第13話 飼い主の責任 その参
「このビルの上層階ですね……」
ナビされるままに来て車を止めると、鋼は目の前の高層マンションを指さして言った。
候補地の2つ目。深夜に近い時間というのもあって周囲に人気はない。
殆ど明かりの消えているマンションのシルエットを見上げて、篠宮は深くため息をついた。
「多分、ここが当たりだ」
忘れもしない。
黒く聳え立つこのシルエットこそ、篠宮の元婚約者が住んでいるマンションだ。
「ありがとう、ここから先はもう大丈夫だから、この車を使って帰ってくれ。車はあのカフェの近くのコインパーキングに停めてくれたら俺が取りに行くから……」
「一人でどうするんですか?」
「……陸がここに居るのは間違いない。どの部屋に居るのかもわかる。そこへ行って連れ帰るだけだ」
「このマンションは相当セキュリティが厳しそうですが……」
「そこは何とかするさ。俺はここのエントランスパスワードを知っている」
この日の為に覚えていたわけじゃないが、ここへ何度も来たことがある篠宮は部屋前まで行くのはそんなに難しくはない。
「知っている人の部屋なんですね……」
鋼は何か察したように呟くと、しばし思案する。
「俺も行きます」
「しかし……」
「陸に本気で抵抗されたら、俺以外では連れ帰れませんよ。それでも連れ帰りたいのでしょう?」
陸が何をしているのかはわからないが、沙英子の部屋に居ると分かった以上、一刻も早く連れ帰りたい。
「それに俺なら上手く様子を探れます」
「え?」
鋼がすっと手を差し出す。
その手にまるで植物のツタのように絡まりながら、細く薄青い触手がしゅるんと姿を見せる。
「俺は人間じゃないから」
触手はどうやら変幻自在でどんな隙間でも入り込み、五感情報を得ることが可能らしい。
それに見た目も完全に透明なものになることも可能なようで、そうなった時は同族が感知する以外に見つけるのも難しくなると説明された。
「わかりました。もう少しだけお付き合い願います」
篠宮はもう一度頭を下げた。
鋼を巻き込むのは申し訳ないと思ったが、助けなしに陸を連れ出すことは不可能だろう。
それに、とりあえずの相手は沙英子だ。暴れられたところで女相手ならば、暴力ごとにあまり強くはない篠宮でも押さえ込むことくらい出来るだろう。
「案内します」
二人は車を降りて、優雅な装飾に彩られた高級マンションのエントランスへと足を向けた。
エントランスを抜ける時に鋼を連れてきたのは正解だった。
パスワードキーを入力している時にガードマンとすれ違ったのだが、身なりの良い鋼はマンション住人として不審に思われることなく入り口をくぐることができたのだ。
「すごいなそこらじゅうに監視カメラがある」
鋼は真っ直ぐ前を見たまま歩いているが、どうやら目に見えない触手で辺りを探りながら歩いている様だ。
「都内じゃ有数のセレブマンションだ。セキュリティはガチガチだよ」
ここに遊びに来ていたころは、愛する女性を守ってくれて心強いと思っていたシステムも、今では行く手を阻む忌々しい茨にしか感じない。
(愛する女性か……)
父親を殺されかけて、我を失った沙英子は篠宮を信じることなく人殺しと罵って突き放した。
その後に別の男と結婚したと聞いているが、今ならば少しは落ち着いて話すこともできるのだろうか。
そんな空しい希望が微かに胸をよぎる。
多分そんなことは無理だ。彼女は今も篠宮を憎んでいる。だから追手となって篠宮の行方を捜しているのだ。
「篠宮さん」
鋼が立ち止り声をかける。
沙英子の部屋はまだ少し先の一番奥の部屋だが……。
「居ますね。同じ匂いがする」
篠宮から匂うのと同じ匂いの誰かがいる。
陸がいるのがわかったようだ。
「ここからは俺が行きます」
そう言って先に出ようとした篠宮を鋼は止めた。
「他に女性だけでなく男性がいます」
「彼女の夫かもしれません」
「夫? 夫にしては歳の差がある。彼女の父親では……」
鋼の言葉に鼓動が跳ね上がる。
「大島が……」
視界が狭まり暗くなる。
呼吸が苦しい。動悸が激しい。
叫び出したいような無茶苦茶な衝動が腹の底から突き上げてくる。
篠宮を陥れた張本人が、今、すぐそこに居る。
「大丈夫ですか?」
不安げな鋼の声に我に返った。
「大丈夫です……」
ひどい顔色をしてるのだろう、嫌な汗をかいているのも感じる。情けない事に足が竦んでいる。
「篠宮さんはここで待っていてください。どうやら陸は外装を脱いで侵入しているようで、中の人間は陸に気が付いていない。俺なら気がつかれずに陸を連れ戻せるかもしれない」
そう言って、篠宮の肩をポンとたたくと通路のカメラの死角まで移動した。
「俺の外装を見ていてください。これが無いと帰れないので」
そう言った次の瞬間、鋼はぺちゃんっと目の前で潰れた。
足元に落ちている服をみると服の隙間に肌色の皮膚のようなものが見える。
陸の時も驚いたが、彼らは一瞬でこれを脱着できるのか、見事に中身が抜けきっている。
移動したのもまるで分らなかった。
改めて、彼らの能力のすさまじさを感じる。
彼らなら人間を支配して暮らすことも可能だったろう。
それなのに彼らはその正体も能力も隠し、人間の中で穏やかに生きることを選択した。
その穏やかな選択を人間は感謝すべきかもしれない。
そして、それを脅かすようなことをしてはいけないのだと思う。
一人でいると同じことしか考えない。
膿んだように濁った頭で、ずっと同じことを考えている。
答えを探しているというよりは、自分に言い聞かせている様だ。
(陸を手放せ)
それが一番だと分かっている。
それなのに篠宮はそれに躊躇い、自分を説得し続けている。
どうして躊躇うのかわからない。
(いや、わかろうとしてないのか……わかりたくないのか)
陸にとっての一番は穏やかに生きる連中の元へ陸を返すこと。
では、篠宮にとっての一番は?
