第6話 白蛇の子 その弐

「大分、御顔色が良くなりましたね」

 朝食の卵粥を食べている威の顔を見て、結城が花の香りのする中国茶を注ぎながら言う。

「日焼けの肌荒れも随分良くなられて」

「顔? そんなにひどかった?」

 威は鏡を見ない。

 バスルームに大きな鏡があるができるだけ見ない。

 ここから出られない以上身なりを気にする必要もない。第一、見ても嫌な事しか思い出さない。

 だから威は極めて自分の容姿に興味のない男だった。

 傷がついて血が出たりすれば拭いたりもするが、肌荒れなど気にしたこともない。

「はい。威様は色素が無い分、紫外線の刺激をダイレクトにお受けになります。太陽光にあたるのはご注意いただいた方がよろしいですね」

「あ、この部屋の窓塞いじゃったのももしかしてその所為だった?」

 威が来た時に分厚いカーテンで覆われていたリビングの窓は翌日にはパネルが貼られて塞がれてしまっていた。

 閉塞感を感じるほどこの部屋は狭くなかったが、それでも外を見ることなく塞がれてしまったので気になっていた。

「近い内に紫外線遮断加工のされたガラスに交換いたしますので、そうしたら窓から日中でも外をご覧いただくことが可能ですよ。それに、寝室にベッドを入れると浩然様が仰っておりますので、明日からはベッドでお休みいただけます」

「へぇ」

 粥のスプーンを頬張りながら色々と変化するのを聞かされた。

 威の為なのか、浩然の気まぐれなのかはわからない。

 ただ、威を監禁する為にすごくお金をかけているのはわかる。

(後で請求されないだろうな……)

 もっとも威に払えるお金はないけれど。

 ふと、結城が威の家の事を知っていたことを思い出した。

「身代金目的なら俺は人質としては無理じゃないかな……」

「また随分とお話が飛ばれましたね」

「だって、こんなに俺に金かけても、俺の家は誰も金出さないよ」

「そうでしょうか?」

「末の分家に捨てられた鬼子だ。そんな金は……」

「探しておられるから捜索願を出されているのでは?」

「それは、俺が本家長男のスペアパーツだからだよ」

 ずきん。

 自分で言って、自分で傷ついた。

 ぐるぐる考えてしまうのも止められない。

 卑屈になって、いつもどこかで薄暗くこびりついている。

 自分がこんなだから何もかもダメだ。

『それは、お前が白かったからじゃない』

 浩然が言った言葉が再生される。

 色が白いという事が原因ではない。

 誰かにとって必要がなかったというだけで、威が悪いわけではない。

 色が白い事と関係なく、必要とされれば良い。

「威様は威様でございます。誰かの決めた価値に屈することなく自分らしくあることが自由になることでございますよ」

 湯気の立つボーンチャイナの優美なカップをテーブルに置くと、結城はいつものように頭を下げて部屋を出て行く。

 結城も浩然もほとんど威には構ってこない。

 なのに、何故、この人たちはこんなにも自分の中の深いところを触るようなことを言ってくるんだろう。


 朝食の後、食器を片付けに来た結城がパジャマ以外の着替えを持ってきた。

「こちらにお召替え下さい。本日の昼食は浩然様と外でお食事に参ります」

「え? 外出するの?」

「はい」

 外に出られるとは思っても見なかった。

 今までこの部屋から出ることも許されていないのに、急に外に出されるなんて。

(用が済んだから捨てられる……とか?)

 いや、外に出れたら逃げるチャンスだと考えるべきだろう。

 威はここに居たくているわけではない。

「靴もご用意しておりますが、一度お履きになっていただけますか? もし合わないところがございましたら調整をいたしますので」

 そう言われて、ソファに腰かけ、用意された靴下を穿いた。

「失礼いたします」

 結城が目の前に跪き、オットマンに乗せた足をそっと手に取り靴を履かせる。

 昔、絵本で読んだシンデレラみたいだなと思う。

「立っていただいてよろしいですか?」

 両足に靴を履かせると、今度は手を取って立たせる。

 あまりに至れり尽くせりで何だか歯がゆい気持ちになる。

(金持ちの生活って慣れない)

 威も決して貧乏な家の出ではなかったけれど、こんな風に人がついて世話を焼かれる生活は初めてだ。

 本家の父親には秘書が常についていたけど、あれもこんな風に何でも世話を焼いてくれる人なのだろうか?

「どこか痛いところはございますか?」

「……大丈夫」

 濃い茶色の品の良い光沢がある革靴。

 新品の革靴なのに、履いてもしっとりと足に馴染んだ。

 数歩歩いてみるが、靴を履きなれていない威でも歩き心地がいいと感じる。

「高そうな靴」

「お体に障る物をお召いただくわけには参りませんから」

 用意された服は明るいグレーのシャツに濃いブルーのタイ、カジュアルスーツの上下はグレー。

 20歳にしては華奢で童顔な威には少し大人しめな色だったが、袖を通すと袖口から見える手の白さが悪目立ちしない。

 そのままバスルームへ飛び込んで鏡を見たが、気になるような異様な白さが和らいだ気がする。

「お気に召しましたか?」

「髪の毛染めたい」

「それは肌が荒れます故お止めになられた方が。スーツと同じお色の帽子をご用意いたしますのでお外ではそちらをお使いください」

 結城が何か言っていたが、威は久しぶりに目にする自分の姿をまじまじと眺めていた。

 髪も肌も白くて、眼の色は作り物みたいな薄い灰色。

 それは前と何も変わっていないのに、何だかどこか違う。

 肌は薄く透けて見えていた血管が目立たなくなり、頬に少し赤味が刺す程度になっている。

 髪も少し長めになっているが、サラサラで柔らかな光沢があり以前ほど気持ち悪くない。

「あと、こちらを」

 結城が差し出したのは薄く色の入ったサングラスだった。

 手にすると色がわかるが、遠目に見たら殆ど色はわからない。

「このお部屋の照明は全て紫外線を抑えるものとなっておりますが、お外ではそうは参りませんので」

「そんなに気にしなくても日焼けくらい……」

 家でもそんなに気にしたことはなかった。

 もっともほとんど奥座敷に閉じ込められていたので外出は殆どなかったが、逃げてきたあの日でも日に焼けて辛いとかそういうことはなかった。

「いいえ。白皮症の方に紫外線は禁物です。サングラスだけでなく日焼け止めも塗っていただきますよ」

 そう言うと結城は威を鏡の前のラタンの椅子に座らせ、一旦上着とシャツを脱がせる。

 そして顔だけでなく髪の分け目から首、腕、指の先まで丁寧に日焼け止めらしいクリームを塗り込んだ。

「威様は虹彩のお色が淡褐色でございますので、完全な色素欠乏症ではございませんが、それでも紫外線による皮膚がんの発症リスクは非常に高い状態でございます。僅かな事であってもお気を付け下さいませ」

「そうなんだ……」

 自分の事だがまるで知らなかった。

 いや、自分の事だから知らなかった。

 威は自分が異常であると知った時に、自分について知ることを止めてしまった。

 知ることでより異常なのだと思いたくなかったのだ。

「こんなに白くて、気持ち悪くないの?」

「私はお綺麗だと思います。この私がお食事も生活も十分にサポートさせていただいておりますゆえ、もっと健康になっていただかねばなりませんが」

「……変なの」

 もしかしたら浩然の命令だからかもしれないが、結城も威を奇異の目で見ることはない。

 特別扱いという意味では思いっきり特別扱いされているが、それは忌み嫌われているからではない。

(ここに居ると、自分が特別でなくなる)

 心地よいと思うのは、家から逃げたい逃避の気持ちが見せる幻のようなものなのかもしれないけど。

「どうだ?」

 浩然は一言だけでいきなり部屋に入ってきた。

 部屋に来た浩然はすでに黒いスーツに身を包み完全な黒尽くめだ。

 夏物らしく暑苦しさはないが、黒の発する存在感というか……すごく威圧的な感じが増している。

 そして、結城に連れられてバスルームから出てきた威を上から下までじろりと眺めると「うむ」とだけ肯いた。

「威様にお帽子をご用意したします」

「わかった」

 それだけ言葉を交わし合うと、浩然と結城は部屋を出て行った。

 最近は扉が閉まっても鍵のかかる音がしない。

 威もその扉を開こうとしない。

 逃げ出そうとして、浩然に連れ戻された時の怖かった思いもあるが、ここを出てどうするのかという事に強く気持ちが動かない。

 このままが良くないことはわかっている。

 しばらくお付き合い願えると助かりますと結城も言っていた。

(しばらくって、どのくらい?)

 どうして終わりが来ると思うとさみしくなるのか。

 ここへ連れてこられた時の憤りが思い出せなくなってきている。

(このまま……)

 緩やかで優しい牢獄に居ることが幸せなのだろうか?

 沢山の疑問が頭の中を過ぎり続けているのに、威はそれに耳を塞ぐようにして考えるのを止めてしまっている。

(でも、ダメなのはわかっている)

 チャンスがあれば。

 そう思っている。


 久しぶりの外出は、とても厳重な警戒だった。

 まず、部屋の中で帽子までかぶり、サングラスをかけたうえで地下の駐車場に連れて行かれた。

 結城も外出向けらしいいつもより少しシャープなラインのスーツに着替えている。

 まず、後部座席に威が乗せられ、その隣に浩然がすわる。

 後部座席の窓にはスモークシートが貼られていたが、中から外の様子はよく見えた。

 運転席には結城。

 浩然は結城以外の人間と本当に接触しない。

 人間嫌いだと言っていたが、相当なものな気がする。

 車の中から物珍しげに辺りを見ていた威とは対照的に、浩然はシートに深く座り腕を組んでじっと目を閉じていた。街中の人ごみが目に映らないようにしているかのようだ。

「東京観光はまた次回でご容赦ください」

 結城が運転席から威の方をバックミラー越しに見て言う。

 子供のように窓にへばりついて観ていたのが急に恥ずかしくなり、シートに深く座りなおした。

「いや、そんな、観光したくて来たわけじゃないし」

 そうは言ったが、田舎ではまず見たことの無い風景で目に映るものがあれこれと珍しい。

 田舎でだって車で外出することはあったが、建物の数も人の数も圧倒的に違う。

 行き倒れる前に2日ほど東京の中を歩いたが、その時はもう足も痛くて意識も朦朧としていて、熱くて、だるくて、殆ど覚えていない。

「お食事をするお部屋は高層階にございますので、少しは見晴らしがよろしいかと思いますよ」

「窓から外見ていいの?」

「はい。これから参りますところは紫外線の対策をさせておりますので」

 これも威の為、だろうか?

