ホチキス姉妹

 さっきからわたしたちはホチキスのことばかり考えていた。


 テーブルに置かれた青いホチキス。そこに何の比喩があるのだろう。わたしたち姉妹を永久につなぎ留めてしまうホチキス。しかしホチキスなんか無くても、わたしたちが離ればなれになることはない。これまでも、そしてこれからも。


「やっぱり上の句がホチキスだと収まりが悪いね」そう言って、姉はホチキスを手に取った。


「下の句に持ってきてもいいんだよ」わたしは言った「とりあえず思いついたのなんでもいいから言ってみたら?」


 わたしがそう急かしても、やはり姉はためらっていた。彼女の悪い癖だ。ためらっているうちに、やがて無為のうちに時間を過ごすことに楽しみを見いだしてしまう。それで、わたしはいつも姉を後押しする立場に立たされるのだ。


「じゃあ、ユキちゃんから先に言ってよ」姉は言った。


「俳句やろうって、最初に言い出したのはお姉ちゃんでしょ」


「ずるい」


「なにが。お姉ちゃんが先にお手本見せてよ。年上なんだし」


「ユキちゃんだってもう大人でしょ?」


「まだ高二だから」


「わたしだって高三だよ。受験で忙しいんだよ?」


「わたしだって同じだよ。受験は高二から始まる。でも、お姉ちゃんが気分転換に俳句しようっていうから、つきあってるんじゃない」


「ああ。そうだったねえ」姉は、日向の縁側でお茶を飲むおばあちゃんみたいな声を出した。


 姉はいつもこうだ。小さいころからぜんぜん変わらない。大きくなったらだんだん変わっちゃうのかなと思っていた。でも、そんなことなかった。


 姉はずいぶんモテる。自分から動くわけではないのに、中学のときから彼氏が絶えたことがない。姉に初めて彼氏ができたと聞かされたとき、当時小六だったわたしは混乱した。姉がどこか遠くに行ってしまうような気がしたのだ。しかし、彼氏ができてからも、姉はあいかわらずわたしの部屋に毎晩やってきては、こうしてだらだらと時間を過ごしている。土日にはよくデートに出かける。でも、必ず晩ご飯までには帰ってきて、わたしとだらだら過ごすのだ。おかげでわたしの受験勉強はなかなか進まない。


 わたしは男の人とつきあったことがない。それでも、姉が彼氏と本気でつきあっていないことくらいはわかる。男女交際をしているというよりも、ぬるい部活に入ったくらいのつもりなのかもしれない。わたしは、異性とつき合うというのは、かなりハードな体育会系の部活に入るようなものだと思っていた。


「ホチキスの」


 姉は言った。わたしは次を待った。


「針を探して 日は暮れぬ」


「ダメだね」わたしは言った。「ぜんぜんダメ」


「ホチキスの針、引き出しの中にあったはずなのに、なんでないんだろう、ってあっちこっち探してるうちに、日が暮れちゃうの」


「意味はわかってるよ。でも、それだとそのまんますぎでしょ」


「ダメなの?」


「俳句って、もっと遠回しな言い方しないといけないんだよ。‘柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺’とか」


