第3話 誘拐・監禁・謎の男 その参
何だかよくわからないままに気絶するように眠りについて、目が覚めた時は再び威一人になっていた。
ついでに床に居た蛇たちが居なくなっている。多分、部屋を取り囲む水槽に戻されたのかもしれない。
「なんか、よくわかんないな」
座り込んでぼんやりしていると、起きるのを見計らったかのように結城がやってきた。
「おはようございます」
手には水差しと洗面器とタオルなどが乗ったトレーを持っている。
「後程お風呂の準備をいたしますが、洗顔の準備をしてまいりました」
「はぁ……」
寝起きが良い方ではない威はぼんやりしたまま顔を洗う。
「お食事はお風呂の前になさいますか? 後になさいますか?」
「そんなにお腹空いてないから風呂入る……」
起きてすぐは食欲がない。元々食は細くて、玲に良く心配されていた。
『だから、痩せてるんだ』
よく言われた。
心配されてたんだと思ってた。
今思い返せば、全然違う意味に聞こえるけど。
洗った顔をタオルで拭いながら、折角さっぱりしたのに嫌な気持ちになる。
「では、お風呂の準備が整いましたら参ります」
結城は変わらぬ慇懃さで丁寧に頭を下げると扉から出て行った。
威はそれを見送って再びファーの上に寝っ転がる。
こうして見ると、田舎に居た時とあまり生活は変わらない気がして来た。
田舎の時は流石に部屋に監禁はされていなかったものの、基本的に外出はできなかった。
幼いころは誰もがそんな生活をしているんだと思っていたし、学校に行かずに家庭教師や玲に勉強を教わるようになって外の世界を知っても、自分が他の人間と違うのは理解していたので仕方のない事だと思っていた。
『お前は、アルビノか?』
浩然の言葉がよみがえる。
浩然も威が他と違うから監禁しているようだった。
アルビノであることに価値はないと思う。
自分がどれだけ異質かを思い知るのが怖くて、あまり自分のことについて調べたことはないが、極稀にこういう人間が生まれて、昔は差別の対象であったという事は知っている。
この部屋に鏡はないが、威は鏡を見るのが嫌いだ。
玲やその両親、家庭教師、時折家に来る人たち、逃げ出してから街で見た人や結城、彼らと自分は明らかに違う。
老人のような白い髪、血管の透ける生白い肌、色素の薄い瞳、何もかもが違って、何もかもが異質。
(そんな俺でも役に立つ)
本当は逃げ出さなければよかったのか。
田舎に居ても、逃げ出しても、こうして異質な威は監禁されている。
同じなら、誰かの役に立てばよかったのか。
(玲兄ぃ……)
大好きだった玲の役に立てばよかったのか。
「お風呂の準備が出来ました」
威が床の上でぐずっていると、結城が迎えに来た。
部屋から出れる! と一瞬期待したが、風呂は何と扉続きの隣の部屋にあった。
威が閉じ込められている部屋の隣はシンプルなリビングで、白を基調にした部屋に大型の液晶テレビとソファセットがあり、壁沿いには窓があるようだが分厚いカーテンで覆われていた。
威がいる部屋もリビングもものすごく広くて殺風景だ。
田舎の屋敷も狭いものではなかったが、ここの部屋はどちらも威の知る20畳ほどの座敷くらいある。
そして、連れて行かれた風呂も凄いものだった。
(外国みたい)
部屋の広さは8畳ほど、ガラスで仕切られたシャワーブースとその隣に大人が二人は入れそうな広いバスタブが置かれている。
浴室なのに手前には厚手のラグが敷かれ足元は冷たくない。隣に見える扉はトイレだと教えられた。
洗面台の前にはラタンの椅子が置かれ、その上にはクッションが置かれている。
「こんなクッションとかビショビショにならないのか?」
ふとした疑問が口を吐いて出たが、結城は真面目な顔で答えた。
「お風呂に入られる度にご用意しておりますので衛生面はご安心ください」
「はぁ……」
なんだか少しピントのズレた回答だったが、濡らしてしまうことは問題ではないらしい。
「こちらにレモン水をご用意いたしましたので、お風呂上りにお召し上がりください」
「はぁ」
「アメニティはアレルギー対応の物をご用意しておりますが、もしご希望のブランドなどがございましたらお申し付けください」
「はい」
「タオルとバスローブをこちらにご用意いたしました。お着替えは後程お持ちいたします」
「あ、パジャマあるからこれでいいけど……」
まだ一晩しか着てないから大丈夫。
「こちらはクリーニングいたしますので、パジャマも今夜の分はまたお持ちいたします」
「はぁ……」
はぁとかへぇとか気の抜けた返事しかできない。
誘拐されてきて監禁されている身の上としては、この待遇は別格過ぎる。
(裏があるんだろうな)
ないわけがない。
親切だと思っていた人ですら、おぞましい裏があったのだから。