 車で着いた先はハイクラスホテルの最上階のレストランだった。

 しかし、素晴らしい眺望を持つ広いフロアに客の姿は誰もなく、スタッフも5人ほどしかいない。

「え、今日はお休みなんじゃ……」

 先を歩く結城にこそっと聞くと、他の人に聞こえないように威だけに返してくれた。

「本日は貸切でございます。いつもお部屋にいらっしゃると同じようにお寛ぎ下さいませ」

 貸切! この広いレストランを貸切!

 名前は威でも知っているような有名なハイクラスホテルで、最上階のレストランを平日とは言えランチタイムの時間帯に貸切。

 結城がお世話してくれるどころの話じゃなくなってきた。

 浩然はどれだけ金持ちなんだろう。

「ようこそお越しくださいました、王(ワン)様」

 決して仰々しくはないが、しっかりと敬意を表したお辞儀でスタッフが浩然たちを出迎える。先頭に居るのは多分支配人クラスだろうと思われる年齢と風格。浩然はそれより若いのだが、こうして頭を下げられている姿を見ると劣るものはない。

 それどころかここで一番偉い人は誰かと問われたら、真っ先に浩然に目が行くだろう。

 支配人の挨拶に軽く目線をやるだけで会釈もせず、浩然は用意されたたった一つの席に着いた。広いレストランの中にテーブルとイスはワンセットしかない。

 そこは窓から少し離れて日は入らないが、眺めは素晴らしく良い場所だった。

 当然、周囲にテーブルも何もないのでガラス窓いっぱいの眺望は遮るもの無く堪能できる。

「すごい……」

 眼下に広がる街並みの広さも凄かったが、それ以上に威の目を奪ったのは空の広さだった。

 威はこんなに広い空を見たことが無い。

 田舎に居た頃は殆ど外に出ることなく過ごし、飛び出してこちらに来てからはビルの隙間から見える灰色の狭い空ばかりだった。

 写真やTVで観るのとは全然違う。胸が透くような気持ちになる青い空だ。

 そんな空に見惚れていたら、何もオーダーしなくても料理が運ばれてきた。

 料理はシンプルな洋食で、フレンチだとかイタリアンだとか特化されたものではない。

 前菜はスモークサーモンとチーズにアスパラ、シンプルなグリーンサラダ、ソラマメのポタージュ、パン、サーモンのソテー、口直しのソルベ、肉料理はハンバーグ、カットフルーツにフランボワーズのムース。

 メニュー自体は凝ったものではなく、お肉料理も目玉焼きののったハンバーグが出てきたときはちょっとビックリしたが口に入れて納得した。

 どれも素晴らしく美味しい。多分、料理人の腕もいいのだろうが素材も素晴らしく良い。

 前菜のアスパラを食べた時から、野菜一つとっても甘みがあって何もつけなくても食が進む。

 食後のコーヒーはコーヒーの苦手な威は中国茶だった。今朝も飲んだ花の香りのするさっぱりしたお茶。そしてそれに合わせて少し甘み抑えめなチョコレートがついて料理は終わった。

 マナーの分からない威の為にカラトリーは都度用意されて渡され、ラストのチョコレートは指でつまんで食べた。

 気も張らず、広い空を独り占めして、美味しい食事をするのは最高のひと時だ。

 食後も終わったからと言って慌ただしく席を立ったりせず、熱かったお茶が少し冷めて香りの変化が楽しめるくらいのんびりと寛いだ。

 その間、向かいに座った浩然と一言も会話を交わすこともなかったが、それでも気まずさや閉塞感などまるで感じなかった。

 二人で好きなようにのんびりと。

 部屋に居る時と変わらぬ時間。

 そしてそんな時間をたっぷり堪能して、そろそろと思った丁度良い頃合いに結城が迎えに来た。

「お迎えに上がりました」

 ハイクラスホテルのスタッフよりも美しく丁寧なお辞儀で浩然にそう告げると、浩然は再び黙って立ち上がる。

 威もそれを見て立ち上がり、側に居たスタッフに「美味しかったです。ご馳走さまでした」と言ってから浩然に続いた。

 寛いでいい気分になって、これでただ帰るのだと思っていたら、ホテル正面に停められた車に乗り込むため通り抜けようとしたエントランスホールで思わぬ人物と出会ってしまった。

「威! 威じゃないか!」

 そう言いながら威の腕を掴んできたのは、瀬下玲――玲兄ぃと威が呼ぶ末の分家の長男だった。



―― 続

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