第6話 憎い、けど好きだから

 まだ私は死んでいなかった。あれからさらに時間が経ったけれど、結局雪乃の謹慎とやらはいつ終わるのかとか、私はどうやって死ぬのかも聞けずじまいでいる。けれど今更それを聞こうとは思えない。


 初めはうざったいと思っていたのに、いつの間にか雪乃がいるのが当たり前の生活になっていた。おはようと言い合って、仕事の合間におしゃべりをして、夜は同じベッドで眠る。


 相変わらず雪乃は私のことを好きだと言ってくれていて、キスだって何度もした。徐々に私の中に芽生えたこの気持ちが何なのか、分からないほど物を知らないわけではない。それでも、自分の命を奪う予定の相手に、しかも人外に恋心を抱くなんて、馬鹿げていると思う自分がいるのもまた事実だ。



「ねえ、唯奈。明日はどこか出かける?」


「あー、ごめん、明日友達と予定あって」



 雪乃と暮らし始めて以来、店の定休日は二人で過ごしている。彼女は私以外の人間に用はないし、私だって休日に遊びに行く友人なんていないから。けれども唯一と言っていいほどの、小学校から仲良くしてくれている友達がちょうど帰省しているらしく、明日会おうという話になったのだ。


 

「ごめんね、一人にさせちゃうけど」


「別に子どもじゃないんだから、唯奈も変な心配するね」



 雪乃は笑いながら伸びをして、それじゃあ今日中に唯奈を充電しとかなきゃ、と冗談めかして言った。それからソファに座る私の隣りに座って、ぎゅっと抱き締めてくる。


 

「……好き」



 耳元で囁かれた言葉がくすぐったくて身を捩ると、逃がさないというようにさらに力を入れられた。



「もう、苦しいってば」

「ふふっ」



 文句を言いつつも振り払わない私を見て満足そうに笑みを浮かべた雪乃が、不意に唇を寄せてくる。触れるだけの軽い口付けを何度か繰り返した後、彼女の舌がノックするように唇に触れた。雪乃からそんなことまで求められるのが初めてで、咄嗟にその肩を押し返す。


 

「嫌だった?」

 

「えっ、と……」



 不安そうな顔で聞かれて言葉に詰まる。正直に言えば嫌ではなかったし、むしろもっとして欲しいと思ってしまった。そんな自分の気持ちに戸惑いながらも、驚いただけだと呟いた。

 


「……もう一回だけ」



 雪乃は安心させるように私の頭を撫でて、もう一度顔を近付けてきた。今度は私が受け入れるように少し口を開ければ、すぐに彼女の舌が侵入してくる。歯列をなぞられて気持ちよさに背筋がぞくりと震えた。

 


「んぅ、ふ……ゆき、の」



 息継ぎの間に名前を呼ぶと、応えるように強く抱き締められる。苦しさに耐えかねて雪乃の背中を叩くと、ようやく解放してくれた。


 

「……可愛い」



 そう言って笑う雪乃の目には、明らかな情欲の色が浮かんでいた。それに見ないふりをするように、そっと俯いて彼女の胸元におでこを当てる。何度確かめたってそこから心臓の鼓動が聞こえてくることはない。このことが、私と雪乃を隔てる唯一の壁で。それがたまらなく悲しかった。


 

「唯奈?」



 何も言わずに抱き付いた私を心配してか、雪乃が優しく声を掛けてくれる。その優しさに甘えて、雪乃の胸に頬擦りした。


 

「どうしたの?」

 

「なんでもないよ」

 

「嘘つき。約束したじゃん、何か悩んでるなら言ってって」



 責めるような口ぶりでも、やっぱり雪乃の言葉は温かい。私は観念してぽつりと話し始めた。


 

「私……雪乃のことが好き」

 

「唯奈、」

 

「でも雪乃は人間じゃない。それに、雪乃があのとき私の命を助けなかったら、お母さんたちと一緒に死ねたんでしょう?そうしたら、あんなに辛い思いをすることもなかったって考えると……雪乃のことが憎いって思う自分もいる」



 まだお母さんたちに甘えたかった。くだらない反抗をしたことを謝りたかった。そんな後悔をすることも、叔母さんの家で誰とも馴染めずに孤独に六年間を過ごすことも、雪乃がいなかったら起こらなかったこと。そこまで一気に吐き出しても、雪乃は黙ったまま私の話を聞いていた。そして、ゆっくりと私の手を握りしめると、そのまま両手で包み込んだ。


 

「……確かに唯奈の人生を壊したのは私だよ。それも、死神が人の運命を弄ったら駄目ってルールがある理由。命を助けることが、必ず良い方向に転ぶわけじゃない。上の人たちは然るべき理由があって、その人の死を決めてるから」

 

「うん」

 

「だから唯奈が私のことを憎むのは間違ってない。私だって、本気で好きになってもらえるなんて思ってなかったもん」



 雪乃は自嘲気味に笑って、でも私の目を真っ直ぐに見つめた。


 

「だから私にとって恋人になるならないなんて重要じゃないんだ。第一、私たちは死ぬべき人と死神なんだから、この世で普通の恋人が望むような未来なんて待ってるわけがないじゃない?……ただこうやって傍にいて、愛してるって伝えるのを唯奈が許してくれたら、私はそれで満足なの」



 やっぱり雪乃の声はいつもどこか寂しげだ。けれど私の手を包む彼女の両手は震えていて、今の言葉が紛れもない本心なんだと伝わってくる。


——死ぬべき人。


 雪乃の愛を感じられて嬉しいと同時に、その言葉に改めて自分が近い未来に死ななければならないことを思い知らされて、複雑な感情になった。けれど。


 

「ねえ、雪乃」

 

「……なに?」


「やっぱり私……雪乃のことが好きだよ。憎いとか怖いとかそんな感情があっても、それよりも雪乃のことが好きって気持ちの方が大きいって、今気付けた気がする」



 死神とか人間とか関係なく、雪乃のまっすぐな愛情が孤独だった心を癒してくれた。どれだけ店が忙しくて大変でも、雪乃の笑顔を見るだけでそんなのどうでもよくなるくらい、元気になれる。それは全部全部、私が雪乃のことを好きだからだ。


 だからその時はちゃんと雪乃が殺してね。囁きながら唇を押し当てた。彼女の体は震えていて、もし雪乃に涙があったとしたら、きっと泣いていたんだろう。


 そのまま二人抱き合って、いつの間にか眠っていたらしい。目が覚めたのは朝の5時を回ったところで、あどけない雪乃の寝顔にキスをして起き上がる。


 ソファーで寝ていたせいで体中が痛かったけれど、心の中は満たされていて幸せな気分だった。

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