「では、ごゆっくりお過ごしください。何かあればベルを鳴らしていただければ参ります」
結城は洗面台の上に置かれた金色の小さなベルを示してから、頭を下げて風呂場から出て行った。
浴室のドアに鍵がかかった様子はなかったが、小さなベルの音で来ると言っている以上ドアの外で待っているのかもしれない。
逃げ出す。という選択肢はここでも用意はされていないようだ。
威はパジャマと下着を脱いで、用意されたラタンの脱衣籠に入れるとバスタブに浸かる前にシャワーを浴びた。
用意されているスポンジは本物の海綿でものすごく柔らかい。
ボディソープもシャンプーもボトルが入れ替えられているのでメーカーはわからないが、香りは殆どなく、肌に柔らかい。
威はこんな体の所為か肌が弱く、石鹸でごしごしと洗うとあっという間に赤くかぶれてしまうのだが、この海綿とボディソープの組み合わせは今までで一番すっきりして肌も痛くならない。シャンプーも同じく豊かに泡立ちさっぱりするのにどこにも染みない。
気持ちよく体を洗ってさっぱりしたあとは、一瞬床を濡らすのを躊躇った後、思い切ってそのままバスタブへ向かった。
手を付けると少し温めだが威好みの温度で気持ち良い。
浴槽につかってふーっと息をつくと、きゅうっとお腹が鳴った。
体が温まって目が覚めて食欲が戻ったのだろう。
蛇部屋に監禁されて床で寝ているのになんて健康的な生活なんだろう。
行き倒れてからどのくらい経ったのかもわからないが、行き倒れる前にボロボロに荒れていた肌がきれい整い始めている。
お腹もちゃんと空く、夜はよくわからないけど寝ている。不足は感じない。
「これから、どうなるんだ……」
見に迫った危険は見えない。見えないけど、必ず何かある。
正体不明な危機感のストレスは絶えず威を苛む。
せめて、監禁されている目的が知りたい。
この先、殺されたりする可能性があるんだとしても、何のために自分がこんな目に会っているのか知りたい。
知らないことがこんなに怖いなんて思わなかった。
「失礼いたします」
バスタブから上がってバスローブに包まって椅子に座っていると、呼びもしないのに結城がやってきた。
「どこかに監視カメラでも在って観てるのか?」
「そんな失礼なことはいたしません。経験則でございます」
結城はそう言うと、新しい着替えを持ってきた。
また白いパジャマだった。
(着心地良いから別にいいんだけど)
袖を通してみると、また新品のようだ。
「お召替えが住みましたら、リビングにお食事をご用意しております」
促されるまま隣の部屋に行くと甘くていい香りがする。
ソファセットのテーブルにはまだ湯気の出ている分厚いホットケーキが皿に盛られている。
生クリーム、フルーツ以外にもカリカリベーコンにふわふわのスクランブルエッグ、ハムとボイルされたソーセージ。
「ホットケーキだ」
「お嫌いでしたか?」
「食べたことない」
威の田舎ではこんな洒落た食事はなかった。雑誌などで見たことはあったが、たまご焼きはいつも目玉焼きか出汁巻き卵かゆで卵だったし、ホットケーキは絵本で見たけど食べたことはなかった。
「こちらへどうぞ」
てっきりソファに座って食べるのかと思いきや、ソファがずらされ少し広くなったところにクッションが沢山置かれ。床に座って食べられるようになっていた。
クッションに座るとテーブルの高さが丁度いい。
「お飲み物はコーヒーと紅茶、オレンジジュースとございます」
「今は朝なのか?」
「只今のお時間は午前10時30分です」
結城がグラスにオレンジジュースを注ぎながら言う。
「ハオランサマは?」
「お仕事中でございます」
「夕べ来たんだけど、起きたらいなかった」
「はい。あちらのお部屋は浩然様のご寝室でございますので」
「は?」
「浩然様は毎日こちらにお戻りの時はあのお部屋でお休みになります」
「はぁ……」
あの蛇部屋は監禁用の部屋ではなく浩然の寝室だという。
「そんなに蛇好きなの?」
「浩然様の唯一のご趣味で、あのお部屋の蛇は浩然様が品種改良された種でございます」
あの部屋にいっぱいいる白蛇は浩然が人工的に生み出した白蛇なのだという。
アルビノ種からアルビノの特性である白皮だけを残し、白蛇として固定されている種類。
「……次は人間か」
あの部屋に閉じ込められている意味が何となく分かった。
浩然の目的はアルビノなのだ。
蛇も、威も、同じ異形。
「お食事が済まれましたら、ベルでお呼びください。他に何か必要な物がございました時も同じく。寝室とこちらのリビングとバスルームはご自由にお使いになって問題ございませんが、お風呂は事前にいっていただければすぐにご用意いたします」
もそもそとホットケーキを口に運びながら結城の説明を聞く。
結城はこんなところに威が閉じ込められていることが気にならないのだろうか?
