第16話 家に帰ろう
浩然の部屋と別荘に押し入った玲は証拠不十分で無罪となり近々釈放される。
裁判は長引いたが、初犯であり、他のメンバーの方が前科もある手練れであったこともあり、主犯格とはされなかったのだ。
何か取引もあったのかもしれない。報道では政治家の秘書であることも一切報じられず、海運財閥の豪邸を狙った強盗事件として扱われていた。
釈放の日、威は結城に頼んで、玲の釈放を迎えに行くことになった。
しかし、浩然にすぐにそれを知られてしまい、その日を最後に玲とは縁を必ず切ることと、浩然も同行することを約束させられた。
正直なところ、玲には威もあまり会いたくはなかったが、あのまま別れるのは嫌だった。
モヤモヤと言葉にできない引っ掛かりを胸に、縁を切ることはできない。
その日。結城は山ほどの紙袋と箱を持って、威の部屋に来た。
船に居ない間は、威と浩然は元居た蛇のいるあの部屋に住んでいた。
寝室にはキングサイズのローベットがあるけれど、蛇たちのいた水槽ケージは無くなり溢れんばかりの植物が置かれている。蛇にとってこのケージに居るより、船の庭園の方が過ごしやすいの明らかなので、こっちで寝起きしているときも連れ戻したりはしなかった。
そんな緑の中で寛いでいると、結城がベッドの上に箱を並べ始めた。
「なに、それ」
白い箱には何も書かれていない。紙袋も同じく。どこで購入したかもわからないようになっているそれは、大概がオーダーメイド品の場合が多い。
「お召し物でございます。浩然様が本日はどこへ出ても恥ずかしくない格好で来るようにとの仰せです」
「は?」
威はがさがさと箱や袋を開け始める。
中にはカジュアルだが、明らかに品が良く、市販されているようなものではない服が詰まっている。
例えば白いTシャツ。デザインは少し裾が長めのTシャツだが、手に取るとてろりと柔らかく吸い付く様な手触りがする。素材は多分シルクだろう。試着するまでもなく、サイズも間違いなくぴったりだ。
浩然はいつの間にか威を採寸して完璧なデータをデザイナーに渡している。
「何でまた」
「昔の男に見せつけたいのでございましょう」
「んん? 昔の男?」
威は眉を顰める。
「浩然様は、今、威様が今までになくお幸せな姿をお見せしたいのですよ」
「まぁ、確かに生活はよくなったよね。こんなTシャツ着ちゃうんだから」
「それだけではございませんよ。威様をお引き立てするものをお召いただいて、要は自慢がしたいのでございます。俺の恋人はこんなに可愛い。と」
呆れ顔で笑う結城の言葉に、威はボッと顔を赤くする。
「ば、ば、バカだなっ、浩然は」
「バカとは何だ」
「ひっ!?」
不意に背後から声がして、扉の方を見ると浩然が立っている。
浩然はベッドの上に乗り上げ、威を背後から抱きあげると、自分の膝の上に座らせた。
「は、浩然っ!?」
胡坐をかいた膝の中にすっぽりと納まり、背後から回された手が腰に回り抱きしめられる。
「いろいろ作らせたが、赤い服が良いな」
そう言いながら、別の箱の中から濃い赤のシャツを取り出す。
浩然が良く好んで着ているのと同じマオカラーで少し丈が長い。ベトナムのアオザイに少し似ているが、そこまでドレスっぽくもない。色は華やかな赤いで衿や裾には同色で細かな刺繍が施されている。
下は黒いパンツだが、シャツの生地に似た少し柔らかめな素材でゆったりとしたフレアパンツになっている。
「着てみろ」
浩然の言葉に促されて、威は差し出されたシャツとパンツに着替える。
肌触りの良い生地は程よく重みがあり、ひらひらふわふわしないで落ち着いたドレープを見せている。
「良くお似合いですよ」
結城が笑みの形に目を細めて言う。
「なんか、赤なんて普段着ないから恥ずかしいな」
「赤は婚礼衣装の色でございます。入っている刺繍も全て吉兆を言祝ぐ柄でございますね」
「えっ? 婚礼衣装って……」
「ウェディングドレスだな」
浩然の方はいつもと同じ黒尽くめ。マオカラーのシャツに黒いスカーフタイ、スーツも黒で靴も黒。
でも、隣に並ぶと一対で作られた人形のようにピタリと嵌まる。
浩然はベッドから降りて、威の隣に立ち、緩く腰を抱いてキスを落とす。
「これで行こう」
「浩然……」
