。

 「矢上さんの操縦の腕を負かせることが出来る人なんかそうざらにはいませんよ。実技の検定試験はうちの会社始まって以来の100点満点でしたからね。試験官が舌を巻いた程ですから」

 的場とレイは顔を見合わせて吃驚びっくりしていた。

 そんな訳で川上が用意させたモーターボートに3人で乗船することになった。乗る前に管理事務所のスタッフが貸してくれた帽子を被り、救命胴衣を身に付けてから乗り込んだ。川上が行ってらっしゃいと小声で言って手を振ってくれた。2人は両手を高く揚げて力一杯振って返した。矢上は川上に頭を下げた。

 操縦席に矢上が座った。離岸するので2人に後部座席に座るように指示した。小坪港へ行って戻って来ればちょうど30分くらいの時間だろうと矢上は考えた。離岸して徐々に船首を小坪港へ向けて行き、滑り出した。

 海は無風に近かったが波はいつものように高かく、日射しは燦々さんさんと強かった。船のノットが上がる度に船底が波を叩き、それがバンバンと音を鳴らすので、うわっと言って2人は声を上げた。矢上が2人をからかうように言った。

 「帽子、貸してもらって良かったろう?被ってないと下船したとき2人の顔は真っ赤っかになってたからな」

 「何よ、相変わらずの意地悪男だわ。ねぇメグ、この男には気を付けた方がいいよ」

とレイが悪態をいた。その直後に矢上が舵を大きく切った。船が左に傾いた。2人がきぁーと大声を発した。

 「怖いことしないでよ!」

 レイが頬を膨らませていた。的場はきぁーと言いながらも楽しんでいた。

 「鮫が目の前に近づいてきたと思って、ぶつかっちゃ困るからね」

 矢上は久しぶりの操縦に楽しくてしかたなかった。

 「嘘つき!」

 2人が一緒に矢上をなじった。

 海原と言う仕切りのない広大な空間に、誰に遠慮することもなく話せるということが何よりも楽しかった。3人はそれぞれに今を楽しんでいた。

 的場がレイに聞いた。

 「レイさ、高橋何て言うの?」

 「玲奈レイナ。あんまり好きじゃないんだ、この名前」

 レイは言った。

 「いい名前じゃない。可愛いらしくて」

 「だって、わたし可愛いくないもん」

 と拗ねたレイを的場が両腕でしっかりと抱きしめ、

 「う~ん、可愛ゆい」

 と言った。レイもまんざらでもないようだった。


 管理事務所に戻った。借りた救命胴衣と帽子を返した後、事務員に案内されて応接室に戻った。

 少し遅れて川上が入って来た。ソファに座るなり、

 「矢上さん、どうでしたか久しぶりの海は?」

 「良いですね、海は、開放的になれます。ありがとうございました。2人も喜んでいました」

 2人は一緒に頭を下げた。矢上は続けた。

 「接岸は元の位置に、もやい結びでやってあります」

 「そうですか、分かりました。いつでも結構ですからまた今度、操縦しに来て下さい」

 川上は続けて2人にも、

 「ねぇ」

 と笑って言った。2人はほぼ同時に、

 「はい」

 と明るく返事した。

 川上は持って来た封筒を矢上に手渡した。

 「矢上さん、ビンゴでしたよ」

 矢上は的場と顔を見合わせた。刑事としての研ぎ澄まされた感性が当たりを導き出した瞬間だった。

 川上は続けて話した。

 「米山さんに関しての弊社に保管されている書類で先ほどお預かりした資料の記載内容は全て賄うことが出来ました。その他自分の勝手な判断で加えさせてもらった書類も同封してあります。他にまた必要なことがあったらいつでも言って下さい。喜んでやらせて頂きますので、遠慮なく連絡を下さい。どうぞ封筒の中を確認して下さい」

 矢上は頭を下げた。的場もレイも続いた。封筒から書類を取り出して、目を通した。矢上は的場にも一緒に見るように勧めた。米山の届出の住所が自宅ではなく横浜市内のマンションになっていた。これが一つ目のビンゴだった。矢上がその住所を人差し指で的場に示した。的場が頷き矢上の顔を見た。目が合い、2人で頷き合った。

 用事を終えて、川上は管理事務所の外にまで出て来て見送ってくれた。駐車場に到着するまで3人はそれぞれが振り返って、いつまでも見送っていた川上に頭を下げた。


 彼が提出した書類に、米山所有の車両の車検証のコピーがあった。住所地は会員名簿に記載されていた横浜のものと同一である。これが正に二つ目のビンゴだった。

 他に集合写真など3枚がカラーコピーにして入れてあった。また、米山は船舶免許を取得しているようで、会員名簿にはその免許登録日や免許証番号なども記載されていた。

 矢上は「横浜」「船舶」「薬物密売」と線が繋がり、期待に胸が高鳴るのを覚えていた。

 トシちゃんからドクターそして川上と繋いだバトンが、米山の私的な生活圏の一部分として垣間見えた気がした。後はじっくりと炙り出してやると矢上は思った。

 米山の車検証に記載されている住所地は、横浜山手の公園や庭園の散歩コースの一角にもなっている。歴史の息吹を感じさせる街の中にそのマンションはあった 。高級住宅地である。