「わあ、ユキちゃんじょうず」


「わたしのじゃないって。日本の教養。ところで、ホチキスって季語なの?」


「季語って?」


「お姉ちゃん、本当に受験勉強してる? 高三で季語知らないとか」


「理系に行くからいいよ」


「お姉ちゃん文系コースじゃん。本当は大学行きたくないんじゃない?」


「まあ、別に行きたくはないかな。でも、働くのもちょっと待ってほしいし」


「いつかは働かないとならないよ」


 姉は悲しそうな顔をした。


「ユキちゃんと結婚できたらなあ」


「わたし、お姉ちゃんを養わないよ。彼氏さんと結婚したら?」わたしはあえて切り込んでみた。


「たぶんわたしは誰とも結婚しないと思う」姉は言った。めずらしく真顔だった。


「お姉ちゃんモテるんだから、その気になれば誰とでも結婚できるんじゃないの?」


 姉は首を横に振った。姉の長い黒髪が大きく揺れたが、頭を止めると髪型は少しの乱れもなしに元に戻った。


「わたしまだ、キスしたこともないんだよ?」


「え?」意外だった。


「それで、いっつもフラれちゃうの。ものすごく怒られて。なんでみんな怒るんだろう?」


「キスもさせないんだったら、最初からつきあわなきゃいいじゃない。詐欺だよ。相手に失礼だって」


「それそれ。みんな同じこと言うの。意味わかんない」


「お姉ちゃんとつきあいたい人は、お姉ちゃんとキスしたいから、つきあいたいんじゃないの?」


「そうなの?」


「だってただの友だち相手だったらキスできないし」


「ねえ、なんでさっきからキスの話ばかりしてるの? ユキちゃん、キスしたことある?」


「ないよ。それにキスの話始めたのお姉ちゃんじゃない」


「ホチキスのことばかり考えてたからかな」


 わたしたちはまた黙ってホチキスをじっと眺めた。


 このホチキスはわたしが生まれるずっと前からこの家にある。でも、あまり古いという印象はない。ホチキスはもはや完成された商品で、これ以上新しくなりようがないのだ。そして、普通に使っていれば壊れることもない。わたしがこれから年を取っていっても、ホチキスを買い換えることはないだろう。ホチキスはずっと同じ姿で、わたしの人生に伴走してくれるのだ。そう考えると、だんだんホチキスがかわいい相棒のように思えてきた。


「三十年前のホッチキス 今日もホッチキス」


 わたしは思いついたことをそのまま口ずさんだ。姉はしばらくぼんやりとわたしの顔を見つめていたが、とつぜん何かひらめいたように言った。


「てかりてあれり」


「何?」


「下の句だよ」


「意味がわからない。てかりて、あれり? てかりて?」


「じゃあ、これはどう? ‘きらきらとあれり’」


「‘あれり’って言いたいの?」


「ホチキスをさ。‘ホッチキス’って言う人いるよね。それがユキちゃんだよ」


「普段はわたしも‘ホチキス’って言うよ。今は俳句だから」


「三十年前のホッチキス 今日もホッチキス きらきらとあれり」


「うーん」


「いいんじゃない?」


「字余りすぎるし、季語ないし、あれりって言い方もなんか」


「季語はホッチキスでしょ?」


「だからいつの季語よ」


「秋」


「なんで」


「修学旅行のしおりつくるとき、わたし、ホチキス係だったの。修学旅行は秋だから、ホチキスも秋」


「秋に修学旅行しない高校もあると思う。それに、ホチキスは修学旅行のしおりをつくる専用の道具じゃないし」


「じゃあ、ユキちゃんは最近、ホチキス何に使った?」


 わたしは考えた。言われてみれば、ホチキスなんてずっと使ってない。去年の学校祭でお化け屋敷をやったとき、ホチキスは使っただろうか? 段ボールを組み立てるのに使ったのは、たしかガムテープだ。暗幕を留めるのに大型のホチキスを使っていた記憶はあるが、あれを使っていたのはわたしではなく先生だったと思う。それに、あの無骨な業務用ホチキスと、この手の中にすっぽり収まるちっちゃいホチキスとでは、同じホチキスでもまったく別物としか思えなかった。


「高校入ってからホチキス一度も使ってなかった」わたしは言った。


「わたしは使ったよ。修学旅行のしおりづくりでね。だからホチキスは秋でいいんだよ」


 反論の材料は尽きていた。それで、ホチキスは秋の季語になんとなく決定した。


「ところでお姉ちゃん。修学旅行はどこ行ったんだっけ? 京都?」


「京都と大阪と広島。あと、奈良も一瞬行った」


「面白かった?」


「面白いっていうか、修行だねえ、修学旅行は」


「そんなに嫌だったの?」


「だって、ユキちゃんとこうしてだらだら過ごすのがわたしには一番幸せだから」


「わたしもあんまり行きたくないかな。京都行くなら、自分でお金貯めてひとりで行きたい」


「ユキちゃんが行くならわたしも一緒に行く」


「ひとりで行くって言ってんじゃん」


「ユキちゃんと わたしはホチキスで 留められてる」


「今の俳句?」


「うん」


「人と人が‘留められてる’って言い方、初めて聞いた。普通、‘結ばれてる’とかじゃない?」


「結ばれてたら歩きにくいでしょ」


「留められてても歩きにくいと思う」


 下の方から母の声がした。もうお風呂の時間だった。姉はわたしと一緒に入ると言って聞かなかったが、わたしは断固として訴えを却下し、姉に先に入ってもらった。


 姉のお風呂は早い。お湯の中でじっとしているのが苦手だと言って、いつもカラスの行水で済ませてしまう。じっとしているのは得意そうだが、お湯の中にいると圧迫感があるのが嫌なのだそうだ。どうせすぐ上がるのだから、わたしも下に降りて、母と一緒にテレビを観ながら待った。知らない芸能人がたくさん出てきた。母が説明してくれたけれど、誰が誰だかすぐに忘れてしまった。


