ダンジョン虫とかぐや姫

「毎日毎日ダンジョン虫ばかり食べて、よく飽きませんね」ダンジョン虫が言った。「そろそろ現実世界に戻りたいとは思わないのですか?」


「ぜんぜん」かぐや姫は言った。「あなたたち意外とおいしいしさ。ずっとここで暮らしてもわたしは構わないよ」


「すべて幻覚ですよ。このダンジョンと同じで、ぼくたちがあなたに見せているただの幻覚です」


「カレー味飽きちゃったから、次はタルタルソースたっぷりかけてくれない? わたしタルタル教信者なの」


「幻覚を解いてあげてもいいのですが」


「解いたらどんな味になる?」


「さあ。でも虫ですからね。あまり期待しない方がいいと思いますが。味も、見た目も」


「ねえ、あなたも食べていい?」


「構いませんが、しかし今は話し中ですよ」


「いただきまーす」


かぐや姫は壁に貼りついているダンジョン虫を引き剥がし、お尻の方からかぶりつくと、太めのうどんをすするようにちゅるちゅると口の中に含んだ。口の中から「あとはたのみましたよー」とダンジョン虫の低い声が聞こえた。それに呼応するように、壁一面のダンジョン虫たちの背中が青白く明滅した。


「ああ、おいしかった」


「タルタルソースの味はしましたか?」壁に貼りついているダンジョン虫のうちの一匹がかぐや姫に話しかけた。ちょうど、かぐや姫の目線の高さにいる個体だった。


「したした。噛んだら中からタルタルソースがぶちゅって出てきてびっくりした」


「そろそろお帰りになられては? 今ごろお城の方たちはあなたのお葬式でもしているのではないでしょうか」


「そっか。わたしがいなくなってからずいぶん経つものね。死んだと思われてもしかたないか」かぐや姫は両腕を上げて伸びをして、「ちょっと残念だな」とぽつりと言った。


「なにがですか?」


「わたしが自分のお葬式に出られないこと」


「お葬式に本人は出ないものですよ」


「わたしのお葬式してみてよ」


「これまでにお葬式に出たことは?」


「5歳の時、ひいおじいちゃんのお葬式に出たと思う」


「わかりました。でも、幻覚の材料になるのはあくまであなたの記憶ですからね。5歳の記憶なら、それ相応の幻覚にしかなりませんよ」


「わかってるって。早くやってみてよ」


ダンジョン虫はため息をついた。本当は呼吸など不要なのだが、人間に幻覚を見せる生きものであるというその性質上、人間と共通するジェスチャーは必要だ。そして、実はこのため息もまた、ダンジョン虫の見せる幻覚なのである。


ダンジョン虫自身は呼吸をしないし、声を発することもない。その姿は、クリオネをツチノコくらいの大きさにしたものだと言う人もいれば、オーブンに入れる前のチョココロネの生地に似ているという人もいる。なんでもいい。いずれにしても、ダンジョン虫の肉体はその上に幻覚を映し出すためのただのスクリーンでしかないのだから。実際のダンジョン虫には触角や小さな無数の脚があり、かなり虫っぽいが、幻覚のおかげで、その姿は何かのゆるキャラのようにだいぶデフォルメされていた。実際のところ、その真の姿を見た者はほとんどいない。ツチノコと同じ、幻の生きものだった。


「お葬式ってこれだけ?」かぐや姫が言った。


「棺、死者、その周りに立つ人々。あなたの記憶にあるのはそれだけでした」


「なんか家族葬っぽい。出たことないけど。あ、棺にわたしが入ってる」


「触ってみてもいいですよ」


かぐや姫は自分の遺体のおでこや頬を触ってみた。さっき食べたダンジョン虫よりも少し弾力が弱いなと思った。胸のあたりも触ってみて、「こんなところまで再現してるんだ」と言った。


