第8章 勇者の役割
その時、奥の茂みがガサガサッと激しく揺れた。高原で小動物を見たが、それとは違うもっと大きいものの気配がする。
心拍数が一気に上昇する。
エイトは必死に目を凝らすが、1メートル先ですらよく見えないのに数メートル先の茂みの中なんて見えるはずなく、ただ深い緑が動いていることしか分からない。
「エイト、私が先に行くから、後ろをお願い」
「えっ、あ……まじ?」
エイトの曖昧な返事などお構いなしに、ララは腰から金色の短剣を取り出し、前に飛び出していく。
それとほぼ同時に、茂みから唸り声を上げて、6匹……いや、顔が2つついたツノの生えた狼のようやモンスターが3匹飛び出した。毛はハリネズミのようなトゲトゲで色は深い赤。4本の足には鋭い爪が生え揃う。
腹を空かせているのか、それとも人間に相当な恨みがあるのか、涎を垂らして牙を剥き出し、ものすごい形相で、3匹は扇状に陣形を取り、ジリジリと距離を詰めてくる。が、エイトにはその姿が鮮明に見えないため、頭が2つある赤い毛玉が並んでいるようにしか見えない。
この時ばかりは目が悪くてよかったかもしれない。はっきり見えていたら怖くて足が竦んでいただろう。
ララは短剣を左手に、右手を中指と人差し指をそろえて伸ばし、宙を切るように素早く振り上げる。
「アウラの精霊よ、貴方の力を私にお貸しください。…疾風の如き剣を私に与え賜え」
その瞬間、突如現れた風が落ち葉を舞いあげ、ララが地面を軽く蹴ると、身体が何かに押されるように勢い良く前に飛び出す。
反動でローブのフードが脱げ、靡いた長い髪が光を浴びて、まるで天の川のようにキラキラと輝く。
ララが短剣を振り上げると、小さな竜巻が刃に纏わり付き、その勢いに乗って斬りつけた切っ先は目にも止まらぬ速さでモンスターの肉を抉る。
先頭にいたモンスターは唸り声を上げて怯むが、後ろにいた1匹がその影から飛び出した。
「あっ、エイトッ!!」
素早い動きでララの横を素通りし、無防備に突っ立っていたエイト目掛けてモンスターが牙を剥き出しにする。
「うわっ……」
悲鳴もままならず、後ろに後ずさるエイトだが、モンスターとの距離感が掴めず、ついいつもの癖で眉間の前で中指をクイッと上にあげる。結果、眼鏡をしていないため何も変わらないのだが。
その時、後ろに木の根が飛び出ていたのに気付かず、エイトは躓いてよろけて尻餅をついた。目が悪い以前に完全な運動不足だ。
それを良いことにモンスターは涎を撒き散らしながらエイト目掛けて襲いかかってくる。
こういう時なんだか時がスローモーションで流れるような感覚になり、頭の中を走馬灯が駆巡るだろうと強く目を瞑るが、すぐに大きな音で現実に引き戻される。
視界は舞い上がった土埃で真っ白、それが晴れた目の前は濃いブラウンで。そして地面には赤黒い水溜まり。
何もしていないのに息だけが上がり、足が震えて力が入らなくて、尻餅をついたまま呆然とそれを見ていた。
「すごい!エイト、魔法が使えるの!?しかも詠唱を省略して」
ララは興奮した様子で短剣を終いながらエイトに駆け寄り、手を伸ばす。
そこでようやく我に返ったエイトは、無意識にララの手を握ってゆっくり立ち上がると、目の前に横たわる大木にやっと気がついた。
どうやらモンスターが襲いかかってくる瞬間、運良く木が倒れてきて、下敷きになったようだ。
足元に広がる水溜りが血だということは、視力が悪くても分かった。よく見てしまうと、気持ち悪くなってしまう、とエイトは目を逸らして一歩後退る。
3匹目のモンスターは仲間がやられて怖気付いたのか、逃げるように茂みに戻って行ったようだ。
――おれが魔法?いつ?
