第9話 凍てつく鏡 その壱

 最近、威の様子がおかしい。

 元々ぼんやりと過ごすことが多いのだが、明らかに心ここに非ずで物思いに耽っていることが多い。

 今もTVの方を向いては居るが、その視線は宙を彷徨い、別の何かを見ている様だ。

「あれは、どうした」

 威のいる私室とは別のフロアにある執務室で、書類に目を通していた浩然が結城に問う。

「少し、お悩みがあるようでございますね」

 結城はモニターから顔も上げずに簡潔に答えた。

 悩みと言われて、あの子供に悩みの無い時があるのかと言ってしまいそうな位、威はよく悩む子供だったが、それにしても様子がおかしい。

 きっかけは多分あの玲という男に会ってからだ。

 あの後すぐに結城に命じて、威の父親である瀬下康成に釘をさして接触を禁じたが、それがまだ気になっているのだろうか?

 威が自分をドナーにしようとしている父親や玲の元へ帰りたいと望むとは思えないのだが。

「監視を強めましょうか? 最近外部と連絡を取っているようですが、相手をお調べいたしますか?」

「いや、そこまでする必要はない」

 浩然が結城に命じているのは威を外へ出すなという事だけだ。

 外に出ることだけは威の体質上、命の損失に直結するのでそれだけは禁じた。

「もう少しお話しされてみてはいかがですか?」

「話?」

「威様とお話合いを」

 会話と言われて、浩然は眉を顰めた。

 威と何を話すことがある?

 会話をして、悩みを聞いて、解決しろというのか。

「難しい事を言う」

「……それが難しいと仰るのは浩然様くらいでございますよ」

 結城は浩然に対して慇懃な態度は決して崩さないが辛辣だ。

 親族であるという事を除いても、浩然が一番長く共にいる人間なので遠慮もない。

「私も気にかけておきますが、やはり浩然様がそうお感じになるのであれば、浩然様が威様とお話合いになるのが一番だと思います。人間はそうやって絆を築くものです」

「人間は……か」

 浩然は人間にあまり良い記憶が無い。

 同族の連中は人間に対してとても好意的だが、浩然は同じように考えることができなかった。

 唯一側にいる結城さえも、時々、どこか心の奥でこれも裏切るのではないかと思ってしまうことがある。

 浩然にとっては姉を、結城にとっては妻を殺されたという同じ傷を持つ者同士なのに。

 しかし、結城にとって浩然は自分の妻を殺した人間の子供でもあるのだ。


 浩然の姉は実の母親に殺された。

 父は人間の母を愛し、母も地球外生命体である父を受け入れたが、母はその子供を受け入れることができなかった。

 浩然たちは単体繁殖で、母体となる個体から分裂して子となる。

 父は先に女性体として姉・花琳ファリンを儲けた。次に浩然を儲け、夫婦は二人の子持ちとなったのだが、子供たちは当然人間ではない。外装と呼ばれる人間型の皮の中に入って育つのだが、幼いうちはまだその外装になじめず触手のような本性のまま過ごすことは少なくない。

 まったく人間には見えない生き物なのに、言葉を話し、物を考える。

 しかも、普通の人間より遥かに知能成長が早く、幼いうちから大人のような対応ができる。

 母はそれに耐えられなかった。

 愛する夫と同じものであるのに、そうとは思えず子供を拒んだ。

 特に同性型である花琳に対して強く嫌悪感を持ち、夫や他の親族に隠れて虐待を繰り返した。

 当然、浩然も愛されはしなかった。

 ただ父親に似た特性の所為か、そこまで毛嫌いはされなかったがそれでも良い扱いはされていない。

 父にわからぬように、他の同族に知られぬように、母は花琳と浩然を虐待し続けた。

 最初、二人にはそれがそうとわからなかった。二人は父同様母が大好きだったので、母が冷たいのは自分が至らないからだという虐待被害者に良くある思考に陥ってしまっていた。

 ずっと、辛い思いをして暮らした。

 浩然は途中でこれは可笑しいと気がついたが、母を盲愛する父に母の仕打を打ち明けることはできなかった。

 誰にも言えずしばらく過ごしていたが、花琳が結城と出会い家を出たのを機に、浩然も家を出て独り立ちした。

 母から離れれば大丈夫だと思っていた。

 浩然は実家に戻ることなく、父の仕事を手伝い、一人で生きて行く術を身に着けて行った。花琳は結城と共に家に関わらぬところで暮らして行けばよい。そう思っていた。

 しかし、母は陰ながら花琳だけは責め続けていたのだ。

 陰湿に責められ続け、誰にも言えずに耐え続けた花琳は、ある日生きるのを止めてしまった。

 父にも結城にも浩然にも誰にも何も言わずに逝ったが、浩然にはすぐに分かった。

 浩然は怒り狂い、そして絶望した。

 醜い母にも、愚かな父にも、非力な自分にも、無知な他者にも、何もかもに絶望した。

 結城は浩然を人嫌いだと言うが、浩然は自分も嫌いだ。

 何もかもに絶望した浩然は、父を追い落とし、父の築いた海運会社のトップに立った。

 そして、更に企業を大きくした後に、ただ一人でいる為の居城を築いて、そこに閉じこもったのだった。

 居城には浩然と蛇たちと結城だけが出入りを許された。

 浩然の過去と事情を知るのは結城だけで、浩然の母が花琳を責め殺したのも知っている。

 それでも、結城は側に居る。

 親族とは言うが、人でもない、花琳とも似ても似つかない浩然の側に。


「浩然様が威様の事を案じられるのはとても良い事だと思います」

 結城は浩然に新たな決裁書類を手渡すと、デスクの側のハンガーにかけられた上着を羽織った。

「私は威様にご昼食をお出ししてまいりますが、浩然様は如何なさいますか?」

「もうそんな時間か。そうだな、部屋に用意してもらおうか」

「畏まりました」

 部屋を出て行く結城の後姿を見送って、浩然は堪えていたため息をついた。

 急激に物事が進んで行く。

 威と出会ってまだ半月あまり。

 行き倒れを助けられたとは言え、有無を言わさず見知らぬ男に監禁されている状況を威がどう思っているのかもわからない。

 威自身もドナーにされるという現実から逃げられるので、威に不都合があることばかりではないと思うが、それでも状況は異常なはずだ。

 それなのに周囲の溝は着実に埋まりつつある。

 威の実父は威を手放すことに同意し、結城は威を浩然の「配偶者」にと勧めてくる。

 それに、浩然は自分のことがわからない。

 威を拾ったのは気まぐれだった。

 共に居れば、威はとても無垢で、見かけばかりか内面も白い。

 頭が悪いわけではない。教育はきちんと受けていると分かる。

 だが、人付き合いが極めて限られてきた故か疑うことを知らず、20歳という年齢にしては素直で柔軟性がある。見知らぬ浩然に害意が無いと知れば、騒ぐのを止めて従順に暮らしている。