その答えを考えようとすると、頭の奥で強い光が瞬くように何かが邪魔をして思考を途絶えさせてしまう。
そんな取り留めのない事を頭の中でグルグル回していると、不意に頭の中に響く様なあの独特な響きの声が聞こえた。
『篠宮さん、すぐに移動します!』
「え? 陸はっ?」
『大丈夫です。俺が捕まえています。ですが、中の人間が』
鋼の声を遮るようにドアの開く音がする。
そして、中から出てきた人間と目があった。
「沙英子……」
篠宮と目のあった沙英子は一瞬呆けたような顔をした後、般若のように醜く顔を歪めて絶叫しようとした。
しかし、まるで何に弾かれるように沙英子は部屋の中へと突き飛ばされ、ドアはダンッと音を立てて閉まった。
『篠宮さんっ! 行きますよ!』
呆けたままの篠宮の身体が何かにぐっと抱きかかえられて、ものすごいスピードで非常階段の方へと運ばれて行く。
非常階段へのドアは施錠されていたが、身体がぶつかりそうになる直前に発破でもかけられたように弾けるように押し開かれ、そのまま階段になだれ込む。
無理やり施錠を打ち破ったため、警報が鳴り響く中、篠宮の身体は外へと運び出された。
『車に乗せます。そしたらそのまま発車してください。俺たちはこのまま車を追いますから』
「だ、大丈夫なのかっ」
『この程度の事ではなにも問題ありません。陸がいるのであなたを見失うこともない。だから、行って!』
運転席に押し込まれ、ドアが閉まる。
篠宮は言われるままにキーを回し、エンジンをかけると、シートベルトもせずに車を急発進させた。
悲鳴のようなタイヤの軋む音が癇に障るが、そのままアクセルを踏み続ける。
まるで、あの時、聞こえるはずだった沙英子の悲鳴を振り切るように、車はマンションから遠ざかった。
暫く運転していると、ドンッと何かがボンネットの上に落ちたような衝撃があってから窓の隙間から青い触手と白い触手の塊がもつれるように窓から入り込んできた。
青い触手はそのままリアシートの上に置かれていた鋼の外装に入り込んだらしく、あっという間に人の姿を取り戻す。
「靴を忘れて来たな……」
足元を見てぼそっと呟く鋼の横で、白い触手はぎゅっと固まったままでいる。
「陸……」
バックミラーに映る触手はビクッと震えたけれど何も言わない。
「このまま、次にいう住所まで行ってもらっていいですか? 陸は俺が捕まえてますので」
鋼の言う住所にナビをセットすると、再び沈黙が淀む。
陸は何も言わない。外装を脱いでいるとはいえ、車内なら会話も出来そうなものなのに何も言わない。
沙英子のところに居たのは間違いなく情報収集の為だろう。
しかし、何故篠宮に黙って行ったのか?
「陸は篠宮さんに告げたら止められると思ったから黙って行ったんでしょう」
鋼がまるで篠宮の頭の中を読んだようなことを言う。
「……俺が怒ると分かって行ったのか」
「そうとも言えますが、それよりは篠宮さんの為に黙ってたんではないかと」
「俺の為か……」
ポケットから煙草を取り出し火をつける。
窓を開けて肺から煙を吐きだしても、煙のようには気持ちは晴れない。
陸の行動を制御できなかったのは篠宮のミスだ。
陸がどれだけ篠宮に傾倒しているかを図り損ねた。
(いや、違うな。俺はそこまで分かっていて陸にやらせようとしたんだ)
陸がこうやって動くだろうことは想像できていた。それを表面上認めていないだけ。
ある意味、予想通りの事を陸にやらせて、イラついているのは自分の腹黒さを認めたくないだけ。
(潮時か……)
陸を手放してやろうと思っているのに手放せないままでいる。
陸を利用したくないと言いながら、陸が動くのを黙って見ている。
沙英子に姿を見られた以上、向こうも動き出すだろう。
出遅れれば、再び同じような目に陥る。
篠宮も負ける気はないが、それに陸を巻き込むことはできない。
「そのマンションの前で止めてください」
「ああ……」
鋼の言う場所に車を止めると、鋼は青い触手を陸に絡みつけて抱えて車を降りた。
ぱっと見には何か荷物を持っているようにしか見えない。
「ここの7階に俺の部屋があります。とりあえずそこへ……」
「あんたらとはここまでだ」
篠宮はエンジンを再びかけると、窓から身を乗り出して鋼に抱えられている陸に言った。
「陸、お前はクビだ。勝手なことする奴はいらねぇ」
「篠宮さんっ!?」
「……住む世界が違い過ぎたな」
そう言うとアクセルを踏み車を発進させる。
呆然と見送る鋼の腕の中で、陸は微塵も動けずに篠宮が遠ざかって行くのを感じていた。
―― 続
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