第15話 黒い雪の女王と白蛇の子 その参

「威様、あまりお燥ぎになると転びますよ」

 車を飛び下りて走り出そうとした威を結城がそっと止める。

「それから、陽の下では上着をお羽織下さい」

 結城は威が臓器移植のドナーになって以降、元々面倒見は良かったが、益々威に甘くなった。

 父親というよりは母親の様に甲斐甲斐しく世話を焼き付き添っている。

「心配性だなぁ、もう大丈夫だよ」

「それでも、無茶は禁物でございます」

 ドナー手術から1年が経っていた。

 威は健康を取り戻し、それどころか以前よりずっと自由になっていた。


 威は臓器移植を条件に、正式に瀬下の家から分籍し、今は浩然の養子となっている。

 王威(ワンウェイ)として、浩然の仕事の補佐につき、表に出て仕事をするようになった浩然と共に世界を飛び回っている。

 学校へ行っていなかった分の知識は結城が付きっきりで見てくれた。

 台語も多少は話せるようになり、浩然の会社に居る浩然と同じ種族にも会った。

 彼らは一様に威を歓迎し、浩然と共に生きる事も歓迎された。

 変わったのはそれだけではない。

 浩然の組織を受け入れ融合が進むことで、威は失った臓器を補われ健康を取り戻したのだが、効果はそれだけではなかった。

 今の威は白い髪、白い肌、灰色の瞳のアルビノの特色を失い、灰色の髪、色白な肌、濃い灰色の瞳を有している。

 肌はいまだ白くはあるが、うっかり陽の下に居ると日焼けをする。

 これは今までにない変化で、色素欠乏ではなく、組織がメラニンを生成している証拠だった。

 色は日に日に濃くなっている。

 もしかしたら、浩然の様に漆黒の髪に褐色の肌になるかもしれない。

 威はそれでもよかった。

 大好きな浩然と一緒に居られて、同じ姿になるのなら何も問題はない。


「浩然!」

 ビルのエントランスから出てくる浩然に手を振る。

 場所は威が拾われた浩然の会社のオフィスビルだ。

 懐かしい場所という思いも薄れる程、ここへも通っている。

 結城が威の専属となってしまった為に、浩然には今複数の秘書がいる。

 その秘書たちは浩然の後ろに控えていたが、威と結城の姿を見るとエントランスの中でそのままビルの中へと戻って行った。

「待ち合わせは空港ではなかったか?」

 そう言いながらも浩然は、自分の隣に並んだ威の腰を抱き寄せる。

 その顔は相変わらずの仏頂面ではあったものの、威に対する態度はかなり優しい。

 一緒に居る時は必ずどこかを触れ合わせており、こうして女性をエスコートするように抱き寄せられることもある。

 健康になったとは言うものの、元々小柄で中性的な威は黙って立っていれば、背の高い浩然とはカップルに見える。

 しかし、威はしどけなく寄り添うふりをしながら、どすっと横腹に一発入れて「折角迎えに来たのに!」と拗ねた。

 もちろん、そんなことは恋人の可愛い抵抗でしかない浩然は、微かに唇に笑みを浮かべると、腰を抱いたまま、そっと顔を寄せ唇を重ねた。

 威を見つめる浩然の瞳は愛しさに満ちている。

 あの蛇たちの部屋で、白蛇を愛でていた浩然の瞳に憧れたこともあったが、それよりももっともっと熱くて甘い。

 うっとりとその瞳を堪能すると、車のドアの横で待っている結城の咳ばらいが聞こえた。

「船に戻りましたら何をなさってもご自由ですので、公衆の面前ではお控えくださいませ」

「はーい」

「お返事は短く」

ホォ

 台語で返すと、浩然より先に車に乗り込む。

 浩然はその横に乗り込み、シートに身を落ち着けると、そこに威がピタッと寄り添う。

 今は運転手もついているため、結城は助手席だ。

「閃光情侶……」

 バカップルめ、と極めて控えめに呟いた後に運転手に出発を指示する。

 後部座席は目をやるのも甘い毒に侵されそうなほどの雰囲気で一杯になっているので、そのまま結城は目を閉じて空港までの時間を自分だけの世界の中で過ごしたのだった。


 空港から台湾に移動し、高雄港から浩然所有の船に乗る。

 個人所有と言ってもクルーザーではない。

 日本の造船所で作られた特別客船は総トン数12万t程の個人所有では最高クラスだ。そして、商用ではなく浩然個人の家としてあるため、客船にはありがちな劇場やカジノなどの施設は取り払われ、客室の数も減らし、その代わりに大きな庭園が作られていた。

 庭園には亜熱帯の植物がふんだんに置かれ、特殊なアクリルの透明なドームで覆われている。ドーム以外も潮風に強い植物が船内には溢れかえり、常に船の周りに真水のミストを噴霧することで塩害を防ぐシステムが用いられている。