「サイズはぴったりだったみたいですね」


「うわ、それセクハラ発言なんですけど」


「それは失礼しました。どうも、異種同士なのでよくわからず」


「でも、わたしも知らないうちにあなたたちにセクハラしてるかもしれないしなあ。異種同士だからよくわからず」


「食べてますしね」


「すすったしね」


「かぐやちゃんに何してるの!」急に声がして、かぐや姫は驚き振り返った。誰もいない、と思ったら、足元に小さな女の子がいることに気がついた。「今、かぐやちゃんのおっぱい触ってたでしょ!」


「ええ? 触ってないよ」かぐや姫はとぼけた。「そこからだとそういう風に見えるのかな? わたしはほっぺに触ってただけだよ」


「うそ。さっきはもっと下の方触ってた」


「肩だよ」


「うそ。もっと下」


「じゃあ鎖骨のあたりをくりくりしてただけだって。ていうか、あなた誰?」


「――」


女の子が何か言ったが、名前のところだけくぐもっていて、何も聞き取れなかった。


「なんて?」


「だから――」


やっぱり聞こえなかった。ダンジョン虫が「データが無いんですよ」とかぐや姫の耳元で説明した。


「じゃあ、質問の仕方を変えよう」かぐや姫は言った。「あなたは、かぐやちゃんの何なの?」


「婚約者よ」


「いくつ?」


「5歳」


「婚約者って、ようするに親友ってこと? つまり、かぐやちゃんはあなたのお友だちなんでしょ?」


「うん、お友だち。お友だちで婚約者」


「ふーん。知らなかったなあ。かぐやちゃんにお友だちがいたなんて」


本当に知らなかった。この子は誰なんだろう? ダンジョン虫にこっそり聞いてみても、やはり「データが無い」という返事だった。


「わたし、かぐやちゃんにはお友だちがいないって思ってた」かぐや姫は女の子に言った。弔問客たちを避けて棺から少し離れたところで話を続けていたが、5歳当時のかぐや姫の記憶が穴だらけだったので、参列者が座れる席はどこにもなかった。「いつもいつもお勉強やお城の行事ばかりで、かぐやちゃん、ずっとひとりぼっちだったって聞いてるよ?」


「そうだよ。かぐやちゃんはいつもひとりぼっちだった。だからあたしがプロポーズしたの。結婚して、一緒に地球に行こうって」


「一緒に地球に――」かぐや姫の言葉が途切れた。何か、すごく大事なことを思い出せそうだった。


「あなたは誰? 大臣の娘さんとか?」


「あたしはかぐやちゃんの婚約者」


「それはそうなんだけど」


らちがあかない。かぐや姫はダンジョン虫に耳打ちして、関連する記憶を幻覚化するよう頼んだ。「データがほとんど無いのですが」と言いながらも、ダンジョン虫はなんとかしようとしているようだった。女の子だけを残し、棺やかぐや姫の遺体、それを取り囲む弔問客たちの姿が消えた。壁に貼り付いたダンジョン虫たちが何度も何度も明滅し、やがて女の子を中心に新しい空間が現れた。


「ここはどこ?」


「あたしのおうち!」


これが家? お城育ちのかぐや姫には信じられなかった。薄暗くて、狭くて、小さな暖炉と汚いテーブルがあるだけだ。部屋の隅の方にベッドらしきものがあったが、ほとんど形を成していなくて、廃材を並べて布をかぶせただけの代物にしか見えなかった。


「お父さん、お母さんは?」


「えーとね。今、お仕事」


今、つじつま合わせをしたな、とかぐや姫は思った。ダンジョン虫が見せる幻はかぐや姫の記憶を組み合わせてでっちあげたものなので、ところどころに矛盾が発生する。設定にない質問をかぐや姫がすると、幻の中の人物はこうやって適当な理由をつけてつじつま合わせをするのだ。


