第8話 大人たちの思惑
威と出会ったのは玲が12歳の時。
弟ができると聞いて、母親のお腹が大きかった記憶もないのに不思議だと思っていたら、父親が真っ白な赤ん坊を連れてきた。
その赤ん坊は色白というより白猫のように真っ白で、ふにゃふにゃとか細い声で鳴いていた。
両親から、この子は決して外に出してはならない子だから、大きくなって外に出たがったらお前が遊び相手をするんだと言われた。
幼い頃は外に出してはいけないのが何故だか分らなかったが、大きくなって理由がわかった。
先天的に色素のない威は、わずかな紫外線でも皮膚がんを発症するリスクが高い。
他の子供のように外に出て遊べば、その白い肌は日焼けによって痛み、病気になって死んでしまう。
それを理解してからは玲は努めて威と一緒に居て気を紛らわせてやることにした。
学校へ行けぬ威の為に両親は家庭教師を雇い勉強させていたが、玲が中学に上がってからは一緒に勉強を見てやった。
両親に買ってもらったPCは威の居る奥座敷に置いて、インターネットで外に出れない威の為に色々なものを見せてやった。
大学を卒業して、両親の希望もあって、本家の威の父親の事務所に入った。
秘書という扱いだが、地元の雑用係だ。
それでも行く行くは地元の議員か、出来れば国政に携わってほしいというのが両親の希望だった。
その頃に本家へ出入りするようになって、威の弟であり、威が里子に出された後に長男として生まれた
摂は威にそっくりだった。
威が先天性白皮症でなければ、きっとこんな風に育っただろう。
威より背が高く、一見、威の兄のように見えるが、威も持つ美貌は損なわれてはいない。
むしろ、透けるように白く神秘的な威より生々しく人間を感じさせる摂に玲は気持ちを奪われてしまった。
そして、いつか康成の後をついで国政に出るだろう摂の為に尽して行こうと心決めた時に、摂が病に倒れた。
先天性の内臓疾患だった。
発見された時にはかなり進行していて、摂の内臓はその機能の半分も果たせていない。
色々な治療が試みられたが、結局移植しかないとなり、ドナーを探した結果、適合者は摂の実兄の威だけだった。
その話はすぐに威の養父母となっている玲の両親にも伝えられたが、玲の両親は陽にもあたれず閉じ込められて育った威に同情的で、この上腹を切られるなんてかわいそうなことは言えないと断った。
しかし、移植が出来なければ摂が死ぬ。
病院のベッドで酷く悪い顔色で眠っている摂を見て、玲はその頬に触れながら泣いた。
威も確かに可哀相な子供だ。
でも、摂にも罪はない。
威はその先天性の病気で長く生きられないのならば、せめて、摂にその命の一部を譲ってもいいのではないか。
摂の中で生きて行くことでもあるのに。
玲は摂愛しさに頭がおかしくなったのかもしれない。
そして玲が両親を説得し、威にドナー同意書にサインさせようと実家を訪ねた日の夜、威は家を出て行ってしまった。
「面倒なことをしてくれたな」
瀬下康成が酷く難しい顔で玲に言った。
「どういう事ですか?」
威を連れていた男は金持ちそうなアジア系だったが、外国の富裕層かなにかで交渉的に面倒があるのだろうか?
それならば康成は面倒な事とは言わないだろう。
康成だって摂の為に威を取り戻して手術を受けさせたいはずだ。
「摂の事は諦めろ。相手が悪い」
「っ!」
信じられない言葉を聞いた。
自分の息子を見捨てると言うのか!
「あの外国人がなにを……」
「あの男が寄越した名刺を見たか?」
「はい。吉祥商会という日本にある商社のオーナーだとありましたが……」
「吉祥商会の親会社は祥瑞海運。外国籍の海運会社だ」
「祥瑞海運……」
聞き覚えどころか、外国籍の祥瑞海運と言えば世界シェアの半分近くを担う超巨大企業だ。
「王浩然はその祥瑞海運のトップに立つ人物だ」
「!?」
「王は余計な話をして来れば取引に圧力をかけると言っている」
それは、この国の輸出業へのダイレクトな圧力。輸出に頼る産業はみな大ダメージを食らう。
「国家にかかわる財政と自分の息子、どちらを選ぶかは明白なことだ」
何という事だ、何という事だ。
こんな秤にかけられて、摂はこのまま死を選ばなくてはならないというのか。
このままならどんなに匿われても死ぬしかない命の威が生き延びて、移植を受けられずに摂は死ぬ。
摂は移植さえ受けられれば生きる事ができるというのに。
元より短命で術のない威が生きるのとは意味が違うというのに。
「このままでは摂が……」
「運のない子だったのだ」
「先生はそれでいいんですか?」
理不尽な外的圧力により、後継ぎとなる息子を失う。
「良いも悪いもない。選ぶべきを選び、職務を全うするだけだ」
そう言って、手で払うようにして玲に退室するように命じた。
逆らうことは出来ず、玲は失礼しますと頭を下げて執務室を後にしたが、事務所の自分の席には戻らなかった。
事務所の外に出て、以前職務上で知り合った人物に電話をかけた。
このまま、みすみす摂を死なせはしない。
威さえ戻ってくれば、それで助かるのだから。
浩然からの問いかけに対し、瀬下康成の事務所からは「自分の息子は現在病気療養中の瀬下摂一人である」という回答が来た。
結城はそのメールを見て、瞬時に息子二人を失うことを覚悟したこの政治家を評価した。
それに浩然に威を害する意図はない。そこは康成も理解しているだろう。
威が先天性白皮症であり人前に出れぬ子供であると分かった時に分家に里子へ出したのも、常に人の目がある政治家の息子で居るより、静かなところで生きて行けるようにという配慮だったと威の養父母からは聞いている。
