チャプター03

 内示が下りた翌日の8時30分から1人だけの異動となった。

 異動に先立ち警部補から警部に昇任したという旨の辞令を課長から受け取った。

 その後から警察庁への異動の辞令を併せて受理した

 当然組織が変わってしまったのだから関内駅まで徒歩で行って、そこから電車と地下鉄を使って行くつもりでいた。課長に挨拶をしたらここを出ようと思って側に行ったところ、

 「車で送るから」

 と言われた。

 「申し訳ありません」

 矢上は頭を下げた。

 「おい、星崎」

 と呼ばれ星崎は、矢上の前に立った。

 「課長から警察庁まで送るように言われております」

 「お世話になります」

 と返事をし、矢上は執務室の出入口で振り返って頭を下げ、静かに部屋を後にした。

 

 警察庁の所在地は千代田区霞が関二丁目1番2号である。警察庁へは丸の内線、日比谷線と千代田線の各地下鉄の霞ヶ関駅で下車するか地下鉄有楽町線の桜田門駅からのいずれかである。

 車は警察庁の正門前に到着した。守衛が運転席側に近づき敬礼した。

 「申し訳ありませんが行き先と名前をお願いします。」

 と、星崎は紙面を受け取ると、時間、事務局受付、星崎昭男他1名とすらすらと記載した。今、この場の自分は自分の身分の証明を求められたとしても警察官としての身分を証明するものは何も持ってはいないんだ。電車を使って入口まで来ても庁舎内に入るのにはおそらく一悶着あったかも知れない。

 「本当にありがとうございました」

 と星崎に礼を述べた。

 「課長からは総合窓口まで行けと言われていたんです。気にしないでください。僕の仕事ですので」

 「申し訳ありません。課長に暮々もよろしくお伝えください」

 2人はここで別れた。


 国の警察行政機関の組織は、内閣総理大臣の所轄の下に国家公安委員会があり、その直下に警察庁がある。トップは警察庁長官で警察庁の所掌事務について都道府県警察を指揮監督している。

 警察庁組織図は長官官房の他五5つの局、生活安全局・刑事局・交通局・警備局・情報通信局、からなっている。

 令和3年6月現在の警察庁の資料によると、警察庁には8031人の職員が入っていて、その内訳は、

     警察官   2190名

     皇宮護衛艦  940名

     一般職員  4901名

 となっている。

 警察庁の公務員上級試験に合格した500人足らずのいわゆるキャリア組が全国200万人以上の警察官を指揮命令する仕組みになっている。

 キャリア組には公務員上級試験に合格し採用された時から一般の都道府県警察官とは異なり特別待遇制度がスタートする。それが階級制度のスライド方式だった。

 キャリア組は警部補からスタートする。

 ここで階級の下から順に述べておくと、巡査・巡査長・巡査部長・警部補・警部・警視・警視正・警視長・警視監そして警視総監となる。勿論警視総監は1人である。

 キャリア組は1年後に警部、28歳から29歳で警視となり刑事部捜査二課課長のポストに座ることとなる。

 所属長見習いの手習いの始まりである。

 そして本当のこの人事の抜擢者は捜査二課長を補佐する課長代理である。女房役である代理は刑事部出身者の中から選抜される。代理の務めはこの見習い上位官を無事に卒業させること、この一点に掛っている。この若い課長に恥をかかせない為に身を粉にして面倒を見る。

 警察署にキャリアの見習い署長が赴任してきたときも二課長の場合とほぼ同じである。抜擢された副署長は、署長としての任務期間を無事に卒業させることに一点集中する。無事に卒業さえしてくれれば次のポストは約束されていた。


