第4話 誘拐・監禁・謎の男 その肆

「やだぁああっ!」

 浩然はじたばたと暴れる威を蛇部屋のファーの上に降ろすと、上から押さえつけてボタンも外さず服を引きちぎった。ピーッと甲高い音を立てて着ているパジャマが破ける。

 シャツだけでなく、下も無理やりはぎとられ、下着まで脱がされた。

 全裸を見られるのは二度目だが、こんな風に押えられているとどうしようもない恐怖が先に立つ。

「ひっ、い、やだっ、や、やめ」

 威の上に四つん這いで圧し掛かり、肩をがっちりと押さえこみ、破いたパジャマをはぎ取ると、肩を押さえてない方の手を威の肌の上に這わせる。

 肩を掴む指先は関節に食い込み、身じろぐたびに身体が竦むような痛みが走る。

 肌の上を這いまわる手は、今にも爪を立ててその皮膚を破り内臓を掴みだしそうだ。

「う、うぅ……」

 恐怖に震えながら、何かを探るようにしている浩然の視線から目をそむけ、ひたすらこの恐怖が過ぎ去るのを待つ。

 実際に誰かに弄ばれて死ぬくらいなら、どこかで勝手に死んでやるとは思ったものの、いざ死ぬという事が頭をよぎると恐怖で体が竦む。

 死にたくない。殺されたくない。もっともっと世界は広い筈だった。あの田舎から逃げ出して、遠くの都会で誰にも気付かれずに、普通の生活を送るはずだった。

 遠くへ行けば、誰も威を特別視しないで、普通に生きていけると思っていたのに。

 そんな小さな願いも自分は叶わない。

 威は溢れてくる涙を堪えようと強く唇をかみしめたが、それはすぐに浩然に見つかり咎められた。

「傷をつけるな」

 肌の上を這いまわっていた手が威の顎を捕らえ、親指で唇を押し開くようにむにっと引っ張られる。

 それでも唇を緩めない威を見て、浩然は眉を顰めると、顔を寄せねろりと厚い舌でその唇を舐めた。

「っ!!」

 威は驚いて声も出なかった。

 驚くあまり唇を緩めてしまったことも、そのことを褒めるように再び舌先で舐められていることも良くわかっていない。

 眼を見開いたまま硬直していると、抵抗が失せたことを喜んだのか、浩然は肩を掴んでいた手を放し、代わりにその肩を抱きよせるように上半身を起こさせると、自分の腕の中に抱き込んだ。

 そして、唇を舐めていた舌は、威の唇と歯牙を割ってその中へ差し込まれ、唇が深く合わせられる。

「ん、ふ……」

 息が苦しくなってきて威は声を上げようとしたが、きっちりと食むように唇が合せられ、声を上げることもできない。

 酸欠でぼうっとしてくると、今度は眦に悲しみではない涙が浮かぶ。

「失礼いたします。浩然様」

 不意に結城の声がかかる。

 それと同時に浩然の唇が離れて行ったが、威はくったりと浩然の腕の中で脱力していた。

「薬箱と威様のお召替えをお持ちいたしました」

「そこへ置け、私がやる」

「はい」

 結城はワゴンを押して部屋の中に入ってくる。

 ワゴンには救急箱らしき箱と、傷を洗うための水差しと洗面器、新しいタオルや着替えが乗っている。

「リビングを片付けて参ります。御用があればお呼びください」

 恭しく頭を下げて退室する結城を振り返りもせず、浩然は胡坐をかいて座るとその膝上に威を横抱きにして抱き上げた。

 ぼうっとしている威の唇にもう一度唇を合わせると、ワゴンに手を伸ばし水差しとタオルを取った。

 水さしの水で濡らされたタオルで傷に触らないようにそっと周辺を洗浄すると、今度は洗面器を傷口の下に当て、そうっと水差しの水をかける。

「痛っ」

「我慢しろ」

 肩を抱く手に力が入り、一瞬ビクッと体を竦めたが、それ以上は何もなく、傷口も綺麗に洗浄された。

 腕の傷は3センチほどで出血の割には深くなかったようで、綺麗に洗った後は軟膏のようなものを塗布したガーゼを当てられテーピングで固定された。

「痛みが酷ければ言え」

「……」

 威は返事もせずぼうっとしているが、傷の手当てが終わったのでその場に横たえ、浩然はワゴンを押して部屋を出て行った。

 部屋の扉は閉じられたが、さっき同様に鍵をかけた様子はない。

 しばらく思案してから、威はのろのろと身体を起こし、裸のまま隣の部屋へのドアを開ける。

 そこは綺麗に片づけられ、さっきまで大暴れした形跡は微塵もない。

 料理をぶちまけて汚したラグごとまるっと交換されたようだ。

(本当に、何なんだ……ここは)

