第18話 しんぱい
お姉さんの車は夜の道路を滑るように走っていく。
座席から伝わる振動を感じて、そういえばこんな風に車に乗ったのなんていつ以来だろうか、と思った。
「家、桜ヶ丘の方なんだ」
「あ、はい」
「あっちの方はいいね、多摩川を越えると、広くて、きれいで」
「そうですか……?」
曖昧な返事を返す。
自分の住んでいる街のことをそれほど意識したことがないけど、たしかに公園や道路はきれいに管理もされているので、そう言えるかもしれない。でも広くて、っていうのはちょっとわからない。道が広くて運転しやすい、ということだろうか。
「それなら、府中街道を行く感じか。ちょっと混むかもだけど、家に連絡とかしなくて大丈夫?」
「……平気です」
そういう心配はしなくて大丈夫なのだ、と心のなかで呟く。
なにか訊かれるかな、と思ったけど、お姉さんは「そう、」とあっさりその話題を切り上げた。
「……」
「……」
沈黙が訪れそうな気配。
車のタイヤの音が一定の調子で流れていて、少しだけ眠くなってくるような感じ。
「……お姉さんは、その」
わざわざ送ってもらっている車内で眠ってしまうのも気が引けるので、(多少の勇気を出して)こちらから話しかけてみる。
「大学生、なんですよね」
「笑美子から聞いた?」
「え、あ、はい」
質問に先回りされたような答えを返されて、ちょっと怯む。
「そうだよ、大学生だよ」
「……大学って、楽しいですか?」
「まあ、色々と自由ではあるかな」
「そうですか」
「興味ある?」
「……いえ」
ない――と言い切れば嘘になるけど。
それよりもとっとと働いて、自分のためのお金を稼ぎたいというのが実際のところだ。
そんなこと口には出さないけど。
「訊いてみただけです」
「ふーん」
「……」
「……ところで、笑美子とはさ、友達なのか?」
友達。
「だと思います……たぶん」
「たぶん?」
「ちゃんと話すようになってから、まだ二日しか経ってないんです」
「へえ、」
なのに家まで行ったんだ――とお姉さんは驚いたような顔で言った。
「成り行きで、そうなりました」
「成り行き、ねえ」
「……」
「……ごめんね。あいつ、わがままでさ」
「え?」
「むりやり誘われたんじゃないの?」
「そんなことは、ないですけど」
はじめは確かに向こうから誘われたけど、家に行く(そして料理をする)という提案をしたのはこちらからだし。
「わがままだなんて、思ってませんよ」
わがままというよりもむしろ、色々なことをがまんしているように見えたけどな。
変な造りの独りの家のこととか。家族のこととか、そういうの。
「……ふーん」
「……」
「なら、いいんだ」
「……お姉さんは、その、笑美子さんのこと、心配ですか?」
「心配?」
「ほら、独り暮らしみたいなものだし、」
「ああ、家のことも聞いたんだ。あいつ、何でも話しちゃうな」
お姉さんはあきれたように笑った。
「まあでも、仕方ないか」
そして変なことを言った。
「あいつにとって……いや、あたしたち姉妹にとって、きみは天敵みたいなもんだから」
「天敵?」
「敵って言うのもなんだけど、でも、そう言うしかない」
「……どういうことですか?」
「君と話してると、ひどく緊張するってこと――混まなかったな、意外と」
そう言ってお姉さんは大通りの端に車を止めた。
フロントガラスの向こうには、いつも学校に行くときに通る信号、自動販売機。
いつの間にか景色が見慣れた近所のものになっている。
「この辺りでいいのかな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
喉の奥に引っ掛かったような思いを抱えながらお礼を言う。
天敵――?緊張――?
いったい果たしてどういうことなんだろうか、
嫌われてるのかな?でも、そんな嫌われるようなことした覚えはないけどな。
「……」
そう疑問に思いながらも、なんかそれ以上訊ねるのも気が引けるので、そのまま車を降りようとする。
と、私の背中に、
「悪い意味じゃない」
という言葉が投げ掛けられた。
「え?」
「天敵って、全然悪い意味じゃない。むしろいい意味だから」
「いい意味?」
「そう、だから、笑美子のこと、できればよろしく頼むよ」
あたしが言うのもなんだけどな――運転席に座ったままのお姉さんはそう言って、笑った。
縁なしの丸眼鏡が道路灯を反射して光っていて、その奥の真意は読み取れない。
「……お姉さんも、やっぱり心配なんじゃないですか?」
「……そうかもね」
「……」
「ねえ、」
「はい」
「ところで、あたし、自分の名前言ってなかったっけ?」
「言ってないです」
姉です、としか。
「あはは、ごめん。
「……よろしくお願いします」
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