第7話 白蛇の子 その参
ぐっと二の腕を掴まれたまま威は硬直してしまった。
背中を冷たいものが流れる。
ガンガンと耳鳴りがして眩暈がする。
腕を掴んだ玲が何か言っている。口が動いているけど声は聞こえない。
「お、俺……」
放してくれ。そう言いたかったが、それで良かったのか?
今、玲に助けを求めれば、威は浩然の監禁から逃れることができる。
でも、でも、玲も。
「こんなところで何やってるんだ!」
怒鳴り声をあげる玲と固まったままの威の間にすっと黒い影が割り込んだ。
浩然だった。
浩然は威を庇うように前に立ち、無言で玲を睨みつける。
「どのような御用件か存じませんが、あまりにも不躾な振る舞いではございませんか?」
結城も威を背に立つ。
二人の背に庇われても、威は手足が冷たくなって行くのを止められない。
「私どもに御用がございますならば、正式にアポイントをお取りください」
結城はそう言うと胸元から取り出した名刺ケースから名刺を抜いて差し出す。
「自分は国会議員の瀬下康成の第三秘書だ」
玲は名刺を受取らず、そう名乗った。
その肩書きの威力を十分に承知した上でのことだ。
しかし、結城も浩然も全く動じない。
「それが如何なさいましたか? この小さな島国のお役人様は怯える子供の腕を取り怒鳴りつけても良いと仰いますか」
結城の方が明らかに格が上だ。そして浩然は更に上だ。
「必要があらば秘書ではなく、当人が来い」
浩然は捨てるようにそう言うと、威の肩をぐっと抱き寄せ支えるようにして歩きはじめる。
「失礼いたします」
結城はお辞儀だけは丁寧にすると、玲を一瞥して威の後ろについた。
「大丈夫でございますか?」
そして、血の気が失せて、白い顔がより白くなっている威を心配そうに見やると、そっと背を支えるように手を当ててくれる。
威は言葉も出ずに、何とか支えられて車に乗り込むと、そのまま貧血のように視界が暗くなって気を失ってしまった。
威が真っ暗な意識の中から浮上すると、まず最初に温もりを感じた。
すごく静かで、温かくて、居心地がいい。
辛くて悲しい夢を見て目が覚めたと思ったのに、目覚めた時はすごく気持ちよい微睡の中に居た。
少し身体が重たいが、その重みも心地よい。
「ん……」
薄く目を開けると部屋は薄暗かった。
蛇たちのいる水槽の観賞用ライトが淡くブルーに光っていて水底に居るような気分になる。
起き上がるために腕を動かそうとすると、それを阻むように威の身体に何かが巻き付く。
(ん……蛇……?)
水槽から出された子が暖を求めて威の身体に乗っているのだろうか?
それにしては巻き付く物が温かい。
「んー……」
巻き付いているのは腕だけではなかった。
腰にも脚にも巻き付いているのを感じる。
しかもそこそこに太くて力強い。
(随分、大きな子が出されてるな……)
寝る時にケージから蛇が出されている事は今までも何度かあったが、どれも1メートルほどの細くて小さな蛇だった。
今、威に巻き付いているのはいつか威の事を押し倒したくらいの大型の蛇のような気がする。
その太さを触って確かめようとすると、蛇はするりとその手を避けるが、届かないところにもっとしっかり巻き付いてきた。
「んん……」
思わず声を漏らすと、身体に巻き付く蛇がぎゅっと力を入れる。
そして背後から低い声が耳元に囁かれた。
「まだ、夜だ。寝ていろ」
「えっ」
振り返りたいと思ったが、どうやら肩口に巻き付いているのは浩然の腕だったようで、がっちりと抱き込まれてしまっていて動けない。
(あ、なんで……)
浩然に抱きしめられていると分かった瞬間、甘く疼いていた下肢がより疼いてしまう。
(どうしよう……)
蛇に擦られて気持ちよくなってるなんて浩然に知られたくない。
威は膝がこれ以上開いて蛇が動き回らないように足に力を入れた。
しかし、太腿に蛇が挟まり、押し止めようと力を入れれば入れる程、ぐりぐりと股間の刺激も強くなる。
「あ、だめ……」
思わず声が漏れ、慌てて唇を噛みしめる。
浩然に気がつかれるわけにはいかない。
(ばれちゃう、ばれちゃう)
焦れば焦るほど逆効果だが、焦らずにいられるほど威は達観していない。
「静かにしろ」
ついに腕の中でモジモジあんあんし続けた結果浩然にバレた。
「何をして……」
「ぎゃーーーーーーっ!」
威は絶叫して浩然の腕も蛇も振り払って飛び起きると、寝室を飛び出し、リビングを駆け抜け、バスルームに飛び込んだ。
「く……耳元で叫びおって……」
浩然はキーンと耳鳴りのする頭を軽く揺すって起き上がった。
見れば、足元に黒い蛇のような太い何かがのたうっている。
「あぁ」
威が絶叫して脇目も振らずに逃げたのは都合が良かった。
黒くのたうつ物はするりと浩然の背に回り、その背の中に引きこまれ消えた。
「油断したな……」
今日は気に障ることがあった。
浩然が拾った子供は折角美しくなってきたのに、それがきっかけで急に萎れてしまった。
直前までとても機嫌よく過ごしていたのに台無しだ。
