触手な彼氏と白蛇の子。

貴津

第1話 誘拐・監禁・謎の男 その壱

 悪魔の鏡の破片が目に入った少年は、引き留める幼馴染の手を振り払って、雪の女王のお城に行ってしまったのでした。


―― Hans Christian Andersen 雪の女王



 深夜の高層ビル街。終電も終わり人足も途絶えた通りを、足を引きずるようにして歩く。

 昼くらいまでは疲労を感じていたが、今は何も感じない。痛かった足も惰性で前へ前へと歩くばかりで感覚が鈍くなっている。

(このまま、どこまで歩けばいいんだろう)

 歩き続けている瀬下威せじもかいに目的地はなかった。

 どこでもいい。元居たところから逃げられれば良かった。

 グレーの綿ニット帽を目深に被り、初夏の陽気だと言うのに長そでのシャツ、出来る限り肌を隠して影に逃れるようにしてここまで来た。

 途中で移動するためのお金が無くなってしまったが、それでもとにかく人がいて異形な自分がいても紛れ込めるようなところへ行こうと必死に歩き続けた。

(でも、そろそろ限界)

 膝がガクガクして早く座り込みたい。

 死にたくなくて逃げ出したのに、このままではこのまま死んでしまいそう。

 少しだけ。

 そう思って、目についた段差に腰を掛ける。

 それは大きなオフィスビルのエントランスへ上がる3段ほどの階段だった。

 階段に座って大理石のような黒く艶光りするフロアに身体を横たえるとひんやりと冷たくて気持ちいい。

 じんわりと体温が奪われて行くのを感じながら空を見上げた。

 黒く聳え立つシルエットの向こうに僅かな星空が広がっている。

 空は黒く晴れ、まばらに星が瞬く。

 この地上で逃げ続けるのは疲れてしまった。

 もし宇宙に逃げられるなら、どこかに威のような異形でも受け入れてもらえる星があるだろうか?

 そんなことを考えながら、深いため息を吐いて目を閉じた。


「……」

 奇妙なものが落ちている。

 最初見た時は薄汚れた布に包まれたゴミか何かかと思った。

 王浩然ワンハオランが綺麗に磨かれた革靴の爪先でそれを小突くと、布に包まれた何かはもぞっとその爪先を避けるように寝返りをうつ。

「……人間か?」

 大きさからみてそんな気がしたので、ほんの気まぐれで顔を見ようと帽子らしきものをそこから引き抜いてみた。

「ほぅ」

 現れたのはまだ幼さの残る少年。

 しかし、薄暗い街灯の明かりの下で見ている事を差し引いてもその姿は特異なものだった。

浩然ハオラン様」

 道に停まった車から男が降りてきて浩然に声をかける。

 男の目にも薄汚い少年の姿が目に映ったのだろう。男は露骨に眉を顰めた。

「ホームレスの行き倒れですか。セキュリティに連絡して処分いたしますので、浩然様はお車へお乗りください」

 そう言ってスマホを取り出そうとする男を止めると、浩然は車の方を指しながら命じる。

「車に乗せろ」

「は?」

「車に乗せろと言った」

「しかし……」

 煮え切らない態度の男を冷ややかに睨めつけると「三度目はない」とだけ言って、自分は先に車の方へ向う。

 こうなると浩然が折れないのは男にはよくわかっていたので、あきらめの溜息をつくと薄汚れた威を抱き上げた。


 冷たい石の床に横たわったのが良くなかったのか、なんだかやたらと寒くて意識が浮上した。

 意識は何となく目覚めたものの、疲労の所為か体がだるく瞼が開けられない。

(寒い……)