そんな事よりハオランサマの命令は絶対で盲目的に従うことに疑いもないのか?
「……はございますか?」
「え?」
ぼんやりしていたせいか、結城の何か説明を聞き逃したようだ。
「聞いてなかった、ごめん」
「いえ、大丈夫です。お昼に何か食べたいものはございますか? とお伺いしただけです。ご希望があれば仰ってください」
「食べたくない」
「それはなりません」
結城は即答した。
「三食のバランス良い食事は必須でございます」
「……」
「食事によって改善される事はとても多いのです。きちんとしたお食事を召し上がっていれば、体質の改善も望めます」
「……かよ」
「はい?」
「お前らも俺の身体目当てかよッ!」
威は咄嗟にテーブルの上の食器を腕で払い落とす。
ローテーブルだった所為か食器は割れなかったが、綺麗に盛り付けられていた食事が滅茶苦茶に飛び散った。
「そんなにアルビノが珍しいか! お前らみたいな普通の色してねェだけじゃねーかよ! 色が、色が無いだけで俺は実験動物扱いか! 内臓抜かれて捨てられて当然なのかよ! それが俺みたいな出来損ないが役に立つことなのかよっ!」
結城の言葉も、浩然の言葉も、玲の言葉も、親戚たちの言葉も、実の弟の言葉も、何もかもがごっちゃに混じりあって威の中で爆発する。
「なんでっ! どうしてっ!? 俺はこんな風に生まれたくて生まれたわけじゃないし、それだけでこんな目に会わなきゃならないんだよ! お前らそんなに偉いのか! 色が違うだけで素材扱いか!!」
「威様……」
「うるさいっ! 黙れっ! この変態ども! 予備パーツ扱いされて、田舎から逃げ出しても今度はアルビノマニアの変態のおもちゃか! もういっそ殺してくれっ! 俺はこんなくだらない柵の中で見せ物扱いされて生きて居たくなんかない!!」
「威様っ!!」
暴れる腕をものすごい力で押さえつけられた。
気がつけば柔道の寝技をかけられたように、クッションの上に俯せにされて後ろ手に押さえつけられている。
「落ち着いてください、威様」
「……」
固く押さえ込まれて身動きが取れない。
「……痛い」
「落ち着かれましたか?」
「……」
「お怪我の治療をさせていただけますか?」
結城はゆっくりと戒めを解き、威の肩を抱いて体を起こすとソファに座らせた。
そして、恭しく威の右手を持ち上げると、白いパジャマの袖口の上あたりに赤い染みが出来ていた。
袖をめくると少し切れている。
どうやら払い落したときにでもナイフかフォークで怪我をしたようだ。
「他に痛いところはございませんか?」
「……ない」
結城は入り口に置かれたワゴンのところまで行くと白いタオルを持ってきた。
「傷口を洗う水と薬を持ってまいります。このまま押えてお待ちいただけますか? すぐに戻りますから」
結城の声には動揺も叱責もなく、威の傷にタオルを当てると威の左手で押えさせた。
「足を怪我するといけませんので、このまま座ってお待ちください」
そう言うと結城は部屋を出て行った。
扉が閉じたとき、鍵の閉まる音はしなかった。
結城に簡単に押さえ込まれてしまったのを思い出すと、今、ここでこの部屋を飛び出すのは得策ではないかもしれない。
しかし、もう威にはこれ以上耐えられなかった。
居心地の良し悪しじゃない。
どこへ行っても異形の所為でこんな扱いを受けるなら、誰もいないところで何の役にも立たず野垂れ時にしてやる。
弟の為にも、玲の為にも、浩然の為になってやらない。
誰も彼も一切の恩恵も与えてやらないで、逃げ切って死んでやる。
威は傷口を押さえていたタオルを捨てると、そのまま扉の方へと駆け出した。
ドアノブを捻ると抵抗なく扉は開く、そして思いきり引っ張って扉を開けて、音を立てているのも気にせずに暗い廊下に飛び出す。
「あっ!」
勢いよく飛び出して廊下を抜けようとしたが、ドアのすぐ横の壁にぶつかってその場に尻もちをつきそうになる。
「えっ? えっ!」
威は尻もちはつかずに中途半端な位置で停止した。
まるで空気椅子に座っているようなそんな姿勢。
「怪我をしている」
壁だと思ったのは浩然だった。
浩然は暗がりにぬっと立ちつくし、自分にぶつかって倒れそうになった威の二の腕を掴んで支えていた。
「放せっ!」
威は叫んだが、浩然の耳には全く届かなかったようで、威の身体をひょいっと荷物のように肩に担ぎあげて部屋の中へ戻されてしまった。
―― 続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます