第2話 誘拐・監禁・謎の男 その弐
しばらくすると、トレーを持った男が部屋にやってきた。
「お召し物はどうなさいましたか?」
扉が開いて、威の姿を見るなり、その男はひどく驚いた顔をして言った。
黒い男とは別の男。怜悧そうなメガネの男はどうやら餌とやらを持ってきたようだ。
「気がついたらなかった」
威は不貞腐れた様子も隠さずファーの上に座り込んだまま男に言う。
「左様でございますか。では、新しいお召し物をご用意いたしましょう」
男はそう言うとツカツカと部屋の中へ入ってきて威の前にトレーに乗せられた餌を置いた。
「アレルギーなどございましたらお申し付けください。このお食事は大丈夫ですか? 問題があれば別の物を作らせますが」
トレーの上には白粥の入った土鍋、細かく刻んだ漬物と鰹節、ノリの佃煮、出汁巻きたまご、南瓜の煮つけが小鉢に入れられて並んでいる。
朝ごはんみたいだと思ったが、もしかしたら外は朝なのかもしれない。
「今は、朝なのか?」
「いいえ。只今の時刻は19時。夜でございます。失礼ながらお食事がお久しぶりのようでしたので消化の良いものをご用意いたしました」
「はぁ……」
慇懃な態度を崩さず、掴み処のない男の言葉にぼんやり肯くと再び腹が鳴った。
「次のお食事はもう少しボリュームのある物をご用意いたしますが、まずはこちらをお召し上がりください」
そう告げると男は立ち上がり、用は済んだと扉に向かう。
威はその無機質な動きに不気味なものを感じながら、それでも思い切って声をかけた。
「ちょっと待って!」
「はい?」
「あんたたちは何者なんだ?」
男は威の言葉に即答する。
「ここは浩然様のお住まいで、私は秘書の
それだけを応えると、今度こそ外に出て行き、また扉が閉ざされた。
「なにそれ……」
ハオラン様という名前にも、もちろん結城という男にも丸で覚えはない。
ハオラン様のお住まいですと言われたところで、威には何の情報にもなっていなかった。
再び途方に暮れるが、目の前の食事の匂いに現金な腹がきゅーきゅーと鳴る。
「食えるのかな……」
粥を椀に盛って、くんと匂いを嗅いでみる。
白米の良い匂いがする。
もう丸三日くらいは食事をしていなかったので、懐かしいご飯の匂いが堪らない。
「ま、毒が入ってても、これ食わなくても、どっちにしろ死ぬもんな」
ならば、美味そうな食事を食べて死にたい。
木のスプーンですくって食べると糠臭さは微塵もなく、ほんのりと甘みを感じる美味しいお粥だった。
ひと口、またひと口と口に運ぶ度に本当にお腹が空いていたんだと思い出す。
末の分家に居た頃は奥座敷に閉じ込められていたとはいえ、衣食に事欠いたことはなかった。
毎日三度の食事以外に、三時には果物をもらったり、玲がお菓子を買ってきてくれたりしていた。
でも、そう言ったものも全て「本家の長男」の為だったのかと思うと、美味しいと思っていたはずの食事の味も思い出せない。
今、食べているお粥より美味しかっただろうか?
裸で監禁されている今より美味しかっただろうか?
気がつけばぼろぼろと涙を流しながら、粥もおかずも全て平らげていた。
食事に夢中で気がつかなかったが、食べ終えて顔を上げると入り口で結城が固まっている。
ぼろぼろ泣きながらご飯を食べてるのを見て、何だか難しい顔をしていた。
「な、なんだよ」
威は涙を乱暴に手の甲で拭いながら、結城から顔を逸らした。
「いえ、お食事が終わられたようでしたら、お召替えをどうぞ。こちらに一式ご用意いたしました」
結城は手にしていた紙袋を威に渡して、その代わりに空になった食器の乗ったトレーを回収する。
「お召し物も問題がございましたらお申し付けください。必要な物をそろえさせていただきます」
結城はそう言うとまた出て行ってしまったので、威は渡された紙袋の中を見た。
なんだか全裸に慣れ始めていたが、着れるものがあるなら着たい。
「なんだ……これ?」
中に入っていたものはどれも白い服ばかり。
パッケージを破って開けてみるとどうやらパジャマの上下のようだ。
真っ白でつるつるの手触りのパジャマは、相当高級な品物らしく触り心地が素晴らしい。
ためしに袖を通しても、縫い目も気にならず、生地のごわつきもない。
威はその体質故に肌が弱く、パジャマなどでも衿のタグや縫い目が触ると赤くかぶれてしまうことがあったが、このパジャマには全くその心配はなさそうだ。
一緒に入っていた下着も同じく真っ白のローライズボクサータイプのパンツだったが、ゴムの部分の締め付けがほとんど感じられないのに体にフィットして落ち着く。
しかも、薄くてひらひらしてるのに保温性が良く、これでファーの上に転がれば寒さを気にせず眠れそうだ。
「さっきのご飯と言い、このパジャマと言い、結構高級品だよね……」
はっきり確信があるわけじゃないが、どれも細かいところまで気遣いされた上等品だと思う。
「よく、わかんないな」
いきなり誘拐されてきた。
全裸で蛇だらけの部屋に監禁されてる。
ハオラン様とやらは粗暴な男で、結城はよくわからない。
ご飯は美味しい。
洋服も貰えた。
蛇はみなファーの上で気ままに過ごしている。
そこに威も混ざってボンヤリとしている。
お腹がいっぱいになって、洋服を着たら何だかいろんなことがどうでもよくなって来てしまった。
ここへ閉じ込められてからどれだけ時間が経ったのか。
田舎では威の家出に気がついて、大事な本家の長男様の為に必死で探している事だろう。
金だけはやたらとある家なので、下手をすればここを見つけて連れ戻しに来るかもしれない。
その時、あのハオラン様とやらは威を引き渡すのだろうか?
