オーク令嬢の恋物語

しゃぼてん

オーク令嬢の恋 ~吟遊詩人の語った物語~

 広場の真ん中の噴水の縁に、楽器を持った老人が座りました。

 老人は旅の吟遊詩人のようですが、髪の毛はすっかり白く、顔には無数のしわが刻まれ、背中も曲がっています。

 吟遊詩人が楽器を鳴らすと、近くで遊んでいた子どもや暇な人達が集まってきました。

 吟遊詩人は楽器を弾きながら、こんな話を語り始めました。


~~~


 オークというのは凶暴で醜悪な種族として知られております。

 醜い巨体のオークの男が女性たちを襲う話をあなた方も一度は聞いたことがあるでしょう。

 オークには女もおりますが、オークの女は男のオークに負けず劣らずの風貌で、オークの男ですら醜いと感じて人間の女を好むといいます。

 これはそんなオークのご令嬢のお話です。


 魔物が巣くい人の踏みいれぬ深い森のオークの集落の長にはご令嬢がおりました。

 長はオークの王族に連なるもので、オークの中ではかなりの有力者でしたので、ご令嬢には生まれたときに決められた婚約者もおりました。

 しかし、このオークの御令嬢は、それはそれはオークらしい風貌の持ち主でした。

 はるか昔は、オークらしいオークの女性からは強く狂暴な子が生まれそうだと、オークの間でそれなりにもてはやされたものですが、最近はオークの誇りも文化もすたれ、人間の美女こそが美しい女ともてはやされております。

 そして、御令嬢が年頃になった頃、婚約者の男オークはなんとも酷いことに、「こんなブスを嫁にできるか」と言い残して婚約を破棄してしまったのです。


 失意のご令嬢は、その日から一人森をさまようのがご日課になりました。

 もちろん父君はご心配になられましたが、もとよりオークの中でもご体格のよろしいご令嬢のことですから、森の魔物どもに遅れをとることはありません。

 嘆き悲しむご令嬢に家々を破壊されてもたまりませんので、父君はご令嬢にお散歩をお許しになられておりました。


 ある日、オークのご令嬢が森の中を歩いておられると、どこからか、美しい竪琴の音色が聞こえてまいりました。

 その楽し気な音色は森の中にうち捨てられた荒れはてた古城から聞こえてくるようでした。

 ご令嬢は壊れた城壁の影から、音の出どころの様子をうかがいました。

 古城の二階の屋根も壁もないところに、美しい人間の若者がおり、一心不乱に竪琴を引いておりました。


 ご令嬢は壁の影から、そっと音色に耳を傾けておりましたが、じきに楽しい心が抑えきれなくなりまして、音色に合わせて歌いだしました。

 オークというのは、それはそれは美しい歌声をもっております。もちろん、オークにも音痴はおりますが、ご令嬢はそれはみごとな歌い手であったのであります。

 少しして、美しい若者は竪琴を弾きながら、こう歌いだしました。


「この美しい歌声の持ち主はいったい誰でしょうか。これほど美しい歌声を僕はきいたことがありません。さぞやお美しい方なのでしょう」


 オークのご令嬢は胸が痛むのを感じながらも、それはそれは美しいお声でお歌いになりました。


「身に余るお褒めの言葉。美しい竪琴弾きのお方。こんな荒城に、あなたはなぜお一人でいらっしゃるのでしょうか」


 竪琴弾きはこう歌い返しました。


「兄に捨てられたのです。僕は幼い頃に病で視力を失いました。それでも両親は僕を可愛がってくれましたが、少し前に流行り病で相次ぎなくなり、家業も傾きました。兄はお前のようなお荷物は抱えてられんとこの森に僕を置き去りにしたのです。帰る道は分からず、食べ物もなく、身を守るすべもありません。かくなる上は命果てるまで楽しく音楽を奏でようとしていたところ、あなたの歌声が舞い降りてきたのです」


 オークのご令嬢は今度は同情で胸を痛めながら歌い返しました。


「なんと悲しい身の上話。それでもあなたの竪琴の音色はまるで楽園を描くかのよう。私の心の憂鬱は晴れ、すっかり明るくなりました。せめてものお礼に私が食べ物をご用意しましょう。肉と果物どちらがお好きでしょうか。すぐに持ってまいります」


 竪琴弾きは果物と答えたので、オークのご令嬢は荒城のまわりに魔物よけの薬をまくと、果物を集めて荒城の2階にそっと置きました。長身のご令嬢は、手を伸ばせば2階の床にしっかりと手が届くのです。


 その日から、美しい竪琴弾きとご令嬢は毎日荒城で歌を歌って過ごしました。

 竪琴弾きと歌うのは、ご令嬢にとってとても楽しいことでしたので、ご令嬢は毎日がすっかり楽しくなり、このような時が永遠に続けばと願うほどになりました。

 ところが、ある日、竪琴弾きはこう歌いました。


「ああ、もう一度目が見えたなら。あなたの美しいお姿を目に焼き付けるのに」


 ご令嬢の姿を一目見れば、竪琴弾きは命からがら逃げ去るでしょう。

 オークのご令嬢は悲しみながら、こう歌い返しました。


「見えないからこそ美しいものもあるのです。あなたの奏でる調べのように。私はただただこの時が永遠に続くことを願います」


 竪琴弾きは、その日はこう返しました。


「あなたの言うことは真実かもしれません。どんなに美しいものであれ、あなたの歌声の美しさに勝るはずはないのですから」


 しかし、またある日、竪琴弾きは歌いました。


「ああ、この目が癒え、再び見ることができたなら。幼い日に見た美しい夜空と美しい花をもう一度見られるのに。広い世界をこの目で見て旅することができるのに」


 ご令嬢は、胸に手を置き、こう歌いました。


「あなたが本当にそれを願うのなら。100年に一度、この森の地下深くに、あらゆる願いを一つだけ叶える一輪の花が咲くと言います。その花が咲くのは、ちょうど今日が終わり、明日が始まる時」


 それは、ご令嬢の父君が教えてくださった言い伝えでした。

 父君はご令嬢にこうおっしゃりました。「もしもおまえが美しくなりたいと願うなら、もしもおまえが良き夫を得たいと思うなら、その花を手に取り願えば良い。ただし、その花は一輪しか咲かず、叶えられる願いはひとつだけ。何を願うかよく考えなさい」と。


 竪琴弾きの願いを聞く日まで、ご令嬢は花にこう願うつもりでおりました。「竪琴弾きの妻にふさわしい美しい人間の女になりたい」と。


 けれど、ご令嬢の心も知らず、竪琴弾きは歌いました。


「なんという希望の光。その花に願うことができたなら。それ以上の喜びはないでしょう。しかし、所詮かなわぬ夢。僕には決してその花を見つけることはできないのです。これ以上の悲しみはありません」


 ご令嬢は、ひそかに涙を流しながら歌いました。


「あなたがそれを願うなら、私がともに行きましょう。あなたの願いを叶えることが、今の私の願いです」


 その夜、オークのご令嬢は竪琴弾きを連れ、オークの長の一族だけが知る封印を施された洞窟へと向かいました。

 道中多少の魔物は出ましたが、ご令嬢の敵ではありません。すべて軽くなぎ倒してしまわれました。

 父君に教えられた方法で入り口の封印を解くと、ご令嬢と竪琴弾きは地下へと続く洞窟を進んで行きました。

 洞窟の先には、光り輝く不思議な地底湖がありました。

 その地底湖はまるで夜空のように深い青色をしており、その中を月のように光輝く円球が動いておりました。その地底湖から放たれる光で、地下奥深くにも関わらず、周囲は昼間のように明るいのでした。


 満月のような光はゆっくりと動き続けていました。そして、地底湖の満月が湖の真ん中へと差し掛かった時、一輪の花が咲きました。


 あらゆる願いを叶える花です。


 ご令嬢は竪琴弾きを連れ、その花の前に座りました。

 竪琴弾きが願いを叶えれば、ご令嬢の願いは破れるでしょう。

 ご令嬢の本当のただ一つの願いは、竪琴弾きと共に暮らしたいということだったのですから。

 けれど醜いオークを目にして恐れぬ人はおりません。視力を得れば、竪琴弾きは逃げ去るでしょう。

 

 それでもご令嬢は、竪琴弾きの手を取り、花を持たせて言いました。


「さぁ、あなたの願いを強く願い、この花を手折ってください」


 竪琴弾きは、願い、花を手折り、そしてゆっくりと目を開きました。


「ああ、見える」


 そして、竪琴弾きはオークのご令嬢へと振り返り、息をのみ、言いました。


「思った通り、なんと美しい方か。あなたの瞳はかつて見たあの星空よりも美しい」



