鬼の調と遠いドレミ

「それで弾きたい曲はあるの?」

「弾きたい曲?」

 そういえば考えたことなかった。祖父みたいにギターを弾けるようになりたいという漠然とした理由だけで、特にこれを弾きたいっていうのはなかった。

 とりあえずベンチャーズ? みたいに思ってはみたものの、祖父はどうだったんだろう。


「えーっと、調ちゃんのおじいさんは最初どんな曲を弾いてたのかな」

「私の? なんで?」

「年代的に同じくらいだから、多分わたしの祖父と同じだったんじゃないかなって思って」

「ああそうね。おじいちゃんはビートルズのファンだったけど、最初に弾いたのはベンチャーズだそうよ。あなたのおじいちゃんもモズライトなんて使ってたんだから、ベンチャーズから始めるのがいいんじゃない?」

 ギターにもベンチャーズって書いてあるもんね。よし、わたしの目標はベンチャーズだ!


「調、そろそろ」

「あっうん。もう出るね」

 調ちゃんはそそくさと部屋から出ていき、わたしもそれに続いていった。


「あの部屋は基本、生徒さんが使う部屋なのよ。だから私は雨の日以外は外で弾くのよ」

 きっと生徒さんが来る時間だから出たのだろう。

「自分の部屋で弾かないの?」

「事情があるのよ。あと外で弾いていればおじいちゃんの宣伝にもなるじゃない」

 よくわからないけど、他人のおうちのことだ。わたしがなにかいうことではない。

 そんな感じでわたしたちはさっきの公園へ戻った。



「なんか疲れた……」

 ついひとり言が出てしまうくらい、調ちゃんはスパルタ嬢だった。

 楽器ってまずドレミからじゃん? なのに『ドレミなんて1カ月早い。まずは弦を押さえることとピッキングをしっかりできるようになること』って言って延々と基礎練習。

 ジャカジャカやるやつはこの基礎が上手くできるようになったら教えてくれるらしい。


 一番基本の練習、弦を押さえるのとピッキングのアップダウン。

 そういえば調ちゃんに『あなた小指の力あるわね』って言われた。初心者は小指が弱くて音が出なかったりするそうだ。

 これはわたしが子供のころ、祖父に宮太鼓を教えてもらったことがあったからだ。宮太鼓のバチはギュって握っているようで、実は小指と薬指でしか握ってないんだ。中指と人差し指、それと親指はバチの動きを制限するために軽く握る。そうすると手首のスナップを利かせられるから、力があまりなくてもいい音が響くとか。

 それで小指と薬指に力を入れる訓練を普段からするようになり、今でもなにかを握るとき、小指や薬指に力を入れるクセができているんだ。まさかこんなところで役に立つとはね。


 それはともかく練習だ。

 どれくらい練習すればいいのか調ちゃんにきいたところ「空いている時間全部よ」なんて言われた。鬼だ。

 いやわかるよ。実際に弾いてみたらよくわかる。これ、すっごい練習が必要だ。ドレミなんて言ってる場合じゃない。とにかく押さえてピッキングの練習だ。

 ギターは始めて3カ月で大体7~8割くらいのひとがやめてしまうらしい。なんとなくわかる気がする。



 全然上手くならない。

 この3日間、何時間も同じことを繰り返し。わたしには才能が無いんじゃないか。そんなことを思っていた4日目。なんか、なんかできる。

 あれ? なんで? なんかよくわからないけど、弾ける。指が動く。

 これはきっと睡眠学習だ! 寝ている間に……違う、睡眠学習は寝ている間に聞いて勉強するとかいうやつだ。なんだろう、やっていたことが体に馴染んできたっていうのかな。昨日までとは比べものにならないくらい指がなめらか。

 ピッキングもだ。次の弦に移るのがもたつかない。なんかちょっと楽しい。



 次の日はもっとなめらかに動かせるようになった。ほんとは微々たるものなんだろうけど、毎日成長している感がある。あとは折り返しがスムーズにできれば。

 ここらへんは基礎の基礎だから教える以前の問題だっていって調ちゃんは一緒にやってくれない。ひとりでこればかり繰り返すの、すっごくきつい。

 昔もそうだったのかな……と思ったけど、基礎は変わらないよね。今やっている練習がどれだけ重要か、動画とか見てるだけでもわかる。



 結局、自分的に満足できるようになるまでには卒業式を迎えてしまった。まあいいんだけど、春休み……春休み? 卒業してから入学するまでの間の期間ってなんていうんだろう。無職?

 とりあえずその間はギターの練習たくさんできるから、できればジャカジャカのところまで進みたかった。でも一度この状態で調ちゃんに見てもらおう。



「少しあなたのことをみくびっていたわ」

 わたしの演奏……演奏? いやただの練習だね。それを見た調ちゃんのひとこと。

 どうやらわたしはもっと早い段階で音を上げ、及第点ギリギリのところで仕方なく合格を出すのだろうと思っていたらしい。調ちゃんの予想よりもずっとできていたみたいだ。


「それで、ドレミくらいは弾けるの?」

「えっ?」

「えっじゃないわよ。それくらいは教本見て勝手に覚えてよ」

 あー、そっか。ドレミから教わろうなんていうのは甘えすぎか。祖父も昔言っていたけど、自ら学ぼうとしないと身に付かないんだ。言われたことばかりじゃ駄目だよね。


「だけど一カ月早いって」

「そんなのあやというか方便みたいなものじゃない。ようはやる気よ」

 だよね。そうだと思ってた。

 あとは簡単なカエルのうたとかきらきら星くらいは自力で弾けるようがんばろう。


「ドレミは今日から練習するよ。それで……」

「約束だったわね。じゃあコードを教えてあげるわ」

 待ってました!

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