 寒くて目が覚める程ではないが、そわそわと脚を擦り合わせてどことなく落ち着かない。

 ぎゅっと丸まろうとすると頬のあたりに何か触れた。

「ん……」

 それが触るとくすぐったかったので、顔のあたりを手で避けるようにすると、ヒヤリと冷たい何かがするんと手の上をすり抜けた。

「……何……?」

 目を開けると辺りはまだ暗かったが、どうも目を閉じる前と勝手が違う。

 冷たい石の床はふわふわした毛皮のような肌触りになっているが、そこ以外がスースーして落ち着かない。

「えっ?」

 眼を開けて体を起こそうとして、威は自分が全裸であることに気がついた。

「ふ、服っ!?」

 辺りは真っ暗でまったく光が無い。

 ただ手触りで自分が何かの毛皮のようなものの上で全裸で居ることだけはわかった。

「なんでっ! なにこれっ!」

 あまりにも暗くてむやみに立ち上がることもできない。

 威は毛皮らしきものの上に座り込むと途方に暮れた。

「裸って、なんで……ひぃっ!!」

 呆然としていると足に何か触れる。

 するりと、細い、動く、なにか。

「え、え、え、やだっ! なに!」

 動く何かが触れた方から飛びのくと、今度は逆で何かに触る。

「ぎゃっ!」

 あられもない悲鳴を上げて、威はどうしようもならず頭を抱えて丸まる。

 細くて動く何かが威の周りを取り囲んでいる。

 威の脳裏に以前見たSFホラー映画のワンシーンが過ぎる。

 暗い部屋に閉じ込められた主人公はその部屋を住処とする食人生物の触手の餌食に……。

「やだーーーーーっ! 触手に凌辱されるーーーーーっ!」

「するか、馬鹿者」

 威の絶叫に応えが返ると同時に部屋の明かりがつく。

「うやっ!」

 急に明るくなって、驚いて顔を上げると、正面に黒い男が立っている。

「誰っ! てか、ここ何処!?」

 威がいるのは真っ白な部屋で、あのビルの前とは全く違っている。

 しかも全裸で、目の前には知らない男が立っていて、挙句に部屋の中には白い蛇がいっぱい。

「へ、蛇っ!」

 あの暗闇で威の身体に触れていた細くて動く何かは蛇だった。

 ざっと見る限り10匹以上いる白蛇は、みな鎌首をもたげて威の方を見ている。

「も、無理……」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、威は再び頭を抱えて丸くなる。

 ぐずっと鼻を啜る音が部屋に響く。

 明かりをつけたらしい男は威がパニクってる間黙ってそれを見ていた。

「なんなんだよ、もう……」

 そんな事を言っても返事はない。

 男は黙って威を見ている。

 しばらく、蹲って泣いているのを見ていたらしい男が、やっと言葉を発したのはそれからたっぷり5分ほど放置した後だった。

「お前は、アルビノか?」

 それを聞いて威は別の恐怖に体を竦ませた。

 全裸だったのだ。明るい明かりの中で何もかも見られた。

 一瞬で威の異形さに気がついただろう。

 先天性白皮症。

 遺伝疾患に起因する先天的な色素欠乏だ。

 真っ白な髪、下の血管が透けるために淡く桃色の肌、薄いグレーに見える異質な瞳。

 幼いころから両親にすら疎ましがられ、ずっと田舎の屋敷の中に閉じ込められて暮らしていた威にとって自分の容姿のことは絶対に誰にも知られたくない事だった。

「おい」

 丸まったままじっと固まっていると、不意に髪の毛を掴まれた。

「痛いっ! やっ!」

「喋れるなら返事をしろ」

「うるさいっ! 変態っ! 人のこと誘拐して裸にするとか犯罪じゃないかっ!」

「自分の敷地に落ちていたものを如何しようと勝手だ」

 男は威の髪から手を離すと、再び扉の方へ踵を返す。

「待てよ! そんな勝手が許されるわけないだろ! 服返せよ! 変態っ!」

「うるさい。これからここがお前の住処だ。時間が来たら餌をやるから黙って寝ろ」

「はぁっ!?」

 餌などと馬鹿にした言い方に更に噛みついてやろうと顔を上げたら、男の方はすでに扉の外で、無情にもドアが閉じられる。

「ふざけんなっ! 出せ! 変態っ!!」

 ドアに走り寄り、ガンガンとドアを叩くが、重厚な扉はびくともしない。

「なんだよコレ……訳わかんない……」

 この扉以外に窓も出入り口もなく、白に統一された部屋の中には家具もない。

 ただガラスのようなつるつるの床の中央に白いムートンファーの大きなラグが敷かれているだけだ。

