第14話 飼い主の責任 その肆
鋼と結のマンションのリビングの片隅で、陸はきゅっと固く結ばったまま篠宮の事を考えている。
篠宮に置き去りにされた後、鋼にこの部屋へと連れてこられた。
「陸、外装取ってきたよ」
結が駅のコインロッカーに入れていた荷物を取って来てくれた。
陸はこの部屋に来てから何も話さなかったが、鋼が色々と察して動いてくれたようだ。
しかし、結の問いかけにも陸はピクリとも動かなかった。
鋼に連れられて部屋に来た時のまま、石のように固まったまま。
(捨てられた……)
篠宮は陸を捨てて行ってしまった。
陸が勝手なことをしたので、怒って陸を切り捨てたのだ。
もう少し上手くできると思っていたが、現実を知れば知る程どうにもならなくなった。
沙英子の部屋で聞いた耳を覆いたくなるような話を篠宮の耳に入れたくなかった。
これ以上、篠宮が苦しむようなことを続けたくなかった。
(ご主人様の為に……)
それは陸のエゴだ。
篠宮は何も望んでいない。
でも、篠宮が傷つくのを見るのが嫌な陸が勝手にやったことで怒らせてしまった。終わらせてしまった。
「陸……」
結は沈黙を続ける陸にそっと触れる。
真珠のような不思議な光沢のある白は、まだ個が固定されていない種類なのだという。
鋼の青、矢野原の黒、彼らは個が確立すると色を持つ。どんな色に変化することも可能だけれど、何も意識しない素の色はそれぞれ固有の色がある。
「篠宮さんは、住む世界が違いすぎるよ」
柔らかな声色だけど、厳しい現実を告げる声。
篠宮は今はまだ混沌の狭間に居るけれど、いつか必ず向こう側へ行ってしまう人だろう。
結のそう長いわけでもない生活の中でも、そういう人たちを何人も見てきた。
必ずしも破滅するばかりではないが、必ず社会秩序からは外れて行く。
鋼や陸のような特殊な立場に居るものが、そちら側へ行くのが好ましくないのは明白だ。
パワーバランスが狂い、それに恐れをなした者たちが過剰に反応したらどうなるか。
秩序から外れた世界に居るモンスターを人間は躊躇わずに刈り取るだろう。
『……』
結の言葉は良くわかる。
結や鋼、矢野原たちと篠宮は明らかに違う世界の人種だ。
(でも、それでも……)
不意に篠宮の顔を思い出す。
陸が抱きしめても決して抱き返してこない篠宮。
唇を噛んで、何もかも拒んで、失うことを恐れて手にしようとしない。
それでも良かった。側にさえいられれば。
例え陸を見てくれなくても、そこに居てくれれば良かったのに。
(なのに、こんな風に置き去りにされてしまった……)
欲しくて、欲しくて、手に入らないけれど、それでも欲しくて。
どんな手を使っても、何とかして手に入れたい。
どうしてこんなに渇望しているのかわからない。
陸が求める気持ちを遥かに超えてしまった渇きが、篠宮を欲して暴れまわっている様だ。
『ご主人様しかいらない……』
「陸?」
『おれは、ご主人様しかいらない。他の何もいらない』
結が触れている手を押しのけるようにして、しゅるっと陸が解ける。
「陸っ!?」
「どうしたっ?」
異変に気付いた鋼もリビングに飛び込んできたが、陸は誰も眼に入らないかのようにゆらりと立ち上がる。
その変化は鮮やかなまでに明らかだった。
立ち上がる陸の真珠色の身体が内から血が染み出るように赤く赤く染まって行く。
「陸!」
結の声も鋼の声も届かない。
鋼は外装を解いて陸を押さえつけようとしたが、逆に床に押しつけられてしまった。
のばされた触手は全て鮮やかな紅に染まり、まるで血まみれでのたうっているように見える。
「ぐっ、あぁっ」
ジュウッと粟立つような嫌な音がして鋼が悲鳴を上げる。
鋼の身体は陸が触れているところからジクジクと粟立ち爛れて行く。
「陸! 止めろっ!」
結は咄嗟に体当たりして、その下敷きになっていた鋼の身体を取り戻す。
青白い触手がところどころまるで火傷でもしたように黒く斑な染みになっている。
『結、離れろ……』
「ダメっ! 出来ないっ!」
引き摺り離した鋼の身体に更に圧し掛かろうとする陸から守るように、結は鋼の身体に覆いかぶさった。
必死に鋼を守ろうとする結。
繋がり合い、深く結びついている二人。
じわりと陸の胸の中に黒いものが浸み込む。
陸は触手を収めて、一歩後ろへ引く。
そして、蹲ると外装を身に着けた。
もう一度立ち上がると、触手同様に変化が表れていた。茶色の髪は濃く深い紅へと変わり、瞳もまた暗がりでは黒く見える程濃い赤に変わっている。
無邪気だった陸の面影はすでになく、その相貌を覗いても透けて見えるのは黒く暗い影ばかり。
「ごめんなさい。でも、これ以上、おれの邪魔をするなら、二人を消してでも行く」