 姉がお風呂から上がってきて、その後にわたしも入った。浴室の中は姉のシャンプーの匂いがした。そのシャンプーをわたしも使い、わたしは姉と同じ匂いになった。もっとおしゃれな姉妹だったら、シャンプーにもそれぞれこだわりがあって、別々のシャンプーを使ったりするのだろうか。お互いの匂いは混じり合うことなく、いつまでも匂いのちがいを感じることができる。それも楽しそうだなとわたしは思った。


 お風呂から上がると姉と母がアイスを食べていたので、わたしも冷凍庫から出してきて一緒にソファに並んで食べた。わたしたちが知らない芸能人のことを母は詳しく教えてくれた。わたしたちは「ふうん」「へえ」とだけ言って、母が言うことをなにひとつ覚えようとしなかった。しかし母はとくに気にしていないようだった。わたしたちがアイスを食べているあいだ、芸能人たちはせっせと面白い話をしてくれていた。わたしたちは笑ったり笑わなかったりした。


 二階に戻ると、また姉がわたしの部屋に入ってこようとするので、「そろそろ寝たいんだけど」と言って止めた。


「一緒に寝ようよ」姉はわたしの腕を両手でつかんで軽くゆすりながら言った。


「ぬいぐるみと一緒に寝たら? 部屋にたくさんあるじゃない」


「そういうタイプのぬいぐるみはないの。全部、彼氏からもらったぬいぐるみだから」


「今の彼氏からもらったの?」


「前のも、前の前のも、前の前の前のも。彼氏って、なんですぐ彼女にぬいぐるみをプレゼントしたがるのかな。すごく場所取るのに、捨てるわけにもいかないし」


「捨てていいと思うよ」


「ぬいぐるみに罪はないから」


「ねえ、お姉ちゃん。まじめに男の人とつきあう気がないんなら、最初から断ればいいじゃない。相手を弄んでるのと同じだよ」


「まあまあ。その話はここではなんだから、ユキちゃんのお部屋に入っていい?」


 わたしはためらった。しかし、これは姉にお説教するいいチャンスかもしれない。


「いいよね?」


 わたしはため息をついて、部屋のドアを開けた。姉はわたしよりも先に中に入り、ベッドの上にちょこんと座った。顔が小さくて、流れるような黒い髪が美しくて、まるでお人形が座っているようだった。わたしもその隣に腰を下ろした。


 姉がまたホチキスの話を始めようとするので、わたしは遮った。


「俳句の話はおしまい」


「ええ。まだできてないのに」


「明日やろう。今は、お姉ちゃんの乱れた異性関係の話をしよう」


「乱れてないって」


「男の人をとっかえひっかえしてるんでしょ?」


「ちがうよ。わたしは何も選んでないから。向こうがわたしをとっかえひっかえしてるの」


「断ればいいじゃん。告白されてつきあってるんでしょ?」


「断ってるよ」


「そうなの?」


「そう。でも、なぜかつきあってるの」


「断り方が間違ってるんじゃないの? 相手から見たら、断られているように感じないんだよ」


「じゃあ、やってみる?」


「何を?」


「ユキちゃんがわたしに告白してみて」


「え、それは無理」


「おーけい、じゃあ話はこれでおしまいだね」


 姉はそう言って、わたしのベッドにもぐりこもうとするので、わたしは姉の肩をがしっとつかんで止めた。


「わかったよ。じゃあ、やってみる」そして、わたしは息を整えてから言った。「好きです。つきあってください」


「え、もう始まってんの?」


「返事は?」


「ねえねえユキちゃん。ここ、どこ?」


「わたしの部屋だよ。とうとうボケたの?」


「そうじゃないって。告白って、場所が大切なんだよ。告白する人たちだってバカじゃないから、どこで告白するか事前に準備してるの。ユキちゃん、ここはどこですか?」


「じゃあ、体育館の裏」


「学校で告白するの?」


「え、そういうもんじゃないの」


「まあ、学校でもいいけど。でも、学校だと告白される方も困るよね。知ってる人に見られるかもしれないし、部活とか委員会の仕事とかやることがあって忙しいかもしれないし。それに学校って日常でしょ? 日常モードからいきなり恋愛モードに入られても、こっちがついていけないっていうか」


