第6章 旅の出発は突然に


 教会は街の北側にあり、大通りを突き進んだ先にある十字架が目印の白い三角屋根の建物だ。


 教会といえば真っ白なイメージだったが、大きな扉をくぐると、中は意外にも木でできたベンチがズラッと並べてられており、壁は高級感のある飴色だ。ステンドグラスになった美しい窓ガラスから差し込んだ光が、白い大理石に綺麗な絵を描き、一番奥の大きなパイプと掲げられた大きな十字架が目を引いた。

 足音が高い天井に響き、赤い絨毯の敷かれた真ん中の通路を通るのはついつい緊張してしまう。


 頭の中のオーケストラが結婚行進曲メンデルスゾーンを盛大に演奏するほど、少々舞い上がりながら十字架の真下まできたところで、エイトはキョロキョロとあたりを見渡した。



「えっと、シスター様は何処に…?」



 すると、キィィっと古い扉が軋みながら開く音が聞こえ、最前列のベンチの左端の壁にある扉がゆっくり開く。



 今まさに現れるシスターの姿に胸を膨らませ……いや、胸が膨らんだ純白の修道服姿を期待して、ニヤける顔を押さえ、あらゆる妄想を脳内で繰り広げる。


 冒険で怪我をしたら、勇者様大丈夫?って心配して駆け寄ってきて、回復魔法のために密着して男の夢と希望の詰まったものを押しつけられたり……、モンスターの攻撃から彼女を庇い、勢い余って押し倒してしまったり、そしてそれとは逆にドジっ子な彼女が転んで押し倒してきて、彼女の柔らかいものを全身で受け止めたり………。



――うむ、回復役のシスターはドジっ子わがままボディに1票で。



 現れたのは金の刺繍があしらわれた白い修道服を着た、床につきそうなほどの長い白髪の、小柄で胸は期待できなさそうだが、というか後ろ向きに歩いている?



「インディゴ教会へようこそ。怪我も状態異常も我が神のご加護により回復してしんぜよう」



 それは想像していたよりハスキーな声の……いや、ハスキーというより嗄れた声?


 エイトはぼやける視界の中、ゆっくり近づいてくるシスターに目を凝らし、ついつい眼鏡の癖で鼻の前にいつもあるはずの眼鏡のブリッジを持ち上げるように、中指で宙を弾く。


 そして、何とか見える位置までシスターが到着し、落胆する。


 エイトの望み叶わず、どうやら後ろ向きに歩いているのではなく、長い髪だと思っていたのは長い髭だったようで、彼女ではなく彼は逆の意味で年齢不詳のおじいちゃんだった。


 

「シスターじゃなくてブラザー!?」


「へ?」


「あ、いや、シスターって男の人もいるのか?」


「うん。確か女の人が多いけどね」



 どうやらこの世界ではシスターは女の人、ブラザーは男の人、という意味合いはないようで、ヒーリング魔法の使い手の総称がシスターらしい。



 しかし、なんたる誤算。

 確かに長老系のキャラはゲームでも登場率高めだが、それが仲間になることはなかなかない。

 この世界ではシスターは旅に参加するタイプじゃなくて教会に駐在するタイプのようだ。

 いや、まあおじいちゃんが旅に着いてきてと気まずいのだが。


 こういうタイプの場合、どこの街でも教会のシスターは同じような顔の場合が多い。

 つまり今後もシスターには期待はできない。



 がっくり項垂れているエイトの代わりに、ララが長老シスターに用件を伝える。



「実は、彼が目眩しの呪いにかかってしまって、それを解いてほしいんです」 


「ほう、診てみましょう」



 長老シスターがそう言って、エイトの顔の前に手をかざすと、ライトグリーンの光が手のひらに灯る。

 きっとステータスや状態異常などを調べる魔法だろう。


 この世界の魔法は初めて見るが、というより魔法自体は初めて見るのだが、ゲームやアニメの影響で魔法は知り尽くしている気になってしまう。

 魔法といえば、技名を叫んだり何か呪文を唱えたりするが、長老シスターが何も言わないところを見ると、簡単な魔法や熟練の魔法使いは詠唱を省略したりするのだろうか。


 何にせよ、異世界に召喚されたからには自分が魔法を使えるのかどうかは知りたいところである。

 大体これは2パターンだ。

 全く使えないか、魔法で無双するか。



 エイトが思考を巡らせている間、長老シスターは結構長い時間をかけてエイトの身体の隅々を観察するように手を動かしていく。その度に、彼の眉間の皺はより一層深くなる。

 なんだか、全身丸裸にされているような感覚がして少し恥ずかしい。




 数秒して、長老シスターの手のひらの光は消え、難しい表情をした顔を上げた。



「うむ………確かに呪いの痕跡は感じる。しかし、非常にいい難いのじゃが……これは一朝一夕では治せまい」



 まるで重い病気が発覚した時のような、今の医療では治す術はありません、なんて言うようなテンションで切り出されたが、実際のところただのド近眼である。


 もう長いことこの視力とは付き合ってきたし、リアルの世界ではまあ眼鏡で困ってなかったから諦めていたことだけど、こっちの世界では治るかもと少し期待していた分なんだかショックだ。



「どうも強固な呪いのようじゃ。生まれながらの…それこそ母親の腹の中にいた頃に何者かにかけられた呪いか……」



 つまるところ、遺伝ですね。

 生活習慣のせいもあると思っていたが、まさかこんなところで原因が遺伝だと解明されるとは思っていなかった。


 やっぱりそうか。友人は小さい頃から薄暗い部屋でPCゲームをしていたけど、大人になった今でも視力良いって言っていたからな。と、少し見栄を張りました。知り合いではなくネットの顔も知らないただの投稿者Aの話だ。



 しかし、エイトが変な伝え方をしていたせいで、どうやらララは深刻に捉えているようだ。



「れーしっくの魔法でも解けないんですか?」


「いや…ララさん、それは………――」



 さっきほどは褒められたせいでついつい訂正するのを忘れてしまい、すっかりあの話を信じてしまっているララは真剣な眼差しで長老シスターに詰め寄る。


 流石の彼も聞いたことない単語に戸惑っているようで、眉間を摘んで少し考え込む。



「れぃしっく……?申し訳ないが、我の勉強不足じゃ。無知故そのような魔法は存じ上げぬ」



 自分を卑下する長老シスターには申し訳ないが、今更訂正するのもかっこ悪くて、エイトは心の中で謝りつつスルーする。



「こんな小さい町の教会に勤める程度のシスターには、複雑な呪いは手に負えぬよ。我を頼って訪れていただいたのに、力及ばず、恐縮至極である」


「いや、全然だいじょう………――」


「そんなあ!じゃあ彼は一生呪われたままですか?」



 エイト的にはもう諦める方向で良かったのだが、ララが思いのほか食い下がるので少し驚き、それと同時にキュンとしてしまう。



――ララさん……、そんなに俺のこと心配して……、まさか俺のこと!?



 ときめく要素がどこにあったのか、とお思いだろうが、どんな小さなことでも都合よく解釈して、自分に好意があるのでは!?と勘違いしてしまうのが、恋愛経験の乏しい悲しい性である。



 そして、エイトのことなのに彼を置いてけぼりにしてどんどん話が進んでいく。



「可能性がないわけではない。そうじゃなぁ、ケットシー一族を知っておるか?」


「ケットシーって、没落した種族じゃ……」


「うむ、今はな。じゃが昔、魔術に長けた一流種族として栄えておったのは伊達じゃない。今でもその力は衰えておらぬぞ」



 ゲームやアニメによってはその詳細な姿や能力に違いがあるが、ケットシーといえば猫の妖精だ。

 犬か猫派かと聞かれれば、断然猫を選ぶエイトからしたら、期待が膨らむ。


 大体獣系の種族は大まかに分けて2つのタイプがある。人型に猫耳やしっぽがついてるタイプか、猫に翼などがついて妖精に近いタイプなのか、欲を言えば前者がいい。

 だって考えてみろ。獣耳がついた女の子が可愛くないわけがないだろう。これは当たり確定である。


 そしてシスターで外れた分、美味しい思いをさせてほしい。


 異世界召喚者はハーレムになるはずなのに、まだララしか美女に出会えていないなんて大問題だ。



――いや、もちろん俺の心はもうララさん一筋なんだが。

 俺は最初に好きになった子以外とエンディングを迎えるような薄情なラブコメ主人公には成り下がらない。



 ハーレムでウハウハはしたいが、そこはきちんと信念を持っている。


 まあギャルゲーでは全ヒロインのストーリーをクリアーして、全エンディングを迎えるが、それとこれとは別だ。



 そしてそんなことを考えていると、また会話に置いてけぼりにされてしまう。

 これはコミュ症あるあるかもしれない。



「我の知り合いにケットシー一族の村の長をしておる者がおる。其奴の娘が、特に回復魔法を得意としており、その力は並のシスターとは比べ物にならぬぞ。北に少し行ったところにあるエノコロ村にケットシー一族が住んでおる。文を送っておくから、よかったら行ってみるとよい」


「ありがとうございます。エイト様行きましょうか」


「えっ?あ、ごめん。聞いてなかった。どこに?」


「ケットシー一族の村、エノコロ村!」



 そして、気付かぬうちに旅が始まった。

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