 事務局の総合窓口の前の椅子に腰かけて待っていた。

 窓口の女性事務員から、

 「所属の方が迎えに見えるそうです」

 と声を掛けられていた。

 矢上の前に若い女性が立ち止まった。濃紺のスーツ姿だった。

 矢上に一礼して頭を下げた。

 「矢上主管でしょうか?」

 「矢上です」

 「官房調査室から参りました的場です」

 「官房調査室」とか「主管」とか、一体全体どうなっているのかさっぱり分からなかった。

 的場が歩きだしたのでその斜め後から付いていった。

 官房調査室に到着し、奥の部屋に案内されるまで的場とも会話はなかった。

 奥の部屋に到着すると、的場はデスクに座っている初老の男性に一礼をしてから立ち去って行った。

 その男性は内線電話でコーヒーを持って来るよう指示してからソファに腰掛け、矢上にも座るようにと手で合図をした。

 「まぁ、座ってくれ。まずは君に謝らなければならない」

 ドアを優しくノックする音がした。事務服を着用した女性が盆にコーヒーを2つ載せて持ってきた。

 その女性がいなくなってから、男性が話し始めた。

 「今日の異動の件で、捜査一課根津管理官に相談をしたところ瞬時に君の名前を上げた。そこで君が所属している山田署長に、是非君を私に預けてくれないかと頼んだところが、どうも署長が煮えきれないので、直接会って話をさせてもらおうと私の所に来てもらった。長い時間説得をしてやっと了解をしてもらったら、署長は条件があります、と言うんだ。何かね、と聞くと、それは君が相当に頑固な性格ときていて、署長は自分では説得する自信がないとね。そんな頑固なのかと尋ねると、えぇ、殿上人からの話しでも納得しなければてこでも動かないとね。そこで相談したんだ、2人で。迂回異動で、最終的に私のところまで送り込もうと。その後は私が君にきちんと責任持って話をすると山田署長に言ったら、分かりましたということになったんだ」

 知事部局で警察手帳を提出させて、星崎にここまで運転させたことも2人で考えたことだと白状をした。

 それにしても知事部局で対応した課長の古狸ぶりには腹が立つより、役者が一枚も二枚も上だと感心してしまつた。

 山田署長の内示の電話から始まり知事部局での古狸の鮮やかな三味線対応、見事にやられてしまった。

 男性は一度ソファから立ち上がりデスクの引き出しから名刺を取り出して、矢上のそばに戻りその名刺を矢上に差し出した。

 「これが私の身分だ」

 名刺には官房調査室統制官と横には藤崎吉郎と記載されていた。

 名刺を受け取った。藤崎統制官は正対して矢上に話し出した。

 この仕事の任務はただ一つ、事件の裏に潜む真実を暴き出すこと。この活動のみを旨とする。現場は客観的な状況が優先し指揮判断を待たずに即決することが出来るよう取り計らわれた。

 全ての責任は官房調査室統制官の私が取ることを約束する。

 警察庁での仕事は事務だとばかり思いこんでいた矢上の目に輝きが出てきた。

 藤崎は話を続けた。

 組織は、統制官1名、指令官2名、君の所属する調査チームは3組6名、その下部組織に一次的現場処理班として15名(5人組3交代制)、運転業務員6名(2人組3交代制24時間勤務)、その他庶務係5名の総員35名の人員である。

 一次的処理班の主な任務は現場保存、現場撮影、証拠保全等を管轄警察署の警察官が到着するまでの初動措置と引継書類等の徹底を実施する。

 以上が概要だが、質問はあるかな、と言ってから藤崎は意外なことを尋ねてきた。

 「そうそう、君、的場を知ってる?」

 「え?」

 矢上は尋ね返した。

 「今日、初めて会った人です」

 「いや、何、調査チーム3組はすべてキャリアとノンキャリアの2人で構成したんだが、キャリア3人のうち的場だけが女性なんだ。前もって各チームのリーダーの名前と所属を的場に見せて、誰が良いか自分で決めなさいと言ったら、2~3日して君を選んでたからね、知り合いかなぁ、と思っただけだけど」

 「そうですか?知り合いではないです」

 本日付でこの仕事を一緒にやってもらいたいと藤崎統制官は念を押した。

 「承知しました。よろしくお願いします」

と頭を下げた。その後、藤崎はもう一つだけ君に頼みがあると真顔で言った。

 「的場を一人前の指揮官に育てて欲しい。彼女は人の情けも協調性も持ち合わせている。今は粗削りだが磨けば必ずものになると思っているので、彼女を今まで2回使っているが、今度ここへは本人が志願して来てくれたんだよ。人事に情が絡んでは良くないことは知っているが、矢上君頼むよ」

 と、藤崎はまるで好々爺こうこうやになってしまった。


 藤崎は内線電話で的場に来るようにと指示をした。的場は直ぐに対応した。

 入口で頭を下げ、藤崎に言われるままに矢上の隣に座った。

 藤崎は2人を前に語り始めた。

 「実は官房調査室を立ち上げるまでには1年以上もの時を要した。長官と膝を交えて何度も聞いてもらった。何度も何度も了解を頂くまで。私が長官に話したことは、事件の闇に潜んだ本物の悪を、この膿を出さなければ事件は解決しやしないと。例えその張本人が政界の重鎮だろうと。長官は君の覚悟は分かるが一緒にやる部下だってただでは済まなくなるぞとね。だから私は君たち6名を選抜した」

 その一瞬だけ藤崎の瞳が童子のように見えた。矢上は、

 「分かりました」

 と回答した。的場はじっと藤崎を見つめたままで、

 「はい」

 と答えた。藤崎は頷いた。

 この後3人で細かい点の確認をし合った。

 矢上は次の点を認めて欲しいと言った。

 装備資器材から常時携帯用に身分証または警察手帳、手錠、補じょう、着脱式特殊警棒、そして拳銃は使い慣れたニューナンブの回転式ホルダー付き2丁、それに拳銃は自宅での保管を認めてもらいたいと頼んだ。

 また車両は、2000ccクラスの国産車を手配して欲しいと依頼し、最後に情報提供者等の協力者を今まで通りに使いたいので許可してもらいたいと付け加えた。

 藤崎は、分かった、と言った。

 射撃練習は的場が知っているから聞いてもらえれば良いだろう、と藤崎は的場の顔を見て言った。的場は頷いた。藤崎は、

 「今日3人で懇親会をやろう。6時に近くの店で、僕が予約をしておくから。場所は後で的場に連絡するのでそこで集合しよう」

 そう言って藤崎は自分のデスクに向かった。矢上は的場の顔を見た。的場は、表情も変えず前を向いているだけだった。部屋を出た。


 「統制官は、いつもあんな感じなんだ?」

 と的場に尋ねると、

 「そうです」と言ったきりで、素っ気そっけなかった。

 「後で藤崎統制官から連絡が来たら伝えます」

 矢上は到着してからまだ自分の席も分からない状況だと的場に言うと、矢上の席は自分の隣で、机の中には必要最低限の執務用の筆記用具は用意してありますと的場は回答し、次のように続けた。

 「統制官から、矢上さんは自分が必ず説得するので、机の中に必要な物は揃えておいてくれと前もって言われていたんです」

 矢上は独り言のように、

 「今日は狐と狸の術中にはまっちまったな」

 と口遊くちずさんでしまったのが、的場に聞こえてしまった。

 「何ですか?狐とか狸とか?」

 「いや、何でもない」

 そう言って用意された席に着いた。

 しばらく机に向かって座っていたが、通りすがりの余所者よそもの扱いされているような気分だった。

 電話が鳴った。

 「矢上さん、統制官が来て下さいと言っておられます。」

 「分かった」

 矢上は、藤崎の部屋に入って行った。

 「辞令と手帳だ。辞令は受け取ってもらえばいいよ。手帳は顔写真がないので的場に教えてもらって撮影して来てくれるかな」

 と言われたので、自席に戻ってから的場と一緒に鑑識係の所へ行って写真撮影をした。

 「しばらく待って下さい」と言って離席した鑑識担当の者が戻って来た。

 「手帳を貸して下さい。写真を貼付しますから」

 貼付された手帳を、矢上は受け取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る