俯いて寂しげな声は陸の声。でも、その言葉には強い意志が響く。
「陸っ!」
鋼に覆いかぶさったまま、結が陸の方へ手を伸ばそうとする。
しかし、その手はすぐに青い触手に巻き取られ、下に降ろされた。
「ダメだ! 陸!」
『結、もう無理だ』
「鋼……?」
鋼は結を抱きしめるように体を起こす。
爛れて斑になっている触手を結を抱き寄せるように巻き付け、今にも陸へと駆け寄りそうな結を抱き止めた。
『篠宮さんを救うのは難しいぞ』
「……鋼さん」
玄関へと向かい始めていた足を止めて、鋼の方を振り返る。
「わかってます」
『それでも……』
「おれには、ご主人様しかないから」
陸はそれだけ言い残し、今度は振り返らずに玄関を出て行く。
「陸!」
結の声がドアを閉めても聞こえたけれど、陸はもう二度と振り返ることはなかった。
篠宮はホテルに戻ると荷物の大半を処分する旨を告げてチェックアウトした。
沙英子に姿を見られているため、動き出すなら早いに越したことはない。
ほとんど手ぶらに近い状態で篠宮はホテルを出た。
途中、知り合いの暴力団組員に安いトカレフを都合してもらった。
殺傷力弱いが、あまり大口径の銃だと扱うのが難しい。
刺し違えるつもりならこれで十分だった。
大き目の上着を羽織り、そのポケットに銃を忍ばせる。
こんなもので刺し違えるつもりは微塵もなかったが、それでも過去を思い返せば何もないよりはずっといい。
本当の武器は反対側のポケットにある。
(急がないと……)
武器を携えて、朝のオフィス街へと向かう篠宮には焦りの色が見える。
いち早く動かなくてはならないのは大島たちの反応の為だけじゃない。
篠宮を追ってくるだろう存在はもう一人いる。
(陸が嗅ぎつける前に……)
陸はストーカーとしては最高位だろう。
監視カメラやNシステムに侵入し篠宮の居所を探し当てるのは手間でもない。
篠宮に残された猶予は、陸が物理的に移動する時間分しかないのだ。
見慣れたビルにたどり着き、今日の為に入手していたIDカードでビルの中へと入る。
スーツにコートという姿の篠宮は早朝出勤の社員にしか見えない。
何せ、逮捕前まで通っていた古巣だ。手薄でガードマンに出会わないルートは熟知している。
人気のないエントランスを足早に抜けて、エレベーターにもう一度IDカードを通す。
(最上階……)
篠宮が地獄に突き落とされたその現場のあるフロアのボタンを押した。
陸がホテルにたどり着いたときにはもうすでに篠宮はそこに居なかった。
機材は全てフォーマットされ、HDDは傷まで入れられている。
陸のスマホはすでに使えなくなっていた。篠宮が停止したのだろう。
とにかく篠宮の行方を捜すために、ホテルを飛び出すと近くにあったネットカフェに飛び込んだ。
重い回線にイライラしながら、篠宮の行方を探し始める。
ホテル近辺のあらゆる監視カメラに侵入し見慣れた姿を探る。
「ご主人様……ご主人様……」
篠宮は陸の取るだろう探索手口を熟知している。
多分変装して、極力監視カメラを避け、進行方向を推測させ無いようにコースを選んでいると思われる。
ならば、陸はそれを上回る演算で篠宮を割り出すしかない。
ネットカフェのパーテンションの中で手だけでは足りない操作の為に半分外装を解いてキーボードに向かった。
大島の部屋はすぐに分かった。
会長室の手前、事件があった部屋の隣、ドアには社長室とプレートがかかっている。
IDカードで中へ入ると、秘書が控えているデスクが目の前にあり、その奥にもう一枚扉がある。
そこが目当ての場所だ。
篠宮は誰もいない部屋を横切り、ドアノブに手をかけようとしてスマホが着信を知らせているのに気がついた。
着信の表示は公衆電話となっている。
「陸……」
この番号にかけてくる人間は1人しかいない。
この電話に出れば、あっという間に探知されるかもしれない。
いや、もう、かかって来た時点で見つかってしまったも同然だろう。
そう思って篠宮は電話に出た。
『ご主人様! 早まらないでください!』
慌てふためく陸の声。
「邪魔をするな」
篠宮は一言だけ返した。
『おれが行くまでまっ』
言葉を遮るように通話を切る。
そして公衆電話からの着信を拒否した。
大した抵抗にはならないが、拒否という意思表示にはなる。
篠宮は陸を拒否する。それだけが伝わればいい。
通話の途切れて暗くなった画面をぼんやりと眺めながら、陸の顔を思い出そうとして止めた。
篠宮は陸を拒否したのだ。
―― 続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます