第2章 異世界に行けば勇者になれると信じてた
異世界に行った。
そんな貴重で夢を見てから、何度時計の針が回っただろうか。
あれから数週間、瑛斗は変わらぬ日々を送っていた。
薄暗い部屋の壁が青白い光照らされ、時計の針だけが音を立てる。
「はー、やっぱり3部作モノは2部が一番盛り上がるよなー。人気にかまけて、3部は結果駄作なんてよくある話だし、やっぱり評価通り2部で切っとけばよかったなあ………」
瑛斗はヘッドフォンを外し、モニター画面から視線を外すと、大きな独り言を呟いた。
彼は一つのことに熱中すると、他のことが見えなくなってしまう傾向がある。
例えばアニメ。イチ押し深夜アニメのリアタイ視聴は当たり前、SNSでは作品の批評や意見交換を行い、長編過去作イッキ観のために三徹なんて朝飯前。
得意なゲームでは、FPSからRPG、はたまたギャルゲーまで、幅広いジャンルをプレイし尽くし、朝から晩まで、外が暗くなることにも気付かずに、食事も睡眠も忘れてプレイするなど日常茶飯事だった。
案の定、今回も彼はアニメに熱中しすぎて、もう既にあの夢のことなどすっかり忘れていた。
長時間座りっぱなしで凝った肩をほぐすように首を回し、大きな伸びをする。その流れで、ズレていないのに癖で黒縁眼鏡のブリッチ部分を中指で持ち上げて直す。
これは眼鏡男子として、あるあるな一連の流れだ。
瑛斗の視力が悪いのは、昔から真っ暗の部屋でアニメやゲームをすることが好きだったからだ。
まあ最近では視力の良し悪しは遺伝の影響が大きいとも言われるが、両親2人ともメガネのため、どのみち避けられようのないことだった。
気がついた時には眼鏡が手放せないほどの超絶ど近眼になっており、裸眼では1メートル先にある物ですら輪郭をぼんやりとしか捉えられなかった。
きっと漫画のキャラなら瓶底眼鏡でもしていただろう。幸い今の現代技術ではどれだけ視力が悪くてもレンズの厚さはさほど気にならない。
だが、寝るときと風呂に入るとき以外は眼鏡を手放すことができない、眼鏡キャラは眼鏡が本体、と言われても過言ではないくらいに、眼鏡は彼の一部だった。
だから、今まで目が悪いことなんて気にしたことがなかった。――あの時までは…。
のそのそと部屋から這い出た瑛斗は、二日ぶりの風呂場へ向かっていた。
高校3年の終わらない春休みは、気がついたら冬になっていた。
外は闇にどっぷりと沈む深夜4時すぎ、昨晩も寝ていなかった瑛斗はさすがに眠気もあり、うとうとしながら脱衣所で服を脱ぎ、深夜の冷え込みに小さく身震いをした。
眼鏡を外しながら眉間を摘んで1度瞳を固く瞑り、1日の疲れ、と言ってもただアニメを観ていただけなのだが、長時間テレビ画面を観ているのはどれだけ好きなものでも流石に目にくるため、その疲れを実感しながら、風呂場のドアを開ける。
湯気が一気に押し寄せ、それを全身で浴びながら重い瞼を持ち上げる。
ぼんやりとした視界の中に見えたのは、一面緑で、心なしか草木の香りがする。
今日の入浴剤は森の香りか?なんて思ったが、緑なのは浴槽の中だけではなく、足元から壁まで広がっていた。
――うちの風呂場って緑のタイルに緑の壁紙だっけ?意外と身近のものって意識して見てなくて、何十年越しに気付く真実的な?
そう簡単に納得しようとしてみるが、
――……いやいや、さすがにそこまでバカじゃない。じゃあ、あれか?俺がゲームやアニメに没頭しているうちに、母さんたちがリフォームでも頼んだのか?でも流石に緑って…、俺の視力は今更この程度じゃ回復できないよ?
