第11話 飼い主の責任 その壱
陸はガキだったがバカではなかった。
バカでない証拠にガキなりに篠宮という男がずっと心の奥底で誰かに助けを求めているのだと知っていた。
篠宮は酷く刹那的な男で、自分の身体を与えることも厭わない。
矢野原も自分の美貌を良く知っていて利用できる限り利用するが、篠宮はその真逆だった。
泥に浸かって投げ捨てて、自虐的な気持ちを高める為に自分を踏みにじらせる。
その身体を安く投げ出せば出すほど、篠宮の気持ちは落ち着く。
沼の底に沈んでしまえば、それ以上沈むことが無いように、助かることなど考えられないくらい絶望すれば、希望に縋って苦しむことが無いからだ。
そこまでは陸にもわかった。
でも、どうやったらそんな篠宮を助けることができるのかが分からない。
助けてくれとも言えない篠宮を、どうやったら陸に繋ぎとめてその泥沼から救い出せるのかがわからないのだ。
「大島沙英子……」
調べている女の名前を呟く。
篠宮の元婚約者。
既に消されたSNSの記事を履歴を復活させると、篠宮と二人幸せそうな笑顔で笑う写真が現れた。
日付は「事件」の一年前。
二人は普通に恋に落ち、愛を育んでいるように見えた。
写真は旅行に行った時のスナップ。
一年後には生涯の伴侶となる人との初めての旅行の思い出。
しかし、それが表面上だけのことだと陸は知っている。
もう一つ、沙英子が別名義で綴っているSNSの書き込み。
そこには篠宮ではない男と笑って写る沙英子の姿。
日付は同じく「事件」の一年前。
奇しくもほぼ同じ日の篠宮との写真の数時間後。
昼間に婚約者と笑って撮った写真と、夜に別の男と寄り添って写る写真。
それが好ましい事を意味するものでない事は、疎い陸でも良くわかる。
父親を傷つけたことを恨むのはわかるが、彼女を裏切った罪で篠宮を罵る資格はない。
最初から、沙英子の気持ちは篠宮にはなかったのだから。
そして、今、沙英子と写真に写っていた男は婚約し、冴子の父親が経営する会社の取締役に名を連ねている。
本来ならば篠宮が座っていたはずの椅子に。
(ご主人様を苦しめるような情報しかない……)
こんなことが暴かれても、篠宮の救済には決してならないだろう。
そう考えて、ふと、篠宮はこのことを知らなかったのだろうかと思う。
陸が来てからは陸に頼むことも多いが、篠宮自身も相当な腕前の情報屋だ。
人脈を持ち、人を使って情報を集める術は陸よりもはるかに勝っている。
そんな篠宮がこの程度の事を知らなかったとは思えない。
(調べなかったのかな……)
知りたくないことを知る必要はない。
でも、篠宮の心の傷を目の当たりにする度に、その傷の深さに見ているだけの陸ですら苦しくなる。
あの傷は全てこの連中が篠宮につけたのだ。
篠宮を陥れた大島、篠宮を裏切っていた沙英子、篠宮を切り捨てた親。
ゴミのように切り捨てたのに、何故、社会的地位を失い失墜した篠宮を執拗に追うのか。
(ご主人様は切り札を持っている)
その切り札が有効である限り、篠宮は狙われ続ける。
篠宮を開放するにはその切り札を無効にするしかない。
でも、きっと篠宮はそんなことは望まない。
(じゃあ、どうしたらいい……)
モニターを見つめたまま、きゅっと唇をかみしめる。
切り札を無効にすることは陸にとって簡単なことだったが、それでは篠宮が救われない。
陸の目的はあくまでも篠宮を救い彼の側に居ることだ。
ではどうしたらいい?