目を瞑った瞬間、無意識に自分で何かやったのだろうか。いや、流石にそんなことはないだろうし、何かしていたら分かるだろう。
それに腰にぶら下げた剣を鞘から抜くことさえできなかった。
「いや、今のはまぐれ………ん、まあ幸運という名の魔法だな」
エイトは不恰好な笑顔を作ると、分かりやすく調子に乗ってみる。そうやって虚勢を張って、恐怖心を紛らわした。
「こううん?初めて聞く呪文だわ」
いや、流石に幸運の意味は分かるだろ、と思うが、きっと魔法だという先入観から勘違いしているようだ。
うん、何たる天然っぷり。
そしてそれに漬け込んで訂正せずに勘違いを押し通し、そこで終われば良いものの調子に乗ってしまうのがエイトの悪いところだ。
「いやー、結構強そうなモンスターだったのにこんなあっさり倒せるなんて、俺のチート技を披露する間もなかったぜ。こんなんなら、魔王なんてチョロいかもなぁー」
「え?魔王?」
「だって勇者って魔王を倒す者だろ?」
僅かな沈黙が流れ、ララが言いにくそうに切り出す。
「えっとね……、魔王は前に異世界から現れた勇者様が倒しちゃったから今はいないの」
「前の勇者様?前にも俺と同じ、異世界から召喚されてきた人がいるのか?」
「うん。数十年前で、もういなくなっちゃって、伝説として語り継がれてるの」
だからエイトと出会った時、同じ異世界からきたから勇者だと勘違いしたのか。いや、勘違いなのか本当に勇者として召喚されたのかは分からないのだが。
そして、それよりももっと気になる新事実。
「えーと、ちょっと待って……魔王がいないってことは、じゃ、じゃああれか?なんかドラゴンが暴れて封印しなきゃとか?」
「ドラゴンは神獣だよ?封印なんてとんでもない。寧ろ絶滅危惧種だから騎士団が保護しているの」
――あ、ドラゴンは悪者じゃないパターンね。
絶滅危惧種ならどうやら召喚したばっかの時に見たドラゴンはなかなかレアだったらしい。
「え、じゃあ勇者ってなにすれば」
「うーん、第三次戦争が100年前に終わって、勇者様が魔王を倒してからは、ずっと平和が続いているし、特になにも」
「なにも!?じゃあ俺は何のために召喚されたんだ!?」
「私にもそれは分からないけど、きっと何か理由があるんだよ!今はその時に備えて、呪いを何とかしましょ!」
――どうやら俺は勇者として召喚されたわけではないらしい。まあ、なんというか、手違いなのか?
これは魔王を倒したりする異世界ファンタジーじゃなくて、まさかの異世界スローライフの方だったようだ。
勇者として戦う人生を期待していたが、まあララとのラブラブスローライフなら悪くないだろう。
ゆくゆくはド派手な結婚式を挙げて、毎朝ララにおはようのキスをされ、子供は男と女1人ずつ。そして少し都会から離れた場所に広い庭のある家を買い、畑なんか耕して穏やかな老後を……。
と、またキモいと思われてしまう。
まあ、何はともあれ当面の目的は眼鏡を直すか、視力を回復させるかの2択。
それが叶わなければ、最高なスローライフが少し半減してしまう。
「よし、そうと決まれば早いところケットシーの子にレーシックしてもらうぞ!」
「張り切ってるところ悪いけど、エイト、そろそろ日が暮れちゃうし、少し先に川があるみたいだからそこでキャンプの準備をしましょ」
「キャンプ!?」
「うん。エノコロ村まではまだ少しあるし、川を越えた先はもう少し森が続いてモンスターも増えちゃうから、日が沈んでからじゃ危ないよ」
「え、2人で一夜を共に明かすのか?」
「ん?そうだけど?」
ララは大きな瞳をぱちくりさせて首を傾げる。
今の発言はまあまあ下心が透けていたのだが、やはり彼女は気づいていないようだ。
「ほら、早く!」
ララはそう言って、当たり前のようにエイトの手を握る。
――うん、まあとりあえず暫くは、見えない状態も悪くないか。
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