「ねえ、さっきの、地球に行くってお話もっと聞かせてくれる?」


「それは言えない」女の子は言った。「かぐやちゃんとふたりの計画だから」


「でも、計画があるってことまでは教えてくれたんだからさ。中身も教えてくれないかなあ」


「だめ」


かぐや姫は諦め、ダンジョン虫に合図した。かぐや姫の姿がみるみる縮んで、相手と同じくらいの小さな女の子になった。


「ねえ、わたしたちの計画のこと、もっとお話しようよ」5歳のかぐや姫は幼い声でたどたどしく言った。


「しょうがないなあ」相手の女の子は言った。「お話聞いてなかったの? もう一回だけしか言わないよ」


またつじつま合わせしたな、とかぐや姫は思った。


計画は簡単なものだった。というよりも、計画と呼べるような代物ではなかった。大きくなったらかぐや姫が城を逃げ出して、しばらく身を隠す。そのあいだ、女の子がかぐや姫のお世話をしてやり過ごす。そして、お城の方で諦めて、かぐや姫が死んだということになったら、ふたりで地球行きの船に乗り込む――というものだった。


突っ込みどころはいくらでもあった。しかし、かぐや姫はそんな細部よりも、この計画と現在の状況が似ていることに驚いていた。大きくなったかぐや姫が城を逃げ出したことも、こうして身を隠していることも、かぐや姫が死んだことにされるという想像も。ちがうのは、女の子の存在と、地球に行くということだ。


そもそもかぐや姫がこうしてダンジョンに隠れているのは、その計画を果たすためだったのではないか、と思えてきた。自分だけの意思でお城を逃げ出したと思っていたが、本当は、これはふたりの計画だったのではないか。それなのに、女の子のことがどうしてもかぐや姫には思い出せない。


「でも、それならどうしてあなたが迎えに来てくれないんだろう?」かぐや姫はひとりごとのつもりで言った。自分の声が震えているのに気がついた。涙が出そうだったが、そのわけはわからなかった。


「何言ってるの? あたし、ぜったいかぐやちゃんを迎えに行くよ。だって、あたしはかぐやちゃんの旦那さんになるんだから、お嫁さんのことは守ってあげないと」


「あ、わたしがお嫁さんなの?」


「こういうの、駆け落ちって言うんだよ」


お城を脱走するなどという大それたことをなぜ自分ができたのか、かぐや姫は自分でもよくわかっていなかった。お城暮らしがつまらないのは確かだ。でも、ずっとそうやって生きてきたのだ。友だちがいないのだって、そういうものだと思っていた。人の上に立つ姫は、孤独な存在でなければならない。そう教えられてきた。20年間ずっと我慢してきて、どうして20歳の誕生日にとつぜん我慢が限界に来たのか。謎だったが、それは我慢が限界に来たということではなく、計画実行の日が来たということだったのではないか。


それなのに、どうしてわたしはこの子のことを覚えていないのだろう。


「ごめんね」かぐや姫は言った。


「なんで?」


「あなたのこと、忘れちゃってて」かぐや姫は胸が痛かった。「わたしのたったひとりのお友だちなのに」


「いいよ。あたしもごめん」女の子は言った。「あたしも、かぐやちゃんのこと迎えに行けなかった」


これがつじつま合わせなのかどうか、かぐや姫には判断がつかなかった。


「どうして迎えにこれなかったの?」


「だって、あたしのおうちが壊れちゃったから」女の子はそう言うと、かぐや姫にもたれかかった。するとかぐや姫は魔法が解けたようにみるみる大きくなり、もとの20歳の姿に戻った。


そして、かぐや姫はその薄暗い家をどこで見たのかやっと思い出した。


かぐや姫がお城を脱走したのは実はこれが2回目だ。最初は5歳のときだった。ひいおじいさんのお葬式のため城中が大忙しで、お城の中の普段行かないフロアに行っても誰にもとがめられなかった。それで、思い切って厨房に行き、料理の準備で大わらわになっている料理人たちに見つからないように裏の勝手口から脱出することができたのだ。