なんてことを考えながら足を踏み出すと、カサっといつもと違う感触が足を纏う。
裸足の指の間に何かが入り込み、視線を下げて目を細めて見ると、それは草のようにみえた。
眠気のせいかいまいち頭が回らず、瑛斗は目を細めたまま、ゆっくり辺りを見渡した。
ぼやけた眼前に広がるのは、果てしなく続く緑の草原。蛍光灯では感じられない心地よい陽射しに、室内では起こり得ない爽やかな風が花の香りを運ぶ。
小高い丘には立派な枝を広げた大木がそびえ立ち、その上を褐色の大きな翼を持つ生き物が旋回していた。
岩肌のような皮膚は鱗に覆われ、力強く太い尻尾。手足には鋭い鉤爪が生え揃い、口元から大きな牙が覗く。
眼鏡を外した瑛斗の瞳には、その巨大な輪郭しか映らないが、何となく理解した。
「な、何だよこれ……」
声が震えた。
しかしそれは、困惑や恐怖からではない。
彼の声はその言葉とは裏腹に、期待と高揚感で満ち溢れていた。
数週間前に見た夢と同じだ。
そんな彼を見下ろすその生き物は、ダイナミックに翼を羽ばたかし、突風を巻き起こし、大木を騒めかす。
その風は彼の素っ裸の身体と少し癖っ毛の髪を撫で、大きなくしゃみを誘った。
お風呂に入ろうとしていたところなのだから、衣類一つ身につけていないのは仕方がない。
この大自然の中、開放的過ぎるがここは敢えて隠さない。というか、そんなことこんな時に気にしてなんかいられない。
五感全てで感じるその空気は自宅の風呂場ではなく、紛れも無く自然豊かな草原の上で、夢にしてはあまりにも鮮明だった。
空を飛び回る生き物は初めて見るはずだが、彼はそいつをよく知っていた。なぜなら彼は、既に何度も疑似的に目にしてきたからだ。
その名もドラゴンだ。
彼がそれを知っていたのは無論ゲームやアニメの知識であり、それを観ることで同時にもう一つの事実も疑似体験していた。
それは異世界転生だ。
眼前に広がるあり得ない状況に、彼は胸の高鳴りが抑えられず、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
――いや、期待するな。これは夢だ。
彼がアニメにめり込み過ぎて、異世界転生を切望したあまりにみた夢に違いない。
「きゃっあ……」
そのとき、背後で何か声が聞こえ、振り向くと同時に頬に激しい痛みが走った。
「っ……!?」
頬を押さえたところで彼はようやく自分が平手打ちされたことに気が付いたが、その痛烈な痛みに思わず笑みが溢れる。
彼の威厳のために断っておくが、決してドMではない。
いや、SかMかと聞かれたら、悩んだ末にMだと答えるが、今回の笑みはそういうことではない。
だってそうだろ?
夢の中では痛みを感じない、それは常識だ。
つまり、痛みを感じるということは、これは……――。
彼はニヤける顔をなんとか抑え、平然と装い顔を上げる。が、すぐに作った表情は崩れ、頬を赤らめた。
一目見たとき、地上に舞い降りた女神かと思った。いや、月のない夜空に輝くたった一つの星のような、なんと言い表していいのか分からないが、そこに立っていた少女は彼にそう思わせるほど美しかった。
羽織っていた燻んだクリーム色のローブのフードが脱げ、そこから覗く西洋風に整った顔立ち、透けるようなという表現がぴったり過ぎるほどの白い肌、瑛斗とは違う尖った耳。
腰まである長い髪は、金色に染めた絹糸のように柔らかく靡き、一瞬にして彼の瞳を奪った。
「ご、ごめんなさい。ついビックリして……。」
少女が驚くのも無理はない。
こんな大自然の中、いかにも怪しい真っ裸の男が立っていたら、反射的に手を上げてしまうのが普通の反応だろう。彼女に罪はない。
少女は顔を赤らめて彼の局部を見ないように視線を逸らしたところで、何かハッと思い出したかのようにもう一度彼に視線を向けた。
「も、もしかして……あなたは異世界から召喚されし、あの伝説の勇者様…?」
夢では感じることのできない頬の痛み、草や風、日光の鮮明な感触。
そして、魅惑的な言葉。
彼は確信した。
これは夢じゃない。現実だ。
眼前にいる美しい少女の期待で輝かせる瞳を裏切れる男なんて、この世のにいるものだろうか。
否、彼にはそんな残酷なことはできない。
「そ、そう。俺は………伝説の勇者だ!!」
梛木瑛斗、18歳。
夢の異世界生活初日、後には引けない、人生最大の大嘘を吐いた。
いや、厳密にいうと嘘ではなく思い込みだ。
だって、彼のあらゆる知識では必ずといって、そうだったからだ。
異世界に行けば、誰だってその世界の主人公に、勇者になれるんだろ?
つまり、彼はこの見も知らぬ世界の伝説の勇者(自称)になったのだ。
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