~~~


 年老いた吟遊詩人は竪琴を鳴らし、締めの言葉を言いました。


「ご令嬢と竪琴弾きは一緒に世界を旅して幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」


 とたんに、最前列で聞いていた一人の子どもが大きな声で言いました。


「うそつけ。そんなわけないよ。オークだよ? ご令嬢は醜いオークだよ?」


 吟遊詩人は微笑んで言いました。


「幼い日に光を失ったあの若者は、空と花の美しさは憶えていましたが、人の美しさは覚えていなかったのです。すでにご令嬢の歌声と心の美しさを知っていた若者にとっては、最初に見た美しい存在、オークのご令嬢が美しさの基準になりました。美しさは人の心が感じるもの。美しさは見る者によって変わります」


 子どもは立ち上がって、こう言い残して立ち去りました。


「そんなわけないよ。そいつバカだなー。オークのことをきれいだと思うなんて」


 着飾った若い女と一緒に話を聞いていた男は薄笑いを浮かべて、こう言いながら箱に小銭を投げいれました。


「きっと町に着いたところで、竪琴弾きはかわいい女の子に出会って、オークを捨てたぜ」


 老いた吟遊詩人は否定も肯定もせず、みんなの感想を笑顔で聞いていました。

 やがて聴衆が皆去っていったところで、年老いた吟遊詩人は胸のポケットから1枚の写真を取り出しました。

 写真には、優しい笑みを浮かべた老いたオークの女が、今より少しだけ背筋がまっすぐな吟遊詩人と一緒にうつっていました。


 吟遊詩人は写真のオークを愛おしそうに見つめて微笑むと、ふたたび大事そうに写真を胸のポケットにしまい、今度は竪琴で楽し気な曲を奏ではじめました。

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