かわいすぎてお腹がふくれないよ

「あれ、どうしたの? ジョークグッズなんか着ちゃって」


 待ち合わせ場所にはいつも相手より20分前に着く。たぶんその時点で、私はすでに後手に回っているのだ。ディズニーストアの前で待ち合わせというのも私の提案ではない。しかし私は待ち合わせに最適な場所を知らない。自分から提案すればおそらく待ち合わせに失敗し、ふたりの休日を台無しにしてしまうことだろう。その弱みがある時点で、私はちいほに対して後手なのだ。

 

「ジョークグッズって…。これは私の勝負服なんですけど」

「勝負? 勝負ってなに? 誰と勝負してるの? わたしと? わたしと張り合おうっての?」

「いえ、ちいほと争いたいわけではありません。勝負相手はちいほではなく、もっと広い概念です…。そう、人類と」

「ミユって宇宙人なの? わたしたちを征服しにきたの?」

「いえ、友好な関係を築きたいと思っています」

「よかった。わたしたち人類も、ミユと友好な関係を築きたいと思っているよ」


 ちいほは微笑んだ。これはおそらく微笑みなのだろう。この頬と目尻の筋肉の動きは動画サイトで研究した。私もちいほの真似して微笑んだが、「なになに、歯が痛いの? 触っていい? ここ? ここ?」とちいほに頬を人さし指で何度も突かれた。歯は痛くないが、ちいほの長い爪が頬に食い込んで痛かった。

 

 私は宇宙人ではない。しかし、人間に化けた宇宙人として振る舞った方が適応上は有利なようだ。自分が異邦人だと考えた方が、孤独に耐えやすくなる気がするから。

 

 生きるため、私はこの星の生き物たちが好む《おしゃれ》とやらを散々検討した。《かわいい》という概念は私にはわからない。しかし、擬態するのだ。彼女たちの文化を模倣するのだ。そうすることで、私にも生存のためのささやかなニッチが得られるだろう。

 

 このエリアで一番おしゃれでかわいいのはちいほだ。わたしにはよくわからない。しかしこのあいだのアンケート調査の結果ではそうだったし、サンプルを数人絞り込んでヒアリング調査しても結果は変わらなかった。サンプルたちはなぜか笑っていたが、笑いはさまざまな意味を持ちうる。私にはその機微をうまく読み取ることができない。


「じゃ、歯医者さん行こっか」

「私は虫歯ではありません」

「冗談だよ。ミユはクソ真面目だよね。生きてて楽しい?」

「ちいほは生きてて楽しいですか?」

「お、質問に質問で返すとは。ミユも高等テクを使うようになったね。記念にSNSに上げとこうか。“ちいほは生きてて楽しいですか?” っと」

「本当にそんなこと書いたのですか?」

「もう反応が返ってきた。えっと、“頭がバグったんですか?”、“一人称が名前って痛い女だな”、“ちいほさんのそういう芸風きらいです” だってさ。よし。今日もきちんと炎上できたぞ!」