 金がかけられた贅沢な部屋と待遇。

 金持ちのアルビノマニアの道楽。

 理不尽な思い。

 やり場のない絶望。

 腹立たしさと虚無感が交互に襲ってくるような不安定さ。

「威様」

 振り返ると結城がまたワゴンを押して部屋に入ってきた。

「ご昼食は別にご用意しておりますが、少しでもお召し上がりくださいませ」

 先のブチ切れにも懲りず、結城はカットフルーツの盛られた皿とヨーグルトを持ってきた。

「私の言葉に誤解がございましたようで、お詫びさせてください」

「詫び? 誤解?」

「はい。私がお食事をきちんととっていただきたいと申しますのは、威様を実験動物として管理する為ではございません」

「……」

 結城はぼうっと立っている威の方を意識しながら、テーブルに再び軽食の準備をする。

「威様のご体質を考えますと、普通に健やかにお過ごしいただくためにもお食事は重要でございます」

「はっ。健康にして他のアルビノの女の子連れてきて繁殖でもさせるの?」

 あの蛇たちのように。

 突き付けた言葉に、結城は眉を顰めた。

「いいえ。威様は人間でございますのでそう言った人権を無視したことは浩然様は望まれておりません」

「どうだか」

「浩然様が威様をここへ御引止めして外へ出さないようにと命じられているのは確かですが、それ以上の事を望まれてはおりません」

「……目的がわからなくて気持ち悪い」

「そうでございますね。私にも浩然様が何故威様をここに御引止めしろと命ぜられているのかはわかりません。ですが、浩然様は人の繁殖などを楽しむようなお方ではございません」

「なんで、そんなことが言える?」

「浩然様は、大の人間嫌いでございます」

「はぁ?」

「浩然様は人に触れたり交流を持ったり……私以外の人間とお話しされることも滅多にございません。日本語をお話になりますが、仕事の時も私を通訳として立たせ直接人とお話になることは殆どないのです。人前にお出になられることも珍しく、威様をお連れしたあの日は月に数回しかない外出の日でした」

 初めて会った時に髪の毛を掴まれて怒鳴られたのを思い出した。

 さっきも荷物のように扱われ、服を破き捨てられた。

 夕べだって威のことなど構いもせず、勝手に来て、勝手に寝て、起きたらいなくなっていた。

 人嫌い。それがどの程度の物か知れないが、それならばあのぞんざいな扱いに多少は納得が行く。

 ただ、何故、人が嫌いならば威を拾って監禁しているのか。

「ワケわかんないな」

「そうですね。浩然様が人間にご興味を持たれたのは初めての事ですので、私も少々戸惑っております」

 慇懃な態度を崩さず、完璧な執事の顔をしていた結城が少し飽きれた色を滲ませて微笑む。

 多分、浩然より年上だろうこの男は、浩然という人物を寛容に受け入れているのだろう。

 多少の不思議はやんちゃの内なのだ。

(金持ちの道楽か……)

 実の弟の臓器提供と道楽での飼い殺し、どっちがマシなんだろう。

「威様もご災難だとは思いますが、今しばらく浩然様にお付き合いくださいますと大変助かります。その間、私が必要なお世話は全てご面倒見させていただきますので、何卒よろしくお願いいたします」

 結城が深く頭を下げる。

 そうして浩然にそこまでと思うが、主人と従者というのはそういうものなのかもしれない。

「……俺は帰れるの?」

「威様が望まれますならば、いつかは」

 帰るところが無くても、帰りたいと望んでいいのだろうか?


 半分あきらめの気持ちで、威は結城の用意した食事を平らげた。

 破かれた服の代わりに、クリーニングが終ったパジャマを持ってきてくれたので着替えた。

 その後はずっとソファに寝転がり、壁に据え付けられた大型液晶テレビを見ている。

 それで今日が何日かわかった。

 田舎の家を飛び出してから10日ほど。

 ビルの前で行き倒れてから4日ほど。

 と、いう事は記憶が無いのは丸2日くらいか。

 興味のない番組を観続ける気にならなかったが、時計代わりにテレビは付けっぱなしにしている。

 しかし、することもないのでソファに寝そべってテレビに視線を向けているが、内容は頭に入ってこない。

(今頃、田舎はどうなっているだろう)

 繰り返し頭をよぎる案件の一つ。

 いつまでここに居るんだろう?

