第14話 黒い雪の女王と白蛇の子 その弐

 再び白蛇たちのいる部屋に威は戻ってきた。

 結城がどういう手続きを取ったのかわからなかったが、退院はすぐに許可された。

 部屋の真ん中には数回しか寝た記憶のないローベッドが鎮座していて、結城の介助の元、威はそこに座る。

「蛇をお連れしましょうか?」

 威はこくんと肯く。

 この部屋に最初に連れてこられた時も白蛇たちが居た。

 最初は嫌がらせなのかと思っていたが、その後に蛇たちを愛しむ浩然の姿を見て、この蛇は浩然にとって慰めなのだと知った。

 そして威も白蛇たちが好きになった。

 浩然を慰めつづけたこの存在に、今は愛しさを感じている。

 背にクッションを沢山当てて姿勢を楽に居られるようにしてもらい、人の腕程の太さのある白蛇を結城が膝の上に連れてきた。

 浩然が作り上げた品種だという白蛇たちはとても大人しく威嚇もしない。黒い瞳でじっとこちらを見つめて、威の膝の上でじっとしている。

(アルビノじゃないんだ……)

 アルビノならば目は赤のはず。しかし、この部屋の蛇たちはみな一様に黒曜石のような深く黒い色をしていた。

「浩然様がアルビノ種と多種の交配を重ね、色のみを定着させております。ですからアルビノの特性は表皮が白色であることしか残っておりません」

 結城は膝の上で鎌首を擡げている蛇の腹をそっと撫で下した。

 猫が喉を撫でられて喜ぶような、気持ちよさそうな仕草を蛇がしているように見える。

 威はじっとその蛇の重みを感じている。

 時折もぞっと動くのがくすぐったいが、生き物が側に居てくっついてきているのはどこか安心した。

「威様、浩然様の事はご存知ですよね?」

 結城が真面目な顔で威に尋ねる。

 知っているというのは、浩然が人間ではないという事だろう。

 威はもうすでに声を出すのがかなりしんどかったので、こくんと肯いて肯定した。

「浩然様は人間ではありません。私たちとは別の種族のお生まれです」

 それが何なのかは威にはもうどうでもよかった。

 浩然は浩然、それが全て。

「それでも、浩然様をお選びくださって感謝しております」

 結城は威の手を握って頭を下げる。

「浩然様は私にとって上司であると同時に、大切な義弟なのです。私の妻の花琳が死んだ時、私以上に悲しんでくださったのは浩然様でした。そして、花琳の仇を取ってくださったのも浩然様だったのです」

 俯いた結城の頬を水滴が落ちる。

「以来、浩然様は心を閉ざされ、人を厭い、私以外の者を遠ざけられました。そして、そのまま一人で死に行く決意をされたのです。……威様、どうか、浩然様を助けてください」

「ゆう、き……」

 残り時間もわずかな威に何かできることがあるのだろうか?

「私ではダメなのです。浩然様をお救い出来ない……」

 威が浩然を選んでくれてよかった。

 結城にしてみればいっそ無理やりにでもと思うが、それではここまで苦しんだ威があまりにも可哀相だ。

「威様……」

 本人には何の咎もないのに周囲の思惑に振り回され、実弟の為に命を削り、余命を待つ威に、人以外の者と交われと言うのは酷だとは分かっている。

 それでも、結城はもし二人が思い合っているのならば、最後に浩然の為にと願わずにはいられなかった。


 ギシッとベッドが撓んで、威は目が覚めた。

 威はもう長い間起きていることが辛く、わずかな間であってもウトウトと微睡んでしまう。

 そんな微睡から目覚め、音の方見るとベッドの端に浩然が座り、威の方へと手を伸ばしてくる。

 頬を撫でてくれるその手に、威は自分から擦り寄った。

「はお、ら……」

 擦れる声で名を呼ぶ。

 息をするのが重い、身体が酷く冷たい。

 浩然はベッドの上をにじって威に近寄り、その隣に腰かけた。

「ベッドが広いのも考え物だな」

 そう言って、威の頬を両手で包み、そっとキスを落とす。

 浩然は人間の姿をしている。

 黒い髪、黒い瞳、褐色の肌、触れてくる唇も人間の物と変わらない。

 でも、見つめてくる瞳には仄かに笑みが見え、唇は優しく弧を描いている。

 怖いか? とも聞かない。

 威が、浩然を受け入れたのは伝わっているから。

「お前は自由になった。摂に臓器を移植することで、瀬下家でのお前は役目を終え、康成にも正式に戸籍の分籍をさせた。もう何の柵もない」

 浩然は突然そんな説明を始めた。

 威はそれをじっと聞いている。

「威、俺と共に生きてくれ」

 しっかりとはっきりと言われた。

「俺は人間ではない。地球上の生態系から外れた存在の生き物だ。俺たちが地球で生きるためには誰か人間と結びつかなくてはならない。俺は、お前以外の人間と生きるくらいなら、このまま延命は望まず死絶えるつもりだった。だが……あ、いや。違うな」

 浩然は途中で言葉を切り、眼を閉じて大きく深呼吸すると、もう一度威と向かい合う。

「威が嫌ならば、俺は結びつきが無くても良い。お前が大事だ。お前を失いたくない。死すまで、俺と共に来てくれ」

 威の眦に涙があふれる。

 熱い雫が頬を伝ってこぼれる。

「はい……」

 浩然の唇が下りてきて、キスを交わす。

 深く重ね合わされ、互いの熱と息を絡め合い、まるで誓いの言葉を交わすような厳かなキスだった。

 幾度か唇を離しては重ね、甘く頬を擦りあい、浩然は威の眦の涙を唇で拭った。

「お前に俺の姿を見てほしい」

 キスの後、浩然はそう言うと、威に見えやすいように少し身体を引いて言う。

 威は浩然が着ていたシャツを脱ぎ、立ちあがるのを黙って見ていた。

 それは劇的な変化だった。

「っ!?」

 手品のようだと思った。

 黒い布が舞い落ちるように、足元に何かがふわりと落ちると、そこに影よりもさらに黒い何かが緩やかに立ちあがる。

 よく見れば、それは蛇のような大小様々な触手が絡まり合い蠢いている。

 それは上質なベルベッドの様に滑らかで艶があり、夜空を見上げるより暗く黒く、ほんのわずかに含まれた蒼が照り返す神秘的な姿だ。

(綺麗……)

 夜空の闇が手元に降りてきたようだ。

 威はそれに触れたくて、震える腕を延ばした。

 触手がするりと一本だけ抜け出し、その手を掬い上げるように絡まる。

(あの、感触)

 病室でカーテン越しに触れあったあの感触が蘇る。

「はおら、ん……」

 名を呼ぶと、更に幾本かの触手が延び、腕に絡まり、頬に触れてくる。

 漆黒の触手は次々に威の身体に触れ、沿い、絡まり、探る。

 その動きはとても繊細で、浩然が慎重に様子を見ながら触れてくれているのがわかる。

 わかっているのと実際に明るいところで見るのはまったく別の物だ。

 でも、それは恐ろしいとか気持ち悪いではなく、神秘的で綺麗で、そして、より愛おしかった。

 頬に触れている触手にそっと威から擦り寄ってみた。

 その感触はすべすべでとても気持ちいい。

 うっとりとする威の様子を見て少し安心したのか、頬に触れている触手の先が、ちょんちょんと唇をつついた。

 それに誘われるように、でも少し躊躇いがちに唇を開くと、ゆっくりと触手が唇を押し開いて入り込んできた。

「ンっ……」

 息が詰まらないように加減しながら、触手の先は柔らかく口蓋をなぞり、下の付け根近くで止まった。

『嫌だったら噛んでくれ』

 頭の中に浩然の声が響き、触手がするりとさらに奥へ入り込む。

 舌で触れると触手はラムネ菓子の様にしゅわっと口の中で溶けて途切れ、飲み込んだ先は喉の奥へ落ちた。

 威は驚いて食べ物を飲み込む様にごくんと飲み込んでしまう。

 目をまるく見開いて、どうしようと思っていると、再び浩然の声が響いた。

『俺の身体を威に分け与える。俺の細胞はお前の失われた臓器を補い、色素が無い事で害を受けている所を癒し、俺に少し近い物になる』

 名残惜しげに唇をなぞりながら、口から触手が抜ける。

『すぐには変われないが、お前の命を失う前には間に合う』

 飲み込んでしまった時より威は驚いて、更に目も丸くした。

 もう後は死ぬばかりだと思っていたのに、それを浩然と一緒になることで生き長らえることができるという。

『お前を失いたくない』

 死すまで俺と共に。

 浩然もまた、威と共に生きる決意をしたのだ。

『嫌かもしれないが……少しだけ耐えてくれ』

 浩然の声に、威は首を振った。

 嫌なわけがない。

 浩然と生きたい。

 浩然の為に生きたい。

 身体が動かず抱きしめられないために、威は指先に触れる触手をぎゅっと握りしめた。



―― 続

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