なるべく人通りの少ないところを選んで歩いて行くと、いつしか街から外れ、森の中の小さな小屋にたどり着いた。ずっとうち捨てられていたらしく、玄関のドアは金具のところが壊れて開けっぱなしになっていた。中には暖炉とテーブルとベッドらしきものがあったが、人の気配はまったくなかった。不気味に感じて、小屋を通り過ぎてしばらく行くと、岩山の裾のところにこのダンジョンの入り口があった。


「そしてあたしはかぐやちゃんと会ったんだよ」女の子は言った。「このダンジョンの中で」


「あなたの正体はダンジョン虫だったということ?」


「正確にはそうじゃない」女の子ではなく、ダンジョン虫の声が家の壁のあたりから聞こえてきた。「何度も言うけど、ぼくたちは人間の記憶を利用して幻を生み出しているだけだ」


「じゃあ、本当にわたしはかつてこの子に会ったの?」


「ちがう。この子は最初から幻として君の前に現れた」


「それじゃあ――」


「この女の子はある意味、君なんだよ。君の想像がつくり出した女の子が、ぼくたちの力で幻となって現れたんだ」


かぐや姫は、このダンジョンに来る途中、この小さな家を見かけた記憶がない。おそらく、5歳のときにこの家を一度だけ見た後、取り壊されたのではないか。しかし、ここは女の子の家だったのだ(そういう設定だった)。そして、かぐや姫は女の子のことを忘れてしまった。女の子はこの15年間、帰る場所もなくずっと暗闇のなかにいたのだ。


「ダンジョン虫」かぐや姫は言った。「わたし、このダンジョンを出るよ」


「ええ、それが良いと思います」ダンジョン虫は言った。「では、この女の子は消してもいいですね?」


「絶対だめ!」かぐや姫は叫んだ。「ダンジョン虫。あなたも一緒にここを出るのよ」


「なんですって!? そんなことは無理ですよ」


「あなた、ダンジョンの外でどれくらい生きられる?」


「せいぜい1週間くらいです」


「わかった。じゃあ、ここを出て1週間以内に次のダンジョンを探してあげるから」


「何の話をしているのですか? どこに行くつもりなんです?」


「地球に決まってるでしょ!」かぐや姫と女の子は同時に叫んだ。


「これがわたしたちの計画だから」かぐや姫は言った。「あなたたちが繁殖するには何匹くらい必要?」


「1体で十分ですよ」ダンジョン虫は疲れ切った声で言った。「単為生殖ですから。まあ、予備として3、4体連れて行った方が無難ですが。でも、いずれにしても地球に行くのは難しいと思いますよ。いろいろ準備が必要でしょう? お城に戻ればすぐ捕まってしまいませんか?」


「たぶんね。でも、だったらまた脱走すればいいのよ」


「失敗するたびにわたしはあなたの旅行カバンの中で干からびてしまうわけですが」


「単為生殖なんだから我慢してよ」


かぐや姫がふと気づくと、5歳の女の子の姿はもうなく、代わりに自分と同じくらいの年齢の美しい女性が立っていた。そして女性はダンジョン虫を片手でつまみ上げ、「つべこべ言わないで覚悟決めなさい」とささやいた。ダンジョン虫は何も言い返さなかった。


ふたり横に並ぶとほとんど同じ背丈だった。かぐや姫は相手の頬を触った。自分の遺体とちがって、ちゃんと弾力があった。


「おっぱいは触らないの?」と女性が言った。


「だから触ってないって」


「触っていい?」


「ほっぺたならいいよ」


お互いの体温には微妙な違いがあり、わたしたちは別々の身体なのだとかぐや姫は思った。


「ごめんね。あなたの名前、思い出せなくて」


「あたし、自分で考えたよ」


「本当?」


「でもまだ教えない。地球に着いたら教える」


「わかった」


「無謀だと思う? これ、5歳のときの計画なんだよ」


「大人がやることじゃないよね」


「計画、立て直す?」


「必要ない」かぐや姫は言った。「だってわたしたちは今でも5歳のままなんだから」

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