 田舎では威を探しているんだろうか?

 玲はどうしているだろう?

 この先、威はどうなるのだろうか?

 そんなことが順番に頭の中を巡って、ぎゅっと胃の腑を掴まれるような嫌な気持ちになるが、答えは一切浮かばない。

 ただ、気持ち悪く思い煩うだけだった。

「具合が悪いのか?」

 気がつくと浩然がソファの背越しに威を覗き込んでいた。

「……別に」

 案ずるような態度だが、こいつの所為でこんな目に会っていると思うと腹も立つ。

 つい、不貞腐れたような態度になってしまうが、浩然はまるで気にしていないようだ。

 浩然は威が寝そべっているのと向かいに置かれたソファに腰かけると手に持っていた本を開いて読み始めた。

 そのまま何も話さない。

 まるで威などここに居ないかのよう。

 ちらりと浩然の方を見ると、彼は真剣に本を読んでいる。

 眠っている浩然を見た時も思ったが、すごく男前だと思う。背も高い。

 ソファに深く座っていても、軽く組まれた脚はスラッと長いし、本のページをめくる指先までそつがない。

 褐色の肌、黒い髪、黒い瞳、威とは真逆の色合いの男はとても逞しくて強そうに見える。

 何の仕事をしているのか知らないが、金持ちで妄信的に尽している執事を連れている。

 この男は何者なんだろうと考えていると、浩然と目があった。

 ドキッと鼓動が跳ね上がる。

 怖い。

 威はすぐ眼を逸らして、また元のようにTVへ視線を戻した。

 何か言われるかと思ったが、その後も何事もなく結城が昼食を持ってくるまで無言の空間は続いた。


「スマホかPCが欲しい」

 ここへ来て一週間目。生活にもだいぶ慣れて様子がわかってきた威は思い切って結城に言い出してみた。

「畏まりました。後程ご用意させていただきます。機種などご希望はございますか?」

「いいの!?」

「はい。何も問題はございません」

 結城はあっさりとしたもので、夕飯のメニューでも受けるような気軽さで承諾した。

「外と連絡とって良いの?」

「威様がご必要と思われますならば」

 そこへ至ってハッとする。

 名乗ったつもりがないのに結城は威の名前を呼ぶ。

 という事は、多少は威の事を知っているか調べたに違いない。

「……どこまで知ってるの?」

「瀬下威様、20歳、政治閥のお家柄で、現内閣官房長官の瀬下康成氏のご親族とお伺いしております」

「……親族じゃないよ。俺は生まれてすぐに末の分家に里子に出されてるが、康成は俺の遺伝子学上の父親だ」

「左様でございましたか」

 些細な違いだと言わんばかりの結城の態度だが、何故か腹は立たない。

「まあ、自分の子供だと認めたくはないんだろうけど」

「ですが、警察に捜索願が出されておられますよ?」

 警察に捜索願。

 出した連中の思惑はわかる。

 大事な跡取り長男様の移植臓器が逃げ出してしまったのだ。それは探すだろう。

 だが、警察に捜索願が出されているのを知りながら通報もせず監禁しているのか。

「スマホを与えたら俺が連絡するとか思わないの?」

「捜索願を出されたという事は、向こうの意に反して威様は失踪されたという事。それでしたらご家族にご連絡を取られることはございませんでしょう」

「あんたたちから逃げたい一心で警察に駆け込むかもしれないじゃん」

「そうでございますね。ですが、きっと威様はそうなさらない」

「……あんたらが俺の何を知ってるのさ?」

 威の棘のある声にも動じず、結城は柔らかな笑みを浮かべた。

「逃げなくちゃ、殺される」

「っ!?」

「浩然様に命じられて威様をお車へお連れした時、魘されるようにそう仰られました」

「……」

「スマートフォンはすぐにご手配いたしますので、届き次第お持ちいたします。他に何かご入り用はございますか?」

「……ない」

「では、失礼いたします」

 結城が頭を下げて退出する。

 浩然も結城も何を考えているのかまるで分らない。

 浩然よりは結城の方が会話が成り立つ分だけましかと思ったが、今の様子を見る限り、浩然と変わらぬ得体の知れなさだ。

 威の正体を知ってもさして興味がある様子でもなく、なのにどこか威の事を知り尽くしているかのような自身のある態度。

 彼らは威が逃げたいのも知っているし、逃げ出しても行き場が無いのも知っている。

 それをうまく利用してここに居るように仕向けられている。

 そして、威はその罠にまんまとはまって抜け出せないでいる。



―― 続

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る