「じゃあどうするの?」


「先に遊びに誘われるの。最初は何人かで一緒に行くんだけど、二回目はなぜかみんな都合が悪くなって、二人きりになっちゃうの」


「それ、はめられてるってこと?」


「まあ、そういう言い方もできるね」


「でも、そこで告白されても断ればいいだけだよね」


「断ってるつもりなんだけどな」


「断り方が悪いんだよ。じゃあ、ここは遊園地ね。お姉ちゃんは男友達とふたりきりで観覧車に乗る」


「みんな観覧車を選ぶよね」


「個室だからね。ジェットコースターでもいいかもしれないけど。吊り橋効果があるし」


「わたしジェットコースター苦手。怖くはないけど、体が圧迫されてつかれるから」


「じゃあ、観覧車ね。はい、ここは観覧車です」


「わあ、人がゴミのようだ」


「なんでこんな人にみんな告白したがるんだろう」


「わたしもそれを知りたいよ」


「実は俺、ずっとお前のことが好きだったんだ」


「なにが?」


「だから告白でしょ」


「景色を楽しんでるときにとつぜん言われたら、なにが、ってなっちゃうよ」


「どうすればいいの?」


「前振りで、なんやかんやロマンチックなこと言うんだよ。それで、気持ちがだんだん盛り上がってきたところで告白するの」


「気持ちが盛り上がるのはお姉ちゃんの方?」


「ちがうよ。告白する方の人。自分で語って、自分で盛り上がっていくの。告白のための助走だね」


「なあ、おぼえてるかい?」


 姉はベッドの上で文字通り笑い転げた。わたしは構わずつづけた。


「初めて君と会ったときのこと。ふたりとも遅刻して、門の閉まった正門の前で途方に暮れてたっけ」


「うん、おぼえてるおぼえてる。正門を閉めたり普通しないけどね。来客とかもあるから」


「俺は壁の上によじ登って、下で困っている君に手を差し出したんだ」


「あ、それなら先にカバンを壁の向こうに放り投げないと。でもそうするとカバンの中のお弁当がぐじゃぐじゃになっちゃうよね」


「あのとき握った君の小さな手。あのときから、ずっとこの日を待っていた。好きだ」


「あれ、ここどこ? 学校? わたし学校で告白されてるの?」


「いや、学校は回想シーンの方。今は観覧車にいるの。好きだ。俺とつきあってくれ」


「はあ」


「返事は今じゃなくていい。いつまでも待つよ」


「じゃあめんどくさいからつきあってみよっか」


「ちょっと待って!」わたしは叫んだ。「断ってないじゃない」


「あ、ほんとだ」


「なんでオーケーしちゃってるの?」


「太宰治がね、待つより待たせる方が苦しいって」


「なんのこと?」


「そう太宰治が言ってたって、古典の先生が言ってた」


「現国の先生じゃなくて?」


「うちの古典の先生、古典の授業しないで太宰治の話ばっかりしてるから」


「つまり、相手に返事を待たせるのが嫌だから、オーケーしてるってこと?」


「返事するの忘れちゃいそうだし。それに、ふたりきりで観覧車に乗ってるんなら、もうつきあってるみたいなものでしょ?」


「お姉ちゃんはもう観覧車に乗らない方がいいと思う。高所恐怖症とか言ってごまかしてさ」


「河原で告白されるケースもあるよ」


「だからなんで河原でふたりきりになっちゃうのさ。その時点でもうカップルじゃん」


「わたしだっておかしいと思うよ。でも、だったらどのタイミングで断ればいいの? 河原に行きませんか、ってはっきり訊いてくれるなら断れるんだけど、何も訊いてこないし。一緒に歩いてたらいつの間にか河原に来てるの」


