第12話 飼い主の責任 その弐
篠宮に依頼された情報は問題なく集まった。
しかし、陸はまだそのことを篠宮に報告していない。
「んー……」
陸はモニターのスイッチを消すと、椅子に腰かけたまま大きく背伸びをした。
篠宮はカウチが気に入ったのか、自分の作業をカウチの上で続けている。
その為、部屋の片隅に備え付けられたライティングデスクは陸が占領している。
ノートPCではモニターが狭かったため、モニター二台を買い足してちょっとしたオフィスのようになっている。
そのオフィスもどきの中で陸は悩んでいた。
ここ数日、篠宮と同じ部屋にいる手前、モニターに向かい続けてはいるが、そのモニターに意味のあることは表示されていない。
もっと情報が欲しい。
記録として残されているものだけでなく、人間が自分の頭の中に貯めこんでいる情報が欲しい。
それには本人たちと接触する必要がある。
(どうしよう……)
素直に彼らに接触したいと言っても、篠宮はそれを許さないだろう。
やるとなったら篠宮に黙って出て行くしかない。
もしかしたら相手に接触することで、陸は篠宮の信用を失い切り捨てられるかもしれない。
彼のトラウマに触れ、逆鱗に触れるようなことになるかもしれない。
それでも、記録の先にある物が見たいと思ったのは初めての事だった。
(ああ、そうか)
篠宮のことが知りたい。
確かに篠宮の側に居たいと思った時に、篠宮の事を調べはした。
それは篠宮の居場所であったり仕事であったり近づくための方法だった。
でも今は篠宮自身の深いところにある物を知って、篠宮を助けたい。
篠宮という男と一緒に居て、陸はただ一緒に居るだけでは我慢できなくなった。
篠宮を自分のものにして、ずっとずっと一緒に居たい。
その為には、篠宮の事をより深く知って、篠宮を捕まえなくてはならない。
例え逆鱗に触れて、篠宮を怒らせても、その怒りごと全部欲しい。
そう自覚して、陸の中に渦巻いていたものがストンと心の中に納まった。
だから、その為に動こう。
「ご主人様。ちょっと出かけてきます」
陸はそうとだけ篠宮に告げて、側に置いてあった鞄を持って立ち上がる。
「おう」
篠宮はモニターに目を落としたまま、軽く手を振って陸を見送った。
そして、そのまま陸が失踪した。
「つながらねぇ……」
篠宮が与えたスマホは完全に電源が落されたままでGPS検索にも引っかからない。
通話はもちろんつながらず、与えたアカウントも使用されず、完全に見失ってしまった。
これは篠宮の失敗だ。
陸が側に居たいという言葉を真に受けて、安心していたが故の失策だ。
色んな変化に気が付いていたのに見ないふりをした結果だ。
「クソッ、どこ行きやがったんだ」
コンビニでも行くような気軽さで部屋を出て、そのまま部屋には戻って来ず、どうしたものかと探し始めたらホテルにメッセージが届いた。
『必ず戻ります』
たった一言、ただそれだけ。
戻るというなら戻るのだろうと一週間様子を見たが、陸が戻る気配はない。
(嫌な予感がする)
陸は間違いなく、大島たちを調べている。
どうやっているかまではわからないが、彼らの側で調査を続けているだろう。
篠宮は陸を読み誤ったのだ。
ただの道具だと思っていたワンコは、自分でモノを考えて動いた。
(余計なことを……)
陸の行動を苦々しく思う。
折角、篠宮一人で往こうとしているものを。
汚らしい連中の側で、陸まで汚泥を被る必要はないのだ。
「仕方ない」
戻ってこないのは、泥沼に足を取られているのかもしれない。
迎えに行かなくては。
それは最低限、飼い主の責任だから。
「矢野原は確か出張中だよ」
結は息切って店に入ってきた篠宮に席を勧めながら言った。
「出張?」
「学会だって。札幌だったかな」
篠宮はカウンターに手をついて舌打ちした。
ツイてない。
ホテルの火事の時に陸の居場所を嗅ぎつけてきた矢野原なら陸の居場所がわかるのではないかと思って、矢野原と会ったカフェまで足を運んだのだが無駄足になった。
「そういや、あんたも奴らの仲間だよな? 陸の居場所はわからないか?」
「俺は人間だから無理だよ。よっぽど親しい相手ならわかるけど、陸は知り合って間もないし無理」
「そうか……」
「陸、居なくなったの?」