 今は蛇はみなムートンファーの端っこに集まり、ドアの側で座り込んだ威を気にもせず蹲っている。

 この部屋が異様なのはそれだけではない。周囲を取り囲む壁は扉のある一面を除いた三面が全て水槽となっていた。

 その中には部屋の中に居るのより大きな白蛇が何匹も優雅に佇んでいる。

「蛇屋敷……」

 ドアを背に膝を抱えて座っているが、ドアの外からは何の物音も聞こえない。

 あのオフィスビルの前で目を閉じたのは深夜だった。

 あれからどのくらい時間が経ったのかもわからない。

 今が朝なのか夜なのかもわからない。

 ただ、身体は裸だが妙にさっぱりしていて、髪もサラサラになっているのを見るとどうやら寝ている間に洗われたようだ。

 不意にお腹がきゅうぅと鳴る。

 あまりのパニックに空腹まで気がついていなかったが、お腹が空いている。

 しかし、目を閉じる前もお腹はすごく空いていたので、それだけでは時間の経過はわからない。

「もう、やだ」

 時間が来たら餌をやると男は言っていたが、それがいつになるのかもわからない。

 大体、この部屋にはトイレも何もなく、部屋から出ずに暮らすことはできない。

 しかし、この部屋から逃げ出しても、威に行く場所はない。

 帰る家も、行きたいところもない。

 ひたすらに逃げて逃げてきたのだ。


 威の生まれた家は、田舎ではあったが、そのあたりでは名士の家柄と呼ばれるような一族の本家だった。

 長男として一族の期待を集めて生まれた威は、その白子と呼ばれる異形の姿故に生まれてすぐに末の分家に里子に出された。

 時代遅れな差別ではあったが、常に人の上に在れと暮らしている人間たちには、威のような異端が受け入れられなかったのだ。

 以来、父も母も知らず、田舎の屋敷の奥で学校にも行かずに暮らしてきた。

 家の中の者はみんな奇異の目で見るばかりで威に触らないようにしていたが、10も年上のその家の長男――瀬下玲せじもりょうだけは威に優しく接してくれた。

 学校へ行かない威に勉強を教え、本やインターネットで知識を得る方法を授け、時間があれば一緒に奥座敷とは名ばかりの座敷牢のような威の部屋で過ごしてくれた。

 玲は威の世界のすべてのような人だった。

(だけど……)

 威は玲の元から逃げ出した。

 玲は恐ろしい目的があって、威を匿って優しく手懐けていたのだ。

(玲にぃ……)

 今でも家を出る前に盗み聞きしてしまった話が忘れられない。

『威はいずれ死ぬ子だ。役に立つなら本望だろう』

 そう言ったのは、威の味方のはずの玲だった。

 本家の長男とされている威の実弟が病気なのだとは知っていた。

 威は弟という実感もなかったので他人事に思っていたのだが、臓器移植によって生きながらえることができると分かった途端に他人事ではなくなってしまった。

 アルビノとは言え、それ以外に問題のなかった威はドナーの候補に据えられたのだ。

 いつの間に調べられたのかわからなかったが、どうやらドナーとして適合したと末の分家まで連絡が来たらしい。

 いずれ死ぬ子。

 本家の為に生かされていただけの子。

 それを知った瞬間、威は家の中にあるお金を全部持ち出して、田舎の屋敷から逃げ出した。

 ネットとTVでしか知らなかった世界は戸惑うことも多かったけど、それを越えて逃げたいという衝動が大きかった。

 そして、名前だけ知っていた東京へ逃げ出したのだ。

 東京には他国の人間も多く、日本人以外にも沢山の外国人がいる。そういう中に入ってしまえば威も目立たなくなるのではないか。

 それが無知の浅はかな考えだったと思い知るのにそう時間はかからなかった。

 アルビノはどこの国の人種とも違いある種独特な存在だった。

 田舎のように露骨に奇異の目が向けられはしないものの、チラチラと見られては何事かを囁き通り過ぎてゆく人たちを見て、威はここでも異形の存在なのだと知った。

「挙句に誘拐されて、全裸で蛇部屋に監禁……」

 言葉にしてみると、今の状況も中々の衝撃度だった。

 しかし、臓器を抜かれて殺されるよりはマシか。

「……これから、どうなんだよ……」

 考えても何も浮かばない。

 もう何も考える気力がなくなって、威は再び頭を抱えると、蹲るようにして床に体を横たえた。



―― 続

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