第19話 ただいま
錆びた鉄製の階段を上がって、二階の一番端の部屋へと向かい、ふやけたスチールの風情が漂う玄関のドアの鍵を開ける。
部屋の中は暗くて、誰の気配もなかった。
まあ、いつものことだな、と電気のスイッチをつける。
白光色のライトに照らされて、見慣れた家具たち――机に椅子にカーテンに絨毯――が、私のことを出迎えてくれる。いつものリビングの風景。
「……」
中学生の頃は、早く自立してここから出ていきたいなと思っていた。
別に母親のことが嫌いって訳じゃない。
でも、なんていうか、このままでは気詰まりだ、お互いに。
こんな狭い家に、ふたりきりで、会話もなく。
ふたりでいる無言より、ひとりでいる静寂の方がいい――だから、早く独り暮らしをしたいなと思っていた。
しかし最早、その必要もなくなった。
「……」
最近母親はこの家にほとんど帰ってこない。帰ってくるとしても、私が学校に行っている間、ほんの少しその痕跡――洗濯機を使ったあととか、クローゼットを開けたあととか――を見つけるだけだ。きっとお金もないだろうに、どこで寝泊まりしているんだろうとか、そういうことを考えたりもするけど、考えても仕方のないことだとわかっている。最低限の生活費は置いていってくれてるし、この家の電気やガスが止まる気配は今のところないので、問題はない。
ほとんど独り暮らし。
私はそんな現状に特に不満を持っていないけど、しかし、そんな同級生は(少なくとも私の周りには)他にいなかった。
「……」
いなかった――過去形だ。
私は手に持っていたビニールの袋からもらったお菓子を取り出してみる。英語でムーンライトと書かれた、青い色の箱のクッキー。ああ、月の光ってそういうことか、と思いながら、パッケージを開けて一口齧ってみる。
柔らかなバターと卵の香りが口のなかに広がっていく。
「……うまい」
思わず呟いてしまった。
自分で働いて、自分のお金を使えるようになったら、こういうお菓子も買ってみようと思っていた。
それを思わぬ形で一足先に味わってしまったわけだけど、自分のために買ったクッキーと、友達に貰ってしまったクッキー、果たしてその味に違いはあるだろうか。
「……ふふ」
ちょっと笑ってしまう。
今ごろ鎌倉さんも、母親の趣味で建てたというあのへんてこな家に独りでいるんだろうか。
それともお姉さんが戻っているのだろうか。
それはわからないけど、でもどちらにせよ、きっと彼女も自分のことを独りだと思っていて、だから私たちは同類だ。
それはもしかしたら、仲間、と言い換えてもいいのかもしれないことだった。
「……仲間」
だなんてね、全然社交的な性格じゃなくて、友達すらほとんどいない私が、他人に対してそう感じるような日が来るとは。
そう思うと、ちょっと笑ってしまうのだ。
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