「わからねぇ。戻るとメモはあったんだが戻ってくる気配がない」
「そっか」
結は深くは聞かない。
この間は陸に同情して色々と言ってしまったが、二人の問題は二人で解決すべきで誰かが何かを言っていいモノではないことはわかっているから。
ただ、あれだけ薄情なことを言っていたのに、行方不明の陸を探す篠宮の必死さは嘘ではなさそうだ。
結も陸は嫌いではない。
もし何かトラブルに巻き込まれている可能性があるなら手助けはしたい。
「俺の恋人に聞いてみる? 彼ならわかるかもしれない」
「恋人?」
「矢野原や陸と同族」
そう言うと結は腕時計をちらと見た。
「時間ある? 多分もう1時間しないうちに店に来ると思うから、それまで待てるなら聞いてみなよ」
「陸とも知り合いなのか?」
「知らないと思うけど、彼らは同族の存在は結構広範囲で把握してるし、そんなに距離が離れてなければ陸かどうかはわからなくても同族がいる場所ならわかると思う」
「そうか……頼む」
そう言うと篠宮は改めてコーヒーをオーダーしてカウンター席に腰かけた。
「どうして陸を探すの?」
結はコーヒーをカウンターに置きながら聞いた。
篠宮は深入りしないと言った。陸のいなくなった理由が何であれ、彼の言葉の通りならそのまま放って置くはずだ。
「……あいつをイレギュラーにしないためだ」
「イレギュラー?」
篠宮はコーヒーを口に運びながら、カウンターの向こうに立つ結を見る。
20代後半ぐらいだろうか、健康的な肌色ににこやかな笑顔。矢野原のように影もなく、健全な雰囲気の青年。
陸も本来ならばこのくらい健全な表側に居るべき存在なんだろうと思う。
前に来た時に結が篠原に噛みついたのは、裏側へと引きずり落とす暗さを警戒したのかもしれない。
「大丈夫。必ず陸はお前らの元に戻す」
篠宮の言葉に結は眉を顰めた。
「陸と離れるの?」
「今なら間に合うからな」
「陸はそれを望んでるの?」
「俺がそれを望んでねぇんだ」
陸が泣いても喚いても、これが終わったら陸はこいつらの元に返す。
道具でいられない以上、篠宮の側には置けない。
勝手に側に居ろと入ったが、それはもう撤回だ。
「……あ、来た」
結がまだ開きもしないドアの方を見ると、それに合わせるように店のドアが開いた。
入ってきたのは仕立ての良いスーツに身を包んでいる30代前半くらいの男。
髪を後ろに撫でつけて身なりもきちんとしているところを見ると固い職業の人間のようだが、そのスーツの下の体格の良さは威圧感を感じる。
「鋼、お疲れ様」
「ただいま」
結がカウンターから出て、鋼と呼んだ男から鞄を受け取る。
鋼と呼ばれた男はとろけるような笑みで結を見る。
まるで家に帰ってきた夫を出迎える妻のようだが、恋人と言っていたのを思い出し強ちはずれでもなかったかと思う。
そんな風に思いながら見ていると、鋼と目があった。客の姿に気が付いて、結を見て浮かべた笑みをやや引き締める。
「お客様?」
「ああ、そう。鋼にお願いがあって」
「お願い?」
結が鋼に篠宮の隣の席を勧める。
鋼は軽く会釈してカウンター席に並んで座ると、カウンターの中に戻った結に視線を移す。
「この人が矢野原の友達を探してほしいんだって」
「矢野原の?」
「東條陸って、わかる? 矢野原と仲良いらしいんだけど」
「最近の奴の交流はあまりわからないな。ここで会う時に話をするくらいだし……」
わからないと言いかけて、何かの匂いに気が付いたように鋼はくんっと鼻を鳴らした。
「この匂いは」
鋼にまじまじと見つめられて、篠宮は少し後ろに引いた。
篠宮は多分陸の匂いとやらがする。それに気が付くという事は、この男もやはり陸たちと同じ地球外生命体の仲間なんだろう。
「貴方のお知り合いですか?」
言葉こそ丁寧に鋼に問われたが、その目には有無を言わせない強さがある。
篠宮が人間であることもわかっているのだろう。
この男もまた自分たちのコミュニティからイレギュラーを出さないことを危惧しているのか。
篠宮は覚悟して、極力簡素に答えた。
「そうだ。急を要して、陸を探している」
その言葉を聞いて、鋼は今度は結の顔を見た。
いいのか? と問うように。
「探してあげて欲しい」
結もまた簡潔に返す。