威はそれですっかり拗ねてしまっているが、事実を知ればいつか和解もできるだろう。
その為にも今は浩然の元に居てもらわなくてはならない。
瀬下玲は明らかに威に対して害意を抱いている。
その手から守るためにも――
(それだけではないな……)
浩然のためにも威は必要だった。
浩然は人間ではない。その正体を知る者は祥瑞海運の上層部に居る浩然の同族たちと結城ぐらいしか知らない。
浩然たちは人間ではない故に、この地球上で生きていくためにいくつかの制限がある。
その一つが40歳までに配偶者となる「人間」を見つけること。
配偶者とは人間ではない浩然と融合し、融合後に体細胞を提供する者。
細胞提供で死ぬことなどはないが、人間ではないものとの融合によって身体が変わる。そして、細胞提供は定期的に行われる必要がある。
その為に浩然たちは自分と融合する者を配偶者として生活を保障し共に暮らす。
配偶者を探すのはそんなに難しくはない。
彼らは比較的人間に友好的で、尚且つすぐれた嗅覚で自分たちを受け入れる因子を持つ人間を探し出す。そして、人間が恋に落ちて結婚するように、精神的な絆を持って結びつき関係を育む。
しかし、浩然は極度の人間嫌いで、接触を厭う。
人間だけではない、自分以外の存在を嫌っている。
唯一の例外は結城だが、それは、結城が浩然の姉の「配偶者」だったからだ。
両親も一人の姉も亡くした浩然にとって唯一最後の身内だからというだけだ。
しかし、浩然の姉と融合した過去のある結城は浩然に細胞を提供してやれない。
同族同士では拒否反応が出るためなのだが、別の個体と融合済みの結城も浩然にとっては毒でしかないのだ。
浩然は若い身形を保っているが、齢は間もなく40に達する。
40歳というのは目安でしかないとはいえ、いつ、限界が来ても可笑しくはないのだ。
それに浩然は一族の中ではほかにない変異を持って生まれた。
その変異が何に影響するかわからない。そう考えると一刻を争う事態だとも言えるが……
浩然が威を見つけた時、結城は驚いた。
人間に興味を持ったというのも驚きだったが、拾った子供は先天性白皮症という珍しい病状のある子だった。
浩然の部屋に住まう、彼の愛する白蛇たちを思わせるような真っ白な子供。
所持品から調べてその子供が20歳の成人だったのも驚いたが、その姿は同性である結城ですら頬を赤らめそうになるほど美しく魅力的だった。
世話をしながら浩然と一緒に居るのを見ると、まるで白黒一対の美術品を愛でているような気持ちになる。
しかし、威は酷く心を拗らせ、怯え、自分の姿を嫌って、足元を見て立ち止まったまま動けなくなっていた。
そんな威の卑屈さや、行き場のない弱みを利用しても、結城は威に浩然の配偶者となってほしかった。
(瀬下青年と考えている事は同じだ)
玲は摂を愛するが故に威を利用しようとしている。
結城は浩然を思うが故に威を利用しようとしている。
人に愛されていると気付けない子供は、甘さ優しさを教えてやれば簡単に懐くだろう。
もしかすると浩然の正体を知っても、あの寂しい子供ならば受け入れるかもしれない。
浩然が結城と同じ気持ちを抱いているかはわからないが、結城以外の人間に興味を示してくれたのはいい傾向だ。
(何としてでも、威様を……)
結城にとっても愛する者亡き後、浩然は唯一の身内なのだ。
浩然が生き続けることが、唯一の望みだった。
威のスマホに着信があった。
誰にも番号は教えていないし、誰にも電話はかけていない。
何だろうと思って画面を見るとメールの着信だった。
「浩然? 結城?」
このスマホは結城から渡されたもので、多分、彼らくらいしかアドレスも番号も知らないはず。
でも、あの二人ならメールなんか寄越さず、直接言いに来るはず。
「なんだろ?」
見知らぬメアドのメールを開く。
表に出ていないメアドにSPAMは届くのだろうか?
「っ!?」
威はメールの差出人を見て一瞬固まった。
『瀬下 摂』
威の実の弟。
名前しか知らず、会ったことも見たこともない弟。
威の内臓を移植しないと死ぬ弟。
威を探しているはずの弟。
「な、なんで……」
摂がどうして誰も知らないはずのメアドを知っている?
恐る恐る開封する。
本当は読まずに捨てればいいのに。
威兄さんへ
初めまして。貴方の弟の摂です。
玲さんに調べてもらってこのメールアドレスを知りました。
いきなり不躾な連絡をすることをお許しください。
威兄さんが王浩然さんのところに居るのを玲さんに聞きました。
父さんも玲さんもとても心配しています。
王さんはとても権力のある人で不当な圧力をかけられ、父さんたちは兄さんを探すのを諦めたと言っています。
そんな事をする人のところで兄さんがどんな生活をしているのかと思うと、僕もすごく心配です。
僕のドナーの事で誤解があって兄さんは東京へ行ってしまったと聞いています。
その誤解も解きたいし、兄さんを助けたいです。
どうか、僕に連絡をください。
お願いします。
瀬下 摂
短いメールはすぐに読み終わった。
スマホを持つ手が冷たくなって震えている。
こんなメールはすぐに消してしまって、何もなかったことにしたい。
いまさら弟なんかと話したくない。
何故、今、誤解だなんて嘘にしか聞こえない。
でも、心のどこかで燻っていたものがじわっと痛む。
浩然の事を信じたいと思う一方で、浩然の事を知らないという不安が心に隙を作る。
その隙にじわじわと浸み込んでくるのだ。
「摂……」
威にはそのメールを削除することが、どうしてもできなかった。
―― 続
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