「あの男の身元引取り人は瀬下康成と摂だ」
その言葉に、威は少し身を強張らせる。
康成はドナー手術の時に会ったきり、摂に至ってはいまだに顔を見たことがない。
身元引取りという事は、多分拘置所の前で鉢合わせることになるだろう。
威はそっと腰を抱く腕に手を乗せ、浩然に寄り添った。
「行こう、浩然」
未練はない。でも、決着は付けなくてはならない。
弁護士を通じて事前にもらっていた連絡の通り、時間通りに瀬下玲は拘置所の門をくぐって出てきた。
門前に泊まっている車は威たちの乗る車のみ。どうやら康成たちは遅れている様だ。
「玲兄ぃ」
髪を短く切り、疲れた顔で出てきた男に威は声をかけた。
玲はハッとして威の方を見るが、そのまま固まったように立ち止まってしまった。
「生きて……たのか……?」
震える声でそう言うと威をギリッと睨みつける。
「手術はっ!? 摂の手術は行われなかったのか!?」
塀の中にいた玲には情報が伝わっていなかったらしい。
「なんで、お前が生きてる! 何で! 摂が、摂が生きるべきなのにっ!」
言いたい放題を言い募る玲から威を遠ざけるように、威の後ろに寄り添っていた浩然が前に出た。
「瀬下摂は助かった。手術は成功し、移植後の経過も良い。今日もお前を迎えに来るだろう」
「え……」
激昂していた玲は浩然の言葉に毒っ気を抜かれたようにぽかんとする。
「しかし、威が……」
「摂の手術が成功したら、威が死なねばおかしいか? お前の望みは威の死か?」
ぞわり。怖気たつ。
日が照りつけて明るいのに、急に視界が暗くなったような気がした。
浩然は全く表情を変えていない、なのに浩然から何か怖いものを感じる。
「ち、ちがう」
「俺は、あの日の事を忘れない。今日はそれを告げに来たのだ。もう二度と我々の前に姿を現すな」
静かに、ゆっくりと、しかし有無を言わせぬ強さで、浩然は玲に言った。
「威は私のものだ」
「っ!?」
玲はハッと目を瞠る。
そして、何かを堪えるように目をぎゅっと閉じて、俯いてしまった。
その様子を見ていた威が、浩然の腕に触れて、その横に立つ。
「玲兄ぃ、俺は今幸せなんだよ」
浩然が威の肩をそっと抱きしめると、威は微笑んで浩然を見つめた。
「あの日、浩然と俺を見て玲兄ぃは化け物と言った。確かに俺たちは化け物かもしれない。でも、化け物でも幸せになる権利はあるんだ」
玲に伝えたい言葉だが、浩然にも伝えたい言葉だった。
「俺は自分が何であっても、浩然が何であっても、浩然が好き」
今この目の前にいる浩然を愛している。
そう言って、玲の方を見ると、彼は呆然と立ち尽くしている。
摂を助けたい一心で、威の命をも奪おうとした。
それは自分の中の正義の気持ちに従ったと思っていた。余命短い威よりも、未来のある説を選ぶことを正当化したかった。
摂の未来を奪う威を憎むことで、摂の為にと起こした行動だ。
でも、玲は何もできなかった。
摂の命も、威の命も助かり、すべてが上手く行ったけれど、玲だけが空回りだった。
「俺は、知り合いの情報屋にお前の情報を探らせて、摂の振りをしてメールをした。お前はずっとそのメールを無視した上に、最後に一通だけメールを寄越した」
役に立てずにごめんなさい。
威はその一通だけを返した。
「そのメールを見て、俺は、何かがおかしくなってしまった。摂を、見捨てて、お前だけが生き残るなんて許せなかった。どうせ、放って置いても消える命が、何故、お前が生きるのかと激昂した。お前に送信し続けていたメールにはウイルスが仕込まれていて、一度でも返信が来れば居所は直ちにわかった」
玲は泣きながら、摂は一切関係ない、自分一人の暴走だと言った。
「威は、幸せなんだな。良かった……俺がどうこう言える話じゃないけど、俺は沢山間違えたけど、あんたのおかげで最悪な結果を出さずに済んだんだな、王浩然……」
玲は浩然の顔をまっすぐに見つめる。
見つめ合うのは、多分、あの別荘以来。
でも、その視線の意味は大きく違っていた。
「俺は玲を生かしたかったが、威を殺したかったわけじゃない。威を助けてくれてありがとう」
浩然は何も答えなかった。ただ見つめ返しただけだった。
しかし、常に一緒に居る威にはそれが浩然の許しなのだと分かる。