鋼は少し考えるような素振りで目を閉じると、すぐにジャケットの内ポケットからスマホを取り出すとマップアプリを起動した。
「都内に居る同族は数が少ないから、虱潰しにあたってもすぐにわかるだろう。今、同族がいると思われるのは……」
鋼はマップ上にいくつかマーカーをつけた。
23区内で3カ所。決して多くはない。
ただ、これは今現在の居場所で、時間が経てば移動する。
「鋼」
鋼の背中にぺったりくっついてマップを覗き込んでいた結が名を呼んだ。
「んー……」
強請られた鋼は少し眉を寄せて悩む。
あまり関わりたくはないのだろう。
「すみません、力を貸してください。お願いします」
篠宮も頭を下げる。
鋼の協力が無ければ、篠宮より情報操作の上手な陸を見つけることはできない。
「鋼がいかないなら、俺が探しに行くけど」
「!?」
結の一言で鋼の同行が決まった。
篠宮はレンタカーの助手席に鋼を乗せて、鋼の示した候補地に向かう。
鋼は助手席でずっとマップを見ているが、黙ったまま何も聞かない。
「すみません、お手数をおかけします」
訳も分からず巻き込まれただろう鋼に、篠宮の方が申し訳なくなる。
「いいえ。結がでしゃばるよりはずっと」
マシですと言いたげな鋼は、本当に結を大事にしているのがわかる。
「仲良いんですね」
鋼と結は地球外生命体と人間のカップルというだけでなく、外見だけで見てもゲイカップルだ。普通の生活を送る上で障害も多いだろう。
それでも二人はそんなことを感じさせない。ほんの少し同席した篠宮にすらわかるほど、二人は深く想い合い結ばれている。
「俺と結は分かち合う者同士だから」
「分かち合う者同士?」
「……俺たちの正体はご存知ですよね?」
「はい。陸と同じだと」
「俺たちは人間のパートナーが必要不可欠なんです」
鋼はパートナーについて説明する。
陸たち地球外生命体が地球上で生存して行くためには人間から摂取するある養素が必須で、それを摂取できないと免疫が尽きて死亡してしまうのだという。
どんな人間からも摂取はできるが、理想は摂取する相手に自分の組織を取り込ませ融合した相手が望ましい。それで寿命が大きく変わる。
「結は俺の組織を取り込み融合してくれた唯一無二のパートナーです。彼は融合することで少し人間とは変わってしまった。良い事もあるし、悪い事もある。そのすべてを受け入れてくれたかけがえのない相手なんです」
ただの恋人同士ではなく、運命共同体のような存在。
もちろん、養素の為だけでなく、心から深く結びついてるからこその存在なのだろう。
(陸もそれを望んでいるのか?)
篠宮の側に居たがった陸。
篠宮が欲しいと言っていたが、それはパートナーが欲しいからなのか。
(そんなに大事なものに俺はなれない)
やはり陸が望むような関係にはなれない。
そんな深く結びついてしまうと、陸を明るいところへ戻してやることが二度と出来なくなる。
篠宮はこれからどんどん暗い方へと進んで行く。それに道連れにすることはできない。
「陸とはまだ融合していないみたいですね」
鋼に言われて苦笑する。
頭の中を読まれている様だ。
「する気はありません。矢野原や結さんにも中途半端に手を出すなと怒られました」
素直に答えたが、鋼はそれを聞いて眉を顰めた。
でも、それ以外に答えはないのだ。
「陸がどんなに望んでも、俺にその気はありません。でも、心配しないでください。別にあなた方の情報を売ったり広めたりはしませんから」
「……死ぬ、つもりですか?」
鋼の言葉に胸の奥深いところを逆さに撫でられたような気がした。
ぞわりと喉の奥がざわめく。
ずっと考えてはいる。だが今はまだやることがある。
それに簡単に死ぬつもりもない。
だけど、泥に浸かって空を見上げる生活に疲れ始めているのも事実。
「そんなに簡単に死にませんよ。俺にはやらなきゃならないことがある」
俺を陥れた連中に一矢報いずに死んでたまるか。
俺を踏み台にして笑う連中に嘲られたまま死にはしない。
俺から明るい世界を奪った連中に……。
篠宮が黙り込むと、鋼は一つ溜息をついて、マップに再び目を落とした。
車内に重い沈黙が淀んでいるが、それ以上会話が続くことはなかった。
―― 続
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