 それが霧に包まれて移動する島のように見えるため、港に入ると船内には入れないがその外観だけでも一目見ようと見学者が後を絶たない程だった。

 それが浩然と威の新しい家であり、庭園は全て威の為に作られた。

 ミストの壁に覆われ、緑の木陰に守られた威の庭園には浩然が連れていた蛇たちが放し飼いにされている。

 白く美しい姿が木々の間にゆったりと横たわる中、シノワズリの美しい刺繍のラグの上で寝そべり空を眺めるのがこの船での威の日課だった。

 船に戻ると威も浩然も一番にここにくる。

 昼は青空を仰ぎ、夜は星空の下で、のんびりと寛ぐ。

 威は船に戻るなりこの庭園に続く部屋で服を脱ぎ捨てるとラグに寝そべり、夕暮れの空を眺めている。そこにスーツを脱いでマオカラーのシャツとパンツに着替えた浩然がやってきた。

 裸で寝そべっている威の隣に腰かける。

 ラグの下にはマットレスが敷かれているため、寝心地はとてもいい。

 沢山のクッションも置かれているので、楽な姿勢で寝転がれる。

 こうして裸のまま浩然の隣にいると、あの寝室での暮らしを思い出すけれど、場所が変わっただけで二人の間に大きな変化はなかった。

「浩然……」

 威はゆっくりと身体を起こし、隣に座る浩然に寄りかかる。

 田舎の奥座敷にほぼ軟禁され、限られた人間としか接触せず、それ以外の知識は本かインターネットという偏った世界で生きてきた為に、自由になった今、威はスポンジが水を吸うように浩然の世界を吸収し馴染んで行った。

 浩然も最初は何も知らない威が、浩然との世界しか見なくなるのを良しとは思えず、随分と揉めたこともあったが、他の人たちとの接触を経てもこの生活を選んだことで安心している。

 実際、威は浩然の世界と人間の世界をうまく行き来している。

 結城のサポートはあるものの補佐として立派に仕事をしている。浩然は中規模の会社を威に任せ修業を積ませた後に、自分が総裁である海運会社で自分の右腕として仕事をさせようと思っている。

 そして、私生活では甘く蕩けるような時間を二人で過ごしている。

 船では威は蛇たちのように暮らしている。全裸か薄手のパジャマだけで、この庭園の主として、ゆったりと時間を過ごす。

 浩然が居ればそれは蜜月となる。愛しい人と寄り添い戯れあい過ごす。

 沈黙を好み、静かな時間を共有するのを好んだはずだが、いざ触れあってみれば大きく変わった。

 同じように言葉少ないが、思いを伝え、それに応えられ、触れ合う心地よさと戯れる快感は、浩然にとっても新たな発見であり驚きであった。

 今も、威に寄りかかられ、その腰を抱くと、威は嬉しそうにきゅうっと目を細める。

 笑顔のまま、すっと伸び上がって唇を合わせる。

 威は人の姿でも、触手の姿でも、キスをするのが大好きだ。

 触手の姿の時は威が愛してあげられる。頬や唇に触れる触手に舌を這わせ、くにくにと動く先を頬張る。唇であむあむと食んだり、口の中で蠢く先を舌先で絡めあったりすると、浩然を拒んではいないことを伝えられる。

 人の姿の時は柔らかく啄まれ、舌を這わされ、食まれる。食べられてしまいそうな浩然の仕草に、威は自分が求められているのを感じていた。

 寄り添い合い、威は浩然の胸に耳をつけた。

 浩然の着ている人間姿の外装は、色々なギミックが仕込まれていて、普段は人間と変わらず、心臓の鼓動や呼吸音が聞こえ、脈や体温もはかれ、傷がつけば血も流れ、外皮には油脂の分泌もありそこからは偽装されたDNAの検出もできる。

 しかし、威と二人でいる時は浩然はそう言ったギミックを全て止めている。

 そうすると胸に耳を当てても何の音もしないのだが、威には浩然の本当の鼓動が聞こえるという。

 血流もない、呼吸もしない、触手体の浩然の気配を感じることができるのだ。

「浩然、愛してる」

 威は胸に耳を当て、じっと目を閉じて愛を囁く。

 まるで腹の中の子に妊婦が語りかけるように。

 ずっと奥底、芯になるものに伝わる様に語り続ける。

「愛してる、威」

 眼を閉じた威の頭を胸に抱き込み、浩然も低い声で愛を囁くと、それに重ねて黒い触手が威の体に巻き付きはじめる。

「浩然……」

 その感触にうっとりと目を開くと、再び唇が重なり、キスを楽しむうちに視界が暗くなった。

 そして次に目を開くと、そこに人間の浩然の姿はなく、黒いベルベットのリボンのような触手が揺らめき誘っている。

『威……』

 触手から骨伝導で伝わる声を感じる。

 この響き渡る声も慣れた。

 体中で声を感じるようで、威はこの声が好きだ。

「好き……」

『威……』

 甘い声が響き、脳内を侵す。

『愛している』

 頭の中に響いた浩然の声を最後に、快感で頭の中が焼き切れたように、威は快楽の中へと沈んで目を閉じた。



―― 続

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