(今の様子を見る限り、今すぐにどうと言うほどの心配はなさそうだが、それでも用心に越したことはないな)
1人になって考え事を始めれば、威はあっという間にネガティブな思考に陥る。
最近は1人にしても幾分かマシになり始めていたが、今回の事でまたしばらく監視が必要だ。
それと、威の親族のあの青年も面倒だ。
父親の方は何とでもなる。威の父親は駆け引きの理解できる人物であるが故にあの地位に居るのだろう。
だが、あの青年はまだ若く、威に対して感情的な思い入れがある。
そういうものを持っている人間は面倒だ。
(いっそ処分できれば楽なんだが……)
浩然にとってそれは容易いことだが、後になってそうしたことを威が知れば、それはそれで厄介だ。
面倒な拾い物をしたと思うが、あの白く美しい生き物は手間をかける価値があると思う。
現に手間をかけた結果、かなり美しく良い状態になってきた。
気分の悪い事は明日にして、とりあえずもう一度威を侍らせて眠ろうと思ったが、威は絶叫して飛び出して行ったまま戻らない。
また具合でも悪くなったかと、様子を見に寝室を出ると、威はリビングのソファで一人で眠っていた。
バスルームから持ってきたらしいバスタオルにくるまっている。
浩然はため息を一つ吐いて、威をそっと抱き上げる。
20歳だと記録されているこの青年は、幼く華奢で高校生くらいに見える。
身長も160センチ強程しかなく、抱き上げた感じもとても軽い。最近は多少肉がついてきたとはいえ、最初に服を脱がせたときはこのまま死ぬのではないかと思うほど痩せていた。
それでも、その白い肌と髪、淡い灰色の虹彩を持つその瞳と端正な顔は、浩然の気持ちを一気に引きつけた。
「ん……」
バスタオルだけでエアコンの効いた部屋に居たので寒かったのだろう。
浩然の腕に抱かれた威は、そっとその胸に頬を摺り寄せ温もりを求める。
その穏やかな寝顔を見ていると、いつだったか、わめきたてる威を黙らせるために唇を合わせて塞いだことを思い出す。
柔らかく少しひんやりと冷たい唇は、なめらかで心地よい肌触りだった。
「ん、ん」
その感触をもう一度味わってみようと、威の唇にそっと唇を重ねてみた。
舌先でぺろりと舐めると、威はくすぐったそうに微笑み、それから逃れようとしてより浩然の胸に顔を摺り寄せる。
「はお、らん……」
名を呼ばれて、思わず顔がほころんだ。
この人間と一緒に居ると、驚くほど自分が変わって行くのを感じる。
結城以外の人間と一緒に居て息が詰まらないというのも信じがたい変化だ。
それと同時に、自分を変えて行くこの青年を恐ろしいとも思う。
浩然は変化を望んではいない。今の浩然がこうあるのは、なるべくしてなったもので、自ら望んで作り上げたものだ。
あまり深く情を移すのは得策ではない。
浩然もまた威の父親やあの青年のように、威を利用すべくこうしているのだから。
そうと分かっていても、今、腕の中に居るこの美しい生き物を冷たく突き放して扱うことはできない。
(まだ、もう少し)
刻限まではまだ少し時間はある。
本当に威を利用することでいいのかどうかも含めて、浩然には考える時間が必要だった。
再び目覚めると、威は夜中に逃げ出したリビングではなく寝室に戻っていた。
しかも、広くて大きなローベッドの上で1人で眠っていた。
マットレスは程よくかたく、肌に触れるリネンもサラサラと気持ちいい。
「いつの間に……」
夕べ夜中に起きた時にはすでにベッドだっただろうか?
それを思い返そうとして、別の事を想い出し、ベッドにひっくりかえって悶絶した。
「あーーーーっ! 何あれ! 何あれ! もうっ!」
浩然の腕の中で蛇に股間を擦り上げられて、モジモジあんあんしていたのは絶対浩然にバレている。
しかも、起きた時にはすでにいなかったが、ソファで寝ていた威をここまで運んだのは浩然だろう。
なんかもういろんなことが有りすぎて頭が真っ白になりそうだ。
浩然の事だけじゃない。
昨日は玲にも会っている。
浩然と結城が庇ってくれたのでここへ戻って来れたようだが、玲がそのくらいで諦めるだろうか?
それに、玲は威の父親の名前も出していた。
世俗に疎い威だってそれがどんな意味を持つのかわかっている。
父親は玲に言われて威を取り戻そうとするだろうか?
弟の事が無ければ、そんなことはないと言い切れるが、弟のことが有る以上、父親も動かざるを得ない状況だろう。
「あ、俺……」
そこまで考えてふと気がつく。
威はここへ「戻って来れた」と思った。
玲と一緒に「行きたくない」と思った。
「ダメだ……」
得体の知れない浩然にすっかり気持ちが魅かれてしまっている。
玲に会った瞬間にわかってしまった。
威は浩然と一緒に居たい。
贅沢をさせてくれるからじゃない。
行く場所が無いからじゃない。
浩然と一緒に無言で過ごす空気が、他の何よりも好きだ。
ずっとここに居たいと思ってしまった。
「ダメ……だよ」
それは出してはいけない答えだったのに。
―― 続
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