「わかった。お姉ちゃんそういうとこあるよね。タイミングをつかむのがすごく苦手で」


「小学校のときも、大縄飛びでいつもわたしだけ引っかかってたな」


「だからこれからは、告白されそうな雰囲気になったらわたしにメッセージを入れて。そしたらわたしからお姉ちゃんに電話するから」


「ユキちゃんが電話くれたらなにがどうなるの?」


「雰囲気が崩れるでしょ。なんだったら、緊急の電話だったってことにすればいいよ。家が火事になったとか、おじいちゃんが危篤とか。それで早めに帰っちゃうの。そして次からはその相手からどんなに誘われても一緒にどこかに行ったりしないことにすればいい」


「でも、相手の前でスマホいじってメッセージ送るのって、失礼じゃない?」


「そんなことないよ。そろそろ遅いから家族に連絡しとくね、とか言っとけばいいんだよ」


「なるほどね」姉は本当に感心したように言った。「今度やってみる」


「お姉ちゃんのこといろいろ心配だけど、異性関係がいちばん心配なんだ。いつか刺されたりしないかって」


「でも、いっつもフラれてるのはわたしの方だよ? 向こうから勝手に告白してきて、向こうから勝手にフってくるの」


「相手が逆恨みするってこともあるでしょ。じゃ、この話はこれでおしまいね。そろそろわたし寝るから、おやすみ」


「おやすみ」と言って、姉がわたしのベッドの中に入ろうとするので、わたしは姉の肩をがしっとつかんで止めた。


「なぜここで寝る」


「たまには一緒に寝ようよ。わたしも眠くなっちゃった。部屋まで戻るのしんどいし」


「一緒に寝るならお姉ちゃんの枕いるから、どっちにしても部屋まで戻ることになるでしょ」


「あ、そうだね。じゃあ、枕とってくるよ」


「ちょっと!」


 姉はベッドから飛び降りて部屋から出て行った。ドアを押さえて入れないようにしてやろうかと思ったが、大人げないのでやめた。高二はもう立派な大人なのだ。


 しばらくして姉が大きな枕を持って戻ってきた。わたしはもう諦めて、自分の枕をベッドの端の方に寄せ、布団の中に入った。その隣に姉も入ってきた。姉の枕が大きすぎて、わたしの枕にちょっとかぶっていた。しかし姉は小柄なので、意外と窮屈には感じなかった。これなら普通に寝返りも打てそうだった。


「じゃあ、電気消して」


「ユキちゃんが消してよ」


「リモコンそっち側にあるでしょ。ベッドのそばのテーブルの上。わたしからは届かないから」


「わかったよ」姉はリモコンを取って電気を消した。「ねえねえ、ユキちゃんは彼氏つくらないの?」


「寝ろ」


「ユキちゃんに彼氏できても、わたしは受け入れるよ」


「寝ろ」


「ホチキスの」


「ホチキスの てかりてあれり 修学旅行」


「ユキちゃん、俳句へただねえ」


「うるさいな。俳句が上手ってどういうの?」


「柿とか法隆寺とかじゃないの?」


「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」


「それそれ」


「でも、これがどうして上手な俳句なのか、わたしにはよくわかんない」


「柿食えば鐘が鳴るなりホッチキス。どう?」


「うーん。あんまりちがいがわからない」


「もしかして、わたしたち俳句の才能ないのかなあ」


「そんなこと最初からわかってんじゃん。わかっててやってたんでしょ?」


「ユキちゃん」


「うん?」


「わたしたち、才能なくてよかったね」


「なんでさ。才能ほしいよ」


「わたしには俳句の才能もないし、男の人とつきあう才能もない。だから、ユキちゃんとずっと一緒にいられるんだと思う」


「ずっと一緒にいる気?」


「いや?」


「わかんない」わたしはあくびをした。「自分にどんな才能があるのかまだよくわかんないし」


「ねえ、ユキちゃん」


「なに?」


「おやすみ」


「おやすみ」


 そして部屋は静かになり、わたしは眠りに落ちた。夢の中で、ホチキスを季語とした素晴らしい俳句を思いついた。しかしそれがどんな俳句だったのか、わたしにはどうしても思い出せない。わたしには何の才能もない。

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