答えが出ないまま、陸は篠宮に依頼された通り、篠宮を傷つけた連中の情報を集めるしかないのだ。
「おかえりなさいませ」
陸が物思いにふけっていると、ドアの向こうでコンシェルジュの声がした。
続いてドアの開かれる音。
「ただいま」
篠宮が帰ってきた。
陸は大好きなご主人様のお戻りに目を輝かせて立ち上がった。
「おかえりなさいませ! ごしゅ」
ご主人様と言いかけて、陸は口をつぐんだ。
匂う。ものすごく匂う。
「おう。なんかわかったか?」
ジャケットを脱ぎながら陸の方をみた篠宮が、眉を顰めて立ち止まる。
「……なんだ?」
今日は陸は留守番をきつく言いつけられていた。
ついて来たら解雇。帰るまでに情報を集めておけ。そう言われてしぶしぶホテルに残った。
それなのに……。
「ご主人様の浮気者っ!!」
部屋に入って篠宮の顔を見るなり陸は涙目で叫んだ。
「はぁ? 何言ってんだお前は」
「矢野原と結さんの匂いがする!!」
その言葉に篠宮がぎょっとする。
「ついてきたのかっ!?」
「分かるんですっ!」
そう言えば、矢野原たちも陸の匂いがすると言っていた。
恐るべし地球外生命体。
「うるせぇな。匂うからなんだって言うんだ」
「あの二人だけはダメですっ!」
「はぁ?」
陸は涙で潤んだ目でべそべそしながら篠宮の肩を掴む。
「新は自分の顔を褒め称えてくれる人なら見境無しのヤリチンだし、結さんはいい匂い振り撒いてみんなメロメロの傾国の美人なんですよっ! そんな二人の匂いをぷんぷんさせてるなんて俺には耐えられません!」
「アホか」
ぐずぐずべそべそなワンコを無視して、篠宮は自分のノートPCを手に大きめのカウチソファに腰掛けた。
「ご主人様は宇宙人なめてますよ! ご主人様は頭が良くて綺麗で生活力もあってすごく素敵だけど、宇宙人には通用しないんですよ!?」
多分もう陸も何を言ってるかわかってない。
とにかく二人の匂いがしていることが気に入らないようだ。
しかし、そんな激昂も篠宮の一言でぴたりと止まるから不思議だ。
「お前には通用してるじゃねぇか」
ぴたっと止まった陸の顔が見る間に別の興奮で赤く染まる。
行儀悪くカウチに寝そべり、煙草を咥え、陸の事なんか知らんぷりでモニターを見つめている美貌の男。
陸の茶髪と違いしっとりと黒い髪は白い肌の色をより透けるように見せているし、切れ長の眼差しに細く鼻梁の通った顔、煙草を咥えるその唇は薄いが形よく赤い。髭は生えない性質らしく、白い頬に髭の青みは殆どなくすべらかにみえる。
そのすべらかな肌は全身に続いている事を陸は知っている。
今まで身近にいた矢野原も確かに綺麗だと思った。
彼の場合は作り物でもあるのだけど、その造型はかなり綺麗で表情や仕草も綺麗に見えるように洗練されている。
それに比べると篠宮は綺麗な顔の割にガサツで、身なりこそ整えてはいるものの、大股開きで咥え煙草というあられもない姿でカウチに寝そべり、腹の上にノートPCを置いて捜査している。
(でもそのギャップがいい……)
意外なところでギャップ萌えに目覚めた陸だったが、それと浮気は別問題だ。
「でも、本当にあの二人はダメです」
「……何故だ?」
「彼らはイレギュラーを見逃せない」
陸は篠宮の元へ来る時に、同族のみんなが望む社会からの脱落を覚悟してきた。
イレギュラーな存在になったとしても篠宮の側に居るために。
陸たちは上手く人間社会に紛れ込んで暮らしている。その総数は不明だが、人間の総数に比べたらはるかに少ない。
すでに、彼らのみの社会というものは失われ、人間社会こそが今所属するべきコミュニティとなっている。
そこから外れることは彼らがこの地球上で知的生命体として生きて行くことの破滅につながる。
篠宮の立ち位置はとても微妙だ。
人間社会から逸脱しているわけじゃないが、反社会的な部分も強い。
一般的な人たちが暮らす表社会と反社会勢力と呼ばれる人たちが生きる裏社会の境目に立っている。
それは一瞬でどちらかに引きずり込まれる可能性がある危険な立ち位置だ。
矢野原は何か怪しげなことをしていると感づいていて、陸を監視し始めたのだろう。
あの日、ホテルに来たのはそれを陸に忠告するためだ。
陸が篠宮の為に逸脱した行動を起こさないように、裏社会の側に回るイレギュラーな存在にならないように。
でも、それでは篠宮の側には居られない。
陸の望みは篠宮の側に居ることだけなのに。
「イレギュラーか……」
篠宮も自分の立場は理解している。
むしろ積極的に落ちて行こうとしたいのを必死に堪えている有様だ。
陸の方が余程腹をくくっているのかもしれない。
(地球外生命体なんてイレギュラーな存在にすら枠の外だと危ぶまれるのか)
中途半端な位置にいるのはわかっている。
一歩踏み出せば真っ逆さまに堕ちるギリギリの際に立っている。
居心地のいいはずのこの位置が最近居づらくなってきた。
それは篠宮も実感していた。
だから篠宮は追手と対決する覚悟を決めた。
放火されただけではなく、もうこの位置にいるのも限界だったのだ。
陸という強大な武器を持ったのは幸運だった。
決着をつける。その為に少しだけ陸の力を借りる。
何も返してやれないが、落ちる時に道連れにはしない。
武器は道具のまま、罪は使用者が背負う。
「ご主人様、また良くないことを考えてますね……」
薄暗い顔から何を読み取ったのか、陸が少し怖い顔をして篠宮を見ている。
篠宮が欲しいと告げたあたりから、陸はそんな表情をするようになった。
無邪気なワンコが少し獰猛な犬の気配を見せる。
これは良くないと篠宮は思っている。
早く決着をつけて、早く陸を開放してやらないと、陸は道具から凶器になってしまう。
篠宮の不安定さに引きずられるのは良くない。
イレギュラーでも、そのくらいはわかるのだ。
「うるせぇ。文句ばっか言ってねーで、俺が言った事をやれ」
篠宮は怖い顔には気がつかないふりで言う。
堕ちるのは篠宮だけでいいのだから。
―― 続
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