 逆を言えばやや自己が薄い。人の言葉を信じるが故に、疑って真実を確認するという事をしない。

 詮索を何よりも鬱陶しいと思う浩然は、その事に好感を覚え、私室に匿い続けている。

 それが何とも奇妙で納得がいかない。

 人間嫌いの浩然が「気まぐれ」と起こすことも、「好感」を持つこともわからない。

 従順だろうが無垢だろうが、威は人間だ。今は何も知らない為に大人しくしているが、時が経って物を知れば、また違う顔を見せるに違いない。

 そう言うことがわかっていて、そう言うものを遠ざけようとするのが、本来の浩然であったのに、今では威を手放すことが考えられない。

 無垢な様を気に入っているなら、無垢なまま浩然の手の内で囲い続ければよいのではないかとすら思う。

 この変化に危機感と途惑いを感じている。

 こんなのは自分ではない。

 そう思うが、それを止めることもできない。

 迷い、躊躇いながら半月が過ぎた。

 今も浩然は威を如何するべきか答えが出ぬままに時間だけが過ぎて行く。


 結城に遅れて私室に戻ると、丁度配膳が終わり、威がローテーブルの前に座っていた。

 昼食は威が気に入っているのだというホットケーキ。

 浩然は特別食事を必要としないのだが、食べられないわけではない。

 好き嫌いはよくわからず、昔から食べていたものを食べるとこの国の一般的な食事とは少し違う程度だ。

「浩然にホットケーキって似合わない……」

「食事に似合う似合わないがあるか」

「でも、浩然は圧倒的に中華料理食べてるイメージだよ。あのグルグル回るテーブルで食べてそう」

「円板卓で食事がしたいのか?」

「違うよ。浩然に似合うだろうなって話」

 威はカットされて盛られたフルーツを生クリームと共にせっせと口に運びながら他愛のない話をしてくる。

 これも少し変わったところだ。

 それまでは無言でいることが多かった二人だが、最近は少し会話がある。

 それは親しさが増したからというより、威が落ち着かず、なにか場を埋めるように会話をしてくるように思う。

(何をそんなに誤魔化したいと思うのか)

 故意ではないのだろうが、不自然な威の態度。

 今も一生懸命食べている様だが、そわそわと浩然の方を見ている。

 浩然はそんな威の顔を見て、すっと手を伸ばし頬に触れる。

 いきなりの事に眼を見開き硬直する威の唇の端を、そっと指先で拭った。

「な、な……な……」

「ついていた」

 浩然の指の先には白い生クリーム。

 威があっと思った瞬間には、それはぺろっと浩然の舌に舐めとられてしまった。

「!?」

「落ち着いて食え」

 それだけ言って、浩然は食事の続きを再開する。

 威はそわそわがなくなったものの、今度は固まったまま動かない。

「……どうした?」

「ど、どうもしないっ!」

 再起動したものの、顔を真っ赤にしてせかせかとホットケーキを食べ始めた威を見て、浩然は訳が分からないと首をひねる。

 その後は静かに沈黙を楽しんだ。

 食後もホットケーキの甘い香りの残るリビングで向かい合ってソファに座って寛ぐ。

 浩然は読みかけだった本を読み、威はクッションに凭れてお茶を飲んでいる。

 視線を感じて顔をあげると、威が浩然を見ている。

 目が合うと一瞬嬉しそうににこっと笑うが、その後そそくさとまた視線を下げてしまった。

「初々しいですね」

 お茶の給仕の為に隣に控えていた結城が、その様子を見て言った。

「……わからん」

 浩然と20近く年が違うというだけでなく、感情豊かで落ち着きのない威を理解するのは難しい。

「人は自分と違うものを他者に見つけて、それを慈しむものなのですよ」

 浩然より更に年上の結城がにっこりとほほ笑んで言う。

 歳が下でも上でも、浩然にとって人間というものは理解の難しい存在だった。

 そんな風に寛いでいると、不意に威のポケットから音が聞こえた。

 どうやらポケットに入れているスマホに着信を知らせるバイブレーションのようだ。

 浩然は人間と違う感覚器官をもっている為、僅かな音でも感知してしまう。

 しかし、威は着信に気づいているのにスマホを取り出そうとしない。

(結城が外部と連絡を取っている様だと言っていたな)

 連絡を許可しているのでそれは構わないが、許可されている事しているのにそれを隠そうとしている様子が気になる。

(ここから逃げる算段でも立て始めたか)

 それはある程度覚悟している事だ。

 まだ伝えていないが、康成が威をドナーにするのを諦めたと伝えれば威はここに留まる必要もない。

 威をここに留めているのは浩然の思惑でしかない。

 威を開放するという決断が下せないのは浩然だ。

 じっと威を見つめていると、その視線に気がついたのか視線をこちらに向けてくる。

 あまりに淡いために灰色にも見える淡褐色の瞳が浩然を捕らえる。

 不思議そうな顔でこちらを見ている瞳に、今度は浩然が視線を逸らせてしまった。

 人間は目は心の鏡と言うが、浩然も今の心の中を威に知られたくないとどこかで思っていた。



―― 続

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る