ここで威たちと玲の道は完全に分かれて、この先交わることも無くなるだろうが、それでも拒絶と同じ決別ではない。
「……玲兄ぃ」
「威は日向に出て大丈夫なのか? その髪は染めているのか?」
「違うよ。これは浩然が俺に特殊な治療を受けさせてくれているから、少しずつ変わってきているんだ」
浩然の正体と威との融合の事を話すわけにはいかない。
だから、大丈夫だという事だけ伝えたかった。
「そうか、お前も生きられるんだな」
「うん。浩然と一緒にね」
そう言ってぎゅっと浩然に抱き着く威を、玲は泣き笑いの表情で見つめた。
「威、兄さん……?」
「威?」
少し離れたところから威を呼ぶ声がする。
浩然と威が振り返ると、高校生ぐらいの少年と康成の姿が見えた。
「あ……」
「瀬下摂だ」
浩然が威の耳元でそっと囁くように教えてくれた。
威に良く似た少年。威より少し背が高く、肌は日に焼けている。黒い髪、黒い瞳、威にはないものばかりなのに、とても威に似ている。
「摂……」
威が名を呼ぶと、摂は立ち止まった。
「威兄さん、お会いしたかった。ここへ来ればお会いできるって浩然さんから連絡を頂いて、会いに来ました」
そう言われて威は複雑な思いだ。
摂とは会わない方がいいような気がしていた。
お互い、顔も知らずに育ち、接点もなく、威の臓器を移植したとはいえ、それはすでに浩然に補われ不自由もない。なにせ、手術痕まできれいに消えてしまっているのだ。
それと同じで、何もなかったことにして、互いに会わずにそのまま終った方がいいのではないかと考えていた。
「助けてくれてありがとう」
言葉が出ずに立ち尽くしている威の手を握って、摂は深く頭を下げた。
威は摂のその綺麗な姿勢を見て、康成に似てるな、さすがに親子だと思う。
「俺は、手術は嫌だった。死にたくなかった。でも、それを助けてくれたのは浩然だ」
威は浩然を見つめる。
無愛想な無表情に見えるその顔も、威を見る時だけはいつも優しかった。
浩然が心を溶かして、威を助けてくれなかったら、玲の言う通り最悪の結末しかなかったのだ。
「最後に会えてよかった。浩然のしてくれたことが、全て実を結んだんだっていうのを見られてよかった」
「威兄さん……」
「王さん」
その様を見守っていた康成が言葉を挟んだ。
「威をお願いいたします」
「はい」
浩然は威の肩を抱き寄せると、三人に日本風にお辞儀をして別れを告げ、威と共に車へと戻った。
車に戻って、結城がドアを開いて笑顔で迎えてくれる。
先に威が後部座席に乗り込んで、続けて浩然が座る。
そして、浩然は座席に落ち着くなり、威をぎゅっと自分の胸に抱き寄せた。
「頑張ったな」
その一言で、さっき色々と言いたかったのに何も言えずに胸にあふれていたものが、涙となって一気にあふれ出た。
「は、おらんっ……」
威が幼い頃から一緒に居て兄と慕った玲も、養子に出すことで子供を守ろうとした康成も、血を分けて体の一部を与えた弟も、結局は家族ではなかった。
彼らはみな互いを思い合っていたが、威を呼びとめる者は1人もなかった。
威の幸せは望んで祈っても、それは彼らの側には無かった。
「威、お前の家族は私だ。私と近しきものに成り、私とずっと一緒に居るんだ」
「うん……うん……」
ぼろぼろと涙をこぼし続ける威を、浩然はずっと抱きしめている。
その力強さが、とても心強い。
威もぼろぼろと涙をこぼしてはいるが、決して彼らを恨んでいるわけではなかった。
ただ、寂しかった。やっと彼らを許すことができたのに、それだけだったことが悲しかった。
浩然は次から次へと溢れる涙をそっと唇で拭い。頬にキスを落とし、唇を合わせる。
「威、家に帰ろう」
「……うん」
幼馴染の歌う讃美歌を聞いた少年はワァッと泣きだしました。
あまりにもひどく泣いたものですから、鏡の破片がポロリと目から抜け出て、幼馴染を思い出しました。
二人は大喜びで声を上げ、寒い雪のお城から二人の故郷へと手を取り合って帰ったのでした。
―― Hans Christian Andersen 雪の女王
―― 終
触手な彼氏と白蛇の子。 貴津 @skinpop
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