第5話 眠れない理由


 暗闇の中、私は目を開けて天井を眺めていた。雪乃は隣で寝息を立てている。死神でも寝るんだと初めは驚いたけれど、今はほぼ人間と同じ体らしいから別に普通のことなんだという。明日も店はあるからそろそろ寝ないとまずいのに、一向に寝れる気配はしない。きっと今日の話で両親のことを思い出してしまったからだ。


 両親が亡くなったのは、家族旅行からの帰り道のことだった。対向車線から飛び出してきたトラックと正面衝突して、前の座席にいた二人は文字通りぺしゃんこになったらしい。らしい、というのはその衝撃で軽い記憶障害が起きたせいで当時のことを何も覚えていないから、人伝いの話でしか知らないのだ。


 病院で目が覚めた時には一人ぼっちになっていた。それからの六年間は叔母さん夫婦の家に引き取られたけれど、従兄弟と波長が合わなかったせいで、高校を卒業してすぐ一人暮らしを始めて、両親が死んで以来閉まったままだった花屋を再開させた。本当のことを言えば事故の時の賠償金だけで生活できるといえばできるけれど、唐突に失ってしまった両親の思い出を残しておきたかったから。


 辛くないわけじゃない。それでも、もう十年も経ってある程度は乗り越えたと思っていたし、両親が生きていたころを鮮明に思い出すことも少なくなっていた。なのにこんなにも胸が苦しくなって泣きたくなっているのは、きっと雪乃の話のせいだ。



「ん……唯奈、寝れないの?」



 隣りで身動ぎをする気配があって、雪乃の声がした。ちらりと顔を向けると、眠そうな目を擦りながらこっちを見てくる彼女と目が合う。



「うん、ちょっとね」


「ごめん、私がご両親のこと思い出させちゃったからだよね」



 時々雪乃は私の心の中を見透かしているような発言をすることがあった。それも死神の力とやらなのかは分からないけれど、何となく聞くのが怖くて知らないふりをしている。



「いや別に……いいよ、大丈夫だから」


「嘘だ。本当は泣きたいんでしょ」



 雪乃はそう言うと同時に私の上に覆いかぶさってきて、そのまま唇を重ねてきた。抵抗する間もなく何度も角度を変えて繰り返される口付けに、思考回路を奪われていくのを感じる。



「ほら、やっぱり泣いてるじゃん」



 そう言って雪乃が微笑んだ。彼女の指先が涙を拭うけれど止まらないそれに、自分でも困惑を隠せない。こんなこと今までなかったのに。



「我慢しないで」



 雪乃が囁いてぎゅっと抱き締めてくる。体温のない彼女に包まれてもひやりとするだけだったけれど、まるで子供をあやすみたいに背中を優しく叩かれるのが心地良くて、自然と力が抜けた。



「……っ、お母さんとお父さんに会いたい」


「そうだね」


「旅行先でね、二人とちょっと喧嘩しちゃったの。お家着いたら謝ろうってずっと車の中で思ってて、なのに……っ、」



 まるで子供に戻ったみたいに、言葉も涙も止まらない。気付いたときには自分から雪乃にしがみついて嗚咽を漏らしていた。



「会いたいよ……」



 そう呟けば、彼女はただ黙って私を抱き締めていてくれる。その優しさに甘えて暫くの間泣きじゃくっているうちに、いつの間にか私は眠りに落ちていた。



「おはよ」



 朝——というよりも明け方だけど——目が覚めると布団の隣は空っぽだった。普段なら私の方が早く起きるからこんなことは新鮮で、はっきりしない頭のままリビングの扉を開ける。



「……おはよう」

 

「ふふ、ねぼすけさんだね。朝ごはん後でいいでしょ?先仕入れ行く?」



 カウンターの向こう側から雪乃が顔を覗かせた。黙ったまま頷いて、市場に行くべく支度をするために洗面所に向かう。顔を洗ったり軽くメイクをしていると、準備が出来たらしい雪乃が後ろから抱き付いてきた。


 

「何?」


「ううん。昨日の唯奈が可愛かったから」

 

「可愛いって、」

 

「それだけじゃないけどね……辛いことあったらいつでも吐き出していいんだよ」



 雪乃の言葉にはいつもどこか切なさが滲んでいる。きっと彼女自身も何か抱えていることがあるんだろう。死神だの何だの、人ならざるものとして括って見てしまう部分があったけれど、雪乃も中身はただの女の子だから。


 

「ありがとう。でも本当に大丈夫だよ、雪乃のおかげで気持ちが楽になったから」

 

「そっか、それなら良かった。でももしまた泣きたくなっちゃったら、その時はちゃんと言ってね」

 

「うん」



 そう答えると雪乃は嬉しそうに笑って離れていった。着替えてから外に出ると、まだ辺りは薄暗い。ひんやりとした空気の中、二人で肩を並べて歩き出す。



「今日は歩きでいいんだ」


「うん、そんなに量は仕入れないし」



 静かな明け方の商店街で、時折雪乃と私の笑い声が響く。まだ二週間の付き合いなのに、まるで昔から知っていたようなこの心地よさが気持ち良くて、このままずっと居たいと感じてしまった。


 

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