「逃げなきゃ……」
内臓を取られて死ぬのは嫌だ。弟も好きじゃない。第一、玲のあの仕打は酷過ぎる。
優しくしといて、殺して捨てるなんて。
「あ……」
そうか、ハオラン様も何か威を利用して捨てるのかもしれない。
だからそれまで逃げないように大事にしてくれているだけなんだ。
「なんだよ……」
優しくしてもらったのかと思った。
そんなはずないのに。
「寝ないのか?」
パジャマに着替えてからしばらくして、黒い男――浩然が戻ってきた。
「どこで?」
ぼんやりと座って蛇を見ていた威は、首だけ男の方を向くと聞いた。
「ここで」
「床で?」
「毛皮があるだろう」
「これ、ラグだよね?」
浩然はどうして寝ないのか本気でわからないらしい。
「グラビアアイドルじゃないんだから、こんな所で寝っ転がって寝ないだろ」
「グラビアアイドル?」
どうやら威の例えはピンとこなかったらしい。
「あー、あー、あー……ベッド! ベッドもなくて床で寝るなんて嫌だ!」
監禁されている身の上だが、最低限の保障ぐらいあってもいいんじゃないだろうか。
ガラスの床の上に敷いたムートンファーの敷物の上でごろ寝とか、確かにビルの前のアスファルトでごろ寝より良いけど、でも、監禁するならベッドぐらい欲しい。
「行儀が悪いから嫌だ」
「うるさい」
浩然は会話することを放棄したようで、それだけ言うと、何故かいきなり服を脱ぎだした。
「ちょ! ま! なにっ!」
ジャケット、ネクタイ、ワイシャツ、スラックス、靴下留めた靴下、アンダーウエアにパンツまで、それはもう何も気にしないで脱ぐと服は入り口近くに放置して、威のいるファーの上までやってくる。
「な、な、なんだよっ! この変態っ!」
「閉嘴!」
中国語で黙れと一括すると、浩然はそのままファーの上にごろりと横になった。
「ぎゃ! やっ!」
威は慌ててファーの上から飛びのき、部屋の隅に走り寄る。
そして、そのままじっと様子を見ていると、なんと浩然は寝息を立てて眠り始めた。
「……寝た」
寝息だけでなく、軽く腕の乗せられた腹筋も穏やかに上下している。
本気で寝ている様だ。
「なんなん、この人」
褐色の肌、引き締まった体躯、スーツの時はわからなかったが脱いでみると腕もそこそこ太く、腹はしっかりと腹筋が割れ、脚も無駄な贅肉が無い。
「裸族か?」
体毛は黒、髪も黒、起きていた時に見た目も確か黒。その黒い下腹の茂みの下には、くったりと寝ている通常サイズでも十分大きいと分かるアレ。
「自慢かよ」
ブツブツ文句言いながらも、面白くなってきて威は部屋の隅からファーの方へとにじり寄った。硝子のような床は座り心地も悪く、冷たくて居心地が悪いのだ。変態男が全裸で寝ているが、まだファーの上の方がましだった。
そして興味津々で浩然の顔を覗き込む。
彫の深い顔は日本人のようなアジア系だが、色合いは日本人離れしている。
名前から察するに中国系なのかもしれないが、こんなに色黒な中国人っているんだろうか?
浩然は威が同じ部屋に居ることなど微塵も気にせずに眠っている。
「不用心なもんだ」
鼻をつままれても気にせず寝てそうだなと思い、威は笑いをこらえながら浩然の高い鼻に手を伸ばした。
「にゃっ!?」
次の瞬間、何か黒いものが床からワッと湧き上がり、威の上に覆い被さった!
「ひ、ぃっ!」
被さって来たものは、頭から身体から足の先まで威の全身をすっぽりと覆い尽くしている。
口も塞がれ悲鳴も出せない。
右眼と鼻だけが隙間から出ているため、僅かな視界と呼吸だけは確保されていたが、それ以外は指一本動かせない。
(なに、これ)
僅かに見える隙間から外を探ろうとすると、何時の間に目覚めたのか浩然と目があった。
「!?」
「早く寝ろ」
そして隙間も閉じられ、視界は真っ暗になってしまった。
―― 続
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