第5話 白蛇の子 その壱
ガラスの向こうには真っ白い蛇がのんびりと横たわっている。
世話をしているのは浩然だった。
仕事の合間にこの部屋に来てはこまめに餌にネズミなどを与え、ケージの清掃をし、時折ケージから出してはうっとりと眺めていた。
(本当にこの蛇が好きなんだな)
ほとんど無表情と言っていい浩然が唯一微笑むのは蛇に対してだけだ。
今も滑らかな身体をくねらせて腕に巻き付く蛇を愛おしげに眺めている。
蛇の太さは女の腕程もあり、全長は軽く2メートルほどはありそうだ。
そんな身体を浩然に巻き付け、肩口まで上がり、蛇の方も浩然の顔を見ている。
真珠のような光沢のある白色は黒尽くめの浩然が纏うと装飾品のように美しかった。
「その蛇、毒はないの?」
「ない」
威から話しかけても、浩然の反応は相変わらず素っ気ない。
「前に本で毒のある爬虫類の99%は蛇だって読んだんだけど」
「蛇は3000種類ほどいるが、その内の25%にしか毒はない」
「そうなんだ!」
それは知らなかった。
蛇のほとんどは毒蛇だと思っていた。
田舎に居た頃、庭にある池に蛇が出たと養母が騒いでいることがあった。
あの時に出てきたのはヤマカガシという種類で山によくいる蛇だと玲は言っていた。
そんな蛇ですら毒があるというのに、いない方が多いなんてびっくりだった。
「俺も蛇は好きだよ。蛇は白くても虐げられないから」
それどころか白い蛇は神様扱いだ。
その扱いの差に理不尽さを感じ蛇になりたいと思ったこともある。
「生まれるなら白蛇に生まれたかったよ」
「お前でも、そんな風に思うことがあるのか」
独り言のつもりの呟きに珍しく浩然が返してきた。
「俺はこんな風に生まれたくなかった。色が違うだけで……」
「差別は多かれ少なかれ誰にもある。全てがマジョリティであるというのは難しいものだ。色が白い事で奇異の目で見られても、石を投げられ、異端と殺されそうになったわけではあるまい」
「ははっ、そんな綺麗事。現に俺は弟のスペアとして殺されそうになったんだぞ」
「それは、お前が白かったからじゃない。必要のない子供で利用価値があったからだ。例え色黒に生まれてもそういう目に会う奴はいる」
「酷い言われようだな」
浩然の言葉は酷いものだったけど、何故か不思議と腹は立たなかった。
少なくともアルビノマニアらしい浩然にはこの色の白さに価値があるという事だ。
価値を認められるのは悪い気持ちはしない。
「実家に連絡はしたのか?」
「……してない」
「番号がわからないならば調べてやるぞ」
「いらない」
スマホを与えられたが威は誰にも連絡をしなかった。
家から出たことが無かったので電話を使うことは殆どなかったが、それでも玲の連絡先は覚えていた。
しかし、最初から連絡する気はない。
元よりスマホはネットが見たかっただけで、連絡用だと思っていなかったのだ。
結城の言っていたことは確かに正しかった。
気がつくと浩然にまとわりついていた蛇が、ファーの上に寝そべっている威の傍まで来ていた。
蛇は意外と素早い。ファー以外のつるつるの場所では動きづらいため行動が制限されてしまうが、そうでない場所では音もなく忍び寄る。
蛇は鎌首をもたげて威を見ている。
「蛇が見てる」
「蛇は視力があまり良くない。舌先で匂いを探っているんだ」
「匂い……」
威がそっと指先を近づけると、蛇はちょっとだけ頭を揺らしてそれを避ける。
面白くなってさらに手を伸ばしたら、逆に擦り寄られてしまった。
「わ……」
蛇はするりと腕に巻き付き、肩を押すようにして威の身体に乗り上げる。
「おおっ、結構力強い」
ひんやりとした胴が腕だけでなく身体にも巻き付くようにゆるりと動いた。
威は蛇のしたいように為すがままでいると、蛇はしっかりと威に巻き付き、その肩に頭を乗せると満足したようだ。
「このまま、絞殺されたりしないよね」
「止まり木のようなものだと思っているんだろう。放って置けばそのままだ」
浩然はそう言って優しい笑顔でこっちを見ている。
(えっ……)
また威の鼓動が跳ね上がる。
なんて優しい顔をしているんだろう。
こんな風に奇異も好奇心も蔑みもなく見つめられたのは初めてだった。
無表情だと思っていた浩然の目は、感情を灯してみればこんなにも素直でダイレクトにその愛情を伝えてくる。
「綺麗だ」
浩然の手が伸び、蛇の首を捕らえ、威の身体から引き離してしまった。
ケージに帰される蛇を見つめながら、あの優しい眼は蛇を見ていたのだと気がつき、威は胸の奥に針の刺さるような小さな鋭い痛みを感じていた。
浩然と結城との生活は意外と単調だ。
結城は決まった時間に食事や風呂の世話にやってくる。
呼べば来るが、話を切り上げるのが上手く、必要なことを済ませるとさっと部屋を出て行く。
逆に浩然はいつ来るかわからないが、来ても何も変わらない。
黙って自分が好きなように過ごす。
結城が言っていた通り蛇部屋は本当に寝室のようで、彼は黙って部屋に来て全裸になって寝る。
威はそれを邪魔しないように見ている。
話しかけても返事が無いことがある。というか、浩然は答える気が無い事は話さない。
ただ、威がずっと話しかけているのは聞いてはいる様だ。
「早く寝ろ」
今夜もそう言って全裸の浩然は威を全く気にせずにごろんと横になった。
暮らし始めてわかったが、敷かれているムートンファーのラグは毎日掃除ごとに敷き替えている。掃除は結城が一人ですべて行っている。
浩然、結城、威。
この3人だけで世界が構成されている。
(あと、蛇か)
威は今夜も隣で浩然の顔を見ている。
浩然は彫刻のようだ。
威はそんなにたくさんの人間を見てきたわけじゃないけれど、本やネットやTVで見てきた人たちの中でも浩然はカッコいい部類に入るんだと思う。
浩然の褐色の肌の隣に居ると自分がより白く見えて嫌だなと思うが、浩然の肌の色は好きだった。
彫刻みたいとは言うものの、浩然は生きていて、その腕は意外と力持ちで威を簡単に抱き上げる。
以前逃げ出そうとして浩然に捕まった時に軽々と抱えられ部屋に戻された。
あの後もがっちり押さえつけられて身動きも取れず、力では全く浩然にはかなわないことを思い知ったのだ。
(そう言えば……)
不意に、暴れた時にキスされたことを思い出した。
唇を噛みしめる威に噛みしめるのを止めさせるためにべろりと舐められた。
威はそれに驚いて唇をほどいてしまったのだが、それに機嫌を良くしたらしい浩然が繰り返しキスしてきたのだ。
キスされたのはあの時だけだが、男同士で何故あんなことをしたのか?
(もう一度したら、どんな顔するかな?)
目の前には浩然の形の良い唇が無防備に晒されている。
少し厚めで、合わせるととても熱かった。
人との接触が極端に少なかった威は、キスの経験などなかった。もちろんそれ以上もだ。
興味がなかったわけではないが、もうその頃には他人にとって自分が奇異な存在であると知っていたので諦めてもいた。
(でも、浩然はキスを嫌がらなかった)
蛇のように愛しげに見てはくれなくても、そういう接触に抵抗はないのかもしれない。
愛情が無くても性的接触ができる関係も知っている。
「眠れないのか?」
「ひっ!」
急に浩然が目を開き、威の方を見た。
威は慌てて後ずさる。
「ご、ごめん、起こした」
「眠ってはいない」
「え?」
浩然は身体を起こし、後ずさったままの威の腕を掴むと自分の方へと引き寄せた。
「わっ」
急に腕を引かれたためバランスを崩して、浩然の胸の中へつんのめる。
それをそのまま浩然は包み込むように抱きしめ、床に寝転がった。
「は、浩然……」
「早く寝ろ」
浩然はそう言うと威を抱きしめたまま、再び瞳を閉じて眠ってしまった。
「え、ちょ……な」
威の頭の中はパニックに陥っているが、身体は寝てしまった浩然を起こすのも憚られて硬直している。
(なんだよ、これ)
浩然の腕は緩むことなく威の身体を拘束し、その熱はスーツのまま抱きしめられた時とは威はパジャマを着ているというのに全然違った。
熱い。とにかく触れているところが全て熱い。
さっきまで妄想していた唇の熱さなんか吹っ飛んでしまうほど、熱い腕と胸を感じている。
胸にぺったりとついた頬が焼けてしまいそうだ。
そのうちに触れていないところまで熱く火照ってくる。
威の体温が上がり、鼓動が激しくなる。
(なにこれ……)
流石に息苦しくなってきて、腕から抜け出そうと身じろぐと、浩然の腕は逃すまいと抱きしめる腕に力を入れ、更に丸く屈むように身体を寄せてた。
浩然の唇が威の額の上の髪触れる。
「にゃ、な、な……」
「寝ろ」
威にはもう為す術もなく、ただこの状態に身を任せるしかない。
(暴れても力では敵わないから)
だから抵抗しないでいる。
でも、それはもう言い訳のようにしか聞こえなかった。
―― 続
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