「楽しいですか?」

「楽しいかどうかじゃないよ。お勤めだよ。これがわたしの役目だから。ねえ、わたしかわいいと思う? わたしがかわいいかどうか、アンケートしてたんだって?」

「正確にはちがいます。このエリアで一番かわいい人は誰か、アンケートしていたのです」

「ミユは誰が一番かわいいと思う?」

「それはちいほです」

「なんで?」

「それが多数の意見ですから」

「多数の意見は正しいの?」

「文化ですから」

「文化?」

「文化的遺伝子は多数に受け入れられなければ淘汰されます」

「本当はわたしのこと、かわいくないって思ってるでしょ?」

「いいえ」

「本当はわたしのこと、かわいいって思ってないでしょ?」

「はい」

「どっちだよ」

「私には、《かわいい》という感情がないのです」

「かわいいっていうのは感情なの?」

「ちがうのですか?」

「知らない。ねえ、かわいいところに行こっか」

「どこですか?」

「すごーくかわいいところ。かわいすぎてお腹もふくれないくらいかわいいよ」

「意味がわかりません」

「まあ、ついてくればわかるよ」

「ディズニーストアに入るのではないのですか?」

「ミユはディズニーがかわいいって思ってるの?」

「いいえ」

「じゃあ、それ、かわいくないんだよ」


 私はちいほの3歩後ろからついて行った。ディズニーストアの周りは人通りが多い。並んで歩いたら人にぶつかる。しかしちいほは私の手をつかんで、むりやり並んで歩かせた。肩がいろんな人にぶつかった。30代くらいの立派なコートを着た男性が露骨に舌打ちした。しかしちいほは手を離してくれなかった。私よりもずっと握力が強い。ちいほもまた、いろんな人に肩をぶつけていた。自分からぶつかっているようにも見えた。


「ついたよ」


 そこはある大学の農学部のキャンパスだった。ちいほは私の手を握ったまま、中に入っていった。


「勝手に入っていいんですか?」

「いいんだよ。ほら、犬の散歩してる人いるしょ」

「かわいいものって犬ですか?」

「ミユは犬がかわいいと思うの?」

「いいえ」

「じゃあ、犬はかわいくないんだよ」


 研究棟のあいだをしばらく歩くと、金網の柵で囲まれた草原が現れた。草原そうげんというより草原くさはらだ。草原には羊たちがいた。

 

「かわいいものって羊ですか?」

「ミユは羊がかわいいと思うの?」

「わかりません。羊って近くで見たことないので」

「じゃあ、近づいて見てみよっか」


 ちいほに引っ張られて草原の中に足を踏み入れた。昨日の雨で草が濡れていて、私は勝負服の裾に泥がつかないか心配だった。柵の近くに寄りかかって座っている羊に近づいた。羊は私の顔をちらっと見て、また視線をそらした。空を見ているようでもあるし、草を見ているようでもある。


「頭、なでさせてもらいます」

 

 ちいほが言って、羊の頭をなでた。羊はおとなしくなでられていた。目がどこを見ているかわからない。まるでなでられていることに気づいていないかのようだ。

 

「ミユもなでてごらん」

「いいんですか?」

「さあ? 聞いてみたら?」

「頭、なでていいですか?」

「いいよ」

「いいんですか?」

「いいよ」


 ちいほが手をどけて、今度は私が羊の頭をなでた。やわらかい。羊の頭はこんなにやわらかいのか。しかし、人間の頭もこんなものではなかったろうか? わからない。私は人間の頭なんてなでたことがないから。

 

「どう? かわいい?」

「やわらかいです」

「お、質問に直接応えずあえてそらすとは。ミユも高等テクを使うようになったね。SNSに上げようっと。“かわいい?”、“やわらかいです”」

「やめてください」

「きたきた。“ひわいですね”、“あなたの民度はどうなってるんですか?”、“常識が崩壊していて反吐が出ます。通報しました”、だってさ。よしよし、今日はミユのおかげで2回も炎上できたよ」

「なんでちいほは炎上が好きなんですか?」

「だって、わたし宇宙人だから」

「え?」

「地球人って楽しい生き物だよね。みんな自由意志を持ってるつもりのくせに、炎上するとみんなワンパターンな鳴き声しか上げられなくなっちゃうんだから。ねえ、羊はどう? かわいくなってきた?」

「よくわかりません。ちいほはどうですか?」

「わたしもわかんない」

「ちいほは自分がかわいいと思いますか?」

「知らない。わたし宇宙人だから。ねえ、こいつ食べちゃおっか。ラム肉好き?」

「いいえ」

「かわいくないなら、せめて食べられておなかをふくらませてほしいよね」

「殺したらせっかくの勝負服が血まみれになります」

「だからそれ、ジョークグッズでしょ?」

「勝負服です」

「かわいいって思ってる?」

「わかりません」

「わたしはかわいいって思ってるよ。服じゃなくて、ミユのこと」

「どういうことですか?」

「あれ? あいつ何やってんの?」


 ちいほに引っ張られて行くと、羊が柵の金網に頭を突っ込んでいた。

 

「これ完全にはまっちゃってない?」

「抜けないですか?」

「ヤバい。抜けない。え、なにこれ。かわいい」

「かわいいですか?」

「めちゃくちゃかわいくない?」


 私は金網に頭を突っ込んだ羊を眺めた。しかし向こう側を向いているのでどんな顔をしているのかよくわからない。


「顔が見えないので、かわいいかどうかわからないです」

「向こうに回り込んでみよう」


 草原から出て、柵と倉庫のような建物の間を歩いてさっきのところに行くと、初めてその羊の顔を見ることができた。羊は首を金網にしっかり固定されていて、ふかふかの羊毛が締め付けられて苦しそうだった。しかし羊の表情は他の羊と何も変わらず、暴れたりもしなかった。

 

「これがかわいいのですか?」

「うん」

「かわいそうだと思います。こんなに締め付けられて苦しそうです」

「でも、ミユ、笑ってるよ?」

「そんなはずないです」

「いや、笑ってるって。ほら」


 ちいほがスマホのカメラを私に向けた。画面に映ったのはちいほの顔だった。ちいほが笑っている。

 

「これ、ちいほの写真ですよ」

「ちがうって。ミユが笑ってるんだよ」


 よく見たら、確かにそれは私だった。私がちいほのように笑っている。この頬と目尻の筋肉の動き。完璧だ。何度練習してもできなかったのに、なぜか今はできている。

 

「ね? かわいいでしょ?」

「え、でもなんで私笑ってるんですか?」

「かわいいからだよ。かわいいもの見ると、地球人は笑うんだよ」

「この羊もSNSに上げるんですか?」

「上げない」

「なんでですか? 3回目の炎上ができますよ」

「わたし、あいつらのこと大っ嫌いだから。こんなかわいいもの、絶対に見せてやんない」


 私たちは力を合わせて羊の頭を押した。羊はめえええと鳴いた。他の羊たちがぞろぞろ集まってきた。私は少し恐怖を感じたが、羊たちはただ遠巻きに見守っているだけだった。

 

「あれ、こればっちりはまっちゃってるね」

「なんでこんな小さな網目にはまったんでしょう?」

「意外と頭小さいのかもね。羊毛でふわふわだからサイズ感がよくわかんない」

「かわいい…」

「でしょ?」

「なんか、わかってきました」

「いっそこいつ食べちゃおっか。首切り落としてさ」

「首を切り落とせるんだったら、金網を切った方が早いです」

「そっか。ちょっと待ってて」


 ちいほがどこかに行ってしまって、私はしばらく羊と一緒に待っていた。羊がめええええと鳴いた。私は笑っていた。この羊の顔を見てから、私はずっと笑っていた。

 

 30分ほどして、ちいほが戻ってきた。

 

「ホームセンターでペンチ買ってきた」

「すごく立派なペンチですね」

「自転車の鍵を切断する用の奴だよ。これでいけるはず」


 ちいほがペンチで羊の首の周りの針金を一本ずつ切断していった。羊の首の肉を切らないよう、慎重に。そして、ついに羊は金網から脱出することに成功した。羊はめええとも鳴かないで、私たちのもとからゆっくり離れていった。遠巻きに見ていた他の羊たちもとくに反応はしなかった。この光景のすべてがわたしにはかわいかった。

 

「お腹空いたね」

「何か食べに行きますか?」

「そうしよう」

「ペンチ代払っていただいたので、私がおごります」

「じゃあジンギスカン食べに行こう。さっきからラム肉食べたくってさ」

「あんなにかわいかったのに?」

「かわいいのとお腹がすくのは別の話だよ」

「かわいすぎてお腹がふくれないよ」

「何それ?」

「ちいほが言ったんですよ。これもSNSに上げますか?」

「うーん。おなか空いたから後で考えるわ」


 ちいほはラム肉を次から次へと平らげ、私は野菜やソーセージばかり食べていた。かわいいものとおいしいものは別腹だとちいほは言ったが、私には無理だった。


 私にはまだ《かわいい》がよくわからない。でも、「かわいい」という言葉を聞くと、私はあの金網にはまった羊の顔を思い出す。「にこにこ笑ってて気持ち悪い」とちいほに言われて、自分が笑っていることに気づく。

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