 車は江の島から横浜に向かっていた。的場が聞いた。

 「操縦免許はいつ頃取ったんですか?」

 「平成4年に取得した。2回更新したから大分たったかな」

 ヨットハーバーの職員と親しくなったのは、年に何回か浮遊している遺体を検視するために、その浮遊場所まで船舶で連れて行ってもらっていたからだ。

 神奈川県警には2つの署に船舶が常備されてはあるが、検視に向かうため船の使用許可を依頼してから現場に到着するまでの所要時間を考えたら、一時を争うのに海上の浮遊遺体をそのまま放置することは何としても避けなければならなかった。潮は絶え間なく流れている。現場に急ぐため警察以外に協力してもらって船艇を出してもらうしかなかった。浮遊遺体を船艇の上で4方向から写真撮影した後、刑事数名で海に入り、遺体にロープを巻き付け岸までゆっくりと引っ張って来て、遺体を引き上げる、ここまでの作業にはヨットハーバーの職員たちの協力がなくては出来なかった。

 矢上は時間があれば人間関係を少しずつ構築するためにヨットハーバーの管理事務所に顔を出すように心掛けた。そんな折、検視の協力で知り合った川上から免許があれば訓練用の船艇を使っていいですよ、と言ってもらった。矢上を含め当時の刑事課数名で免許試験を受験した。筆記と実技共に全員で合格出来た。合格証書をヨットハーバーに受け取りに行った時、川上も事務所にいて喜んでくれた。

 それから3ヶ月経った定期異動で海のない署に転勤となってしまい、海へ出る機会はなくなってしまっていた。

 

 矢上は自分の勘を信じて、捜査の拠点は横浜に絞ろうと思った。まずは根城ねじろを探さないと。場所は路地裏の閑散とした隘路あいろを入った住宅があるところ、そして幹線道路に出るのに直ぐにはでられないような場所が好都合だ。そんな会話を的場としていて、矢上が、

 「トシちゃんに相談するか」

 と言った途端、透かさずレイが反応した。

 「わたし、知ってるよ。真金町まがねちょうの横浜商店街の東側だけど、2階建ての空き家」

 「そこって、伊勢佐木警察署の近くだよな?」

 「うん、近い」

 レイは答えた。

 矢上は、その場所には住宅街がそれなりにあって昼間でも人通りは多くない所だったと思った。

 「駐車場はあるか?できれば、道路から見えにくいと有り難い」

 「大丈夫。だってシャッターが付いているもん」

 レイは家のことをすらすらと淀みなく説明した。よく知っている。きっと知り合いの持ち家なんだろうと矢上は思った。

 車は国道134号線、いわゆる海岸道路を鎌倉方面へ進行して葉山町から逗葉新道へと進んだ。そこでレイが言った。

 「あのさ、そこって借りるのに条件があるけど」

 「条件だって?何だ!」

 矢上が聞いた。

 「わたしもさ、2人の仕事の手伝いをさせてくれるって約束してよ」

 レイの言葉を聞いた瞬間、矢上はブレーキを踏んで路側帯に車を停止した。

 「それならこっちにも条件がある。危険な場所へは絶対に連れては行かない。約束するなら 条件をんでもいい」

 「分かった。約束する」

 そう言うと、レイは的場に抱き付いた。

 矢上は再び車を発進させた。逗葉新道を抜けて横浜横須賀道路を朝比奈インターから入って狩場インターまで走り、首都高速道路狩場線の山下町出口で下りた。その道中、レイは空き家が自分の親の持ち物だということを明かした。その話しを聞いて矢上は、こいつなかなかの策士だとつい口元が緩んでしまった。

 真金町に向かった。山下町から横浜スタジアムのある横浜公園南側の道路を通り、JR根岸線関内駅南口側の線路下のガードを抜け、不老町ふろうちょうの交差点を真っ直ぐ進んだ。万代町ばんだいちょう、長者町、伊勢佐木警察署のある富士見町、永楽町へ出て 空き家のある真金町に入った。

 到着して空き家を見た矢上は、イメージ通りだと思った。道路に面したシャッター付きの車庫が奥側に位置していたことも好条件だった。

 「レイ、ここに決めたいから話を進めてもらいたい」

 矢上が言うとレイはハンドジェスチャーでОKを出した 。

 「家賃はうちの大蔵大臣と決めてもらいたい。的場、頼んだよ」 

 レイが矢上に喰いついた。頬を膨らまして。

 「この間言ったでしょう?的場じゃなくてメグ。今度から罰金、取るからね」

 「分かった。メグ、よろしく頼むね」

 矢上は観念して言い直した。女の口に戸は立てられないな、と思った。

 トシちゃんに連絡をした。時計の針は午後6時を回ったばっかりだった。これから3人でそちらに行くと言って電話を切った。

 トシちゃんの店に着くなり矢上が話を始めた。ドクターの情報をもとに江の島のヨットハーバーに行ったこと。そこで米山が会員であることが分かったこと。その会員名簿に記載されている住所が山手町の外人墓地の近くの高級マンションであること。車検証の写しから登録の住所が山手町のマンションの住所と符合していたこと。それらを勘案して根城を横浜にしようと決めたこと。根城の候補は真金町の空き家、レイの親が持っている物件、これからレイが交渉してくれることになっていること、などを話した。

 トシちゃんは、うん、うん、と矢上の言葉に相槌を打っていた。

 1時間程話をしてから3人で店を出た。トシちゃんに頼んで、車は明日まで駐車させてもらった。寒いはずの外の風が、何故か優しく頬を撫でていた。微風そよかぜとなって。

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